エピソード21

◆◆◆◆◆


「蓮さん、見て!!」

私は勢いよく寝室のドアをあけてリビングのソファに座る蓮さんの前に立った。

「よく似合ってる」

漆黒の瞳を細めて蓮さんが呟いた。

「本当?」

私は蓮さんの言葉が嬉しくて微笑んだ。


今日から新学期。

私は今日から聖鈴の生徒だ。

この一週間で数学と規則正しい生活がなんとか身についた。

私の姿に瞳を細めている蓮さんも今日はスーツ姿だ。

初めて見る蓮さんのスーツ姿。

明らかにサラリーマンみたいではない……。

でも、一度視線を向けると逸らす事ができないほどかっこいい。

Yシャツの襟元のボタンを外し緩めに締められているネクタイ。

その隙間から見える首筋がとても色っぽい……。

蓮さんが、私の腕を引き寄せる。

テーブルに置いてあった光を放つ物を手に取った。

それを私の首に着けてくれる。

私の鎖骨の少し下で光を放つネックレス。

トップには蓮さんとお揃いのピアスと同じダイヤがついている。

「蓮さん、これ……」

「勉強を頑張ったご褒美だ」

「ありがとう!!」

私はそのネックレスを両手で包み込んだ。

そんな私の両手を見ていた、蓮さんの眉間に深い皺が寄ったのを私は見逃さなかった。

「蓮さん?」

「開け過ぎじゃねぇか?」

「え?」

「ボタン」

蓮さんは私の胸元を指差した。

へっ?

開け過ぎ?

そうかな?

海に行ったとき葵さんが教えてくれた通り3つ開けたYシャツのボタン……。

だってこれが一番可愛いって葵さん言ってたし……。

スカートだって葵さんが教えてくれた通りの長さにした。

成績さえ悪くなかったら、先生も何も言わないって言ってたから私はいつもと同じようにメイクもしてるし、蓮さんとお揃いのピアスもつけたまま。

「……そんなことないよ。これが一番可愛いって葵さんも言ってたし……。先生も別に何も言わないんでしょ?」

しばらく私の胸元を見つめて何かを考え込んでいた蓮さんがニッコリと微笑んだ。

……よかった。

納得してくれたみたい。

ホッとしたのも束の間だった……。

蓮さんの長い指が私の顎を捕らえた。

ゆっくりと近付いてくる蓮さんの顔。

いつもの癖で私は瞳を閉じてしまった。

触れた瞬間に隙間から侵入してくる舌。

いつからか私はその舌の侵入に驚かなくなっていた。

……分かっているから……。

この舌が私に心地良い刺激と快感を与えてくれる事を……。

私の口から甘い声が漏れると、蓮さんは私の身体をソファに押し付けるように倒した。

ゆっくりと唇から離れた蓮さんは首すじに舌を滑らせた。

初めての感覚に私は蓮さんの肩にしがみついた。

熱い蓮さんの舌の感触とくすぐったい様な感覚に私の吐息が漏れる。

蓮さんの舌は鎖骨を伝いネックレスのトップの周辺にたくさんのキスを落とした。

蓮さんの舌の熱が触れた私の肌も熱を帯びてくる。

その時、胸元に鈍い痛みが走ったような気がした。

でも、すぐに押し寄せてくる熱い舌の感触に頭が真っ白になった。

「浮気すんなよ」

その声に瞳を開けるとそこには満足気な表情の蓮さん。

「……うん」

私が頷くと蓮さんが啄ばむようなキスをして私から身体を離した。

そして、タバコに火を点けた。

私は乱れた髪を直す為に洗面台に向かった。

髪を梳かしながら鎖骨の少し下に光るネックレスを鏡越しに見た時私の視線がある所で止まった。

……ん?

なに?これ……。

鏡に近付いてその箇所を凝視した。

「……!!!」

私は蓮さんのいるリビングに走った。

「蓮さん!!」

勢いよく開けられたドアに驚く事もない蓮さん。

「どうした?」

「……これ!!」

Yシャツの胸元を焦って指差す私とは対照的に余裕の表情の蓮さん。

「悪ぃな。つい付けちまった」

謝罪の言葉を口にしながらも全く反省の様子がない蓮さん。

つい……?

これって“つい”付くものなの!?

「……どうするの?初日から……」

狼狽する私に蓮さんが近付いてきた。

Yシャツの胸元から覗く肌。

そこに付けられた紅の跡。

蓮さんは腰を少し曲げそこにキスをした。

蓮さんの香りが鼻を掠める。

私の肌から唇を離した蓮さんはそのままの体勢で私の顔を見上げた。

「そんなの簡単だろ?」

上目使いの蓮さんに私の胸が高鳴る。

妖艶な笑みを浮かべた蓮さんは腰を伸ばして私のYシャツのボタンを一つ留めるとユルユルに締めていたネクタイを少しだけ引き締めた。

「これで完璧だろ?」

そう言って笑う蓮さんはとても満足そうで……。

さっきの行為もこの紅の跡も私のYシャツのボタンを留めさせるための作戦で……。

私はまんまとその作戦にハマってしまったようだ。

……でも、そんな蓮さんを可愛いと思ってしまった。

そんな私は、相当蓮さんにハマってしまってるようだ……。


迎えに来てくれたマサトさんが運転する車。

この前、組長の家に行った時に乗った黒い高級車。

私と蓮さんはその車の後部座席に乗っていた。

これから、毎日送り迎えしてくれるらしい……。

それを私が聞いたのはついさっき、マンションを出る寸前だった。

てっきり今日の朝だけ蓮さんが一緒に来てくれると思っていた。

今日が初日だし。

だから、今日の帰りからは電車だと思っていた。

玄関で真新しい靴を履いてると『ケイタイ持ったか?』って蓮さんに聞かれた。

制服のポケットを確認して『うん』と答えると『帰りは校門のところで待ってる』と蓮さんが言った。

『へ?』すっ呆けた顔をする私を怪訝な表情で見つめる蓮さん。

『帰りも迎えに来てくれるの?』

私の問いかけに『当たり前だろ』と呆れた表情で溜息を吐かれた。

……当たり前なんだ……。

蓮さんが送り迎えしてくれるのは嬉しい。

すごく嬉しいんだけど……。

でも、蓮さんも今日から仕事だし忙しいんじゃないかな?

