天壌霊柩 ~超高層のマヨヒガ~ 第2回

 エントランスに近づくにつれて、拓也の足は、いよいよ重くなった。

 タワービルを見上げると、拓也に向かってのしかかるように、明らかに傾いている。

 無論、それが高すぎるための錯視であることは理解できるが、中学の修学旅行で見上げた東京の超高層ビル群とは違い、そんな錯覚を起こさせるほどの建築物がこの土地に存在すること自体、いかにも不自然に思われる。今歩いている小公園にしろ、いかにも人工的な造園や幾何学的なオブジェなど、あまりに都会的すぎるのではないか。

 再開発以前、このタワーシティ一帯は、雑然とした下町にすぎなかった。せいぜい二階建ての木造家屋が、入り組んだ路地を挟んで密集し、昭和の中頃に建てられた棟割長屋状の平屋さえ、少なからず残っていた。昭和レトロといえば聞こえはいいが、一軒が小火ぼやを出したら町ごと灰になりかねない、過去の遺物のような町だった。拓也は、まさにその町で生まれ育ったのである。タワービルそのものの住所と、拓也の記憶にある生家の住所は、町名のみならず丁目の数字までが一致している。しかし小学生時代のなかばに地域一帯の再開発が始まり、当時の町は道筋ごと跡形もなく消滅してしまった。

 十六歳になったばかりの拓也にとって、幼い頃の生活が、さほど恋しいわけではない。今住んでいる郊外の新興住宅街と、冷暖房完備の市営住宅のほうが遙かに快適だ。市内のあちこちに分散した昔の住民たちも、充分以上の移転補償で、むしろ生活は潤ったはずだった。

 とはいえ少なくともあの頃は、北国の山々と麓の河川敷が粗末な家々を包みこむようにして、町の大気を自然に潤していた。たとえ真夏でも、ときおり心地よい涼風が、路地の奥まで吹き渡ってきた。

 しかし今、拓也は熱帯雨林のように澱んだ都市熱の底を、超高層の陽炎に向かって、マリオネットのようにぎこちなく歩いている。


 汗を含んだハンドタオルを、エントランス前の植えこみに向けて濡れ雑巾のように絞りながら、ふと拓也は思った。

 今、自分が抱いている違和感や倦怠感は、もしかしたら『懐旧』なのだろうか。『感情』と呼ばれるものの一種なのだろうか。自分がこれまで一度も自覚したことのない、『情緒』あるいは『情感』と呼ばれる心の綾なのだろうか。

 年齢的にも、その可能性はありそうに思える。

 たとえば『思春期』――多くの級友たちが、小学生から中学生へと移行するにつれて一際ひときわ不合理な情動を見せ始めた、心身の羽化とでも言うべき成長期――そんな転機が、自分にも巡ってきたのだろうか。

 ならば自分は生まれて初めて、他の級友たちと同種の、ノーマルな人格に変わりつつあるのかもしれない――。

 そんな自問を人前で口にしたら、おそらく鼻持ちならない自意識過剰、あるいは異端を気取った中二病と揶揄されるだろう。

 しかし拓也にとっては、きわめて客観的な自問だった。


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