第12話 仮面舞踏会の出会い

 国立舞踏ホールは想像以上に華やかで、気おくれしたシエーナは足をその場に踏み入れた数分後には、猛烈に帰りたくなった。


(だめだめ。私が踊りに来たんじゃないのよ!)


 侍女のルルの為に来ているのだ。

 まったくもって頼りない引率ではあったが、シエーナは少しでも任務を果たそう、と頑張った。

 咳払いをしてから、ルルに声を掛ける。


「ル、ルル……。まずは、おお、お酒を一杯いただきましょうか」


 慣れない華美過ぎる場にかちこちに緊張しながら、シエーナは同じく唖然と辺りを見渡すルルの手を引き、奥へと進む。

 皆が仮面をかけているので、どんな表情をしているのかも、分からない。

 女たちのドレスは刺繍がふんだんに施され、繊細なレースやビジューも惜しみなく使われている。誰もが贅沢と見栄と、プライドを具現化したものを纏い、もはや本人の個性を覗かせないために武装しているようにすら思える。

 シエーナはどうにかルルと二人で、ホールの中ほどまで壁伝いに歩いてきた。

 そこで給仕を捕まえると、さくらんぼの糖蜜漬けが浮かぶ青い酒をもらう。


「お、美味しいですね、シエーナ様」

「ええ、本当に」


 ぎこちなく二人は酒をあおる。

 ルルは目の眩むような豪華な舞踏会に気圧されながらも、視線を彷徨わせて周囲の様子をうかがった。

 メアリーの計画では、この後「イケてなさ過ぎてお義姉様が全然お呼びでない」ショボ男が近寄ってきて、シエーナをダンスに誘うはずなのだ。

 二人が着ているドレスの色や髪の色は、その男にメアリーが事前に人伝てに教えてある。

 ルルはグラスの中のさくらんぼを摘み上げて口に入れながら、それとなく「イケてない男」を目を彷徨わせて捜す。


 シエーナもルルも、額から口の上までを覆う仮面をつけてはいたが、首や胸元から、二人が若いことはすぐに分かる。

 若い女性二人が連れの男もなく、立ち尽くしていれば、声をかけるのが舞踏会のマナーだ。

 まもなく二人に、ひとりの紳士が近づいてきた。

 明らかにマナーを守る為に声をかけてくれた紳士で、中年ですらりと見た目も悪くない。


(部外者は、今はシエーナ様に話しかけないで……!)


 ルルは慌てて身を割り込ませ、紳士な中年男性の手を取った。

 メアリーの描いた子爵と伯爵令嬢の素敵な出会いを邪魔する者は、捨て身で追い払うしかない。


「わ、私とぜひ一曲踊って下さいな!」


 中年男性は顔を綻ばせ、勿論ですともお嬢さん、とルルの申し出に応じる。


 シエーナはルルの積極性に呆気に取られていた。


(ルルったら、物凄く張り切っているのね……。連れてきて良かったわ)


 離れていくルルを見送る。

 するとそんなシエーナの前に、急にひとりの若い男が立ちはだかった。

 脂ぎった黒い髪が目を引く、ガリガリに痩せた案山子かかしのような体形の男だ。畑に立っていたら、本当に案山子と見間違えそうだ。

 男はおずおずと口を開いた。声を裏返しながら。


「ボっ、僕とワルツをいかがです?」


 思わずシエーナは男の風体を観察してしまった。

 茶色い上下を纏い、長いくちばしが付いた鳥の仮面をつけている。

 随分緊張しているのか、額に脂汗が浮いているのがみえた。

 とはいえ緊張しているのは、こちらも同じだ。

 思わず苦笑しつつも、シエーナは快諾して男の手を取る。


「ええ。ぜひ」


 手を握った瞬間、シエーナはぎょっとした。

 男の手がまるで糊でも塗りたくったみたいに、ベタベタだったのだ。

 瞬時に考えを巡らせ、舞踏会場の一角に並べられている料理を一瞥する。

 そこには菓子類も豊富にあった。


(アイシングの掛かった焼き菓子を食べたばかりなのかしら?)