『どうした?』黙り込んだ私の顔を覗きこむ蓮さん。

『蓮さんも忙しいんじゃない?』私がそう言うと蓮さんの表情が緩んだ。

『俺が事務所に行くのはお前が学校に行ってる間だけだ。夜は出来るだけお前と一緒にいる。もし、俺が迎えに行けない時はマサトが行く。そん時は、ここで待ってろ』

そう言うと蓮さんが持っているのとお揃いのブランドの財布とキーケースを差し出してきた。

それを受け取って首を傾げる私に『金が要るときはそれを使え』と財布を指差した。

『お金は持ってる』と言おうとして慌ててその言葉を飲み込んで頷いた。

『これは?』

私はキーケースを見つめた。

『デカイ方がここの鍵だ』

デカイ方?

キーケースのボタンを外すと確かに鍵が入ってる。

大きい鍵と小さい鍵。

『……この小さい鍵は?』

『屋上の鍵だ』

『屋上?どこの?』

『聖鈴の中等部の校舎。持ってるんだろ?』

蓮さんはそう言って私が持っているカバンを指差した。

『……?』

『タバコだよ』

その言葉に私の身体が強張った。

とりあえず蓮さんに笑顔を向けてみる。

『笑ってごまかしてんじゃねぇよ』

……やっぱり失敗だった……。

だって禁煙できなかったんだもん。

っていうか禁煙するつもりもなかったんだけど……。

ほら、あるじゃん。

学校でタバコって言ったら定番の体育館の裏とか校舎の影とか……。

そんな所を見つけてこっそり……なんて思ってカバンに忍ばせてたのに。

蓮さんにバレてるなんて。

……最悪……。

私の“お願い!!見逃して光線”を受けた蓮さんは呆れたように大きな溜息を吐いた。

『タバコが吸いたくなったら屋上に行け。屋上なら立入り禁止だから教師も生徒も来ない』

その言葉でやっと小さな鍵の使い道を理解した。

『……ありがとう、蓮さん』

私が言うと蓮さんは諦めたように『吸いすぎんなよ』と付け加えた。

『もし帰りが遅くなるようだったら俺に連絡して来い』

『うん。分かった』

頷いた私のおでこに蓮さんが唇を寄せた。



マサトさんが運転する車はマンションから20分位の場所にある聖鈴の近くまで来ていた。

……なんか緊張するんですけど……。

この鼓動の速さは絶対に普通じゃない気がする。

登校時間だから、私と同じ制服を着ている子達がみんな同じ方向に向かって歩いている。

それが、だんだん増えているような気がする。

……って事はもうすぐ着くんだ。

そう思うと一層鼓動が速くなった気がした。

「……緊張する……」

「あ?」

どうやら私の小さな声が蓮さんにも聞こえたようだ。

シートに深く座り腕を組んで瞳を閉じていたから寝ているんだと思ってた。

私の小さな声に反応した蓮さんが瞳を開けて私の方を見た。

「なんで緊張するんだ?」

「……分かんないけど……」

私がそう答えると蓮さんは口角を片方だけ上げ笑うと私の頭に手を伸ばしてきた。

「美桜」

「うん?」

「お前は誰の女だ?」

……はぁ?

突然、なに?

それって今話さないといけないことなの?

私、緊張しすぎて口から心臓が飛び出しそうなんですけど!?

「誰の女だ?」

俯き気味な私の顔を蓮さんの手が上げる。

私を見つめる漆黒の瞳。

「……蓮さん」

力強く自信に満ち溢れた瞳。

「そうだ。美桜は俺の女だ。お前が不安になることは何もない。俺がいつもついてんだ。だからお前は堂々としとけ」

私が独り占めできる瞳。

「うん」

蓮さんの瞳と言葉で私の緊張は嘘のように無くなった。

聖鈴の校門が見えてきた。

私は横に置いていたカバンを手に取った。

マサトさんが運転する車は校門に近づいても減速しない。

校門を通ろうとしていた生徒達が車に気付き一斉に道を開ける。

その道を悠然と通り校門を潜り車が止まったのは昇降口の真前だった。

マサトさんは車を止めると素早く降り蓮さん側のドアを開けた。

蓮さんは、慣れた手つきで外していたYシャツのボタンを留めて緩めていたネクタイを締めた。

蓮さんが車から降りた瞬間、耳を塞ぐ程の歓声が上がった。

な……なに?!

なにが起きたの?

