第5話 恐怖は新鮮さが命




 俺が修めた桧木流は、古流武術といっても歴史が浅い。

 その始まりは明治時代。

 諸外国からの文化の流入により多くの古流が失伝していくことを危惧し、口伝で継承されてきた様々な流派の技術を集めて記し、体系立てたのが桧木流の始まりらしい。

 つまり実戦を想定したのではなく、古来からの技法を残すため、学者的発想から生まれたのが桧木流だった。

 その結果として投げ・打撃・関節技が複合し、今でいう総合格闘技に近い、きわめて実践的なスタイルが出来上がったのだから不思議なものだ。

 桧木流は特性上、奥伝にも他流派の技が混じる。発勁なんて本来中国拳法にもない表現の技があるのもそのせいだ。

 しかし当然ながら独自の技法も存在する。

 それこそが溜気勁に代表される、体内の気を操作する技術である。




 ◆




『ク、食ラエッ!』


 シャワールームで一本釣りした女幽霊は降参したかと思いきや、髪の毛で攻撃を仕掛けてきた。

 しかしそれは予測済み。

 髪の毛の操作には驚かされたが、まだ狙いが甘い。しかもシャワールームという狭い場所では勢いが乗り切っていない。

 俺は髪の毛を掴み、溜気勁で得た膂力に任せ月代を振り回す。

 

