これはジャックの建てた家

増田朋美

これはジャックの建てた家

もう夏も晩夏と呼ばれる季節になってきて、だんだん日が短くなり夜が長くなってきた。そうなると、暗くなるのが早くなるということにもなる。それはいいことなのか悪いことなのかわからないけれど、季節が変わってくるというのは、時間が経つんだなということでもある。そして、今どきの学校は、8月末から始まるようになっている。夏休みの宿題を持っていって、また新学期が始まるということなのだ。そこからまた、新しい出来事が、起こると言うことであるが。その晩夏の暑苦しい季節、製鉄所に二人の客がやってきた。誰かと思ったら、田沼ジャックさんと、息子の武史くんであった。

「また、学校から呼び出されたんですか?」

とジョチさんがそう言うと、田沼ジャックさんは、ハイと一つ頷いた。

「はい。新学期そうそう、学校から呼び出されました。もう何回学校から呼び出されたら気が済むんでしょう。」

ジャックさんは、しょんぼりした顔でそういうのである。

「学校から呼び出されたねえ。まあ、学校の先生が言うことなんて、ろくなことじゃないから、気にしないでいいんじゃないの?」

日頃から、学校が嫌いな杉ちゃんが、ジャックさんにそう励ますが、

「そうなんですけど、この学校が私立であることを、もうちょっと自覚してくださいとか何だとか、訳のわからないことを言われて、結局、何を注意されたのか、良くわからないんですよ。」

と、ジャックさんは言った。

「じゃあ、呼び出されたときに、先生に言われたことの概要を話してみてくれよ。」

杉ちゃんがそう言うと、

「はい。なんでも、授業妨害がひどいということです。それに、授業中にやじを飛ばしたとか。しかし、本人の話を聞いてみたところ、学校の先生にわからないので聞きたいことがあって、先生に質問しただけだと言うことですが。それで、学校の先生が、怒ったということです。なんでも、教育実習の先生を怒らせてしまったようで、それで学校から呼び出されましてね。」

ジャックさんは、良くわからないという顔で、杉ちゃんたちに言った。

「はあ、でもでもさあ、授業中にやじを飛ばすというのは、積極的に発言しようということだと思うから、もうちょっと肯定的に評価してもいいと思うんだけどねえ。それに、教育実習の先生って、どういう人かなあ。もしかして、テレビドラマに出るような、美人かな?」

「もう杉ちゃん、余計なこと言わないでください。それよりも、武史くんが、学校で問題を起こすことを考えましょう。いくら本人が、学校で授業に積極的に参加しようとしていると言っても、先生にやじを飛ばすと解釈されているようでは、問題ですからね。」

杉ちゃんの発言に、ジョチさんがそう訂正したが、

「しかし、やじを飛ばすと言っても、武史は、学校の授業をとても楽しくやっているようです。日本の学校のそういうところはよくわからないんですよ。その、学校の先生が話しているときに、黙って聞くのが良いとされているところ。僕らのイギリスでは、誰でも自由に発言してもいいことになっていましたから。」

と、ジャックさんは言った。

「まあ、そうですねえ。お国が違うと、そうなっちまうってことか。郷に入っては郷に従えだ。イギリスでは、良いと思った事が、日本ではだめということもあるからね。それは、もう日本の学校はそうなっちまっているって、諦めるしかないってこともあるよ。」

杉ちゃんがそう言うと、

「そうなんですが、教育実習の先生に謝罪をしなければならないんでしょうか?そこが僕はよくわからないんですよ。」

と、ジャックさんは、耳の痛い話を始めた。それはどういうことかとジョチさんが聞くと、ジャックさんは、

「いや、英語の授業のときの話だそうです。その教育実習の先生が、黒板に書いた単語を武史に読めといったようなんですが、武史は、答えを言う代わりに、スペルが間違っていると発言して、教育実習の先生を怒らせてしまったようです。先生に向かってなんて口きくの、と。」

と、よくわからないという顔で言った。

「そうですね。それは先生が間違えたんですから、武史くんが謝る必要は無いと思いますが、それでも謝れと言われたんですか?」

ジョチさんがそう言うと、

「はい。言われてしまいました。僕もよくわからないんですよ。先生に謝るということが。」

ジャックさんは、大きなため息を着いた。

「しっかし、教育実習生といえども、日本の教育関係者はろくなやつがいないって言うのは本当だな。なんでそういうプライドばっかり高くて、先生に向かってとか、そういう変な事ばっかり言うんだろう。そんなんだから、いつまでも不良が減らないんだよな。」

