第5話

 久しぶりに訪れた生家の菩提寺は蝉の大合唱が鳴り響いていた。日差しと相まって、声を聞いているだけで汗がにじみ出て来そうだった。

 本堂には座布団ではなく椅子が並べられている。昨今の法事は正座しなくてすむのがありがたかった。


 夫たちを本堂に置いて、桐子は住職夫妻への挨拶に向かう。途中で先に到着していたらしい文哉に呼び止められた。


「よ。暑いのにありがとうな」


 また少し日焼けしただろうか。中年になっても、運動好きな性格は変わらないらしい。

 すぐ近くに最愛の人の気配と体温を感じ、場にそぐわない感情に押しつぶされそうになりながら、桐子は控えめに微笑み返した。


「久しぶり、兄さん」




 蝉の声も、本堂で読経を聞きながらだと中々に風情があるものだ、と意外な発見をしつつ、文哉、一花に続いて焼香に進んだ。


 手を合わせながら、生前の義姉を思い出す。

 文哉の妻に、彼女ほど相応しい人はいなかった。

 美しく、聡明で、強く優しかった。

 愛子だったからこそ、自分も気持ちを封印することが出来たし、そのおかげで結婚も出来た。家族を作ることが出来た。


(そうでなければ、もしかしたら……)


 深く頭を下げながら、自分にだけわかるように頭を振る。考えてはいけないことだった。特に、今この場では。


◇◆◇


「すごいな、伊織くんはキャプテンなのか」

「まあ、三年生はもう受験に本腰入れたいみたいで、あまり来ないんだよ」

「進学校だもんな」


 こちらが一花の成長に目を細めているのと同様に、文哉は高校生になった伊織を頼もし気にほめそやした。


「近くに住んでるのに、中々行き来出来なくて」


 広瀬が文哉に頭を下げると、文哉は慌てて更に深い辞儀を返す。義兄、とはいえ、年は広瀬のほうが上だった。


「いえ、こちらこそ。些事に紛れて失礼してしまって……」

「親戚なのに、そんなかしこまらなくていいじゃない」


 みんな、といっても二家族だけだが、追加の冷茶を注いで回りながら桐子は苦笑する。

 ふと目を向けると、一花が一生懸命伊織に話しかけてくれていた。伊織は照れ臭いのか、うん、とか、ああ、と返すばかりで、母として一花に申し訳なかった。


「一花ちゃんは何かクラブ入ってるの?」


 グラスを差し出しながら桐子が話しかけると、ちょっと驚いたような表情をしつつ、微笑んで頷き返す。そのはにかみ方が父である文哉にそっくりで、桐子も自然と顔が綻んだ。


「うん、演劇部。友達に誘われて」

「まあすごい、大変でしょう」


 桐子はお世辞ではなく賛辞を送る。仕事柄、板の上で演じる役者には日々尊敬の念を抱いている。

 自分の姪がその道へ進むのかもしれないと思うと、不思議な縁を感じていた。


「まだ練習とか体力づくりばかりだけど……。でもね、秋の文化祭で、何か役がもらえるかもしれない」

「本当? じゃあおばさん観に行こうかな」

「ほんと? あ、でもまだ決まりじゃないんだけど……」

「ううん、一花ちゃんがお手伝いしてるところを見るだけでも楽しいから」

「うん!」


 元気に頷く姿が可愛くて、つい頭に手を伸ばしで撫でてしまった。子ども扱いしたと怒られるか、と焦るが、一花は恥ずかしそうに笑うだけだった。


「あの……、もしよかったら、伊織くんも……」


 桐子の申し出に勇気を得て、今度は伊織に向かっておずおずと小さな声で誘う。きっとさっきみたいに適当な返事であしらわれると、ダメ元のつもりだった。


「行く」

「え?」

「俺も行くよ。こっちの学祭と重ならなかったら、だけど」

「ほ、ほんと?!」


 ごくり、と茶を飲み込みながら頷く伊織に、一花は満面の笑みを返した。


 横で眺めていた桐子は、一花の反応に驚く。まさか、と思いつつ、わが身を省みる。予想が当たったとして、自分があれこれ言える筋ではないと、内心苦笑を漏らすしかなかった。

 

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