第4話 つい優しくしてしまった

 僕は、前職でコールセンターでの経験もある。

 その時に受けた研修を元に、数時間に及び中井を特訓した。


 やはり僕の読み通り、中井はたった数時間の研修を受けたのみで業務に就かされたらしい。

 接客で使う言葉は耳慣れているようで、実際に使いこなすとなるとなかなか難しい。

 ある程度の特訓が必要なのである。

 それをすっ飛ばして、マニュアルを読みながらの実務ではぎこちなくなるのは必然。きちんと出来ていなくても仕方がない。

 

 正しい言葉を日常的に何度も練習するようにと約束し、電話を切った。


 中井は今年二十歳になったばかりだ、という事もわかった。

 大学受験に失敗し、長いこと家に引きこもっていたそうだ。精神的に不安定なのはそういう経緯もあるのだろう。

 身の上話を聞いてしまうと、意地悪な気持ちにはなれなくて、つい優しい言葉をかけてしまった。


 若いからと言って全てが許されるわけではないが、中井本人もそこに甘えるつもりはないと言う事で、会話は終了した。

 厳しい特訓に耐え、頑張った事も褒めて然るべきだな。


 壁掛けの時計はもう22時を示している。

 冷蔵庫からペリエを取り出し、渇いた喉に流し込む。

 無味無臭の炭酸の刺激を愉しむ。


 作り置きしておいた、というよりは昨夜の残り物。国産の有機野菜で作ったラタトゥイユを冷蔵庫から取り出し、レンジで温めローテーブルへ運んだ。

 少々熱が入り過ぎたラタトゥイユにふうふうと息を吹きかけ、空腹を通り過ぎた胃袋に収めて行く。

 薄めの味付けだが一日経ったラタトゥイユは味がしっかり馴染んで、白いご飯にも合いそうだが、この時間に炭水化物はやめておこう。


 久しぶりに長い事人と話していたからだろうか。

 溜まりに溜まったストレスがじんわりと溶けて足の先から抜けていくみたいだ。


 テーブルに置いたスマホは大人しくブラックアウトしている。

 いつものように、仕事用のメールにアクセスしようと思ったがやめた。

 違法広告バスターの、SNSでの反応も今日は見ないでおく。

 今夜はこのまま眠ろう。


 食事を終え、消化中のひと時は30分ほど読書をする。

 読みかけていた書籍を手に取った。

 食品添加物がどれだけ体に悪いか、性格や思考にも影響を及ぼすかという事が詳しく書いてある。眉間に力が入るような内容だが興味深い。

 ふーむと唸っている所にスマホが鳴った。


 非通知だ。中井か?


「はい、小池です」


『中井です』

 先ほどの明るい声と違い、神妙な声だ。


「どうしたの?」


『聞き忘れた事があって、いいですか?』


「いいですよ」


『あのぉ、ジュレ製薬が違法だとかなんとか、言ってましたよね、小池さん』


「ああ、そうだね。その事を聞きにわざわざ電話してきたの?」


『はい』

 なかなか仕事熱心じゃないか。


「ネットで消費者庁を検索してごらん。薬機法、景品表示法の事が詳しく書いてある。そしてジュレ製薬が出している広告と見比べてごらん。そしたら僕の言ってる事がわかるよ」


『それはつまり、ジュレ製薬が悪い事をしているという事ですか?』


「そうだね。違法な広告を放置して売り上げを伸ばし続けている」


『けど……』


「ん?」


『商品についての苦情はまだ一件も入っていません。喜んでいるお客様もたくさんいます』


「うん? そういう事を言ってるんじゃないんだよ。人を騙して得たお金で君たちはご飯を食べてるという事だよ」


『ヒドイ!! 誰も騙してなんてない! ユーザーさんは喜んでます。高評価のレビューもたくさん付いてます!!』


「それは割引きや特典に釣られたユーザーが書いてるだけでしょ」


『いい加減な事言わないでください!!』


 カッチーーーーン!


「僕の何がいい加減だって言うんだ!!!」

 つい、声を荒げてしまった。

 いい加減なヤツが、いい加減な広告作って拡散しているから、僕がこうして戦っているというのに。


『もういいです!! 小池さんには幻滅じでばす。優しくじでぐれて、嬉しかったのに…………もういい!! もういい!!!! うれじがっだのにぃぃいーーーー』


 そして悪夢再び。

 小一時間、僕の鼓膜は中井の泣き叫び声に支配され、痺れさせられる事となった。


『ヒドイよーーーー、酷いよーーーーーーー小池さんのバカーーーーーーばかぁぁぁぁぁーーーーー。聞いてる? 聞いてるのか? 小池ーーーーー、小池ーーーー!!!』


「はいはい。聞いてますよ」


『なんで、なんでーーー、広告がーー違法だからってーーーー全てが悪いって事になっちゃうんだよぉぉぉーーーー』


「あのね、中井さん? 落ち着いて! 僕はそんな暴論を投げるつもりはないよ」


『ボーーロンってなんだよぉぉぉぉおおおーーー』


「ごめんごめん。暴論っていうのは――」


『そりゃあ、小池は頭がいいよ!!』


 人の話を遮るな!


『あたしはバカだよぉぉぉ』


「あのね、落ち着いて」


『けど、いい会社なんだよぉぉーーー。どこにも就職でぎなかったあたしを……雇ってくれた、いい会社なんだよぉぉぉぉーーー。社長も役員さんたちも、みんなやざじぐじでぐれるんだよぉぉぉぉぉぉーーーー』


「わかった。わかったから一旦落ち着こう。僕の話を聞いて」


『小池のばかーーーーー!! バカやろーーーーーーーぉ!! クレーーーーーマーーーーーー!!!』


「クレーマーじゃないっ!!! せめて、さんを付けろ」


 あれ? 


 声がしなくなったぞ。


「中井さん??――。ん? もしもし、もしもし? 聞いてる?」


 また勝手に切りやがった!!

 ポンコツ中井!!! 僕の穏やかな時間を返せ!!!!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る