2-A 非情な青

 度重なる再開発によって複雑化し、肥大化した大都市クローシティは法の目から逃れる者や正体を明かせない者たちにとってうってつけの構造をしている。巨大構造物の影や曲がりくねった通路に隠された無数の廃墟、バルコニー、秘密部屋が存在し、闇市や密会が開かれる。裏社会の巣窟ともいえるこの街には数多くの殺し屋が居た。

そんな殺し屋の一人——エリザベス・ヒルはここ数日、いくつもの嫌な視線を常に感じていた。誰かに付けられていると感じることは今までに何度もあったが、今度のそれは今までとは異なる経緯があった。


 ここ最近、〈軸〉の高官を暗殺するという仕事を高い報酬で請け負った為だ。高官を殺害するのには成功したものの、現場に残した生体情報から身元が特定されてしまったのだ。


 エリザベスが本当に恐れていたのは彼女を追う警察ではない。彼女と同じような殺し屋だ。街の構造を熟知する彼らは熟練の殺し屋であるエリザベスでさえ脅威になる。政府によってかけられた賞金と免罪符を目当てで執念深く追いかけてくることが容易に想像できたため——特に免罪符は彼らにとってこの街から出て人生をやり直すことができる唯一のものと彼らは信じているため——とても、この街に長居することはできないと考えた。


 この街を出るためには少なくとも偽造身分証明データがいる。指名手配されている身のエリザベスが唯一それを調達することができるのは闇市しかない。エリザベスは安全性を考慮して、最も人が多いであろう大規模な闇市に行くことにした。その闇市の入り口はあるナイトクラブの奥だ。街のどこからでも見えるほどの高層ビルにはクローシティを再度、復興させた世界的企業ピメラル社のマークが煌々と光っている。その下の歓楽街の明かりの一つがそのナイトクラブであった。


 ナイトクラブの入り口の警備員のスーツを着て、サングラスをした大男がエリザベスを手を広げて制止した。


 「お待ちください。会員証をご提示いただけますか?」


 「必要ない」


 と言って貴金属でできたコイン——通称クローコインを渡した。この街ではほとんどのことを金で解決できるのだ。


 ナイトクラブの中に入るとその大音量の音楽とカラフルな光に眩暈がした。殺し屋として常に感覚を鋭敏にしているためだ。店の中間地ほどまで踊る人々の間を縫ってたどり着くと、店の客の様子がだいぶ違っていた。エリザベスと同じように深くフードを被り、顔を隠す人が明らかに増えていた。


 十五分ほどの時間をかけてゆっくりとナイトクラブの奥へとたどり着くと、自動開閉のドアを三枚通り過ぎた先にある闇市へと足を踏み入れた。ナイトクラブの中とは打って変わって静寂とした空間であった。人通りは多かったがそのほとんどはフードの中にその正体を隠している。古風な商店街をそのまま再利用したようで、切れかけた白熱電球の街灯だけが道を少し照らすだけだ。


 目的の店はかなり広い闇市のなかでも奥の方にあった。パン屋と書かれた上から赤いスプレーで人間という文字が描かれたブリキの看板が目印だ。看板は縁の塗装が剥がれ、錆びている。ドアも手動の古風なものだった。元の色を推測することのできないドアノブを捻り、店に入るとその動きに連動して客が来たことを知らせる鈴が鳴った。


 奥へと続く細長い店内は薄暗く、乾いていた。両脇には奥まで続く棚があり、微妙に青白く光っていた。棚をよく見ると青白い液体に漬けられた胎児を入れた瓶が棚にびっしりと並べられている。胎児のへその緒につながるチューブが瓶から飛び出し、棚の裏へと続いていた。店の奥の暗闇から店員と思われる男の声が聞こえた。


 「何かお探しでしょうか?」


 「偽造身分データが欲しい」


奥の影へと声を投げかけると声が返ってきた。


 「すぐにお作りします」


 男の足音が近づいてきて、微かな明かりで男の顔が見えた。特徴のない中年の普通の男に見えた。近づかれ、顔を見られるのではないかと思ったエリザベスはさらにフードを深く被り、男の動きに注視した。男は無数にある胎児入りの瓶の中から一つ選んで、チューブから抜いた。それから小さなケースから伸びるチューブに差し替えた。瓶をそのケースに入れて渡した。その際、瓶のそこに〈軸〉のマークが刻印されていた。