杉ちゃんが、カラカラと笑った。

「まあでも、謝る必要は無いと思います。先生が、間違えたのを武史くんが指摘しただけのことですから、それを間違いだと教えてしまうのは、子供であっても、傷つくと思います。」

「そうそう。日本の学校の先生は、ろくなやつはいないよ。」

杉ちゃんとジョチさんは、二人でジャックさんを励ました。隣の部屋から、ショパンの別れの曲が聞こえてきた。水穂さんが弾いているのだろう。それにあわせて楽しそうに歌っている武史くんの声も聞こえてくるのである。

「大丈夫ですよ。純粋な子供さんです。それを、大人の都合で傷つけてはいけません。武史くんも、きっとそのうち、学校の先生の言うことを学ぶと思います。僕達がしてやることは、それを遠くから見てやることじゃないでしょうか。きっと、教育実習の先生だって、そのうちわかってくれますよ。」

ジョチさんは、そう言ってジャックさんを励ました。ジャックさんは、べそをかくような言い方で、

「はい。わかりました。」

と、小さい声で言った。なんだか水穂さんが弾いてくれる別れの曲が、虚しいものに思えてきた。

それから、数日後のことであった。ジャックさんが、画材道具を持って、職場から家に帰ると、自宅前に武史くんの担任教師と、どこかのアイドルみたいな可愛げな女性の先生が、玄関前に立っていた。

「あの、どういうことでしょうか?」

と、ジャックさんが言うと、

「はい。武史くんのことで、お話がありまして。」

と、担任教師が言う。

「あの、一緒にいらっしゃるのは。」

「はい、教育実習生の、佐藤みずき先生です。」

ジャックさんは、そう言われて、びっくりした。確かに、スーツを着ているが、学校の先生という感じがしない。それよりどこかのアイドルグループにでも入れそうな、そんな感じの女性である。学校の先生というと、もっと地味な格好をしているはずだと思うのであるが、そんなことはどこにもなかった。とりあえず、中に入って、とジャックさんは、二人を中に入れた。担任教師が、武史くんはどこですかと聞くと、ジャックさんは正直に、製鉄所という支援施設にでかけていると答えた。すると、担任教師が、ああ、あの不良生を立ち直らせるところですか、と、馬鹿にするような感じで言った。その言い方が、ジャックさんは、ちょっと癪に障った。

「不良生ではありません。優しい人たちが、たくさんいて、武史にも優しくしてくれるところです。」

と、ジャックさんが言うと、

「でも、あそこは、成績が悪くて学校に馴染めない、だめな人がたくさん収容されているところだと聞きますよ。そのようなところに通わせて何をさせているんですか?」

と、担任教師が言った。

「いえ、そんな事ありません。宿題が大変だとか、そういうときに、優しく見てくれる人たちがたくさん居るところです。ある意味では、貴重な施設だと思いますよ。そのような言い方は、しないでいただけないでしょうか?」

ジャックさんがそう言うと、担任教師は、馬鹿にしたようにジャックさんを見た。

「そういうところに通わせているから、変な権利意識が着いてしまうんです。そうじゃなくて、ちゃんと日本の学校では、先生に口答えしない、反抗しないということが大切なんだとちゃんと、教えていただかないと困ります。いくらイギリスでは、こうだったああだったと反論されることもあると思いますが、ここはそことは違うんだと言うことを、ちゃんと自覚していただかないと。お父さんが、そういうふうに、教育方針を日本式にあわせていないから、武史くんが問題行動を起こすんじゃないですかね?違いますか?」

「いえ、あの施設は、そのようなところではありませんし、日本の教育制度に反対するわけでもありません。そんな気持ちは微塵もないです。もし、佐藤先生に、武史が問題発言をしたら、僕が代わりに謝ります。」

申し訳無さそうにジャックさんが言うと、

「そうじゃなくて、本人に謝ってもらわないと困るんですよ。武史くんの素行の悪さには、ひどいものがあります。授業中に何度やじを飛ばして、授業を妨害したか。お父さんは、ご存知無いのでしょうか?」

担任教師は、ちょっと興奮していった。

「ええ、知りません。武史が学校のことなんて何も話してくれませんからね。他の子は、うるさいくらい、学校のことを話すようですが、うちではそのようなことはありません。それでも、楽しくやれているようですし、それならそれでいいと言うことで、そのままにしておきました。それは、イギリスでもそうでした。」