プチパニックを起こした私は持っていたカバンを握り締めた。

「降りろ」

先に下りた蓮さんが怪訝そうに私を見てくる。

私は慌てて車を降りた。

そして、固まった……。

登校していた生徒達が集まり少し距離を置いて歓声を上げている。

校舎からは全ての窓を埋め尽くすように生徒達がこちらを見ている。

中には窓から身を乗り出して蓮さんの名前を呼ぶ人も……。

どうやら蓮さんはここでも有名人らしい……。

「行くぞ」

蓮さんは私が握り締めていたカバンを奪い取るとスタスタと昇降口に入って行った。

「マサトさん、ありがとうございました」

私はマサトさんに頭を下げた。

「いいえ」

マサトさんが優しい笑顔を向けてくれる。

それから、マサトさんは深々と頭を下げて見送ってくれた。

校舎の中に入ってからも痛いくらいの視線を感じた。

蓮さんに手を引かれて歩きながら私はボンヤリとその歓声を聞いていた。

女の子達の声と共に耳に入ってくる男の子達の声。

私の隣を歩くこの人は実は芸能人なんじゃないかと疑ってしまった。

さすが卒業生だけあって蓮さんは校舎の中を熟知しているようで……。

この大歓声の中、悠然と歩く蓮さんをかなりの勢いで尊敬してしまった。

蓮さんは、“学長室”と書かれたプレートが下がる部屋の前で立ち止まった。

そのドアをノックする蓮さん。

中から「どうぞ」と言う男の人の声が聞こえた。

蓮さんがドアを開け、私の背中を優しく押し、入るように促す。

部屋の一番奥の大きな机に座っていた初老の男の人が立ち上がって私達を迎えてくれた。

部屋に入った私はその人に一礼して自分の名前を告げた。

「紺野 美桜です」

上品なその人は笑顔で「学長の高森です」と自己紹介をしてくれた。

それから部屋の中央にある応接セットのソファに座るように進めてくれた。

「神宮君もどうぞ」と言われた蓮さんが私の隣に腰を下ろした。

それから、私達の正面のソファに座った学長は学校の説明をしてくれた。

その内容は、大体が蓮さんや葵さんに聞いていたので私は「はい」と相槌を打った。

一通りの説明を終えると学長が「紺野さんのクラスは3-Aです。今、担任を呼びますから」と言って立ち上がった。

机の上にある電話の受話器を取り慣れた手つきでボタンを押し、しばらくの沈黙の後「西田先生を」と言って受話器を置いた。

「……西田?」

私の隣に座ってる蓮さんの眉間に皺が寄った。

「蓮さん?」

私が蓮さんの顔を覗き込むのと同時に学長室のドアが激しくノックされた。

その音はコンコンじゃなくてドンドンだった。

私は驚きドアの方に視線を向けた。

私の後ろから「間違いねぇ」と言う呟きと大きな溜息が聞こえた。

入ってきたのは40代後半くらいの体格のいい男の人。

私はこの人が担任なんだとその人を見つめていた。

その人は蓮さんの姿を見つけると嬉しそうに近寄ってきた。

「神宮!!久しぶりだな!!」

「……」

「元気そうだな!」

そう言いながら蓮さんの背中をバシバシ叩いた。

す……すごい。

この先生……。

蓮さんを叩いた人を初めて見た私は唖然と二人を眺めていた。

「痛ぇよ」

蓮さんは鬱陶しそうに言った。

鬱陶しそうだけど別に怒っている様子ではない。

「西田先生は神宮君の担任だったんですよ」

学長が教えてくれた。

「西田先生、今日から先生のクラスに編入になった紺野 美桜さんです」

学長が私を紹介すると西田先生が蓮さんから私に視線を向けた。

「担任の西田です。卒業まで残り少ないけどこれから行事もたくさんある。一緒にたくさん思い出を作ろうな」

「……はい」

蓮さんが優しく穏やかな瞳で私を見つめていた。

その蓮さんが私から西田先生に視線を移した。

「美桜の思い出にてめぇは入り込まなくていいんだよ」

そんな蓮さんの暴言にも余裕の表情の西田先生。

「……相変わらず生意気だな。お前が彼女作るなんて100年早いんだよ。このハナタレが!!」

「あ?そんなこと言ってるから嫁に逃げられんだよ。クソじじぃが!!」

「……お前、人が気にしてることを……。別にいいんだ。俺は独身生活を楽しんでんだ」

蓮さんが鼻で笑ってる。

これが先生と元生徒との会話なんだろうか……。

でも、そんな二人のやり取りを学長はニコニコと見守っている。

……多分蓮さんの西田先生は仲がいいんだろう。

二人とも口は悪いけど、とても楽しそうだし。

その時、チャイムの音が鳴り響いた。

「それじゃあ、そろそろ教室に行こうか、紺野さん」

「はい」

私は立ち上がった。

「なんか合ったらすぐに連絡してこいよ」

蓮さんが私の顔を覗き込む。

「うん」

私はカバンを持って西田先生と一緒に学長室を出た。

廊下にはさっきまでの騒ぎが嘘のように誰もいなかった。

教室の中から賑やかな声が聞こえてくる。


◆◆◆◆◆


蓮さんは、今、何をしているんだろう……。

まだ、蓮さんと学長室で別れて30分しか経ってないのに私はすでに蓮さんに会いたい病を発症していた。

3-Aの教室に入った私と西田先生。

みんなが興味津々の視線で見つめる中、西田先生が私を紹介してくれた。

そして、窓際の一番後ろの席に座るように指示された。

朝のホームルームが終わると西田先生は職員会議があると言って教室を出て行った。

先生が出て行くとみんなも席を立って仲のいい子同士集まって話してた。

みんなが私をチラチラ見てるのは分かったけど別に気にならなかった。

