第13話 舞踏会の余波

 国立舞踏ホールから王宮への帰り道。

 馬車の中でハイランダー公は、窓に映る自分の顔を見ながら沈んでいた。

 正体を見破られたどこぞの侯爵令嬢と踊っている間に、シエーナを見失ってしまっていた。

 気がつけばシエーナは帰宅していた。

 外した仮面を、向かいの座席の上に放る。


「大失敗だ」


 ボヤいた主人に対し、セインは片眉を跳ね上げた。


「目的のマール子爵を見ることができたではありませんか。良い人そうでしたし。お館様も、お友達の侯爵令嬢と楽しげに踊られていたではありませんか」


 楽しげに――?

 ハイランダー公は心の中で首を傾げた。

 あれは楽しかっただろうか?

 思い返せば同じダンスでも、ロンの小さな家でシエーナと踊った時の方が、遥かに心躍った。

 ダンスとは、胸の中まで弾むように踊るものなのだと、初めて感じたくらいに。

 おもむろに従者のセインに問う。


「――もしお前が女なら、私とマール子爵のどちらを選ぶ?」

「うわっ、究極の選択ですねぇ」

「何、どこがだ?」

「一生妻の自分が影ポジションに必然的に追い込まれそうな美形過ぎる男と、平凡過ぎてすぐ賞味期限が来そうな男の二択ですから。女なら悩みますよ、それは」


 セインは言葉を飾らない従者だった。


「シエーナには、普通の貴族の女には効く方法が、多分まるで効かない」


 高価な贈り物や、贅沢な経験。

 甘い囁きや手紙。

 王女のように甘やかし、女王のように立て、唯一無二だと錯覚させる特別扱い。

 ハイランダー公の周囲にいた女たちは、皆そのような手段で、容易に落ちたものだ。


「それなのに、あんな風に横から突然現れたマール子爵に、奪われそうだとは…」

「いやー、多分シエーナ嬢からすれば、お館様の横から突然現れた感も、かなりのものだったんじゃないですかねぇ」 

「うっ……。そうだな――私とシエーナにはもっと、自然な出会いが必要だったのかもしれない」

「そうですね。それにしても、お館様がそこまで伯爵令嬢に拘るのは、遺言状の為ですか? それとも?」


 遺言状に決まっているだろ、と鼻で笑って答えるつもりだった。

 それなのにハイランダー公は言葉がつかえて、何も出てこなかった。

 あのダサい髪型と薄過ぎる化粧で、少しはにかむ素朴な笑顔が、答えを詰まらせた。






 翌日、シエーナが駅馬車を降り、渓谷までの朝から暗い道のりを歩いていると、ロンとその友人に出くわした。

 二人は長い木の棒の先に、袋状の網を取り付けたものを肩に載せ、歩いていた。


「おはよう、ロン」


 声をかけるとロンは無邪気に笑った。


「シエーナお姉ちゃん、おはよう! 池に行ってたんだよ。今朝はカッチカチに凍っているよ。カッチカチだよ! やっと滑れるよ」

「まぁ。ついに池でスケートが出来そうで良かったわね」  


 氷が溶けかけた川の上で、危険な目に合ったことは、もう記憶の彼方らしい。子どもとは、実にたくましい。


「うん! 夕方に友達と滑るつもりだから、お姉ちゃんもおいでよ! 俺のめっちゃカッコいいところ、見せてあげる!」


 何カッコつけてんだよ、と隣を歩く少年がロンをからかう。

 時間があったら行くね、と相槌を打ちながら、シエーナはロン達が持つ釣り網のようなものが気になった。


「二人はこれから川に行くの?」

「うん! ドルー渓谷の川まで、魚をとりにいくんだよ」


