第18話『誰にも負けたくないと思える何か(クロネ視点)』


 ――クロネ視点



「ただのスピード馬鹿ですよ。これだけは誰にも負けたくないとスピードに全振りした馬鹿です」


 自分の事をそう評したビストロ君。


 ビストロ君のヘイストは正直言って非常識です。

 補助魔法についてはクロネも詳しい方だと思いますが、ヘイストはこんなにハッキリ分かるほど加速するじゃなかったはずです。


 補助魔法は目に見える効果のない地味な魔法。

 学ぶだけ無駄で、使いどころなんてほとんどない魔法。


 それが一般的な考えです。



 それなのに。

 ビストロ君はそんな補助魔法であるヘイストをここまで進化させた。


 無論、ビストロ君だけが特別なのかもしれません。

 異常な才能を持った彼だからこそ、ビストロ君のヘイストはここまで効果を発揮しているのかもしれません。


 でも……きっとそれだけじゃありません。


 ビストロ君はなぜかスピードに対して異常な執着を見せます。

 

 スピードに関しては誰にも負けたくない。

 そんな彼の想いこそが彼のヘイストをここまで進化させたのだとクロネは思いました。




「これだけは誰にも負けたくないと思える何か――」



 そんな何かがビストロ君にはあるから。

 誰にも負けないスピードという誇れるものがあるから。


 だからこそ、ビストロ君はいつも堂々としていたんだなと今更ながらにクロネは理解します。




「これだけは誰にも負けたくないと思える何か――」



 対するクロネはどうでしょうか。

 やらなきゃいけない事はたくさんあります。


 強くならなきゃいけない。

 アリィお姉ちゃんを助けなきゃいけない。

 兄さまに勝たなきゃいけない。

 


 挙げていけばキリがありません。


 けれど。

 それを為そうとしてる自分の事をクロネは想像したことがあったでしょうか?



 クロネは弱虫で、逃げてばかりの臆病者。


 そんな自分が嫌で、否定したくて。


 だからこそそんな自分を捨てて強くなろうとしていました。





「ああ、そっか――」



 そこまで考えた所で、クロネは気付いてしまいます。


 ――ない。


 誇れるような何かも、誰にも負けたくないと思うような何かもクロネは持っていませんでした。

 やっぱりクロネはただ逃げていただけ。


 弱くて臆病な自分。

 そんなありのままの自分を見るのが嫌で、だからそんな自分を捨てて新しい自分になろうと努力していた。


 そのつもりでした。

 けど――それは本当の自分からの逃避に過ぎません。


 自分に劣等感しか抱いていないクロネが強くなりたいなんて……ビストロ君を見ていたらちゃんちゃらおかしく思えてしまいました。


 だから――



「ビストロ君。クロネにかけたヘイストを解いてください」


「……へ? えっと……いいんですか?」


「大丈夫です。クロネは自分の……本当の自分のまま兄さまと向き合いたいんです」



 ビストロ君の力を借りたこの状態なら格上のお兄さまにだって勝てるかもしれない。

 でも、それじゃダメだと思いました。


 この瞬間。

 兄さまとの決着をつける場面でビストロ君の力に頼ってしまったら。

 きっとクロネは二度と自分の足で立ち上がれなくなる。


 そんな確信にも似た予感があったんです。



「――分かりました」



 ビストロ君がそう告げると共に、目の前でゆっくり動いていた兄さまの動きが普通の物に戻ります。


 それを確認したクロネは腰に刺していた木剣を構え。


「――決着を着けましょう。兄さま」


 そう告げるのでした――





★ ★ ★






「決着をつけるだぁ?」


 ビストロ君のヘイストがなくなったことで、今まで意味不明だった兄さまの言葉がようやく聞き取れるようになりました。

 そんな兄さまの声を聞くだけでクロネの身体はビクリと震えてしまう。



「ふざけんな……ふっざけんなよっ! これでお前が俺に勝ったとしても俺は認めてやらねえぞっ。全部そいつの……化け物野郎のおかげじゃねぇか!! そいつさえ居なけりゃお前なんかに俺が負ける訳ねぇんだよっ。親父やお袋だって認めるもんか」