それよりも、私は蓮さんの事ばかり考えていた。

この一ヶ月ずっと蓮さんと一緒だったから……。

いつも身体の一部が触れる距離にいたから……。

蓮さんが傍にいないのが変な感じだった。

私はそんなことを考えながら窓の外を眺めていた。

マサトさんが運転する黒の高級車も昇降口の前に止まっていない。

今頃、蓮さん達は事務所にいる筈だから当たり前なんだけど。

「……」

なんか視線を感じる。

そう思って窓の外から正面を見ると至近距離に女の子の顔があった。

私は、驚いて座っていたイスごと後退りした。

至近距離にいる女の子は前の席のイスに座り私の机に両肘をついてその上に顔を載せて私を見つめていた。

ニコニコと笑顔の女の子。

でも、私の視線はその子の頭にいってしまう。

「……なに?」

ビックリして暴走気味に動く心臓を抑えつつそう言いながらも視線はその子の頭に……。

「可愛いでしょ?」

私の視線に気付いたその子は嬉しそうに自分の頭を指差した。

……その女の子はとても可愛い顔をしている。

メイクも適度にしてあってクリクリの瞳が印象的な女の子。

頭のコレさえなかったら普通の可愛い女の子なんだろうけど……。

ミディアムの長さの髪の毛はミルクティーみたいな色。

その色も彼女の顔にはよく似合ってる。

……でも……。

長めの前髪が鬱陶しいんだろう。

だから、結んでいるのも分かる……。

だけどそのゴムが……。

彼女の頭には2輪の大きな向日葵が咲いていた。

どうしてもそれが気になって彼女の顔じゃなくて頭を見つめてしまう。

彼女は、私が造花の向日葵のゴムを可愛いと思って見ていると誤解したらしく、どこで買ったとか、自分もかなり気に入ってるとか、機関銃のごとく話し始めた。

私はただ呆然と動き続ける彼女の口と頭の向日葵を交互に見つめるしかなかった。

「麗奈」

今まで機関銃のごとく話していた彼女が突然名前らしき単語を口にした。

「れいな?」

「そう、麗奈。よろしくね、美桜」

どうやら麗奈というのが彼女の名前らしい……。

そう言うと麗奈は私の髪に手を伸ばしてきた。

そして、あっというまに私の前髪を束ねると自分の手首に着けていた向日葵のゴムで結んだ。

「……ちょっ!れ……麗奈……ちゃん?」

「呼び捨てでいいよ、美桜」

ニコニコと楽しそうな麗奈。

なに!?

これってイジメ?

私がしばらく学校って所に行かないうちにこんな新種のイジメが発生していたの!?

動揺を隠せない私を他所に麗奈は私の髪を見つめながら何かを悩んでいた。

「う~ん。美桜は向日葵って感じじゃないなぁ~」

そう呟くと前髪を結んでいた向日葵のゴムを外した。

よかった……。

もし、向日葵が似合ってたら今日一日“麗奈ヘアー”で過ごさないといけなかったかもしれない。

それは絶対イヤ!!

編入初日なのに……。

この後始業式もあるのに……。

ただでさえ注目されてんのにこれ以上目立ちたくない。

「今度、美桜に似合うヤツ持ってくるから今日はこれで我慢してて」

そう言いながら麗奈は向日葵のゴムを私の手首につけた。

「……えっと……イヤ……そんな悪いから……」

丁重にお断りしようとしたのに麗奈は向日葵のゴムを受け取ろうとしなかった。

せっかくの好意だから私は向日葵のゴムを手首に着けておくことにした。

それからも麗奈は私の傍から離れようとはせずマシンガントークを打ち出していた。

そのお陰で私は蓮さんの事を考える暇が無かった。

そのくらい麗奈の口は止まる事がなく……。

私は完全に麗奈のペースにハマっていた。

でも、麗奈は私に気を使っていたんだと思う。

その証拠に、麗奈はずっと私の隣にいた。

始業式の時も、私がトイレに行く時も……。

他の子たちが遠巻きに私を見つめる中、麗奈だけが普通に接してくれた。

始業式の後、屋上にタバコを吸いに行こうとしたら『美桜、どこに行くの?』と尋ねられさすがに『タバコを吸いに行く』とは言えなくて……。

結局、その日はタバコを吸いに行く事はできなかった。

明日も麗奈は私の隣にいるのだろうか?

もしそうならば私は作戦を立てなければいけない。

そうしないと確実に強制禁煙中になってしまう。

今日がお昼まででよかった。

帰りのホームルーム前、私がそんなことを考えていると麗奈が私の席までやってきた。

「美桜、今日一緒にお昼ごはん食べに行こう?」

ニッコリと微笑む麗奈。

「……えっ?」

……えっと……。

これは、断ってもいいのだろうか?

でも、麗奈は私に気を使ってずっと一緒にいてくれたし……。

そんな麗奈の誘いを断るのは悪い気もするし……。

だけど、蓮さんに早く会いたい気もするし……。

……どうしよう?

「もう、約束してるんだ」

「約束?」

「うん!私の彼氏」

そう言って麗奈は廊下側の一番後ろの席にいる男の子を指差した。

そこには、茶髪の男の子がいた。

「あれ、アユム。私の彼氏なんだけど美桜も誘ってご飯食べに行こうって」

「……それってもう決定してるの?」

「うん」

満面の笑みを浮かべる麗奈に私は大きな溜息を吐いた。

「……どこに行くの?」

「繁華街のファーストフードでいい?」

繁華街だったら一時間くらい付き合って帰ればいいか。

「ちょっと電話してくる」

「うん!!」

嬉しそうに手を振る麗奈に見送られ私は屋上に向かった。

屋上のドアを蓮さんに貰った鍵で開ける。

この鍵どうやって手に入れたんだろう?

