今日も電波塔で龍が死んでいる

ふとんねこ

今日も電波塔で龍が死んでいる


 今日も電波塔で龍が死んでいる。


 蒼天を貫くような電波塔に引っ掛かったまま絶命している龍を見上げて、またか、と痛ましく思った。


 恐らく、森や海、川や湖に逃げるのが遅れたか、逃げるのをよしとしなかったかのどちらかだ。逃げた先も結局人間に保護された地故に、そういう龍は――龍以外も――少なくない。


 夏の唸り声のような蝉の声が辺り一面に響いていた。


 龍や、その他幻想の生物たちの死体を見るのが嫌になって都会からこの町へ越してきたというのに、田舎から少し都会に近づいたささやかな発展をした程度のこの町でも、やはり龍は死んでいる。


 それどころか、都会よりも大きなものたちの数が多くて気が滅入った。昨日は新しく建ったカフェに押し潰された角のあるものたちの長、一昨日は車に躓いてビルの角に頭を打った巨体の妖怪。


 都会では、こまごまとした小さなものたちが表通りのすみや、裏路地でひっそりと死んでいた。最早彼らはあの場所では死にすぎていて、目立つところで死ぬような個体が残っていないだけである。


 ここでは、まだわずかに残った自然の中に辛うじて生き延びていたものたちが徐々に死んでいっている。地方も開発の波からは逃れられない、いや、人々はそれを歓迎している。逃れられずに死ぬのは幻想の生物たちだけだ。


 あの龍はまだ若い。きっと反骨精神で逃げずに空を選んだのだろう。その結果、高くそびえた電波塔に引っ掛かり、その性質に触れて急速に力を奪われ、藻掻き、力尽きて死んだ。

 空を選ぶのならばもっと、もっと高くまで飛ばなければいけなかったのだろう。現にほら、急に降りだした雨は電波塔の龍を悼むもので、降らしているのは更に高所に逃れた龍の生き残りだ。


 だが、あれもいつまでもつか。


 衛星の電波通信に触れればたちまちのうちに墜落するだろう。今は運良くそれを回避しているようだが、今地球の上にどれだけの衛星が浮いていることか。


 最早この地球上に、かつては彼らの領域であったはずの海の中、空の上にすら、彼らの居場所はないのだった。




 仲間を悼む雨を浴び、責め立てられるような心地になりながら家に戻った。電波塔の龍の虚ろな目が私の背を見つめているような気持ちだった。


 自室に戻ると座敷童子の後ろ姿が押し入れの襖の向こうへ消えていくところだった。まだ私がいるから存在を保っているあの子も、いずれは死ぬのだろう。


 そう思うと、あまりにも悲しかった。


 窓に面した文机に向かい、開いたパソコンをぼんやりと眺める。

 彼らの死を目撃している私ですら、こうして文明の利器に頼っていることを情けなく思う。


 この部屋が涼しいのはエアコンのお陰、執筆はパソコンで、それらを動かす電気は、三日前に八咫烏が引っ掛かって死んでいた電線を伝ってここへ来ているのだ。

 発電所ではどれだけの幻想が命を落としているのだろう。電気を生み出した人の罪は重く、どうやっても贖えないレベルでこの世界の神秘を殺した。


 それを悲しく思う、苦しく思う、しかしその心以上に、文明の発展が生み出した「便利」の誘惑は強かった。



 溜め息、この葛藤も毎日のこと。諦めて、手をキーボードの上へ。


 かつての夜を夢想する。満天の星、果てない濃藍の夜空に煌めくその白銀の美しさ。そしてその下、人の踏み入らぬ丘の上に立つ美しいものたち。

 大きな黒い翼が思い浮かぶ。満月のような瞳には、弱っていく友である龍への思いが揺れているのだ。人の愚かさを知りながら、諦念と哀しさと共に生きるひと。


 ああ、どうして。

 これも人の傲慢か。


 彼らが人を憎む姿を、私はどうしても想像できない。

 諦めと哀しみの内には、隠しきれぬ慈しみが浮かんで仕方がないのだ。どうして憎んでくれないのかと、私の手は止まる。

 神秘を、幻想を、あるはずのそれを殺し尽くす私たちを、恨んでほしいのに。


 また、深く溜め息。


 文机の隣に並べてある研究資料をぱらりとめくる。ここにあるのは、私が、彼らはいるのだと、何かに残したくてかき集めた「かつて」に関することばかりだ。


 彼らは人から生まれた。


 自然に親しみ、自然を尊び、自然と共に生きていた頃の我々から生まれた。

 流れる川や空を舞う雷に龍を、夜の闇には佇むものを、森の奥から呼び掛ける声を。


 我々が、生み出してきたはずだ。


 だからだろう、彼らが人を憎む姿を想像できないのは。失われた愛に、憎しみではなく諦めを抱くのは、流転し循環する自然の子ららしかった。


 私は六つの頃に、初めて龍の死体を見た。そのとき、そんな彼らのことを、何かに残したくてたまらなくなったのだ。

 世の中の、幻想の物語を描くものの一部はきっと私と同じ。死にゆく彼らを、繋ぎ止めることを祈るように、思いを筆に込める。


 きっとそれも無意味だと知っている。


 そうしてまた、私たちの書くものが「ファンタジー」という墓標を、「ないもの」という印を、彼らに深く深く、刻み付けていくのだ。


 だから、科学技術の他に、私たちの物語もまた、彼らを殺しているのだろう。ファンタジーなんていう言葉に押し込めて、祈りの真綿で首を絞めるように殺しているのだろう。


 それでも書かずにはいられない。

 雪原に駆けた白銀の狼たちの長を、夜空をも自在に操った黒い鴉を、我々の世界が始まる前に、一つの世界を変えた誰かを。




 一心不乱に手を動かして、出来上がったものをゆっくりと読み返した頃には、日が暮れ始めていた。もうすぐ夜が来る。

 いつの間にか雨は止んでいて、私は凝り固まった体を動かすためにまた外へ出た。雨の残り香が湿度の高い風に乗っている。


 蝉の声はようやく少し収まって、風情のある様子で控えめに夏の夕暮れを囁いていた。


 どこかの家で帰宅した家主がエアコンの電源を入れたのだろう、室外機が動き出す。その上で弱り果てていた鬼がついに掻き消えた。

 夕方の飛行機が数多の人を乗せて目的地まで茜の空を滑っていく。それにぶつかって極彩色の怪鳥が墜ちていった。


 何の幻想もない夜が来る。私たちが殺した夜だ。街灯の下では鬼が死に、住処を失った闇の子らがあわてふためいて倒れていくだろう。

 それでも私は神秘の息づく様を夢想せざるをえない。死にゆく神秘ばかりを眺めて、その幻想を見失いたくなかった。


 空を見上げても星は見えない。

 あの白銀の光はもう人の道行きに瞬いてはくれなかった。



 そう、今日も電波塔で龍が死んでいる。



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