 ランバルド一帯は、シエーナの父である伯爵家の領地だ。

 川の中のものは全て領主に所有権がある。無断で魚を釣れば、通常投獄される。厳しいようだが、これが現実だ。実際、毎週誰かが密猟をし裁判が行われていた。

 魚一匹たりとも、無断で領民はとってはならない。漁権は彼らにないのだから。


 だがドルー渓谷はシエーナの父の領地ではない。ティーリス王国の国王の領地だ。

 国王領はこうした管理が多少甘く、たくましい民は抜け目なく隙をついてわざわざ漁に出かけるのだ。


「たくさんとれたら分けてあげる。なんかデ=レイさんって貧乏そうだし」

「えっ!? そうかしら?」


 シエーナは咄嗟に考えてしまった。

 一応館は陰気でも立派だし、デ=レイ本人も常に身綺麗にしている。高価な聖玉も揃っている。

 金持ちではないだろうが、貧乏にも見えない……。

 だがロンは自説に胸を張った。


「だって、デ=レイさんはいつも同じ服しか着てないでしょ。僕も三着は持ってるのに」


 それは多分、デ=レイが仕事中は制服よろしく羽織っている、あの黒いローブのことだろう。

 後でデ=レイに教えてやろう、とシエーナは笑いを堪えた。




 魔術館に出勤すると、珍しく館の中は既に暖かかった。

 朝から曇天で外は凍えるほど寒かったので、その暖かさに心底ほっとする。

 館中のカーテンが開かれ、暖炉の火は赤々と逞しく燃えている。

 雀のイチ号も鳥籠の中を離れ、居間の隅にある止まり木にいた。片方の翼を広げ、その中に顔を突っ込んでくちばしで毛繕いをしている。


 どうやら今朝はデ=レイが早起きをしたのか、開館前の支度は粗方済んでいた。

 今日はいつもと何かが違う、と感じたシエーナだったが、デ=レイの様子もいつもと違った。

 彼の顔を見た途端、シエーナは失礼ながら二度見をした後で、目をむいた。


「――お師匠様、昨夜はどうかされたのですか……?」

「えっ? ……昨夜?」


 ぎくりとやや動揺しながらデ=レイは尋ね返した。


「あの、言いにくいのですが、目元に物凄く濃いクマができてますわ」


 デ=レイのいつもは華やかな目元が、今朝はえらく落ち窪み、青黒いクマが目の下にできていた。

 まるで一夜で十歳ほど年を取ったかのよう。

 眩し過ぎて目のやり場に困る美貌が、今朝はかなりマイルド化されている。

 デ=レイはローブを羽織り、デスクに座って定位置につくと、ため息をついた。


「昨夜はよく眠れなかったんだ」

「では、濃いミントティーをお淹れしますわ。きっとすっきりとした爽快感が、目を覚ますのにぴったりかと」


 そう言うとシエーナは台所に向かった。





 ミントをこれでもかとポットに入れ、湯を沸かしていると、デ=レイがやってきた。彼は戸棚からフラスコを取り出すと、シエーナに話しかけてきた。


「……昨夜の舞踏会は、どうだった?」

「そうですねぇ。久しぶりでしたけれど、意外と楽しめましたわ」


 ルルが喜び、帰宅後のその姿を見た義妹のメアリーも喜んでくれた。

 それに、ちょっと面白い出会いもあった。

 シエーナは湯を勢いよくポットに注ぎながら、昨夜の舞踏会の説明をした。


「私、国立舞踏ホールには初めて行ったのですけれど、とても賑やかで驚きましたわ。目を疑うほど華やかで。燭台一つをとっても、盗んでその辺の質屋で売りさばいてくれば、かなりのお金が貰えそうなくらい、豪華でしたわ」