「お父さんがそういうことを言うから、武史くんがいつまでも成長しないんじゃありませんか。そうやって、いつまでもイギリス式のやり方にこだわっているから、いつまでも武史くんが日本の学校に馴染めないんですよ。それは、お父さんの方に責任があると思いますがね。」

担任教師はしまいには呆れた様に言った。

「そうはいっても、親が知りたいからと言って、学校に入って見させてもらうということも、できないじゃないですか。日本の学校は、授業参観の日しか、見せてくれないでしょう。その時は、皆積極的に発言して、楽しそうに授業をしていますよね。それを、普段の日ではしていないということになるんですか?」

ジャックさんは、外国人らしく疑問点をそう担任教師にぶつけてみたが、いくら正面からぶつかっても、ゆるりとおられてしまうのが、日本の教育の悪いところだった。

「教師に、そういうことを言うなんて、お父さんも大した事ありませんね。もう少し、日本文化を勉強してください。」

担任教師は、良くなれた言い方で、ジャックさんに言った。そして、教育実習生という、アイドルのような顔をした女性に、もう帰りましょうといった。二人は、失礼いたしますと言って、ジャックさんの家を出ていった。ジャックさんは、あーあ、どうして日本では疑問点が通じないんだろうと、思いながら、二人を見送った。家を訪問している間、教育実習生が一言も口を聞かなかったのが、気になった。教育実習生というのは、確か、教師になる前に、プレオープンのような感じで学校の先生を体験させる行事だということはジャックさんも知っていた。そうなれば、いろんな疑問が出てくるに違いない、はずである。でもなぜ、あの佐藤みずきという教育実習生は、何も言わなかったのだろう?ジャックさんは、日本の学校というのはよくわからないなと思ってしまうのだった。

その翌日は土曜日で学校が休みだった。その日、ジャックさんは、所属している画家の会で、展示会があるため、一日美術館にいなければならないことになった。そうなると、武史くんを、一日中家に閉じ込めて置くわけには行かないというわけで、仕方なく武史くんを製鉄所に連れて行った。学童保育所も、生徒がいっぱい過ぎて、見てやれないというので、製鉄所に預けるしかなかった。武史くんはいつもどおり、段差のない製鉄所の玄関をダダダダっと走って、おじさんピアノ弾いてと言いながら、水穂さんのいる四畳半へ行ってしまった。それがこないだまでは自然なことだと思っていたジャックさんは、なんだか、それはやってはいけないことなのではないかと思ってしまったのであった。とりあえず、5時には戻りますと言って、ジャックさんは、やむを得ず美術館に行ったのであるが、武史くんの事が心配で仕方なかった。

武史くんが、水穂さんの別れの曲を嬉しそうな顔をして、聞いているときに、

「ごめんください。」

と、誰か女性の声がした。縫い物をしていた杉ちゃんが、誰が来たんだと、玄関先に行ってみると、若い女性が玄関先に立っている。

「誰だいお前さんは。」

杉ちゃんがそう言うと、

「はい。佐藤みずきです。昨日、先生から、ここの話を聞きました。不良生がたくさん居ると聞きましたが、それは本当なのか、確かめにこさせてもらいました。」

と、その女性は言った。

「お前さん何者だ?報道関係者か?興味本位で取材とかそういうことはお断りだぜ。悪いけど、ここに来ている人たちは、みんな傷ついて居るんだからね。」

杉ちゃんがそう言うと、

「いえ、そういうものではありません。私は大学生です。先日から、田子浦小学校で教育実習をさせて頂いています。あの、お願いです。見学させてもらえませんか?」

と、佐藤みずきさんは答えた。

「ほう。教育実習生か。つまり、悪役になる直前か。まあ、そんなやつが、ここを見学させてくれなんて、珍しいもんだな。悪いけど、そういうやつはお断りだ。そういうやつのせいで、どれだけ皆が傷ついているか、思い知れ。」

