最終話

 もうもうと上がる脂交じりの煙の中で、僕は薬機法については語らなかった。その代わり、焼きの方法については、得々と語って見せた。


「タンはね、中火で焼くのがコツなんだよ。だから一番先に焼くんだ。火が強まらないうちに。表面にじんわり脂が滲んできたらひっくり返す――」


 そんな僕の蘊蓄うんちくを中井は全く聞かず、覚えたてのレモンサワーをグビグビ飲み、僕が丁寧にタンを焼いている横で、タレ付きのカルビをじゅうじゅうしていたんだ。


 邪悪だ! いや、迷惑だ!


 そんな網の上事情を、僕はスマホのカメラに収めた。

 髪の先から雫を垂らし、レモンサワーを豪快にあおる中井の姿もたくさん撮った。

 中井が撮った僕の画像は、流行りのスマホアプリで耳と鼻が付けられ、犬になっていた。

「いぬー、いぬー」とケラケラ笑いながらスマホを眺める。


 この先、もしも中井に会えなくなったとしても、僕はアルバムの中に収めたこの画像たちを見て、きっと笑うのだろう。

 焼肉はタンから焼くんだとか、飲み物はミネラルウォーターかペリエに限るだとか、野菜は無農薬の有機栽培じゃなきゃダメだとか、そんな拘りどうでもいいと思えてしまうのだろう。

 その先に、どんな景色があったとしても、僕はその景色を見たいと思った。


「なんかー、昨日知り合ったばっかりらなんて思えらいよね」


 少しろれつが怪しくなってきた中井がそんな事を言うもんだから、僕もふと我に返り、自分の行動力に、震えた。



 思えば長い戦いだった。2年前、自分が作った広告を違法だとネットに晒し上げたあの日から、僕は引き返せなくなっていた。


 独立と同時にSNS上に生み出した『違法広告バスター』は、元々自分の信念を貫くための物だった。徹底したクリーンな広告を作るという自分への戒めのような物。

 今でこそオワコンなのだが、当時はそれなりの反響があり、僕は間違っていないと強く信じた。


 信者もできたが、たくさんのアンチも生み出した。


 独立してから生活の大半をSNS上で過ごしていた。

 恋人も作らず、リアルの友達と会話する事もなくなり、毎日1人で自分の世界に入り込んだ。


 虚しいだとか、寂しいだとかは、あまり思わなかった。


 ただ、心の片隅ではいつもこの世界から抜け出したいと思っていた。


「小池ーーー!!」


「はっ? なに?」

 急に怒鳴られて、心臓が跳ねた。


 寝言か。


 キングサイズのベッドの上では、中井が先ほどからかわいい寝息を立てている。

 布団からはみ出す、健康的なふくらはぎはバニラアイスのように白い。


 そう、ここは新宿のとあるラブホテルの一室。

 なぜ、こういう事になったのかというと――。


 一頻り焼肉を堪能し、調子にのって6杯のレモンサワーを飲み干した中井は、先ほどのように、急に「小池-----!!」と叫んだかと思ったら、お店のテーブルに突っ伏して動かなくなった。

 酔っぱらったら、寝るタイプだったらしい。


「帰ろうか?」

 少し大きな声で、何度もそう声をかけたが、反応はなし。

 閉店時間は刻々と迫る。

 僕は会計を済ませ、中井をおぶって店の外に出た。

 

「電車もうないから、タクシーで送るよ。家はどこ? 住所言える?」

 その問いには答えず、中井は両腕を僕の首にぎゅーっと巻き付けて、こう言ったんだ。


「ぎもぢわるい」


 こうなる前に、自宅の場所を確認しておくべきだったが、もう遅い。

 背中で吐かれては、次会いづらくなってしまう。


 仕方なく、ここへ来たというわけだ。


 吐くだけ吐いたらすっきりしたらしく、シャワーを浴びて眠りこけている。


 僕も限界だ。

 ここで寝てしまいたいが、まだ恋人ではない無防備な女の子と一夜を共にするわけにはいかない。

 自分の荷物を持ち、立ち上がる。

 僕はタクシーを拾って自宅へ帰る。


 青白い顔で眠る中井の耳に口を寄せ、言った。


「明日、迎えに来るよ。おやすみ」


 反応はないが、もう連絡先は交換している。

 明日の朝にでも連絡しよう。


「じゃあね」


 部屋を出ようとした瞬間。


「小池ーーーーー」


 また寝言だな。


「小池ーーーーーーーー!!!!」


 しつこいな。


「行っちゃやだー」


「へ?」


「いやーーーー。帰っちゃダメーーーー」


 マジか。


 そっと引き返してみると、寝ていたはずの中井は、ベッドの上にちょこんと座っている。バスローブの胸元がはだけて、ミルクのように白い胸元がっ……。


「目、覚めたの?」


 中井がこくっと頷く。


「帰っちゃだめぇぇえ!」

 今にも泣きだしそうな顔でそんな事を言うもんだから、僕はもうすっかり帰りたくなくなってきている。


「どうしたの? まだ酔っぱらってるの?」


 中井は不満そうに唇を尖らせて大きく首を横に振った。


「ここにいてーーー」


 僕は、中井の隣に腰かけた。


「そんな事言われたら、襲っちゃうかもしれないよ。僕だって男だからな!」


 中井は少し恥ずかしそうな顔をして、さっと布団に潜り込みこう言った。


「襲っちゃだめぇ!」

 布団に包まれ、いびつな雪玉のようになった中井の隣に寝転がってみた。


「わかった、じゃあ、何もしないから、ここで寝ていい? 僕ももう限界なんだよ。昨日、一睡もしてないの」


 雪玉が大きく一回揺れた。


 もぞもぞと布団の中から姿を現した中井が僕の胸にすり寄ってきて、奇妙な動きをするからくすぐったい。


 妙にかわいくなった中井を、すっぽりと腕の中に収めて髪をなでた。


「恋人同士みたいだね。僕たちもう付き合っちゃう?」

 そういうと、お腹辺りに両腕を回して、胸にぴったりと頬を寄せた。

 久しぶりに味わう柔らかい温もりに、体の中心が熱を持つ。


 それは……イエスって事でいいですか?




【完】

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る