第6話 僕の正義は……

「これって君だよね?」


 和田さんがスマホの画面を僕に向け、ようやく本題に入ったのは一頻ひとしきり近況報告を終え、軽い食事でお腹が膨らんだ頃だった。


 スマホ画面には、僕が匿名でやっているSNS。

 違法広告バスター。


 和田さんの顔からは、笑顔が消えていた。

 そうか。匿名でも、顔出ししてなくても、和田さんにはこれが僕だとすぐにわかるのか。


「はい」

 僕の返事に呼応するように、和田さんは静かにコーヒーを啜った。


「2年前、君は社長の指示の元作った 取引先のアミネス株式会社の広告を、自ら匿名でネットにさらし、つるし上げたね。この広告は違法です、と。自分が勤めてるシャインコーポレーションだけでなく、アミネス株式会社までもおとしめようとしてたよね」


「違う! 貶める意図はなかった」


「正義だった?」


「はい。僕は汚いやり方で稼いだお金で給料をもらい、暮らして行くのはたまらなく嫌でした。それに無理やり加担させられる事も。社長には改心してほしかった。けど、その結果、アミネスにも和田さんにも、大変ご迷惑をおかけしたと思っています」


 主に会社のプロバイダーからSNSにアクセスしていた僕の書き込みは、名誉棄損に当たるとアミネス株式会社から個人情報開示請求がかけられ、会社が特定された。

 僕の仕業だと察した和田さんは、僕に確認後、全ての罪をかぶり自主退社を選んだ。

 この事は決して口外しないようにと、僕に釘を刺して。


 その後、会社でおもしろおかしく飛び交う、和田さんに対しての罵詈雑言に、僕は耐え切れず退社したのだ。

 問題を起こした張本人である僕が、のうのうと会社に居座る事も心苦しかった。


 和田さんは、一口ほど残っていたコーヒーを全て飲みほした後、こう言った。


「そんな事はどうでもいいのよ。どうせ辞める予定だったんだから」


 そして、にっこりとほほ笑んで見せた。


「小池君の仕業だって、社長もわかってたのよ。けど、社長は君を許した。それは私のお陰じゃないわよ」


「え? まさか……それはどういう……?」


「当時、まだ23歳だったね、小池君」


「はい。なぜ社長は僕を許したんですか?」


「この業界に君は必要な人材だから、まだ若いし尖って当然。成長を気長に見守ってやりたいって、被害を受けたアミネスの社長がそう言って許してくれたからよ。損害賠償請求はしないと」


 鈍器で背中を思い切り殴られたような衝撃が心臓に走り、呼吸が苦しくなった。

 あんなに執拗に追い詰めたにも関わらず、アミネスの社長は僕を訴えなかったばかりか咎めなかった?


 社長からも僕は何のお咎めもなく許されてた。

 若いという理由だけで許されていた。


 僕はどうだろうか?

 社会経験の乏しい、まだ20歳になったばかりの中井を、一ミリでも許してあげる事ができていただろうか。

 僕は、ただ……。

 僕はただ、中井を泣かせたことへの罪悪感で身勝手に苦しんでいただけだった。


 和田さんは、テーブルの脇に置かれている革制の伝票クリップを握った。


「先週、社長に会ったのもこの件だったの。社長、心配してたわよ。次は守ってやれないって。それをね、伝えに来たの。私は君がやっている事、別に責めはしない。やめさせるつもりもない。賞賛もしないけどね。誰にだって正義はある。私にもあるわ。ただ、それを振りかざして誰かを傷つけるような真似はしたくないだけ」


「和田さん、僕は間違ってますか?」

 僕は半ばすがるように、和田さんにそう訊ねた。


 和田さんは大きく首を横に振った。


「間違ってないよ。ただね、小池君。君は病におかされてるんだと思うよ」


「……病?」


「そう、正義という病」

 真正面から心臓をアイスピックで一突きされたような衝撃が走った。


 和田さんは伝票クリップをもてあそびながらこう続けた。


「元々、潔癖な性格なんだよね。タバコは吸わない、お酒も飲まない。市販のジュースもお菓子も全て害でしかない。いつもそう言ってたね。一点の汚れも曇りも許さない。許さないんじゃなくて、君は許せないんだよ。多くの人が許せる事が、君にはどうしても許す事ができない。だって、病気だから」


 そして、和田さんは立ち上がった。

 床に置かれたカゴから小ぶりなハンドバッグを取り、僕の前に立った。


「誰にもどうする事もできないと思うの。だってそれは君自身の問題だから。私の正義を君に押し付けるつもりもない」


 和田さんは僕から視線を外し、カウンタ―の向こうに顔を向けた。


「マスター、ごちそう様でした。お会計一緒で!」


 僕は慌てて尻ポケットから財布を取り出したが、和田さんは手のひらをこちらに向けてそれを制止した。

「今日は私が誘ったから」


 財布の中に1000円札が一枚しか入っていない事まで見透かされたのだろうか。

 途中コンビニもなく現金を下ろす時間もなかった。

 僕は項垂れたまま、深く頭を下げた。


「次は小池君から誘ってよ。連絡待ってる」


 和田さんは、いつもの調子でそう言って、かわいたドアベルの音と共に去って行った。



 和田さんと随分長く話をしていたような気がしたが、自宅に帰りついたのは正午前だった。

 デスクに座り、ほぼ自動的に仕事用のメールを立ち上げ、仕事の依頼がないか確認する。

「ゼロか」

 両手を後頭部で組み、何の変哲もない天井を眺めていたら、昨夜SNSで見た中井の顔が浮かんだ。

 いい会社なんだと泣き叫んだ中井の声が、脳内でリフレインする。

 それに和田さんの声が重なる。


 ――君は病に侵されてるんだと思うよ。正義という病に。



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