『ウゲェ?!』


 新しい発見。

 幽霊でもこちらに干渉してくる部分なら掴めるし、壁にぶつければダメージは入るようだ。

 もっともダメージの方は「物理的干渉も効果がある」のか「この建物自体が幽霊みたいなものだから」なのかは分からない。

 まあ、どっちにしろ。


「ヨミに手を出した以上、報復はさせてもらうぜぇ……!」


 俺が幽霊を前にしても恐怖を感じないのは、いきなり現れてびっくりさせないから以上に、怒りのせいだ。

 もしあの時、来るのが遅れていたらヨミの命はなかったかもしれない。

 それを考えれば女だろうが幽霊だろうが手加減は必要なかった。


「どらぁ!」

『ゲハァ?!』

「まだまだぁ!」

『イヤァァァ?!』

「もういっちょう!」

『許シテクダサイィィィッ?!』


 俺はしばらく髪の毛を鎖代わりにハンマーを振り回す要領で女幽霊を壁にぶつけ続けた。

 すると、彼女は手を離れた後、半透明のカラダで丁寧に土下座をしてきた。


『ア、アノ、グヒィ。ユユ、許シテ、クダサイ。アナタ様ノ大切ナ人ニ、手ヲ出シテシマイ、誠ニ申シ訳ナク……』


 見た目ちょっとホラーだけど、なんとなくかわいい風の女の子。

 それを土下座させてると考えたら、なんだか悪いことをしているような気になってきた。


「ねえ、たっちゃん。まずは、ありがとう。助けてくれて。で、せっかくなのに相談なんだけど……」

「うん。俺もさ、なんかこれ、むしろこっちが悪者っぽいような……」


 怪異の元凶、そう思っていた。

 なのにメッチャ怯えてらっしゃる。

 河野先輩を殺したのか? その疑問はあるけれど、まずは話を聞いてみないといけないのではないかと思った。


「たっちゃん、さすが。腕力で幽霊捕まえるなんて」

「腕力じゃないぞ。桧木流古武術奥伝・起の位“溜気勁”だ」

「うん、ちっちゃい頃から頑張ってきた結果だね」


 すごく嬉しそうにしているけど、実はヨミをゲームのハサミ男から助けるために鍛錬を続けてきたとか、ちょっと恥ずかしいので口にできない。

 まあ幼い俺の馬鹿さのおかげで脱出の手掛かりを得られたんだから、塞翁が馬というやつだ。

 404号室で俺達は少女の幽霊を取り囲んでいた。

 抵抗はしないと思うが、念のため呼吸を整えじっくりと気を練る。

 交渉役は散々暴力を振るった俺ではなく久地部長だ。

 最初はものっそい怯えていたけど、何故かそれ以上に怯えている少女の幽霊を見ていると恐怖は落ち着いたらしい。


「まずは、聞きます。貴女は、何故私達を閉じ込めたのですか?」


 でも普段とは違い、その視線は厳しい。

 河野副部長や茂部井たちのことを考えれば、あまり甘い態度もとれないのだろう。


『……閉ジ込メテ、ナイ』


 けれど返ってきたのは意外な答えだった。


「……え? 貴女が、このホテルの主なのでは?」


 俺達はその推測の下で動いていた。なのに大前提が覆されてしまった。


『違ウ。殺サレタノモ、閉ジ込メラレタノモ、私ノ方……』


 そうして少女の幽霊は、このホテルにまつわる噂について語り始めた。






 ホテル『バークレイ』。

 昭和のバブル期に建てられたこのホテルは、当時としても非常に豪華な建物だった。

 周りには大した観光地はない。だが「泊まるだけの旅行、それに相応しいホテル」のキャッチコピーのもと、観光ではなくホテル自体を売りにしていたのだ。

 ただし狙いは失敗。交通の便が悪かったホテル『バークレイ』には、ほとんど客が入らなかった。

 いつでもガラガラだが部屋だけは素晴らしい。

 そのため、経営者の娘は好んでこのホテルを利用したそうだ。


 彼女の名前は美奈鳥月代(みなとり・つくよ)。

 当時十六歳の女の子は線の細い、長い黒髪の美少女だった。

 学校にはあまりいかない。美しく裕福な家に生まれた月代は、同性に妬まれいじめにあった。そのせいで登校拒否になったそうだ。

 今ならともかく昭和時代なら問題になりそうだが、金持ちで娘に甘い親はそれを認めた。

 だから彼女はこのホテルの404号室で引きこもり生活を満喫していたそうだ。


 ……自宅に帰っても忙しい父は帰ってこない。母親は離婚し出て行った。

 でもホテル『バークレイ』でなら、従業員がお嬢様と呼んでくれる。

 コックに食事が美味しかったと言えば、嬉しそうにしてくれる。

 視察のために訪れた父と会う機会も得られる。

 人との関りに飢えていた月代にとって、このホテルは素晴らしい場所だった。


 しかしホテルに客はほとんど来ず経営難に陥ってしまう。

 このままでは私の楽園が無くなってしまう。

 どうにかしたい。でも自分には何もできない。そうと分かっていても、月代は何かしたかった。


『そうだ。ウサギのキグルミで客引きなんてどう?』

 

