第4話

 ホテルを出て少し離れた場所に大きな神社がある。その門前に併設されたカフェに入り、窓際のカウンター席に腰を下ろした。


 先ほどの着信音は電話ではなくメールだった。

 それは最初から分かっていた。音だけで区別できるよう設定を変えている。

 古風なドアチャイムのような音は、桐子の胸を常に甘く高鳴らせる音色だった。

 バッグからスマホを取り出し、新着アラートからメッセージを開いた。


『お疲れ様。毎日忙しいのかな。また新しい舞台の仕事が控えているんだったね。

 そんな時に申し訳ないが、来月の法事は顔を出せるだろうか。

 会えることを楽しみにしているよ』


 そうだった、と思い出す。忙しさに紛れて失念していた。忙しいことは事実だが行かない理由は無い。公的にも、私的にも。


『連絡ありがとう。もちろん法事には伺います。広瀬さんと伊織は聞いてみないとわからないけど、私は絶対に行くので。ていうか、家族なんだから遠慮しないで。

 もう七回忌だね。早いね。

 私も兄さんと一花いちかちゃんに会えるのを楽しみにしています』


 つい、姪の存在を忘れそうになり、慌てて付け加えた自分に苦笑する。

 送信後、まるでそれが相手そのものであるかのように、端末をぎゅっと握り締めた。


文哉ふみや兄さん……)


◇◆◇


「来月? ああ、もうそんなになるのか」


 夕食の席で、昼間兄から来た法事の件について広瀬に話した。夫も同じように感慨深げに何度も頷く。


「ほんとね、あっという間なのね」

「一花ちゃんも大きくなっただろう」

「だって伊織と一つ違いよ。もう高校生のはずよ」

「そうか、ずっと会ってないから、まだ小学生のイメージだったけどな」


◇◆◇


 義姉の緊急事態について文哉から連絡を受けた桐子は、取るものもとりあえずタクシーに飛び乗って病院に駆け付けた。

 しかしすでに亡くなった後だった。

 兄は、姪は間に合ったのだろうか、と思ったが、聞ける状態ではなかった。

 まだ十歳にもならなかった一花は、父の文哉の手をぎゅっと握って震えていた。悲しい、というより、起きた事態を受け止めきれずにいるようだった。

 その風情が痛々しく、黙って背をさする。すると勢いよく振り向いて、一花は桐子に抱き着き、号泣し始めたのだった。


「ママ、ママ……、ママーーー!!」


 一花を力いっぱい抱きしめる桐子の視界に、固く握りしめられた文哉の手が見えた。強い感情を堪える時の、兄の癖だった。

 本当は文哉をこそ抱きしめて慰めてあげたい。

 しかしそれは許されないことだった。


 その代償のように、桐子は一花が泣き止むまで、ずっと抱きしめ続けていた。


◇◆◇


「日曜日なんだけど、行ける? 難しかったら私だけで行ってくるけど」

「いや、大丈夫だよ。あのお寺は車じゃないと面倒だしな。伊織、お前はどうする?」

「ママも親父も行くんだろ? じゃあ俺も行く」

「いいの? 部活は?」

「葬式って言えば休めるよ」

「お葬式じゃないわよ、法事。愛子おばさん、覚えてるでしょ?」


 口いっぱいに白飯を掻っ込み、もぐもぐしながら伊織が頷く。


「じゃあ、みんなで行きましょう。伊織は制服でいいからね」


 さて自分はどうしよう、と考える。葬儀でも四十九日でもない、七回忌とはずいぶん中途半端な扱いだった。当然普通の外出着というわけにはいかないが、喪服も大げさすぎた。

 こういう時、男性はビジネススーツで事足りるのが羨ましい。


「一花ちゃんに会うのも久しぶりだろ、伊織」

「どうだっけ、覚えてない」


 伊織は正直あまり興味がない。母方の従妹は、昔は何度か遊んだ気もするが、既に祖父母も亡く、友人達のように盆暮れ正月毎に親戚が集まる、という習慣もなかった。伯母が死んでからは、尚更疎遠になっていた。


「そうね、みんなで会うのは久しぶりだから楽しみね」


 そう言って微笑み合う両親を、伊織は少し遠く感じながら、一人で箸を進めていた。

 

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