これを優しさと呼ばないのなら過ちでもいい

三葉さけ

これを優しさと呼ばないのなら過ちでもいい


「俺ァ、あえて憎まれ役やってんのよぉ? 、だって」


男は酒をあおり、ニヤニヤ笑った。


「社会はキビシーんだって、教えてやんなきゃだろぉ? 女が甘やかしてっからよぉ、俺がぁ、いねぇ父親の代わりに教えてやってるわけだ」


だいぶ酔っ払っている男は、グラスを持った手の人差し指で私を指差した。ドロリと濁った目が嫌悪感をわき起こさせる。いや、目だけじゃない。男の話自体が胸を悪くさせる。嫌な席についてしまった。


満席になった狭苦しい立吞み居酒屋で隣の男のグラスを倒した。弁償した酒を、男は『悪いねぇ』と愛想よく笑って調子良く飲み干し、それからだ。馴れ馴れしく話しかけてきたと思ったら、聞きたくもない私生活まで喋り出す。

子供がいる女性と同棲しているが、その子供に手を焼いている。躾するにはうんぬんと、酷い話を得意気に話された。

頼んだつまみが勿体ないからと、席を離れなかったことが悔やまれる。


「俺の優しさなんだって。わかるかぁ? 知らねぇ男のガキをよぉ、躾してやってんだぜぇ? やられて悔しくて伸びる、ってのあんだろ? アレ、あー、ハンコーセイシン?」

「……反骨精神?」

「そうそう、それそれ。だからまぁ、せいぜい殴ってやんだって。俺もそうやって育って、今じゃそれなりだしよぉ」

「昔と今じゃ違いますからね。……今は、そういったことは、歓迎されませんから」


男は俯いてドンっと、テーブルを拳で叩いた。周りが静まり、視線が突き刺さる。

あまりにも酷い話を聞き流せず、つい口出しをしてしまったのを後悔した。逆上されたら……、と脇が湿る。


「っとに、そうなんだよなぁ」

「……はい」


男の同意に、内心で胸をなでおろした。

我々がケンカしているわけじゃないとわかったのか、好奇の目が離れて喧騒に戻っていく。


「今じゃ甘やかしてばっかだろぉ? なぁ~にが話せばわかる、だ。話なんか聞かねぇから殴んだろうが」


グラスの底に残った最後の一口を飲み干し、テーブルの上へ勢い良く置いた。


「っとに、俺が間違ってるとかよぉ、クソが……っち」


憎々し気に舌打ち、目をつぶってため息をついた。二度三度、息を吐き、いきなり頭がガクリと揺れて驚いたら、自分でも驚いたのか目を瞬いた。


ひゃっ、と他意なく笑った顔は以外にも人懐っこそうだった。


「あぶねぇなぁ。酔ったみてぇだ。あー、……まぁ、間違いでもいいやなぁ、優しさなんだから。くっくっく」

「……間違いだと思ってるなら」

「いやいや、いいんだって、これで。ガキの躾なんて疲れることしてんだから、ちょっとした楽しみも必要だろ?」

「え?」

「くっ、ヒヒ、あのガキ」


こらえられなかったように、手で口を覆って笑う。


「……いやいや、まあ、いいってことよ。あー帰って寝るか。じゃあ」

「ええ」


体を揺らしながら男は店を出ていく。

照明の陰になっていた男の顔、その昏い笑いがビールの苦みとともにいつまでも口に残った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

これを優しさと呼ばないのなら過ちでもいい 三葉さけ @zounoiru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