 謎の粘着性を持つ手のひらについて、シエーナはどうにか自分が納得する原因を想像した。


 ダンスに興じる人々の中に二人で分け入り、向かい合って踊り始める。男の手が背に回され、ドレスの背中部分の生地にペタッと貼りついた。

 男とはかなり踊りにくかった。なぜなら鳥の仮面のくちばしが、長過ぎるからだ。

 ステップで近づいた拍子に、仮面のくちばしがシエーナの頭に刺さりそうになる。

 角度と勢いによっては、結構な凶器になりそうだ。


(この人、どうしてこの場にこの仮面を選んだのかしら? 明らかに選択ミスよね)


 シエーナはそれが義妹の選んだ仮面だなどとは、知る由もない。

 男は緊張した声で自己紹介を始めた。

 メアリーの作戦の一つで、「今をときめくイジュ伯爵家の令嬢にとっては、お呼びでないお家のかた」であることを、早々に明かすのだ。


「ぼ、僕はメルク男爵の六男の、ロンと申します」

「まぁ、ロンというのね。私には同じ名前の友達がおりますわ」


 ロンの目論見は妙な方向に外れた。

 シエーナは肩書きより名前に気を取られたらしい。



 踊るシエーナとロンを、やや離れたところから見つめている男がいた。

 二十分ほど前にホールに到着していた、ハイランダー公その人である。その隣には、従者のセインがいた。

 ハイランダー公は顔全体を覆う銀色の仮面を被っていた。

 真っ赤な酒が入った華奢なグラスを片手に、首を傾げる。


(あれがマー子爵か? 想像していたのとは、かなり違うな)


 もう少し浮ついた風体の男を想像していた。ハイランダー公は視線をシエーナに向けたまま、顎でロンを指した。


「セイン、あの妙ちきりんな鳥仮面が、マー子爵か?」

「もしやそれはマール子爵のことで? それなら違いますよ。マール子爵はあんなに痩せていなかったと記憶しています」

「なんだ、違うのか」


 ここにマール子爵が来るかもしれない、というのは考えすぎだろうか。そう思い始めながらも、ハイランダー公はセインと共に壁際にはりついて、シエーナの様子を見守る。


 ハイランダー公に観察されているとは夢にも思わず、シエーナとロンは二曲目のダンスに突入していたが、その曲も終盤に近づくと、ロンは言った。


「次もお相手をお願いできますか?」


 ロンの申し出に対し、シエーナは流石に快諾をしかねた。正直言って連続で踊れるほど、元気がない。

 何せ朝から夕方まで労働をしていたのだから。


「申し訳ないのですけれど、少し休みたいわ」

「そうつれないことを仰らず」

「もう足が棒のようですの」

「まだ離しませんよ」


 その時だった。

 二人の間に、ひとりの男の腕が差し込まれた。


「な、なんだ君は!? ダンスの途中で失敬な!」


 ロンが芝居がかった驚きの声を上げ、睨みあげる。

 二人の動きを止めたのは、茶色い髪に同じ色の瞳を持つ、赤い仮面を掛けた男だった。マール子爵が満を持して登場したのだ。

 マール子爵はロンを一瞥して口を開いた。


「レディにダンスを無理強いするものじゃない。さぁ、私と行きましょう」


 シエーナの前にさっと差し出された子爵の手には、人差し指と中指の間に白い薔薇が挟まれていた。

 温室で栽培されたものだろう。

 物珍しさにシエーナが受け取ると、今だとばかりにロンはそそくさと姿をくらます。


「あっ、ロン!?」


 シエーナが慌てて声を掛けるも、彼はホールの人垣の中に消えていった。

 ここでお役ご免だ。後でメアリーに可愛い女の子を紹介してもらえることになっている。

 シエーナの手の中の薔薇をマール子爵が引き抜き、それに気づいた彼女ははっと視線を子爵に戻した。

 マール子爵は口元に笑みを浮かべた。


「逃げてしまいましたね。……この薔薇の白さが、貴女の黒い瞳にとても似合います」


 子爵はそういうと、シエーナの耳の上に薔薇を乗せた。

 人生初の経験に、不覚にもシエーナの胸がどきんと強く打つ。


(舞踏会の人って、なんてキザなことをするのかしら) 


 次の曲が始まると、子爵は踊ることなく、シエーナをホールの隅に連れて行った。

 ソファが並ぶ場所まで行くと、彼女を座らせる。

 赤いビロード張りのソファは、座り心地も大変良かった。

 子爵は少しその場を離れると、手に濡れ布巾を持って戻って来た。


「お手に何かついているようですね。どうぞ、お使い下さい」

「ありがとうございます。……実はさっきから気になっていて」


 気が利く人だ、とシエーナは嬉々として手を拭いた。


「私も隣に宜しいでしょうか?」


 子爵はシエーナが座る長いソファの空いているスペースを、指差した。


「勿論ですわ」


 隣に子爵が腰掛けると、シエーナは尋ねた。


「助かりましたわ。……こちらにはよくいらっしゃいますの?」

「いいえ。普段は田舎に住んでおりますので。今回は用事があって、王都まで参りました」


 子爵はシエーナの胸元をじっと見つめた。義妹が苦心して作らせた、シエーナの胸の谷間に見とれていたわけではない。彼はシエーナが身につけていたピンク色のカメオに注目していたのだ。


