第7話 怪異

 茜色の空は濃淡のように広がり、太陽の反対側は濃い紫色に染まっていた。視線の向こうに見える街並みも陰に溶け、窓から明りが漏れている。


 今までも見ていたはずの景色、飽きていたはずの景色。

 それを今になって意識してしまう。こんなにも、綺麗だと思ってしまう。

 前に暮らしていた街ではこんなにも周りの景色を意識したことはなかった。向こうにいたときの俺は何にも興味も期待も持たず、そのくせいつも何かに苛立っていた。


 七時の目覚まし時計、いつも同じ代り映えのない冷凍食品ちょうしょく、流れ作業のような朝のルーティーン。


 ベルトコンベアで流されているかのような通学路。

 交差点ですれ違う人達も外見こそ違うように見えても、その実、皆俺とそうは違わない無機質な存在のように思えた。


 景色とか、それ以外でも此処にはない美しさはあったのかもしれない。

 でも、それに気を留める、留められる人などいったいどれほどいたのだろう。

 俺自身このなんて事のない帰り道を、地面と前方以外に意識を向けたのはいつ以来だろう。


 まだここに来て間もないというのに、いつまでいるのかも分からないこの町を段々と特別に感じるようになった。


 昔に良く遊び来ていたことへの懐かしさから?、いや違う。


「みちると、雫さんか」


 あの二人・・・そう、まるで正反対と言えるあの二人が俺の心に、色褪せた俺の心に色彩をもたらしていた。


 底なしの明るさと笑顔で全ての退屈を吹き飛ばしてくれる、まるで昼の太陽なみちる。


 全く底の見えない口先だけにも見える笑顔でありながら、感じたことのない幻想的で、魅力的な雰囲気を感じる、まるで夜の月のような雫さん。


 どちらも過ごした時間は本当に短いはずなのに、今まで会ったどの人間よりも輝いていて見えるのだ。


 太陽は沈むごとに赤く濃く、そして光は消えていく。

 その景色をぼんやり眺めながら歩く内、前方に小さな公園が見えた。

 ・・・・あそこに俺はいたんだろうか。

 今と同じ空に染まるまで夢中になっていた場所。

 いつからか全く立ち寄ることはなくなったした者には必要なくなった場所。


 砂場にジャングルジム。シーソーからブランコ。楽しかったんだろうな。今ではどう遊んでいたかも忘れてしまったけど。


「――――なに黄昏てんだろ俺・・・それよりも早く帰らないとみちるが・・・・うぎッ!」


 一瞬、顔に鋭い痛み感じた。それは神社で感じたあの痛みと同じ。傷の上を電気のようなものが流れていく感覚。


 直ぐに痛みは治まったが、暫く傷を抑える手を離すことができなかった。


「ハアー-・・・はあ、くそぉ。なんだよこれ・・・・・今まで、こんなことなかったのにい・・・・・・・」


 嘆いていても仕方がないが、暫くこれが続くかもしれないと思うと気が滅入る。

 何より、この事を叔父さんに、そしてみちるに知られる訳にはいかない。理由は単純、心配をかけたくない。というより少しでもこいつに邪魔されたくないのだ。俺のこれから取り戻す日常を。


「――暫くは我慢・・・だなぁ」


 まだ微かに残る痛みを振り払うように俺は走り出した。

 *

「おーそーいー!」


 空はすっかり暗くなり、西の空に薄く紫が残るだけとなっていた頃、如月邸に帰宅した俺を玄関で迎えたのは、大きすぎて肩ひもがずり落ちてたエエプロン姿のみちるだった。


「どこ行ってたの!」


 銃で脅すようにお玉を首元に突き付けられた。


「悪い悪い、散歩してたら慣れない所歩きすぎたみたいでな」


「慣れないとこ、て・・・もう、心配したんだからー!」


 目の下が赤くなっているのが見えた。・・・・やっぱり傷のことは言えないな。


「悪かったって。今度またアイス買ってやるからさ」


「うー・・・・なら許す・・・・・」


 分かりやすいやつめ。


「早くご飯にしようよ、駆遅いからちょっと冷めちゃった」


「俺の事なんか気にせずに食ってても良かったんだぞ」


「やだ!、一緒がいいの」


「だから、早く来て!」


 みちるはエプロンを掛けなおし、ぱたぱたと台所の方へ消えていった。


「忙しい奴だな・・・昔はもっと落ち着いてたのにな」


 俺と会ったばかりの頃は凄くおとなしくて自分から外に出ずに、俺の後ろにくっついてばかりで。年の割に小難しい本をよく読んでいて何だかとても年下には思えなかったのに、よくもまああんな風に成長したもんだ。


 ・・・こんな生活がいつまで続けられるんだろう。あの笑顔がいつまで・・・・

「――――ッ!痛・・・・これも何とかしないとな。このままだと隠しきれる自信がないぞ」


 また頭がジンジンする。

 傷も、痒い。かゆい、かゆいかゆい。


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キズモノの詩 こでぃ @kody05

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