10月15日(金)

24 ゆい子① 矛先を転じる

三者面談期間が終わり、放課後の部活が再開した。練習が終わる頃には、外は薄暗くて、冷たい風の音が室内にまで轟いている。


『集まるのは、今日で最後になると思う』


だから、部活の後でもいいから、どうしても今日集まりたいのだと、ゆい子はメールで伝えていた。



「おっつー!」


外とは対照的に蛍光灯で明るく照らされたE組の教室に、練習終わりとは思えないほど元気な山崎が飛び込んで来た。

ゆい子と椿は、他人行儀な微笑みで、お疲れ、と返す。それから、少し遅れて入ってきた耀太の姿が視界に入ると、女子二人は一瞬、視線を交わした。


「つーか、なんで教室?いつものファミレス行こーぜ。オレ腹減ったー」


「ごめん、時間そんな掛かんないと思うから。今日はここが都合良いんだ」


ゆい子が珍しく申し訳なさそうにそう言うので、山崎は、まあいいけど、とあっさり引き下がった。


「それで、今日最後って?もしかして犯人分かったのか?」


すると、ゆい子は徐に耀太の元へ歩みを進めると、ワイシャツの襟元に鼻を近づけた。

反射的に、耀太が軽く仰反のけぞる。


「え、なに?俺、今、汗かいてるよ」


慌てる耀太を、ゆい子はじっと見つめて静かに言い放った。


「香水、いつも付けてるわけじゃないんだね」


「…え?あー、今日は部活だったし。放課後遊びに行く時くらいかな、ちゃんと付けてるのは」


ゆい子はそれを聞くと、今度は耀太が机の上に置いたカバンに顔を近づけた。勝手にファスナーを開けて中の匂いを嗅ぐ。


「…え、なに?」


口元は微笑んではいるが、目は笑っていない耀太に、ゆい子は満面の笑みを返す。


「やっぱり同じだ」


「え、え、何が?つーか、今、嗅いだ?こっわ!何?」


黙っている耀太の代わりに山崎が明らかに引いた反応を見せると、緩んだ口元のままゆい子はゆっくり耀太から距離を取った。それから、視線をなんとなく窓の方に移しつつも、話を続ける。


「カバンの中ってさ、なぜかその人の匂いが凝縮されるよね。家とか部屋の匂いなのかもしれないけど。ロッカーの中とかもそうかな」


外はどっぷりと闇に包まれて、窓には反射した教室内がくっきりと映し出されていた。そちらの世界では、困惑気味にこそこそ椿に話しかける山崎とそれを宥めるような椿、そしてゆい子を冷めた鋭い瞳で見つめる耀太がいた。自分が見られているとは気付いていないのか、僅かな敵意が漏れ出てしまっている。

少しの静寂の後、ゆい子が、あのさぁ、と切り出した。


「手紙からも、耀太くんと同じ匂いがするんだよね」


ゆい子がそう言って視線を戻すと、こちらの耀太はいつもの微笑みを浮かべていた。


「…ああ、もしかして、俺疑われてる?偶然でしょ。同じ香水使ってるやつなんか、いっぱいいるし」


「んー、まあそれはそうなんだけど、香水だけの匂いじゃないんだよな。でも、これは、どう伝えたら良いかな」


「いや、耀太なわけねーじゃん。確かに、お前の嗅覚がすごいのは認めるけどさ、耀太がこんなことする理由がねーよ」


山崎が正義感たっぷりにそう主張すると、ゆい子は考えるようにしながら口を開いた。


「理由、ね…それは、私も知りたいよ。教えてよ、耀太くんなんでしょ?イニシャルだってそうだし」


「は?耀太は、えっと、Y.Nだから関係ないだろ」


そう言い切ってからすぐ、山崎は「あ」と野太い地声を響かせた。何か思い当たる節があるようで、段々と気まずい表情に変化していく。


「そうだよ、たっくんが教えてくれたんじゃん。昔は“高梨たかなし耀太”だったって」


耀太の元に美咲が訪ねて来たあの日の放課後、山崎と二人で歩いた駅までの道をゆい子は思い返した。

何がそうさせたのかはゆい子には分からなかったが、山崎は聞いてもいないのに捻り出すようにして耀太のことを語り出したのだ。それも、どこか寂しそうに。



――耀太の母親はかなりの美人だったって。しかも代々続く地主の娘さんだから、親父さんは婿に入ったらしい。


――高梨って言えばあの辺では有名な大地主だって母ちゃんが。


――耀太が産まれてしばらくして母親が男遊びするようになって。親父さんと喧嘩が絶えなかったって。金銭感覚の違いとかもあったんだろうけど。


――ついに離婚することになって、母親は男と出て行ったんだけど、今度は母方の両親が跡継ぎに耀太をよこせって言い出して大揉めして。


――耀太も子供ながらに色々察したのか、遠くに行きたいって必死に訴えてたらしい。親父さんは耀太を連れて逃げるように、薫さん達の近くに引っ越して来たんだって。


――耀太はその頃の記憶があいまいらしい。




「でも今は、中村だよ。高梨に拘りなんてないし」


耀太が顔色一つ変えずに微笑んだ。


「…自分から白状するつもりはないんだね。耀太くんの口から聞きたかったんだけど」


そう言ってゆい子がため息を吐くと、椿が一枚の写真をそっと机の上に置いた。

そこには、正面玄関でロッカーに手紙を入れている人物の横顔が写っている。そのロッカーは、位置関係や番号からゆい子の物であることが分かり、写真の右下には撮影日と思われる十月四日の日付まで印字されている。


そして、手紙を入れている人物は、その端正な横顔は、誰が見ても耀太だった。

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