 「〈軸〉のマークが付いていますが」


気になってエリザベスが問う。


 「心配なさらなくても結構です。〈軸〉の刻印が入っているのは中間業者の横流し品の為です。刻印がある方がより偽装がバレづらくなると思いますよ」


 「そう。それでいくらなの?」


 「120000標準クレジットです。お支払いされる通貨はどうなさいますか?」


 無言で最高額面のクローコインを一枚、店員の手に渡した。


 「ちょうどお預かりします。またご来店ください」


 外へ出ると鈴の音がまた聞こえた。と同時に全身にサーっと冷たいものが走った。その視線はどこからなのか周囲を見渡してもフードを被る人が交差して通り過ぎていくだけで分からない。エリザベスは懐のリボルバーを握りしめながら歩き始めた。


 闇市の唯一の出入り口のナイトクラブへと入っていくとその視線はなくなった。いや、騒がしい音と光に妨害され感じ取れていないだけかもしれない。来た時と同じようにしてゆっくりとナイトクラブの出口まで歩いて行った。けたたましい音楽の中でも自分の鼓動の音が聞こえるほどにエリザベスの心拍が高まっていた。そして、リボルバーをより強く掴んでいた。


 ナイトクラブから出ると追ってくる何者かを撒けたかもしれないという淡い微かな期待は裏切られた。あの視線を再び感じたからだ。視線は鋭く突き刺さり、この街を出てもどこまででも追尾してくるのではないかという恐怖を感じさせた。ナイトクラブから少し離れたネオンに光る看板がない場所は極端に人通りが少ない。どこからか響く水の微かな音すらも聞き逃すまいと耳を澄ませた。


 コツンコツンという靴が地面をたたく音が前の方からやってきた。視線と同じ方向からだ。エリザベスの心臓はバクバクと鳴り、胎児入りの瓶が入ったケースを地面に置き、リボルバーをまだ見えぬ暗闇の向こうの人に向けた。目を細めてもその人となりは分からない。パリン、パシャというガラスが割れた音が聞こえた後、聞こえていた足音が消えた。薄い煙が前方から迫ってくる。煙の奥へリボルバーの銃口を向ける。


 煙の中から現れたのは小柄な男だった。酸素マスクのようなものを口に付け、手にはダガーを持っている。しかし、エリザベスを恐怖させたのはダガーによってではなかった。その男の目が異常な目をしていたからだ。青い目。といっても自然な青ではない、奇怪で異様で凍り付くような青だ。エリザベスは殺し屋としての数々の経験によって、恐怖を抑え、リボルバーの引き金を引いた。狙いはブレず、男の眉間へと吸い込まれるように放たれた。男は首を傾けていとも簡単に銃弾を避けた。エリザベスは引き金を何度も引き、最後の一発を残すまで弾丸を放ったが、どれも同じように避けられてしまった。


 「誰だ!お前は!」

 

 エリザベスは動揺した声を出し、男の油断を誘った。声は煙に吸収され、響くことなく切れた。男との距離は十分にあったはずなのに鼓動一つ分ほどの間に距離を詰められていた。エリザベスは残った銃弾を男に向かって、ほとんどゼロ距離で撃ち込んだ。男は中心軸を捻って避けるとその勢いのままダガーを振るった。半弧を描いたダガーの刃はエリザベスの両手首を捉えた。手首が燃えるように熱くなったあと、凍傷のように手の感覚が失われ、リボルバーを落とした。男が前蹴りを食らわせると、エリザベスは力なく倒れ込んだ。


 「仕方なかった!私は…」

 

 恐怖で頭が正常に働かず、エリザベスは正体も分からない男に許しを請うた。男は目の前で直立したまま動かずに目だけを哀れに地に伏している女に向けた。青い目と相まってその姿は非人間的だ。


 「チップよ。私の頭の中を調べて」


エリザベスは感覚を失った手で自分の頭を指し示した。男は何も答えない。


「私を殺さないで。チップに答えが——」


 男はエリザベスが話し終わらないうちにダガーを喉に突き刺した。ゴポッと音を立てて空気が喉ではじけた。ダガーの先端は脳まで達したのだろう——彼女の体は大きくビクッと痙攣した後、全身から力が抜け、後頭部を地面に着けた。彼女のポケットから何枚かクローコインが転がった。彼女は目は見開き、その目は既にどこも見ていなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る