 クロネの後ろに居るビストロ君を指さして、兄さまが吠えます。

 確かに、兄さまの言う通りです。


 けど――



「安心してください。兄さまとの決着、ビストロ君には手を出させません。補助魔法のヘイストも解いてもらいました」


「………………はぁ?」



 心底訳が分からないといった表情をする兄さま。

 しかし、クロネの言った事を理解するとその表情を一変させた。


「は。はは。ハハハハハハハハ。ハハッ。ハハハハハハハハハハハハハハ――ッ! なんだ? なんだそれは? つまりはこういう事か? そこの化け物の力も借りず、お前だけの力でこの俺に立ち向かうと。勝って全てを清算しようと。つまりはそういう事か?」


「はい」


「ククククククク。これはこれは……なんとも舐められたものだなぁおい! 今まで一度も俺に勝ったことがないお前が俺に勝てると本気で思っているのか?」


「勝てる勝てないじゃありません。クロネは今までの自分を受け入れて新しい自分を始めたいだけです。逃げるんじゃなくて、受け入れて進みたい。その為にクロネは本当のクロネになって、兄さまに立ち向かわなきゃいけないんです」



 ここで兄さまから逃げたら、どっちにしろクロネは変われません。そんな予感がします。

 だから変わるなら――今。


 この機を逃したらクロネは兄さまからも自分からもずっと目を背けたままでいる気がします。

 だから――勝てるか勝てないかなんて関係なく、立ち向かわなきゃいけないんです。


「ハッ――。何を言いだすかと思えば精神論とは。そんな心の持ちようだけで強くなれるほど現実はあまくねぇんだよぉっ!!」



 兄さまが木剣を振り上げます。

 それに対しクロネは――

 


「――プロテス」



 クロネは唯一使える魔法である『プロテス』を使いました。


 補助魔法『プロテス』。


 それは対象の硬度を上げるという魔法です。

 単純に言えば、防御力が少し上がるだけの魔法。


 小さいころから臆病で弱虫だったクロネは誰かに傷つけられる事が心底怖かった。

 だから、真っ先に身を守るこの魔法を覚えてしまったんです。


 怖い時、痛いときはいつもこのプロテスを使っていたのでいつの間にか無詠唱で使えるようになってしまいました。


 この魔法はクロネが弱くて臆病だという証。

 怖くて殻に閉じこもっていたクロネを象徴するような魔法。


 だから――


 これだけは誰にも負けたくないと思える何か。

 そんな物がクロネにあるのだとしたら――これしかありません!



「イヤァァァァァァァァァッ!!」



 迫る兄さまが怖い。

 怖いからつい防御の構えを取ってしまいそうになる。


 だけど、今日のクロネはいつもと違います。



 迫る恐怖に耐えながら、防御なんてかなぐり捨てて兄さまと同じ剣を繰り出します。


 結果――



「なん――ぐっ――」


「くぅっ――」


 クロネの木剣は兄さまの肩を強打し、逆に兄さまの木剣はクロネの脳天へと直撃しました。

 力も技術もスピードも兄さまの方が上。


 だから、この勝負は兄さまの勝ち。この光景を見れば誰もがそう思うでしょう。


 けれど――




「痛く……ありませんっ!!」


「こんの……なんなんだよお前までぇ!!」



 ひたすら防御を捨ててクロネは攻撃に専念します。

 そんなクロネに対して、兄さまは困惑している様子です。


 ですけど、それも無理はないでしょう。

 なにせ、クロネはこんな戦い方なんてした事がありません。

 それも当然でしょう。

 これは誰に教わった訳でもない。たった今思いついただけの戦闘スタイル。


 プロテスを使ったうえで防御に徹し、相手の隙を突いてゆくのがクロネの今までの戦い方でした。

 けれど、今のクロネは違います。


 相手の隙なんて関係ない。防御なんてしない。

 相手が攻撃してこようがなんだろうがただただ剣を振るうのみ。


 前に――前に――ひたすら前に――


「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」



 クロネは痛いのが嫌です。

 だって、痛いのは怖いから。


 けど、だからって逃げてばかりになるのはもう嫌です。

 諦めるのはもっともっと嫌。

 