「素敵なカメオですね」

「まぁ、ありがとう。私も気に入っておりますの。嬉しいですわ」


 すると子爵は片手を軽く上げ、自分の袖口を見せた。


「実は私もここにカメオをしていまして」


 子爵の袖口には細い鎖で繋がれた飾りボタンがついており、そのボタンがカメオでできていた。

 シエーナは思わず目を近づけて、ボタンをよく見た。

 それはすべて、馬の姿が彫られたカフスだった。


「動物なのですね。珍しい!」

「とても気に入っているんです」

「カメオはたいてい、女性の横顔を彫ってあるものですものね。犬や花もたまに見かけますけど、馬は初めて見ましたわ」


 子爵は少し得意げに笑ったあとで、小首を傾げた。


「言われてみれば、なぜカメオは女性の横顔ばかりなのでしょうね?」


 今度はシエーナが得意げに笑った。


「それはですね、世界で一番美しいものは女性の横顔だから、と言われているからなんです」

「それは知りませんでした!」


 二人はくすくすと笑った。







 ハイランダー公はホールの柱の陰に立ち、少し離れたところにいるシエーナと子爵の様子を見ていた。

 生ハムの乗るクラッカーを口に放り込みながら、セインが言う。


「そうそう、あの男性が例のマール子爵ですよ」

「あれか…」


(楽しそうじゃないか。そしてマール子爵も紳士風で、なかなかのお人柄のようじゃないか。……いらん心配をしていたようだ)


 良かった良かった。

 ――そう思いたいのだが、なぜかギリギリと胃の辺りが不快で仕方がない。

 自分は何をしに来たのだろう。

 シエーナが妙な男に捕まるのを、防ごうとしたはずなのに。


(公爵より、子爵の方が良いと……?)


 気づけばそんな、黒い嫉妬じみた感情が、止めようもなく滲み出てきてしまう。

 子爵がボタンをシエーナに触らせ、二人の手が軽く触れ合っている。


(あの子爵、うちの助手に何を勝手に触っているんだ……!)


 苛立ちをどうにか鎮静化しようと仮面を少し外してグラスの酒を自分の口元に寄せ、勢いよく喉に流し込む。

 飲み終わると仮面をつけ直す前に、すぐ傍から女の黄色い声が上がった。


「あっ……! 貴方は…」


 まずい、と急いで仮面をつけ直すが、既に遅かった。たとえ数秒でもハイランダー公の美貌は隠し切れるものではない。

 女は実に嬉しげな笑みを浮かべて、ハイランダー公の目の前に歩いてきた。


「公爵様ではありませんか! いらしてたのですね」


 女は目の周りだけを覆っていた猫の仮面をパッと外しながら言った。


「わたくしですわ。ヴェルナー侯爵家のコンスタンツェよ」


 この取り込み中に、話しかけてこないで欲しい。

 心の中ではそう思ったが、ハイランダー公はそつのない笑みを返した。

 ちらりと盗み見れば、シエーナとマール子爵はまだ何やら楽しそうにお喋りしている。まるで久々に巡り合った友人のように。

 どすん、と胸に謎の負荷がかかる。


(……なんなんだ。なぜだ)


 通りすがりの給仕に空のグラスを返すハイランダー公に、コンスタンツェは話しかけた。


「公爵様、今宵はお一人ですの?」


 すると周囲にいた他の人々も、ハイランダー公の方へ顔を向けた。

 公爵、という単語が聞こえたのだろう。 

 今はあまり気づかれたくない。

 ハイランダー公はまるで小鳥がさえずるように、公爵様公爵様と騒ぐコンスタンツェの手を取ると、滲むような笑顔を披露し、耳元に囁いた。

 とりあえず、黙らせねば。


「私と一緒に中央で踊りませんか?」 


 コンスタンツェはとろけるような瞳で答えた。


「ええ! もちろん」


 頰を桜色に染め、うっとりと見上げてくるコンスタンツェを引っ張って、その場を足速に離れていく。

 とにかくハイランダー公はシエーナの視界からなるべく離れたかった。いや、何より彼はシエーナと子爵の様子をそれ以上見たくはなかったのかもしれない。






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