後で聞かないと……。

屋上には蓮さんが言った通り誰もいなかった。

青く澄み渡る空。

眩しいくらいに照りつける太陽。

私は手すりに寄り掛かりポケットに忍ばせていたタバコに火を点けた。

そして、淡いピンクのケイタイで蓮さんに電話を掛けた。

ワンコールで私の耳に優しい声が飛び込んできた。

『どうした?美桜』

その声を聞いて私は無性に蓮さんに会いたくなった。

今すぐ学校を飛び出して蓮さんの所に行きたいと思った。

「……蓮さん」

『うん?どうした?なんかあったか?』

心配そうな蓮さんの声。

「ううん。今日学校の後、ご飯食べようって誘われたんだけど……」

『そうか。どこに行くんだ?』

「繁華街って言ってた」

『分かった。食べ終わったら連絡して来い。迎えに行くから』

「うん」

『ナンパされんなよ』

「気を付ける」

終話ボタンを押した後、私はしばらくケイタイを見つめていた。

早く蓮さんに会いたいって気持ちを抑えて屋上を後にして教室に戻った。

私が教室に入るとすぐに西田先生が来てホームルームが始まった。

ホームルームが終わると麗奈が駆け寄ってきた。

「行ける?」

「うん」

「よかった!!じゃあ行こ!!」

麗奈は私の手を取ると走り出しそうな勢いで歩きだした。

そんな麗奈に引きずられるように歩きながら私は思わず笑ってしまった。

「美桜、笑うんだね!!」

嬉しそうな麗奈。

「うん?私だって笑うよ」

苦笑しながらふと思った。

そう言えば私、蓮さんと知り合ってから笑うようになったんだ……。

「そうだよね」

麗奈は楽しそうに笑った。

学校を出て私達は近くの駅に向かった。

ここから繁華街までは地下鉄で二駅。

「彼氏も一緒じゃなかったの?」

地下鉄に乗り込んで隣に座る麗奈に尋ねた。

「うん。現地集合なんだ」

「そう」

なんで一緒に行かないんだろう?

私は首を傾げた。

見慣れた駅に着いて私は安心感を感じた。

どうやら私は初めての学校に緊張していたようだ。

駅を出て『ハンバーガーでいい?』と聞かれて『うん』と答えながら私は異変に気付いた。

……なんか、ガラの悪い男の子が多い気がする。

まだお昼なのに。

これが夜とか深夜だったら何も可笑しくはないんだけど……。

……もしかして。

ううん、そんなことは無い……。

いくら蓮さんでもそんな事はしないはず……。

それに見た事のない男の子達ばかりだし。

「なんか今日怖い人多いね~!!」

「そ……そうだね……」

心の中でこの男の子達がケンさんのチームの男の子じゃない事を祈ってしまった。

駅近くのファーストフード店に入った。

ハンバーガーを注文して二階に上がった。

窓際の席が空いてたからそこに座った。

「ねぇ、美桜」

席に着いてすぐ麗奈が口を開いた。

「うん?」

「実はアユムの友達も今日ここに来るんだよね」

「……友達?」

「うん。同じクラスの男の子なんだけど。美桜とご飯食べに行くって言ったら行きたいって聞かないから」

「同じクラス?」

「そう。海斗っていうんだけど。銀髪の男の子がいたの気付かなかった?」

そう言われて私は首を傾げた。

今日、学校で麗奈以外の子達の記憶が一切無い。

正確に言えば麗奈の印象が強すぎて他の子が目に入らなかった。

だから、アユムの顔すら覚えていないのに……。

その友達なんて覚えてる訳がない。

「ごめん。分かんない」

「そっかー。まあ初日だし、それどころじゃなかったよね」

麗奈はそう言いながら階段の方に視線を向け嬉しそうに手を振った。

麗奈の視線の先にいたのは聖鈴の制服を着た男の子。

嬉しそうな麗奈の表情を見てその男の子がアユムだって分かった。

爽やかで優しそうな男の子。

麗奈を見つけたアユム達が私達が座る席に近付いて来た。

アユムと一緒に来た男の子を見て私は唖然とした。

目が眩むほどキレイな銀色の髪。

かろうじてズボンで聖鈴の制服だと分かるくらい着崩された制服。

パンツ見せたいの?って言うくらい下げられてるズボン。

Yシャツのボタンは真ん中の二つが申し訳ない程度に留められているだけだから歩くたびにおへそが見え隠れしてる。

もちろん学校指定のネクタイは付けられてない。

手首や首につけられたアクセサリーがジャラジャラと音を出す。

アユムだってきちんと制服を着ているわけじゃないんだけど……。

でも、二人が並んでいると物凄くアユムが真面目くんに見えてしまう。

呆然とする私を他所に麗奈が嬉しそうな声を上げた。

「アユム、海斗遅いよ!!」

「ごめん、帰ろうとしてたらコイツが西田に捕まったんだよ」

そう言ってアユムは海斗を指差した。

「また~?」

麗奈が呆れたように言うと海斗はウンザリしたように溜息を吐いた。

それを見た麗奈が楽しそうに笑う。

海斗は面倒くさそうに麗奈から視線を私の方に移した。

海斗を見つめていた私と必然的に視線が重なる。

細く整えられた眉の下にある切れ長の瞳。

その色は鮮やかなグリーンだった。

「海斗!そんなに見つめるから美桜が怖がってんじゃん!!」

「怖い?冗談だろ?俺なんかより神宮先輩の方がよっぽど怖ぇじゃん」

海斗は私に「なぁ」と同意を求めてきた。

……いやいや。

蓮さんは全然怖くないし。

てか、凄く優しいし。

この人も蓮さんを肩書きや噂で判断する人だ。

……最低……。

「海斗のバカ!神宮先輩は美桜の彼氏なんだからそんなこと言わないでよ!!」

麗奈が私の変わりに海斗を叱ってくれた。

海斗は麗奈の話を聞いているのか聞いていないのか……。

私の正面のイスを引き、腰を下ろした。

その隣にアユムが座った。

麗奈とアユムは楽しそうに話をしている。

私、なんで誘われたんだろ?