 そもそも交通の便が悪く、人自体が来ないのだ。

 客引きなんてしても意味がない。

 しかしスタッフは、お嬢様が頑張って案を出してくれたのだから、否定せずに『私達の判断では無理だけど、そういうのもいいですね』とお茶を濁した。

 迷惑には思っていない。月代はちゃんとスタッフたちから慕われていた。



 彼女は自分の案が肯定されたと考えて、スケッチブックに絵を描く。


『可愛い可愛いウサギさん。お客さんをホテルに連れてきて、そこに留めてくれるすごいウサギさん』


 鼻を唄いながら彼女は描く。

 どうせなら大きい方がいい。

 おっきいくまのぬいぐるみみたいに、抱き着いたら気持ちいい感じ。

 色はピンクがいいかな。


 そうして絵が完成する頃、美奈鳥月夜は変死を遂げた。


 表向きは病気と発表されたが、彼女に持病はなかった。

 亡くなったのは404号室のシャワールーム。

 スケッチブックには何も描かれていなかった。




 ◆




 俺はベッド横にあったスケッチブックをもう一度確認する。

 やはり何も描かれていない。

 しかしここに、あのウサギのキグルミが描かれていたのだという。


「それでは、月代さん。貴女も、あのウサギのキグルミに……?」

『ソウ。アレハ、私ノ願イヲ曲解シテ叶エル化物』


 このホテルにお客様を呼び、留めて欲しいと願った優しく無邪気な少女。

 ウサギは確かにそれを叶えた。

 おどろおどろしい都市伝説で人を誘い、鉈で殺戮することで二度と出られないようにする。

 ホテルには今、沢山の客が悪霊となって蔓延っていた。


「でも、お前もヨミを殺そうとした」


 俺は一段声を低く冷たくする。

 びくり、と月代が体を震わせた。おかしくない? 幽霊そっち。


『ダッテ、此処デ死ンダ者ハ、永遠ニ、ホテルノ、オ客様。ズット、ズット、傍ニ居テクレルノ』

「なるほどね。一緒にいてくれる、優しくて可愛らしく慈愛に満ちた誰かを求めていた。それが、ヨミだったってことか」

『ハイ。ア、イエ、別ニ可愛サハドウデモイインデスガ。大体、正解デス』

「……ってことは、お前十分悪霊じゃないか?!」


 俺は改めて構え直した。

 元凶かどうかは微妙なところだし、河野副部長殺しの実行犯ではない。

 だけどヨミの殺害を狙っていたのは事実。こいつは、独自の理で生者を引きずり込む死者だ。 


『チ、違ウ。マダ、奪ッテナイ。ウサギハ無差別ニ悪霊ヲ繁殖サセルダケ。私ハ、ソウジャナイ。オ喋リシテクレル、誰カガ欲シカッタダケ!』

「だから! その手段が殺害なら、俺は……!」


 月代に向けて拳を繰り出そうとするが、ヨミがそっと優しく俺の腕に触れる。


「ダメだよ、たっちゃん」

「でもヨミ、こいつが」

「この子も私達と同じ、閉じ込められた側でしょ?」

「それだってもとはと言えば、こいつがスケッチブックに描いた……!」


 激昂する俺の目をヨミがじっと見詰めていた。

 場違いなくらい穏やかで、見慣れた視線。いつだって俺を信じてくれた幼馴染の瞳だった。

 彼女は訴えている。

 あなたなら、ちゃんと分かるはずだと。

 

「ふぅぅぅぅぅ……」


俺は両足を肩幅まで開く。

軽く拳を握り、下腹部を意識してゆっくりと呼吸する。

呼吸も武術の技の一つ。少しは沸騰した頭も落ち着いた。


「……スケッチブックに描いた。それだけで、あんな化物が生まれる訳はない。だったら、この現象の根本は、美奈鳥月夜でもウサギのキグルミでもない。こういったホラーな空間を作り上げる何かが、このホテルにはある……それで合ってるか?」

「はい、正解」


 ヨミが俺の頭を撫でてくれる。

 子供扱いは恥ずかしいが、されても仕方ない駄々っ子なので無抵抗で受け入れる。


「そしてたぶん、私達が脱出するためには、この子の記憶が鍵になる。危険はあっても今は利用しないといけない」


 冷酷に見下すような表情は、俺でなく映研の皆に見せるためのものだ。

 もちろん今の発言もヨミの考えではあるのだろう。でも長い付き合いのせいで、言葉の裏に隠した真意にも気づいてしまった。


“もともとこの子は寂しかっただけ。だから、お願い”


 殺されそうになったヨミが、そう懇願している。

 本当は、それを無視してでもこいつはどうにかするべきだ。

 だけど怯える月代はともかく、いつだって俺を支えてくれるヨミを切り捨てるのはどうしてもできなかった。


「ヨミと一緒にいるのは認められない。月代、お前は俺と行動しろ。その結果で処遇は決める」

『私ヲ、殺サナイ?』

「いや、君とっくに死んでるから」


 結局は悪霊だ。

でも脱出のための情報が少ない今、この子に頼らざるを得ないのは事実だ。


「見逃すから、俺らの脱出を手伝ってくれ。もしも本当に、君が俺達を閉じ込めたんじゃないというなら」

『……分カリ、マシタ。ダカラ、壁ニブツケルノハ、モウ』

「あれ? 俺がすごい暴力で脅したっぽくなってる?」


 正当防衛なのにその扱い、なんか納得いかない。


「まあいいや。すいません、部長。話の流れで、そういうことになってしまいました」

「ううん。実際、このホテルのことを知っている彼女が助けになってくれるなら心強いですから」


 久地部長はそう言って笑顔を見せてくれる。


「助けになってくれるなら、な」


 反対に、嫌味な言い方をするのはやっぱり文城先輩だった。

 ただ、今回に限って言えば心情的には俺は先輩側である。この選択が凶と出なければいいのだけど。




 ◆




 404号室には、美奈鳥月夜の幽霊以外は何もなかった。

 ホテルを探索して、今度こそ脱出の鍵を見つけないと。


「じゃあ皆、行こう。なあ、月代。君はずっとここにいたんだろ? なんか妖しそうなところってあるかな」

『ムム、デハ地下ハ、ドウデショウカ?』

 

