天壌霊柩 ~超高層のマヨヒガ~ 第19回

 男に続いて窓口を過ぎると、すぐ先に、横に折れている細い通路があった。

 何度か角を曲がり、タワービルの敷地を半分ほど歩いたかと思う頃、通路の突き当たりに、スチール製の扉が見えた。

「ここだよ」

 扉の向こうは、スロープ式の広大な駐車場だった。

「私はすぐ隣町から徒歩通勤してるんだけど、なんでわざわざ遠回りして地下を通るか、わかっただろう?」

「はい」

 拓也が初めて入る地下駐車場は、予想以上に空調が効いていた。

 蔦沼市は東北地方でも北寄りに位置しているが、盆地性気候のため、夏には南国なみの猛暑が続く。そして冬には大変な雪が積もる。どちらの季節も、屋外を歩くのは少しでも避けたい。

 平日だからか、駐車場は閑散としていた。

 中央の歩行者用通路を縦断した先に、先刻と同型の小型エレベーターがあった。

「これを使うとビルの裏手、川側の市道に出られる」

 地下駐車場には、拓也の知らない複数の出入り口があるらしい。

 一階に着いて扉が開くと、懐かしい川風が拓也の顔を撫でた。

 こちら側には、今でもこんな風が吹いているのだ――。

 拓也は意外に思いながら、市道に目をやった。

 市道の向こうには、低い家並みの町が、川まで届きそうに広がっている。

 拓也は愕然と目を見張った。

 そんなはずはない。再開発後は、河川敷ぎりぎりまでタワーシティが続いているはずだ。せいぜい十階建て以下にしろ、近代的な中層ビルが林立していなければおかしい。

「じゃあ、行こうか」

 男はなんの違和感もなさげに、片側一車線の市道の、信号もない横断歩道を渡ってゆく。

 車を気にしている様子は、まったくない。

 現に、車が一台も通らない。

 拓也は、そのまま路傍に立ちすくんでいた。

 ここがタワービル裏の市道なら、現在は狭い部分でも片側二車線、しかも交通量の多さから、ほとんど歩道橋でしか横断できないはずである。

 拓也は、出てきたばかりの地下駐車場を振り返った。

 地下鉄の出口のようなエレベーターと、その横の地下へのスロープは、間違いなく存在している。地下駐車場の真上に位置する小公園も、午前中に歩いたビル前の公園ほど広くはないが、それらしく都会的な風情で広がっている。小公園の向こうには、超高層のタワービルが傲然と聳えている。

 しかし前を見直せば、まるで再開発前の、田舎道じみた市道である。

 拓也は悟った。

 自分は、まだ夢を見ているのだ。いつからその夢が始まったのか、それさえ解らない夢の中にいるのだ――。

 以前にも、夢を見ながら、ここは夢の中だと自覚したことはあった。しかし、ここまで明晰に自覚するのは初めてである。

「どうしたんだい?」

 横断歩道を渡りかけていた男が、立ち止まって拓也を見返った。

「まだ気分が悪いのかい?」

「……いえ、大丈夫です」

 そう拓也は言って、横断歩道を渡り始めた。

 夢である限り、いつかは覚める時がくる。しかし悪夢であれ快夢であれ、そこから意図的に覚めることも、意図的に留まることもできない。時が来るまでは、自分の記憶が織り成す過連想の迷宮に身を委ねるしかない。

 すでに困惑はなかった。

 むしろ冷静すぎるほど迷いがなかった。

 幼い頃、親の手を離れて、異世界のような他人たちの情動の坩堝るつぼに踏み出した時も、拓也は知能だけで適応したのである。

 既知の合理性や整合性が通用しない、異様であることが常態の世界――。

 あの時は適応するまで何週間もかかってしまったが、今の自分は違う。

 たとえどんな世界にいても、明晰な思考を保っている限り、自分が自分であることを貫く自信が拓也にはあった。

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