そんな事を考えながらポテトを食べていた。

「なぁ」

海斗がハンバーガーにかぶりつきながら私に視線を向けている。

「なに?」

「神宮先輩って本当に怖くねぇの?」

「うん、怖くない」

「全然?」

「うん、すごく優しいよ」

「は?優しい?」

驚いた表情の海斗。

……なに?

そのリアクション……。

海斗は手に持っていたハンバーガーを見つめながら「信じられねぇ」とか「嘘だろ?」とかブツブツと独り言を言っていた。

海斗はそのまま一人の世界に入っていったので私は窓の外に視線を向けた。

今日も繁華街のメインストリートはたくさんの人で溢れ返っている。

新学期が始まった所為か制服姿の学生が目立ってる。

その中にもチラホラと目に付くガラの悪い男の子達。

ケンさんのチームの男の子達と仲良くなったから余計に目に付くのかもしれない。

……ん?

なんかあの男の子見た事があるような……。

その男の子を目で追っていると「何見てんの?」といつの間にか一人の世界から帰ってきていた海斗に聞かれた。

「……別に」

そう言って正面に視線を向けると鮮やかなグリーンの瞳があった。

「……ハーフなの?」

思わず口に出してしまった疑問。

「あ?……そう、ハーフ」

海斗は一瞬、怪訝そうな表情をしたけど私の質問の意味を理解したようだった。

「ふーん、そうなんだ」

そう言われてみれば眩しいくらいの銀髪も地毛なんだって思えた。

「海斗、嘘吐くなよ。紺野さん信じてんじゃん」

そう言いながらアユムは吹き出した。

「は?嘘なの?」

私の言葉に海斗も派手に吹き出した……。

「だってコイツ、マジで信じてるし!!」

大笑いしながら私を指差す海斗。

……やっぱりコイツ最低だ……。

大爆笑する海斗に沸々とこみ上げてくる怒りを必死で我慢する私に爽やかなアユムが教えてくれた。

「海斗の姉ちゃんが美容師だからコイツ染めてもらってんだよ。それからこの瞳はカラコンだよ」

そうなんだ……。

「そうそう。海斗は完璧日本人だよ」

麗奈も呆れたように海斗を見つめながら教えてくれた。

まだ笑ってる海斗は鮮やかなグリーンの瞳に涙まで溜めている。

私は盛大な溜息を吐いた。

「痛ぇ!!」

突然大きな声を発した海斗に私の体がビクっと反応した。

「どうした?」

アユムが海斗の顔を覗き込む。

「コンタクトがズレた」

そう言って瞳を押さえる海斗。

どうやら涙まで浮かべて大笑いしたせいでカラコンがずれてしまったらしい……。

人を騙した上に大笑いしたからじゃん。

私は思わずクスっと笑ってしまった。

「てめー今笑っただろ!!」

笑われたことに気付いた海斗が私を睨んだ。

私はそんな海斗から勢いよく視線を逸らした。

「海斗が美桜に意地悪するからじゃん」

「そうだ、海斗が悪い」

麗奈とアユムが私の味方をしてくれた。

「てめーらもグルかよ」

海斗が拗ねたように口を尖らせた。

私達は店内の時計が14時を指すまで話していた。

海斗は何かって言うと私にカラんできた。

さっき私に笑われた事を相当、根に持ってるようだ。

ちょっとウザかったけど取り敢えずシカトしてたら、また激怒してた。

あんまり面倒くさかったから『ウザイ』って言ったらまたまた激怒してた。

『黙ってたらハーフみたいでカッコイイのに勿体ない』って言ったら顔を真っ赤にして照れてたから『冗談だし』って言ったら私のポテトを奪い取って全部食べられた……。

そんな私と海斗のやり取りを麗奈とアユムは笑いながら見てた。

海斗の所為ですっかり時間を忘れてた私は店内の時計を見て焦った。

「私、そろそろ帰るね」

そう言って立ち上がると麗奈が私の腕を掴んだ。

「この後、カラオケ行こうよ!」

せっかくだけど……。

「ごめん!今日は帰るね」

「そっかー。残念。また今度一緒に行こうね!」

「うん。分かった」

私が答えると麗奈はやっと掴んでいた腕を放してくれた。

「バイバイ、紺野さん」

アユムが笑顔で手を振ってくれる。

「バイバイ」

そう言って手を振り返した時、海斗が立ち上がった。

「俺も帰る」

海斗はそう言うと階段に向かって歩きだした。

そんな海斗を見ながらアユムが呆れたように口を開いた。

「分かりやすいヤツ……」

その言葉の意味はいまいち分からなかったけど私には関係無いと思ったから二人に「バイバイ」と告げて階段に向かった。

階段には海斗の姿はなかった。

私はポケットから淡いピンクのケイタイを取り出してリダイヤルに入っている番号に発信した。

『終わったか?』

数回の呼び出し音の後聞こえてきた優しい声に、私の胸が高鳴った。

「うん」

『どこにいるんだ?』

「駅の近くのハンバーガー屋さん」