 なんでか敬語だった。

 いや、それはいいとして。


「地下には何が?」

『危ナイカラ、近寄ルナト。パパガ、絶対ニ入ッテハイケナイト、言ッテマシタ』

 

 それは単に設備が多くて危険という話か。

 もしくは、なにか恐ろしいモノがあったのか。


「分かった。部長」 

「うん、皆でそこに行ってみよう」


 404号室に残していくという選択もあったが、月代みたいに襲い掛かってくる悪霊がいるかもしれない。

 それを考えたらまとまって動いた方が安心だ。

 俺達は全員で地下へと向かうことになった。


「文城先輩。また先頭はお願いします」


 並びは、ここに来るまでと同じでいいだろう。

 俺としては普通のことを言ったつもりだった。

 だけど先輩は、苛立ちを隠そうともせず睨みつけてきた。


「おい、寺島。お前調子に乗り過ぎだろ」

「はい?」

「さっきからよぉ、咲子に確認してるように見せといて、結局自分の意見通しやがって。舐めてんのか?」


 この状況で何を言ってるんだ、この人は。

 しかも乱暴に突き飛ばそうとしてくるから、俺は一歩引いて躱す。それもお気に召さなかったようだ。

 俺に対して喧嘩腰を崩さない。先輩の目からは恐怖が消えていた。


「文城先輩、ほんと、いい加減にしてくださいよ」

「暦ちゃんもさ、こいつ庇うのやめようぜ。俺らのこと散々見下しやがって。でもよ、実際やったことって言ったら、キグルミをちょっと追い払って、女の子の幽霊と話しただけ。なんもしてねえじゃねえか」

「だから、貴方は……!」


 ヨミが怒っているけど、これは俺の失敗かもしれない。

 ウサギのキグルミにしろ月代にしろ、無傷でどうにかした。

 だから先輩の中で脅威が薄れてしまった。それはたぶん、他のメンバ―も同じだったのかもしれない。

 廊下で言い争うなんて真似をするくらい、気が抜けていてたのだ。




 ────ぴちゃん。




 すぐ近くで水音が聞こえた。

 俺は意識を切り替えて、周囲を警戒する。

 足音、なし。近くの部屋、扉の音も聞こえない。

 鳴ったのは床だが、大本は天井近く。背後、そう遠くない位置だ。

 振り返り見上げた瞬間、俺は固まった。


「あ……」


 くそ、油断してたのは俺もだった。

 さっき月代から聞いていたじゃない。

 ウサギのキグルミに殺された者は、ホテルに留まり続ける。

 なんでその時……河野副部長の存在を思い出さなかった。


『あは、あは、あははは……』


 天井には蜘蛛のような八足に、人間の頭が生えた異形がさかさまに張り付いていた。

 でかい。頭部だけで一メートルは超えているのではいだろうか。

 異形はメガネをかけた、見慣れた顔だ。

 殺されてホテルのお客様になった河野副部長は、ただの化物だった。


『ぁぁぁぁぁは』


 意味の分からない呻きを上げながら副部長蜘蛛が落下しながら襲い掛かる。

 固まった体を無理矢理動かして何とか避けるが、がしゃがしゃと蜘蛛の足を動かしながら、副部長は間髪入れず突進してきた。


「らぁ!」


 前蹴りでそれを止める。

 ……つもりが、押し返される。やばい、人間のパワーじゃない。

 俺は副部長の顔面を足場に跳躍して距離を空ける。

 それが失敗だった。


『アッハァ……☆』

「ちょ、嘘だろ……?!」


 このタイミングで近くの部屋から、ウサギのキグルミが出てきやがった。

 位置関係がヤバすぎる。

 廊下の状態は、

 


 俺と月代   ←副部長蜘蛛・キグルミ→   ヨミ達



 みたいな感じに。

 つまり完全に分断された。


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