「本当に伯爵令嬢か?――まぁ、そもそもあのホールはティーリス中の貴族が集う場所だからな…」


 するとシエーナは秘密を打ち明けるように、デ=レイに一歩近づいて言った。


「私、なんちゃって伯爵令嬢の身の上ですけれど、実は王宮の夜会に一度だけ参加したことがあるんです」

「そ、そうなのか……? それは凄いな…」


 デ=レイは咄嗟に驚いたフリをした。

 そのたった一度の参加については、実はデ=レイも良く知っている。


「王宮夜会は頭痛がするほど豪華で驚いたのですけれど、正直引けを取らないほど、昨夜の国立舞踏ホールも贅を凝らした場所でしたわ」

「そんなに凄い場所なのか。……さすが、名高いホールだな」  


 ぎこちなくデ=レイが感心したフリをする。


「それと、楽しい人と知りあえたんです。珍しくカメオに詳しい方で」


 デ=レイは素早く反応した。

 それは会話が盛り上がっていたマール子爵のことだろうか。とりあえず水をむけてみる。


「カメオというと……宝石商か何かだったのか?」

「わかりません。名前を教えてくださらなかったのです」  


 楽しくソファーの上で会話をし、体力が回復すると何度かダンスを二人で踊った。

 その後で二階のサロンでお喋りをしていると、彼は急にシエーナの手を離したのだ。

 窓の外から、丁度王都の大教会の時計の鐘の音が鳴り響いていた。

 彼は窓の外を気にしながら、シエーナに申し訳なさそうな顔をした。


「すみません、私はもう帰らなければならないのです」

「あの、お名前は? 私はイジュ伯爵家のシエーナと申します。父はカメオが三度の飯より好きですの。よかったらお友達に…」


 すると彼は仮面を外した。

 凡庸な顔立ちではあったが、穏やかそうな、優しそうな印象を与える。


「貴女とお話をするのが楽しくて、つい時の経つのを忘れてしまいました。またどこかでお会いしましょう」


 彼はそう言うと、シエーナが引き止めようとしても叶わず、さっと身を翻して階段を駆け下りていった。そうしてそのまま、時を告げる鐘が鳴り終わる頃にはホールを出て行ってしまったのだ。


「――ですので、お名前を聞きそびれてしまったんです」

「まるでどこかの童話の登場人物みたいだな」

「あまりに急がれていたみたいで、階段の途中で落とし物をされて…」

「さてはガラスの靴か?」

「違いますよ! なんですの、それ。カメオを落とされたんです」


 シエーナはポケットから青いカメオを取り出し、デ=レイに見せた。

 走る馬の姿が彫られたカメオだ。おそらく、袖につけるボタンの一つだろう。


「もしまたお会いしたら、お返ししなくては」

「また……もう一度仮面舞踏会に行く予定があるのか?」

「いいえ。ありませんわ。ただ、ご縁があればお会いするかもしれないですから」


 シエーナが何となくそういうと、デ=レイは手を伸ばして、カメオを摘んだ。

 どうせシエーナの義妹が企んでいるのなら、また近いうちにシエーナはマール子爵と会うに違いない。

 それならば先手を打って子爵の出鼻をくじいてやるのも一興かもしれない。

 人の恋路を邪魔するものはなんとやら、というが仕方がない。


「持ち主が誰か知りたいのなら、簡単にできるぞ。私なら魔術で探せる」

「言われてみれば、そうですわね。でも、知られたくないのかもしれませんし、魔術に頼るのはやめておきます」

「そうか…….」


 魔術などという余計な手段に頼らず、シエーナは子爵との関係を大切にしたがっているのだろう。

 デ=レイは少なからずショックを受けた。いや、それどころかかなりのショックだった。

 シエーナと自分との繋がりでもある、魔術を否定され、マール子爵の前に自分の存在が吹き飛ばされたような感覚を覚える。

 これほどのショックを受けること自体に、彼はショックを受けた。

 傷つきながらも彼は聞いてみた。


「王宮夜会には、もう行かないのか?」


 王宮夜会――その瞬間、シエーナの脳裏にあの夜の庭園での出来事が蘇った。

 慣れない場に耐えきれず、逃げ込んだ庭園に突然現れた公爵。

 そして耳に寄せられた唇から発せられた、甘い重低音。声だけで犯罪者認定されそうなほど艶っぽい声で、正直なところ腰から砕けるかと思った。


「行きませんわ。――あの時、危険そうな男性に絡まれて、怖かったんです」

「絡まれた、とは一体誰に?」 

「ここだから言えますけど……。ハイランダー公ですわ」


 一瞬デ=レイの意識が飛びかけた。

 だが彼は気を強く持ち、問いただした。


「ハイランダー公が、……君に絡んだ?」


 そんな馬鹿な。

 絡んだ覚えはない。落とそうと全力で色気を出しはしたが。


「ええ。ハイランダー公をご存知かしら? 国王の弟の」

「よく知っている」

「とても女性に人気がある方なんですって。いつも義妹のメアリーは、彼を「人の皮を被ったフェロモン」と呼んでいますの」


 デ=レイはこの瞬間、シエーナの義妹に明確な殺意を抱いた。


「ハイランダー公は、それはそれは噂通り、危なそうな方で…」

「危ない? ハイランダー公が? ――いやいや、そんなはずは…」

「――きっと私があまりに場違いだったから、揶揄われたのですわ」


 そう締めくくるシエーナに、デ=レイは打ちのめされた。

 ――もしあの、夜会の夜をやり直すことが出来たなら。

 ありったけのカメオを身につけ、参加することを厭わなかったのに。

 これを敗北感と呼ばずして、何と呼ぶのだろう。

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