『分かった。五分で着く』

「あっ!!駅で待ってようか?」

『いい、そこに行くから5分経ったら、店から出てこい』

「うん。分かった」

私は一階に降りてケイタイを閉じて気付いた。

「……海斗?」

店の出入り口の自動扉の傍でケイタイを弄っている海斗。

眩しいくらいの銀髪はどこにいても目立ってる。

学校の教室で海斗の存在に気付かなかったことが不思議でしょうがない。

ケイタイから上げた視線が私の方に向く。

階段を降りきって足を止めていた私に気付くと手招きする海斗。

私は海斗の近くに寄った。

「家どこ?」

海斗が私の顔を覗き込む。

イスに座っている時は気付かなかったけど私より大分大きい海斗。

蓮さんほどじゃないけどちょうど私と蓮さんの間に海斗が立つと階段みたいになるかも……。

私はボンヤリとそんなことを考えていた。

「お~い」

私の目の前でヒラヒラと手を振る海斗。

「……えっ?なに?」

我に返った私が焦っていると海斗が吹き出した。

「お前、どこの世界に行ってんだよ?」

呆れたように笑う海斗。

「……別に」

笑われて恥ずかしくなった私は俯きながら答えた。

「家どこ?」

「この近く」

「送っていく」

海斗はそう言うと私に背を向けた。

「……いい」

私の答えに海斗が振り返った。

「なんで?」

「迎えにきてくれるから」

「……神宮先輩?」

「……うん」

「どんだけ過保護なんだよ」

「……?過保護?」

「朝も送って来てただろ?」

「……うん。なんで知ってんの?」

「あれだけ目立ってて何言ってんだ?今日、学校来てたヤツでお前の事知らないヤツはいないと思う」

「……」

「……まさか毎日、神宮先輩が送迎するとか言わねぇよな?」

海斗は「そんなはずないか」と鼻で笑った。

「……してもらう……」

「は?」

「毎日送り迎えしてくれる」

海斗の切れ長のグリーンの瞳が大きく開いた。

「……マジ?」

「うん」

「……なぁ」

「なに?」

「お前、神宮先輩に何したんだ?」

「はぁ?別に何もしてないし」

「じゃあ、なんで神宮先輩変わったんだよ?」

「そんなこと私に聞かれても分かんないし!!」

私がそう言った時、店の外から車のクラクションが鳴り響いた。

店内にいた人達の視線が外に向けられる。

そこに止まっていたのは白のベンツ。

「……蓮さんだ!!バイバイ、海斗!!」

私は蓮さんの元に駆け寄ろうとした。

……でも、腕を捕まれた。

……海斗に……。

「なに?」

「明日学校来るよな?」

「……?うん」

私が答えると海斗は微笑んだ。

初めて見る優しい笑顔で……。

「じゃあな」

そう言って海斗は掴んでいた私の腕を離した。

私は、もう一度「バイバイ」と言って海斗と別れた。

自動扉が開く時間が長く感じる。

『ありがとうございました!!』と言う声に見送られて外に出ると車に寄り掛かってタバコに火を点ける蓮さんに駆け寄った。

「蓮さん!!」

私は蓮さんの胸に飛び込んだ。

「うぉっ!アブねぇ!!」

頭の上で蓮さんの焦った声が聞こえる。

私は蓮さんの胸に頬を寄せて鼓動を聞いていた。

そんな私の頭を優しく撫でてくれる大きな手。

身体をスッポリと包んでくれる長い腕。

甘く優しい妖艶な香り。

その全てを私は全身で感じていた。

「おかえり、美桜」

「ただいま、蓮さん」

なにげなく交わされた会話。

誰かに『おかえり』と言われたのも、誰かに『ただいま』と言ったのも久し振りだ。

この言葉で心がこんなに温かくなったのは、初めてだった。

「美桜、誰だ?あの、銀髪」

顔を胸から離し上を見上げた。

蓮さんの視線は、ハンバーガー屋さんの店内に向けられていた。

そこにいる銀髪って言ったら……。

「……海斗? 」

そう言った瞬間蓮さんの視線が私に向いた。

眉間に寄った深い皺。

……。

……あ……あれ?

蓮さん?

ものすごく顔が怖いんですけど……。

「海斗?なんで、お前アイツの事名前で呼んでんだ?」


「……?だって苗字知らないし」

「あ?」

「麗奈が海斗って呼んでたから私もそう呼んでるの」

「麗奈?」

少しだけ表情が和らいだ蓮さん。

「そう。これを頭に着けてる女の子」

私はそう言って手首に着けている向日葵のゴムを見せた。

蓮さんの漆黒の瞳が丸くなった。

「本当にこんなにでかい花を頭に着けてんのか?」

「うん。しかも2輪も……」

「……ぷっ!!」

蓮さんが吹き出した。

「麗奈に私もこれを頭に着けられの。でも、向日葵って感じじゃないんだって」


「そうだな」

蓮さんが優しく穏やかな瞳で私を見つめる。

「その子と友達になったのか?」

友達?

麗奈は友達なのかな?

