第2話 城北大学キャンパスで、女子大生が転落死!

 法律研究部の自主ゼミが開催された日の夜。

 豊島としま警察署刑事課第一係長の竹内たけうち和夫かずおは、墜落現場の11号館のドライエリアに横たわる女子大生と思われる遺体を検分していた。

 11号館は、南側キャンパス、南正門から100メートルほど中に入ったところにある。鉄筋コンクリート造り地上5階地下1階建て。地下にも明かりがとりこめるように、建物に沿って幅5メートルほどが掘り下げられ、その掘られたドライエリアが転落現場だった。下から見あげると、実質6階建ての校舎が、目の前にそびえている。


 ドライエリアには、カフェテラス風のプラスティック製の丸いテーブルが、4脚の椅子とセットで置かれ、校舎に沿って6つ並べられてある。そのちょうど真ん中、3つ目と4つ目の間に女子大生が倒れていた。

 女子大生は、薄いピンクのカーデガンの上に黒のダウンジャケット、下はジーンズというスタイル。白いスニーカーを履き、肩にはポシェットのようなものをかけていた。髪はショートカットで、ひと目見ただけで、20歳前後と思われた。


 遺体は、ほぼ即死状態。死後あまり時間が経っていないのか、まだ身体からだはいくぶん温かい。頭が歪み、形が崩れていたので、死因は、おそらく脳挫傷であろうと推測される。頭の周辺には、流れ出た血液で小さな水溜りができている。

 11号館の入口付近に、出動を要請された救急隊が待機していたので、竹内は、顔馴染かおなじみの救急隊員に地下のドライエリアから声をかけた。

ほとけさんは、こっちで引き受けるから、そっちは、引けあげてもらっても構わないよ」

 竹内のひと言で,ふたりの救急隊員は、いそいそと救急車に乗りこみ、赤色灯を灯したまま、サイレンを鳴らさず引きあげていった。


「係長!」背後から声をかけられたので、竹内が振り返ると、竹内の部下である田中たなか好雄よしおが、第一発見者である警備員を現場に連れてきていた。

「こちらが、第一発見者の今村いまむらさんです。この大学の警備員です」田中が竹内に紹介した。

 40歳半ばの中肉中背の警備員の話によると、夕方の定期巡回中にドライエリアに倒れている女子大生を発見し、ただちに地下に降りて状況を確認したところ、すでに死亡していると思われたが、念のために救急と警察の両方に連絡を入れたという。


「発見したときは、すでに亡くなっていたんですね?」竹内は、確認するように尋ねた。

「ええ、もう亡くなっていました。念のために脈をとってみましたが、ありませんでしたから……」

「発見した時刻は?」

「6時35分です」

「間違いありませんか?」

「自分の時計で確認しました」

 長年この大学の警備員として勤務しているようで、警備員は、テキパキと竹内の質問に答えた。


 そのとき、「竹さーん!」という声が建物の上層からした。

 竹内が見あげると、鑑識課主任の佐藤さとう春樹はるきが、懐中電灯を振りまわしていた。

「ここから落っこったようだ!」佐藤が、15メートルほど上空から声をはりあげた。

 佐藤は、竹内より2歳年上で、入庁も2年先輩。職位は、竹内が警部補に昇進しているが、佐藤は巡査部長のままである。鑑識現場一筋に20年、鑑識のプロとして、例え上司に対してでも、自分の信念を曲げない強い意志の持ち主。その分昇進は遅れているが、本人は気にもしていない。

 竹内が2年前豊島警察署に赴任して以来、同じ署内で仕事をするようになり、気があうことから、ときどき仕事帰りに夜の酒場で酒を酌み交わしている。


 竹内が警備員を連れて11号館の入口から中に入ると、右脇にエレベーターが1機。それで5階にあがり、廊下を進み、突きあたりの階段をさらにのぼりきったところに、スチール製の扉。『立入禁止』のステッカーが貼られていた。