 だから――



「硬く。何よりも硬く。誰よりも硬く。傷つかなくてもいい。逃げなくてもいい。諦めなくてもいい。それだけの硬さを……クロネにっ!」



 これだけは誰にも負けたくないと思える何か――



 そんなもの、クロネにはありませんでした。


 それでも。


 それでもあえて何かあるとすれば。


 臆病で弱虫だったクロネを象徴しているようで今まで好きになれなかったこのプロテスの魔法。

 この魔法を誇れるようになりたい。



「クッソが。この……出来損ないの愚妹がぁぁぁぁっ!!」



 防御される。防御される。防御される。


 クロネが繰り出す剣戟は全て兄さまに受けきられ、逆に手痛い反撃を喰らってしまう。

 


「くぅっ――」



 ――痛い。

 プロテスのおかげで致命打になるものは受けていないものの、それでも痛いものは痛い。

 対するクロネの剣は最初の一撃を除いて全てさばかれています。

 このままの状態が続けば間違いなくクロネは敗北するでしょう。


 それなら、もう諦めて膝をついたほうがいいのかもしれません。

 それが賢い選択。

 痛いのは嫌。苦しいのも嫌。頑張っても無駄。


 それなら諦めた方が痛くないし、苦しくない。

 諦めれば楽になれる。



「それ……でもぉっ!!」





 クロネは諦めません。

 もう逃げない。逃げたくない。


 そう思ったから、クロネは逃げたりなんて絶対しません。



「まだ……まだぁぁぁぁぁぁぁっっ!」



 ビストロ君のように。

 誰にも負けないスピードに誇りを持ち、だからこそ堂々としていたビストロ君のように。

 あんな風に自分を誇れたら素敵だと、そうクロネは思うから。



 クロネは自身を更に硬く、硬くなるようプロテスを自分に向けて全力でかけ続けます。

 この力を好きになれるように。今までの自分を支えてきたこの魔法に全てをかける。



「もっと……もっともっともっともっともっとっ!!」



 まだだ。


 クロネの攻撃が届かないのは兄さまの攻撃に対して身構えてしまうからだ。

 殴られるのは痛いから。


 その痛さを良く知っているからこそ、クロネは攻撃に全振りしているつもりでもいくつか兄さまの振るう木剣を受け止めようとしてしまっている。


 もっとなりふり構わずにいられるように。

 クロネはもっと自分自身の事を信じるべきなんです。


 どんな攻撃もクロネにとっては致命打に成り得ないと。

 クロネは誰よりも硬いと。

 だから前にのみ突き進めばいい。そう信じればいいんです。


 そしてもっと硬く。

 どんな攻撃すらも通さない硬さを。

 今までのクロネが積み上げてきた集大成をここで示せばいい。

 

 


 防御は捨てる。

 ただ一撃。あともう一撃。

 それまでに何度兄さまの剣を受けてもいい。



 だから――


 今、この瞬間だけでいい。


 だからどうか――届いて!!



 そう願いながら、クロネは木剣を振るいます。

 


 そして――



 バキッ――



「んなっ――」



 クロネの木剣での一撃を兄さまがいなします。

 だけど、その木剣が負荷に耐えかねたのか根本から折れました。


 勝機は――今っ!!



「これで――――――おわりですっ!!」



「まっ――」



 手を前に出しながら後ずさる兄さま。

 当然、この好機を逃せるはずがありません。


 クロネは木剣を失った兄さまに向けて。


 全力で木剣を振るいました――


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