「分かんない。でも、今日ずっと傍にいてくれたの。それから、『お昼ご飯一緒に食べよう』って誘ってくれたの」


「そうか、良かったな」

「うん」

蓮さんは、嬉しそうに私の顔を見つめていた。

「どこか行くか?それとも帰るか?」

私の顔を覗き込む蓮さん。

「どこか行きたい」

「分かった」

蓮さんが助手席のドアを開けてくれた。

私がシートに座った時、蓮さんが、ハンバーガーショップの店内に視線を向けた。

細められた瞳は、冷たく威圧的だった。

その視線の先の海斗もこちらを見つめていた。

海斗はダルそうに壁に寄り掛かって立っていた。

でも、その視線はまっすぐにこっちを向いている。

「蓮さん?」

視線を私に向ける蓮さん。

「行こう?」

「あぁ」

蓮さんがドアを閉めてくれる。

真っ黒のスモークが張ってある窓ガラスの所為で外の様子が見えにくい。

でも蓮さんが車の外で、海斗の方を見つめているのが分かった。

海斗も蓮さんを見ている。

私はその光景に嫌な予感を感じた。

蘇る記憶。

海に行った時、私の腕を掴んでいた男……。

蓮さんはその男を許さなかった。

多分、さっき海斗が私の腕を掴んでいたのを蓮さんは見ていたはず……。

私は、ドアを開けようと手を伸ばした。

その時、海斗が蓮さんに向かって小さく頭を下げた。

それを見た蓮さんは海斗に背を向けて運転席側に廻った。

運転席のシートに腰を下ろした蓮さんの表情はいつもと同じで優しく穏やかだった。

それから、私達は一旦マンションに帰って着替えた。

制服から私服に着替えてリビングに行くとスーツから普段着に着替えた蓮さんがいた。

スーツ姿もカッコイイけどこっちの方が見慣れててなんだか安心する。

エレベーターの中で、蓮さんが『繁華街で遊ぶか、ドライブに行くか選べ』って言ったから『ドライブに行きたい』って言った。

『分かった』

蓮さんは優しく微笑んだ。

いつ乗っても快適な蓮さんの車。

その車内で私は学校での出来事を話していた。

前を見て運転しながら時折、私に視線を向ける蓮さん。

ハンドルを持つ手と反対の手は私の手を包み込んでいる。

学校での出来事の大半を占めるのは麗奈の話題だった。

蓮さんは、麗奈のキャラがツボにハマったみたいでずっと楽しそうに笑っていた。


「そう言えば、今日ケンさんのチームのイベントか何かあった?」

「ん?なんも聞いてねぇけど。なんでだ?」

「繁華街にケンさんのチームの男の子みたいな人がたくさんいたの」

あえて私は“ガラの悪い”という言葉を使わなかった。

「見たことあるヤツか?」

「ううん」

私が首を横に振ると蓮さんは何かを考えているようだった。

「なぁ、それって『ガラの悪いヤツがたくさんいた』って事か?」

……。

せっかく私が言葉を濁したのに……。

「……うん。でも、見たことない人ばかりだったからケンさんのチームの人じゃないよね?」

「いや……多分、ケンのチームの奴らだろ」

「……は?だって、まだ昼間だよ?ケンさんのチームの男の子達はまだ寝てるでしょ?」

蓮さんが鼻で笑った。

「繁華街はケンのチームの本拠地だ。24時間見張ってるんだ」

「見張ってる?」

「あぁ。今はケンのチームが繁華街を占めてるけど、それを狙ってるチームもある。そいつらが勝手なことしねぇように見廻りをする奴らがいるんだ」

「そうなんだ。でも、いつもはあんなにいっぱいいないよ?」

「そうだろうな」

蓮さんが意味ありげに笑った。

「……?」

「今日は、お前が繁華街にいたからだ」

「へ?」

「忘れたのか?“伝達”が出てるんだ。お前の安全を守る義務がある」

「……ねぇ。それって葵さんやアユちゃん達もなの?」

「あぁ。“伝達”が出ている女は全員だ。ケンやヒカルが一緒の時以外は必ず警護がつく」

そうなんだ……。

知らなかった。

「今度、葵さんとアユちゃんと『3人でご飯食べよう』って約束してるんだけど……」

「そりゃ大変だな。繁華街がガラの悪いヤツでいっぱいになる」

蓮さんは、楽しそうに笑った。

……ヤバイ……。

そんな事になったら落ち着いて食事なんてできない……。

私だけの時でもあれだけ多かったのに、葵さんやアユちゃんが一緒だったら本当に大変な事になってしまう。

私は、大きな溜息を吐いた。

……ん?

ちょっと待って……。

繁華街がケンさんのチームの本拠地だから私がいるのがバレたんだよね?

……って事は。

繁華街以外の所で葵さんやアユちゃんと食事すればいいんじゃない?

そうだ!!

それだったら大丈夫な気がする!!

「何、一人で百面相してんだ?」

信号で止まった蓮さんが横目で私を見ていた。

「ねぇ、だったら繁華街以外で食事すれば大事にはならないんだよね?」

私の名案を蓮さんは鼻で笑った……。

「ここから日帰りで行ける場所はケンのチームが占めてんの忘れたのか?」

「……」

そう言えば、ケンさんが『近隣の県まで勢力をのばしてる』って言ってた。

この前の海の事件の後処理もあの海の付近を占めてるケンさんのチームの人たちがやってくれたってアユちゃんが言ってたし……。

「葵やアユと旅行にでも行くつもりか?」

「旅行?」

瞳を輝かせた私に蓮さんは盛大な溜息を吐いた。

「そんな事、俺やケンが許すはずねぇだろ」

「……はい」

……そうだよね……。

名案だと思ったんだけどな。

「そんなに3人で食事がしてぇなら家に呼べよ。ホテルからコック呼んでやるから」

肩を落とした私に蓮さんが提案してくれた。

私が、全く考え付かないような提案。

「そ……そんな事出来るの?」

「あぁ。葵やアユと日にちだけ決めとけ」

「……うん」

信号が青に変わって車が軽快に動き始めた。

窓の外ではアスファルトが太陽の光を反射してキラキラと輝いていた。

目の前の車を器用に避けながら追い越していく蓮さんの車。

私はその光景をボンヤリと見ていた。

クーラーが効いた車内で隣にい

る蓮さんの温もりを感じながら……。





深愛~美桜と蓮の物語~Ⅱ【完】

深愛~美桜と蓮の物語~Ⅲに続きます。

この後の番外編もよろしくお願いします。

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