ソープランドの怪

ぶざますぎる

ソープランドの怪

 だいぶ前に聞いた話を思い出したので、書いて投稿しようと思う。なぜ思い出したのか、それは最後に叙す。


 曩時、私はホテルのフロントマンとして働いていた。そこは何かと曰くのあるホテルで、私自身は経験がないが、従業員の多くが不可思議な体験をしていた。復、変わった場所には変わった人間が集まるもので、従業員は皆、一癖も二癖もある人物ばかりだった。機会があれば、それについても書いてみようと思う。

 閑話休題、以下に記す話は往時、上司だったAから聞いたものである。Aは年齢が40を過ぎた、痩身で背の高い男だった。彼はとにかく仕事ができなかった。入社したばかりの私にさえ「これはひどい」と思わせたのだから、公平に見ても彼の仕事ぶりは相当ひどいものだったはずだ。彼の業務遂行能力に対する他の従業員の評価は著しく低かった。

 ただ彼には変な愛嬌があった。その愛嬌故に、業務上の失態についてもある程度は許されていた。ただ、それは男性従業員間に限定されたものであり、彼は女性従業員からはすこぶる評判が悪かった。


 その日、私は夜勤だった。すでに深更であった。全宿泊客分のチェックイン対応は済ませていたので、私はフロント奥の詰め所にて、パソコンで予約や売り上げの管理をしていた。夜勤の場合、基本的にワンオペだったが、その時、詰所にはAが居て、夜食のカップラーメンを食べていた。

「〇〇(私のこと)クン、手伝いが必要だったら何でも言ってくれよォ」

 Aはまたぞろ仕事でミスをしたらしく、本来なら休みだったはずのその日、埋め合わせのために出勤していたのだった。

 私は「へへヘ」と曖昧に笑って誤魔化した。気持ちはありがたかった。だが、すでにその時分、Aに仕事を任せたら最後、かえって負担が増える羽目になるということに、私は気づいていた。

「〇〇クンは彼女いるのかァ?」

 夜食を済ませ、机上のファイルを開きながらAは訊いてきた。

 いませんし、今までいたこともないです。私がそう答えると、Aは数秒間、空中を眺めて考え事をするような素振りをした。そして、ファイルを閉じてから私に向き直り、話始めた。 


 ――若いうちにさァ、頑張ってさァ、彼女をつくった方がいいよォ。歳くってからじゃさァ、大変なんだよォ。こじらせてきてるなァって自覚があってもさァ、どうにもならないくらいヒン曲がっちゃうんだよなァ、性格がさァ。そういうのってさァ、バレるんだよねェ、女性にはさァ。女の人ってさァ、聡いからさぁ。

 だからさァ、〇〇君くらいの若さならさァ、まだ失敗し放題だしさァ、数を打った方がいいと思うんだよなァ。彼女ができないにしてもさァ、失敗って財産になるからさァ、傷ついたとしてもさァ、何もしないまま歳を取るよりはさァ、よっぽど好いと思うんだよなァ。まあさァ、おれもさァ、モテればさァ、紹介してあげられるんだけどねェ。ごめんねェ。おれ全然モテないし、彼女もいないしさァ。

 だってさァ、おれもさァ、30過ぎまで童貞だったんだよォ。何もしなかったら何も起きないまま歳を取っちゃってさァ。今更さァ、女の人へのアプローチの仕方も分からないしさァ。学生とかだったらまだしもさァ、30過ぎでウブを気取ったって何の得にもなりゃしないんだもんなァ。

 だからさァ、彼女は諦めるとしてさァ、童貞だけは捨てようと思ったんだよねェ。そうなったらさァ、風俗に行くしかないでしょォ?でさァ、折角なら高い店に行くことにしたんだよォ。

 距離的に無理のない範囲で一番高い店を選んだんだよォ。頑張って金貯めてさァ。初めてで緊張してたからさァ、電話予約をする時に本名で予約しちゃったんだよねェ。まァ、そんなことはどうでもいいんだけどさァ。

 立派な建物だったよォ。入口が高級レストランみたいでさァ、待合室の内装も豪華でさァ。ボーイさんの接客もメチャクチャ丁寧で感動しちゃってさァ。受付を済ませて少し待ってたら名前を呼ばれてさァ、見るとさァ、綺麗な女の人が待機しててさァ。おれ、あんな綺麗な人はそれまで見たことがなかったなァ。その人がさァ、丁寧に挨拶をしてからさァ、おれの手を引いて部屋まで案内してくれたんだよォ。