杉ちゃんがそう言うと、そこへ通りかかったジョチさんが、

「今の利用者さんたちは、比較的穏やかな子が多いですし、少し見学させても、いいのではないでしょうか?」

と言ったので、仕方なく、彼女を、中に入れてやることにした。とりあえず、廊下を歩いてもらって、一体何で、こんなところに来たんだよと、杉ちゃんはブツブツ言っているが、彼女、佐藤みずきさんは、製鉄所の建物内を、興味深そうに見つめている。とりあえず、彼女を、食堂へ通した。食堂では、利用者たちが、宿題を教えあっている。今の利用者さんたちは、通信制の高校に通っている女性たちだった。年齢も、学年も違う女性たちである。利用者たちは、自分の成績などどうでも良いらしく、わからない問題の解き方を丁寧に教えあっている。

「なんだか、障害児の教育みたいですね。」

と、佐藤みずきさんは呟いた。それを聞いて利用者が、

「杉ちゃんこの人はだれなんですか?」

と、聞く。杉ちゃんは、ああ、教師になりたくて、なんか確認したいみたいよといつもと変わらない調子で言うが、彼女たちは一瞬顔が凍りついた。

「そんな顔しないでいい。こいつも、きっと反省するから。ほんとうに悪い教師は、ここへ来るかよ。だからお前さんたちは、いつも通りに、勉強教え合ったりすればいいの。」

杉ちゃんがそういっても、彼女たちは、嫌そうな顔を変えなかった。いいんだよ気にしないで、と言っても変えなかった。彼女たちの顔を見て、佐藤みずきさんも、ちょっと表情が変わった。それと同時に、水穂さんが弾いている、ショパンの別れの曲が、なぜか耳につくのである。もちろん演奏技術はある人なんだけど、普通の人とはなにか違うような気がする。

それと同時に演奏が突然消えて、誰かが咳き込む声がした。

「ああまたやったなあ。もう何回やれば気が済むのかな。お前さんはそこで、勉強教えてやってくれ。」

そう言って杉ちゃんは、四畳半に向かった。でも佐藤みずきさんは、すぐに杉ちゃんのあとについていってしまった。杉ちゃんが四畳半のふすまを開けながら、

「中にいるやつがどんなやつでも、態度を変えるんじゃないぞ。」

と、意味不明な言葉を言った。とりあえず、二人は、ふすまを開ける。中にいて、咳き込んでいる水穂さんを見て、杉ちゃんは何も前触れなく近づけるのであるが、佐藤みずきさんは、ちょっと躊躇してしまった。というのは、水穂さんが、紺色に、大きな楓の葉を入れた銘仙の着物を来ていたからである。

「ほんと、お前さんは無理をしすぎだよな。武史くんにせがまれても、断る勇気くらい持て。」

杉ちゃんがそう言いながら、水穂さんに、薬の入っている、水のみを渡した。水穂さんは、ハイと言って中身を飲んだ。みずきさんは、それを、大変驚いた顔で見ていた。杉ちゃんに、お前さんも手伝えと言われても動けなかった。代わりに小学校1年生の武史くんが、おじさんごめんねなんて、子供らしく謝りながら、水穂さんの手を引っ張って上げている。武史くん!と、みずきさんは言いそうになったが、杉ちゃんににらまれて、言う東とができなかった。

「どうしてこういう身分の人まで収容しているようなところ、」

と、佐藤みずきさんは思わずいってしまう。彼女にとって、学校の勉強で銘仙の着物が、どういうことなのかは教えてもらっていたが、実際のところ、そういう人物が居るとも思わなかったし、もう過去のものだと思って、存在しないと勝手に思っていた。しかし、今、杉ちゃんや武史くんに介抱してもらっている人物は、貧しいからと言って適当に生きてきた人物でもなさそうだ。本箱にはたくさんの楽譜がある。その作曲者は佐藤みずきさんも知っている。ゴドフスキー。世界一難しいピアノ曲を作ったという作曲家である。でも、それを弾きこなすのは、女性ではできないので、無理だと言われたこともある。その楽譜が何冊もあるということは、この人物は、ゴドフスキーの曲と、真剣に向き合って来たに違いない。そういうことであれば、もしかしたら、ピアニストというより、見世物小屋の芸人のような生き方だったかもしれない。

「ほらあ、手伝ってくれよ。お前さん、約束したよな。中に居るやつがどんなやつでも、態度を変えるなって。お前さん教育者だろ?それなら、こういうことくらい出来るんじゃないのか?」

杉ちゃんに言われて、佐藤みずきさんは、水穂さんの体をそっと掴んだ。本当は、水穂さんのような人物の体を触るなんて、とてもしたくないのだが、そうしなければいけなかった。それが、教育者になるということかもしれなかった。


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