天壌霊柩 ~超高層のマヨヒガ~ 第14回

 真弓が拓也の腕にすがりついた。

 拓也は即座に言った。

「ただの停電だよ」

「ああ、びっくりした……」

 真弓に腕を取られたまま、拓也は実のところ、ただならぬ疑問を抱いていた。

 とっさに「ただの停電」と言ったのは、真弓を落ち着かせるための方便に過ぎなかった。

 ただの停電であるはずがない。

 外からの送電が途絶えても、この規模の近代建築の通路に、完全な暗闇は生じない。非常用電源に切り替わるまで多少の間があるにせよ、蓄電式の光源――天井の予備照明や要所要所に設けられた避難誘導灯、あるいは非常口そのものの表示灯――それらが常に点灯しているはずだ。そもそも通路の先にある展望エレベーターは、扉にも透明アクリル製の部分が多い。夜間ならいざ知らず、昼には必ず外光が漏れこむ。

 拓也は数瞬、幼稚園に上がった直後のような、主観と客観の著しい乖離にとまどっていた。

 先に、真弓の方が現実的な対処に思い当たり、ポシェットから手探りでスマホを取り出す。

 しかし、スイッチを入れても作動しない。

「……電池切れみたい」

 拓也もポケットのスマホを出し、

「……こっちもだ」

 そう口にしながら、なお疑念がつのる。昨夜フル充電したはずなのである。

 依然として漆黒の闇の中、

「……あれ?」

 真弓が怪訝そうにつぶやいた。

 拓也がそちらを見ると、真弓の横顔が、仄かに闇に浮かんで見えた。

 真弓は拓也に身を寄せたまま、背後を振り返っていた。

 微かな光が、後ろから差している。

 拓也も彼女の視線を追うと、闇の中に、細長い光の縦線が見えた。

 光の線はしだいに幅を広げ、やがて、ベージュ色のドアの内側が現れる。

 今立っている場所と、先ほど退室してきた教育委員会の中ほどで、誰かが通路横の扉を開いたらしい。

 目を凝らすと、扉の奥に漂うように消えてゆく、二つの人影が見えた。

 真弓が拓也の腕を引いた。

「沙耶ちゃんと……お母さん?」

「え?」

 夏服の女学生と、地味なワンピースの中年女性――確かに、それらしい二人連れである。

 しかし拓也はいぶかしんだ。あの母子が今日ここに呼ばれたとは思えないし、女学生の髪形も中学時代の沙耶とは違い、背中まで伸びたロングストレートに見える。

「でも、佐伯さん、あんなに髪が長かった?」

「たぶん。春に電話したとき、校則が緩いから髪を伸ばしたいって言ってたの。それに、あの制服、沙耶ちゃんが上がった高校の制服とそっくり」

 拓也はまだ半信半疑だったが、いずれにせよ今、明るい場所はそこにしか見当たらないのである。

 合意を交わすまでもなく、拓也と真弓は揃ってそちらに足を向けた。


 すでに閉ざされた扉のノブを、拓也が手探りで見つけ、引き開ける。

 奇妙な空間が、そこにあった。

 奥行きは十メートル以上あるだろうか、仄暗い部屋の突き当たりに、ぽつりと小型エレベーターの扉が見える。そこまでの左右にはスチール製の書類棚がずらりと並んでおり、資料室、あるいは書類倉庫らしく見えるが、天井の照明は奥のエレベーター直前に一つしか見当たらない。かなり大型の円形照明なのに、乳白色のフードは微かな光しか放っておらず、暗すぎて、棚の列が横にどこまで広がっているかは判別できなかった。

 それでも足元は確かなので、拓也と真弓は書類棚の間を縫って先に進んだ。

 棚の列はエレベーターのほぼ直前まで続き、左右には、人ひとり通れるかどうかの余地しかない。

 エレベーターの扉は真新しいが、手元に上下選択ボタンと階数表示があるだけの、低層雑居ビルなみに素っ気ない仕様である。

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