(※注:待合室から部屋に移動するまでの間も、彼はコンパニオンから熱烈な持て成しを受けたそうで、私は彼からその仔細を聞かされたが、ここでは割愛する)


 ――待合室で事前アンケートみたいなのを書かされたんだよねェ。「どういう内容を望まれますか」とかさァ。そこでさァ、僕は童貞ですって書いといたんだよォ。そのおかげかなァ、コンパニオンさんは親切にエスコートしてくれてさァ。至れり尽くせりだったんだけどさァ。


 彼は、最高の店で、最高のコンパニオンから、最高のサービスを受けた。念願の童貞卒業も果たした。しかし、そこに幸福感はなかった。プレイ用の個室に入ってから、ある異常に襲われたためである。その異常のせいで、全てが台無しになった。


 ――部屋の中全体がピカピカしててさァ、綺麗だったんだけどさァ、壁という壁に鏡が張ってあってさァ。


 鏡に映った彼とコンパニオンの顔が、こちらを見つめていたのだという。体はこちらと同じように動く。だが、顔だけはジっと彼のことを見つめていた。コンパニオンがニコニコとしながら彼の体を洗う、鏡の中のコンパニオンも彼の体を洗うが、顔だけは無表情にこちらを見つめている。鏡の中の彼も、体を洗われながらこちらを無表情にながめている。


 ――鏡に背中を向けてるとさぁ、当然背中が映るよねェ。そうしたらさァ、鏡には普通さァ、後頭部が映るはずじゃんかァ。


 鏡の中のコンパニオンは、頭だけを後ろへ180度回転させ、彼のことを見ていた。それは鏡の中の彼も同じだった。優しくキスをされた時も、セックスの最中も、コンパニオンが優しく彼を抱きながら耳元で甘い言葉を囁いた時も、鏡に映った両者は、どんなに無理な体勢であっても、顔だけをこちらに向け、まったく感情の読めない表情で彼のことを見つめていた。


 ――結局、最後までイケなかったしさァ。そんなことがあったらさァ、台無しじゃんかァ。コンパニオンさんはずっと笑顔で優しかったからさァ、おれもその優しさに応えなきゃって変に頑張っちゃってさァ。何しに行ったんだって感じだよォ。コンパニオンさんは全然気づいてなさそうだったしさァ。あとで店のことをネットで調べてもさァ、おれみたいな体験をした奴は一人も見つからないしさァ。緊張で幻覚を見たのかなァ。でもさァ、幻覚だったとしてもさァ、あれは怖かったしさァ、その恐怖とさァ、おれが折角の経験と大金を台無しにしたってのはさァ、紛れもない現実なんだもんなァ。


 だから〇〇君も気を付けてねェ、と彼は話を締め、居眠りを始めた。結局なにが言いたかったんだ、仕事はどうした、私は色々と言いたいことがあったが、目を瞑り安らかな顔をしている彼を見ていると、誰にでもいろいろと秘めたことがあるものだな、と変な感慨と共に彼に対する慈しみめいた気持ちが湧いてきたので、結局そっとしておくことに決めたのだった。


 その後しばらくして、私はホテルの幹部と諍いを起こし畢竟、当てつけるように退職した。私が職場を去る際、Aは「寂しくなるなァ」と目を潤ませながら握手をしてくれた。今でもその表情を思い出すと、やはり、彼には要領の悪さを補うだけの天性の愛嬌があったのだなと、一人得心してしまう。


 さて、冒頭で読者諸賢にした約束を果たそうと思う。つまり、以上の話をなぜ私は今になって思い出したのかという説明である。

 何を隠そう、いつの間にか、私も高齢童貞になってしまったのだ。

 平生は日々の暮らしを生き抜くのに必死で、あまり色恋云々については考えていなかったのだが、先日Twitter上にて高齢童貞を揶揄した投稿を目にしたことを切っ掛けに、気づかぬうちに己が女性経験のないまま齢を重ねてしまったことを改めて自覚させられたのである。

 私は現在2号警備員の職についており、稼ぎといえば糊口をするのにギリギリの程度しかない。性的魅力もなければ、将来性もない。とてもじゃないが、今から恋人を求めるのは無謀だろう。となれば、孤独を癒すためにはプロの方に相手していただくほかない訳だが、今述べたように金銭的な余裕はないし、私は会社からいいように使われているので殆ど休みがないため、店に行く時間もないのだ。

 そうして、にっちもさっちも往かなくなった私の頭は、上記の体験談を想起することにより、いわゆる「すっぱい葡萄」で精神の安寧を得ようと試みたのである。


<了>

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