「この屋上、立入禁止なの?」竹内が警備員に尋ねた。

「そうです。3年前から立入禁止になりました」

「屋上には、ここからしかいけないんだね」

「ここだけです。廊下の反対側に非常階段がありますが、それでは、屋上にはあがれません。エレベーターも5階までです」


 スチール製の扉を開け、屋上に出ると、思いのほか明るい。四隅に外灯が設置されているのだ。中央に3人がけのベンチが6脚、囲むように配置されている。

「竹さん、こっち!」鑑識の佐藤が竹内を手で招くので、竹内が歩み寄った。

「ここからだよ!」佐藤が指さした鉄柵は、泥とほこりで汚れていたが、数箇所汚れががれたあとがあった。屋上の周囲は、高さ1メートルほどの鉄柵がはり巡らされている。

「なにか、遺留品は出たの?」竹内が尋ねた。

被害者ガイシャがもっていたと思われるブックケースがひとつだけ。それ以外は、まだなにも……。これから念入りに調べてみるよ」


 警備員がひとりとり残されたように扉の前に突っ立っていたので、竹内が戻って、質問を続けた。

「ここは普段、立入禁止になってるんですよね」

「そうですが……」

「これは?」竹内がベンチを指さした。

「立入禁止になる前は、この屋上が学生たちの喫煙場所を兼ねた憩いの場所だったんです。灰皿は片づけられたのですが、ベンチはそのまま残されているようです」

「この電灯、いつもつけてるの? ビヤガーデン並みの明るさだね」竹内がまぶしさに目を細めながら尋ねた。

「いえ、立入禁止なので、普段は、つけることはありません」


「ところで、なんで立入禁止にしたの?」

「それは、大学の人に聴いてもらった方がいいのですが……」警備員は、少し答えるのを躊躇ためらったが、意を決して話し始めた。

「実は、3年前、この校舎ではないのですが、学生が飛び降り自殺を図るという事件が起きました。校舎の屋上から柵を乗り越えて飛び降りたんです。2年生の女子学生で、即死でした。それ以降、大学当局は、すべての校舎の屋上を立入禁止にしたようです」

「その事件なら、俺も覚えているよ。確か、道路の向こう側の校舎だったよなぁ」鉄柵の指紋を採取していた佐藤が顔をあげ、北側の校舎を指さした。

「そうです。北側キャンパスの4号館です」

「そうすると、今じゃ、学生はここには入れないんだね」

「いえ……」と、言葉を濁した警備員は、扉の反対側に竹内を案内した。


「この扉は、防犯上外部からの侵入を防ぐため、内側から鍵がかかるようになってます。万一火災などが発生したとき、鍵を開ければ、屋上に避難することもできますので……。

 普段は施錠された状態ですが、勝手に鍵を開けられても困りますので、簡単に開錠できないようプラスティックの丸いカバーがめられています」

「ということは、そのカバーを外して鍵を開ければ、誰でも入れるんだ」

「そういうことになります」警備員は頷いた。


「ちょっと、電灯を消してくれないか」竹内が警備員に指示した。

 警備員が扉の横にあるスイッチをきると、一瞬真っ暗になったが、しばらくすると、ほのかに明るくなってくる。

 向かいの校舎の灯りが反射して屋上全体を照らし、表情までは伺えないが、人がいるかどうかを判別できる程度に明るい。

「電灯がなくても、けっこう明るいんだ」

「向かいの10号館が8階建ての研究棟で、夜遅くまで研究している教員や大学院生が多いんです。10号館の上層階の部屋に電灯がついていると、それに照らされて、ここが明るくなるんです」


 竹内と佐藤が階下に降りると、田中が待ち構えていた。

「係長、被害者ガイシャの身元がわかりました」

 死亡した女子大生が所持していた学生証から、城北大学法学部1年の岡本おかもと真里菜まりな、18歳であることが判明。直ちに家族に連絡し、身元確認のため呼び寄せていることが報告された。

 鑑識の佐藤によると、死後約1時間。死因は、転落による脳挫傷ではないかと推測された。事件性があるため、このあと司法解剖にまわすことになった。


「やっぱり自殺ですかね」田中が竹内の同意を求めるように呟いたが、竹内は答えず、隣にいた佐藤に尋ねた。

「主任、この事件ヤマ、どう思います?」

「どうって、立入禁止の場所だけに、事故っていうのはありえんなぁ。そうなると、自殺か、殺しか、どっちかだ。まぁ、結論を急ぐこともないだろう」

 佐藤がいうのももっともだが、多くの事件を抱えている課の実情からすると、早く結論づけたい田中の気もちも理解できる。竹内は、なにもいわなかったが、田中と同様、できれば自殺であってほしいと願う気持ちが強かった。


 最近、若者の自殺が急増している。

 豊島警察署管内においても、この1年で3件の自殺事件が起こっている。いずれも10代から20代の若者。なぜ、そんなに死に急ぐのか、竹内たちには、理解しがたいことが多く、どの事件も明白な自殺理由が見あたらなかった。



 竹内と田中は、被害者の詳しい事情を聴取するため事件現場から離れ、北側キャンパスの3号館に向かった。

 2階の会議室に入ると、50歳半ばに見える痩身そうしんで額が禿げあがった男性と40歳ぐらいの小柄で眼鏡をかけた女性が、20人ほどが囲める会議テーブルの端に座っていた。

