ソラを知らない子供たち

ハルマサ

第1話 ソラを知らない子供たち

 外の世界で人間が生活をやめてから暫く。人々は地下での生活に慣れ始め、ついには外を知るものはこの世界からいなくなった。

 そんな世界で、俺は仕事に勤しんでいる。それ以外にやることがないからだ。

 地下での仕事はもっぱら採掘で、ピッケルを一日中振り続ける毎日だ。


「ねぇルイ、知ってる?」


 俺と一緒に採掘をしているシフが尋ねてくる。彼女は俺と同じ十三歳で、今年から俺と共にこの炭鉱の採掘を任されることになった。


「……何?」


 俺はピッケルを振りながら返事をする。

 壁からごとりと落ちた岩を拾いながらシフが言う。


「外の世界には『ソラ』ってのがあるらしいよ」

「ソラ? なんだよそれ。食べ物?」


 俺が尋ねると、彼女は首を傾げる。


「私もよくは知らないの。隣の炭鉱の子が言うにはソラってのはとっても大きなものらしいよ」

「ふーん。大きいって……例えば俺らの村よりも?」


 俺の住む村は子供の足で歩けば端から端まで二週間もかかるほどの大きさがある。

 恐らく地下世界の中でも一、二を争う大きさだって爺ちゃんが言ってたのを覚えている。

 俺が尋ねると、シフは仕事の手を止めて両手を横に広げた。


「そりゃあもう! ソラってのはこの地下世界を包めちゃうほど大きいんだって」

「おい、仕事しろよ。管理人に怒られるぞ」

「あちゃちゃ」


 シフは慌てたように後ろを振り向くと、誰もいないことを確認して、その場に座り込んだ。


「おい……!」

「ちょっとキューケー。……それよりソラの事だよ。どんなものなんだろうね」

「どうでもいいけどよ、親方に怒られるときは一人で怒られてくれよ。とばっちりだけはごめんだからな」

「分かってるって」


 シフはそういうと、鞄の中から本を取り出し、それを読み始めた。


「……何してんだよ」

「ん? 気になるの?」

「べ、別に! ……ただちょっと疑問に思っただけだよ」

「嘘つき。ほんとは気になるくせに」


 俺はシフの声が聞こえないふりをして、ピッケルを振り続けた。

 実はシフの話に興味があるということが彼女にバレでもしたらからかわれる事が目に見えていたからだ。

 しかし、好奇心には抗えないもので、俺はピッケルを振りつつも、しきりに彼女の手元の本を盗み見た。


「……はあ、仕方ないなぁ」


 シフは俺の視線に気が付くと、やれやれといった様子で首を振った。

 そして彼女はまたもや鞄に手を突っ込むと、今度はあるスイッチを取り出した。アンテナと赤いボタンが付いたスイッチだ。

 シフはアンテナを伸ばすと、赤いボタンを躊躇なく押した。


『休憩ボタンが押されました。シフ、ルイの両名に十分間の休憩を許可します。シフ、ルイの両名はすべての作業を終了し、休憩に入ってください』


 ボタンを押した直後、スイッチ本体からそんなアナウンスが流れた。


「おい、お前なに勝手に押してんだよ!」


 休憩は一日に二回。計、二十分しか許されていない。その貴重な一回を勝手に使われた怒りを彼女に向けると、彼女はそれを華麗にスルーした。


「もう、うるさいなあ。時間ないんだから、ほら、座って」


 俺の言葉を無視した彼女は、俺に隣に座るよう促す。

 いつもの俺なら恥ずかしくて隣になんて座れなかったが、今はそれ以上に彼女の持つ本の中身が気になって、俺はシフの隣に腰を下ろした。


「で? そこには何が描かれてるんだ?」

「これはね、世界中の画家が描いた『ソラ』が載ってるの。これも隣の鉱山の子が貸してくれたのよ」

「へぇ。じゃあ、そこにソラが載ってるのか?」

「全部想像だけどね」


 彼女がそういって見せてくれたページには見開きにそれぞれ一枚ずつ絵が載っていた。しかし、確かに同じものを題材にして描いたとは思えないくらい、その二つの絵はかけ離れすぎていた。


「んー、どれもぱっとしないな」


 俺はシフに本を借りて、一ページずつ捲っていく。

 ある画家は巨大なトカゲを描いていて、あるものは巨大な手を描いていた。

 どれもルイの想像の外を行くイラストばかりだが、わざわざ騒ぎ立てるようなものではない。

 俺は無駄な休憩をとってしまった、と後悔しながらページを捲った。

 その時、俺の視界にあるイラストが飛び込んできた。


「これは……」


 それは今まで見てきたイラストとは異なり、ルイの知らないものだった。

 紙全体が水たまりのような青で塗りつぶされ、その上に白い綿あめが浮かんでいる、そんな素朴なイラスト。

 まるで意味の分からない絵だが、不思議とルイはそれが『ソラ』なのだと納得した。


「ルイ? 急にどうしたの?」


 隣りのシフが尋ねてくる。俺はそれになんでもなにと返した。


「それより見てこれ。私のお気に入りなの。きっとこれが『ソラ』に違いないよ」


 シフはそういうと、水たまりに綿あめが浮かぶイラストの横のイラストを指さした。


「このビスマス色のヴェールが、この地下世界を覆っているんだわ」


 シフが指したイラストは実に美しかった。ルイが『ソラ』だと思ったイラストに比べれば、断然シフの選んだ『ソラ』の方が理想的で幻想的だ。

 しかしだからこそ、ルイは水たまりの上に綿あめが浮かぶ、ある意味現実味溢れるそのイラストこそが『ソラ』だと思った。

 二人が同じページを、しかし全く別の『ソラ』を見ていると、不意に二人の間に置かれたスイッチが唸り声を上げた。


『休憩時間終了です。シフ、ルイの両名は直ちに作業を再開してください』


 再びアナウンスが流れ、シフとルイは互いに顔を見合わせた。

 そして、二人は残念そうに眉を下げると、再びピッケルを振るい始めた。


「ねぇルイ」


 隣りのシフが尋ねてくる。


「……何?」


 俺はピッケルを振りながら返事をする。

 壁から落ちた鉄の鉱石を拾いながらシフが言う。


「大人になったら二人で『ソラ』を見に行こうよ」


 彼女の言葉に俺は一瞬手を止めて考えた。


「ルイ、仕事しないと怒られるよ」

「あ、あぁ……!」


 彼は慌てて後ろを振り返り、誰もいないことを確認すると、もう一度ピッケルを振り始めた。

 それからしばらく、その炭鉱にはピッケルが岩を砕く音だけが響いた。


「……ねぇ、返事は?」


 シフが尋ねる。

 俺は今度はピッケルを振りながら考える。

 そして、


「……うん。分かった」

「約束だよ?」

「あぁ、二人で本物の『ソラ』を見よう」

「……うん」


 シフは最後に嬉しそうに頷いた。

 俺もまた、わくわくした気持ちでピッケルを振るう。

 シフとのそんな叶わぬかも知れない約束は、泥水の水たまりのように退屈な俺の日常を、澄み切った水たまりのような青に変え、そこに夢というビスマスのような虹色の橋を架けたのであった。




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