 竹内と田中が近づくと、ふたりは立ちあがった。

「学生課長の塚田つかだと申します」

「塚田の下で係長をしてます市川いちかわです」

 ふたりは、相次いで自己紹介した。


「豊島警察署の竹内です。被害者のご家族とは連絡がとれましたか?」

「はい。自営業なので、家におられました。お父さんに事故の概要を話し、すぐにこちらにきてほしいと、お願いしました」女性の方が答えた。

「これが岡本真里菜の学籍原簿の写しと、時間割表です」課長の塚田が、A4版のコピー用紙を提示して説明を始めた。

「岡本の住所は、江東区の東陽町です。実家で両親と同居。父親は、自宅でクリーニング店を経営しているようです。地元の汐見しおみ高校の出身で、この4月に本学の法学部に入学したばかりの1年生です」


「これは?」竹内が時間割表を指さした。

「岡本の時間割表です。大学の場合、履修登録という制度があり、時限を指定される必修科目以外は、好きな授業を選んで登録し、自分で独自の時間割をつくります。これは、この4月に岡本自身が登録した時間割です」

「今日は火曜日ですから、岡本さんは、1時間目にフランス語、2時間目にキリスト教倫理学、3時間目に民法総則を受けたということですね」

「そうです。出席していれば、の話ですが……」

「出ていたかどうか、わかりますか?」

「担当の教員に聞いてみます。すべての授業で出欠をとるとは限りませんが、最近では、とる授業が多くなっていますので……」


「3時間目は、何時に終わるのですか?」田中が質問した。これには、女性の係長が答えた。

「本学の場合、授業は90分で行ってます。1時限は9時から10時30分まで。10分の休憩を挟んで、2時限は10時40分から12時10分までです。午後は、1時より3時限が始まりますので、それが終わるのは、2時30分です」

「4時間目以降が、この時間割表に記載されていないということは、岡本さんは、4時間目以降の授業がないということですよね」田中が確認するように尋ねた。

「そうです」係長が即答した。

「このあと、岡本さんは、なにをしてたのですか?」

「それは、一概いちがいにはいえませんが、通常は、部活やサークル活動を行うのが一般的で、中にはアルバイトをする者もいるようです」


 まだ質問を続けようとする田中を遮って、竹内が課長の方を向いていった。

「亡くなられた岡本真里菜さんの今日の様子を知りたいのですが……。彼女をよく知る先生や学生さんに会わせていただけますか?」

「はい。ただ今日はもうこんな時間ですので、大半の教員や学生は、すでに帰宅してると思います。明日の午前中に手配するようにします」課長が答えた。

 竹内が腕時計で時間を確認すると、8時をすぎていた。

「けっこうです。明日9時にこちらにくるようにしますので、この会議室でも構いませんが、話を聴ける場所を用意しておいてください」

 そのあと、現場となった11号館の屋上が立入禁止になった事情を聴取し、竹内と田中は、会議室を退去した。



 竹内たちが豊島警察署に戻ったのは10時すぎ。刑事課の部屋に入ると、刑事課長の石田いしだ鉄夫てつおは、まだ席に残っていた。

 3日前、池袋の繁華街で暴力団同士の抗争が起こり、団員ふたりが射殺されるという事件が発生し、署内にその捜査本部が設置されていた。所轄署の刑事課長である石田は、その対応に忙殺されていた。

 石田は、1年前警部に昇進したのと同時に、豊島警察署の刑事課長に就任した。齢は竹内より7歳上。竹内がまだ駆け出しだった頃、指導してもらったことがあり、互いに気心は知れている。叩きあげの刑事で、現場の捜査指揮には定評があるが、どうも管理職に向いていないようで、課長職は荷が重いように竹内は感じていた。


 その石田が、読んでいた書類から目を離し、竹内に尋ねた。

「どうだった? やっぱり自殺か?」

「いえ、まだなんともいえないです。今のところは、鑑識と解剖の結果待ちです……」

「竹さん、あんたの感触は?」

「たぶん、自殺ではないかと……」

「そうか、わかった」と、石田は小さく呟きながら、「そっちは、任せるから、結論が出たら、すぐにしらせてくれ!」といって、見ていた書類を机の中に仕舞いこみ、足早に部屋を出て行こうとした。


「課長、本部の方で、なにかあったんですか? 騒がしいようですが……」竹内が背中を見せた石田を呼びとめた。

 振り返った石田は、「さっき、山城組のチンピラがひとり、拳銃ハジキをもって出頭してきたんだ。今、その裏をとってる」

「これで、一件落着じゃないですか?」

「こっちは、そう願いたいが、身代りかもしれんと、本庁のお偉いさんたちは、やけに慎重なんだ」

「課長も大変ですね」

「まったくだ。本庁のお偉いさんに振りまわされるような仕事は、俺には向いていないのかもしれんなぁ」

「そういわずに、がんばってくださいよ」

 竹内に励まされた石田は、きびすを返して部屋から出て行った。おそらく捜査本部が置かれている3階の会議室に向かったのだろう。

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