#06 俺は、ずっとお前が羨ましかったんだよ

 さて、七夕当日。あるいは世界改変までのカウントダウン最終日。

 俺達は授業も終えて部室でそれぞれ短冊を相手にうんうんうなっていた。

 とは言え、台風が今まさにその片足を校舎に乗っけているそんな中である。正直、短冊を書く手も鈍る……と思いきや。

 意外や意外。ハルヒと俺を除く三名は楽しそうに(長門はよく分からんが)短冊へと向かっていた。


「今日は晴れそうに無いわね……」


 窓際に立ってハルヒが呟く。そりゃそう思うのも無理は無い。


「台風直撃だそうだからな。仕方ないさ」


 心にも無い事を呟く。窓は今にも吹き飛びそうな頼り無さで、叩き付けられる雨粒に必死で耐えていた。室内にデスメタルのドラムみたいに雨音が響く。


「はぁ……折角、鶴屋さんに頼んで笹も用意したって言うのに」


 ハルヒが手元に飾ってある笹を揺らした。そこには既に書き終えた赤い短冊が三枚吊ってある。言うまでも無く全てハルヒのものな。曰く、リーダーは赤と昔から決まっているそうだ。


「台風一過という言葉が有ります。夜には晴れるかも分かりませんし、取り敢えず吊るすだけ吊るしてみても良いかと考えますが」


 俺の隣で優男が言う。まったく、コイツもどの口でもってそんな事を言いやがるのか。流石は機関の送り込んだ超能力少年、って所かね。嘘を吐くのはお手の物かい。


「それもそうね」


 ハルヒはうんうんと頷きながら新しい短冊を手に取る。お前はまだ願い事をする気か。台風でなくともそんなに欲張ったら叶わないんじゃないのかと……いや、俺が不安に思う必要は無いな。


「台風もなぁ……何もこんな日に来なくても良いんだけどな。空気読めないヤツだ、全く」

「本当ですよね。あ、でも、台風の日ってなんだかワクワクしません?」


 ピンクの短冊をヒラヒラと揺らしながら朝比奈さんが言う。いえ、貴女が居るだけで俺なんかはワクワクよりも和んでしまいますよ。ええ。


「でも、やっぱり台風よりも七夕の方が大事よね」


 そう仏頂面で言うハルヒには同意出来ない事も無い。だが、この台風を呼び寄せた当人が何を言ってやがるんだと、ああ、ぶっちゃけてやりたいのをぐっと堪える。あ、視界の端で古泉が苦笑いしてやがる。


「そう言えば皆さん、台風が来るから生徒は早々に下校する旨の放送は聞きましたか?」

「聞いたけどね。でも、教師が職務怠慢で見回りに来ない以上、そんなのは無視よ無視」


 そう言うと思ったよ。行動と言動が逐一分かり易い団長様で今回ばかりは本当に助かる。素直というか、単純というか。


「わたしは鶴屋さんと一緒に帰る事になっているんですよ。この風雨ですから」

「へぇ。あ、車ですか? 鶴屋さんなら迎えを呼んだりとかも有りそうな話ですね」


 はい、と朝比奈さんは頷く。実際は機関の車が迎えに来ている筈だ。コレは古泉と長門も同様。つまり、この会話は仕込みである。朝比奈さんはその台本通りの台詞を、危惧していた淀みも無く口にする事に成功。

 未来人少女が台詞を噛んだ時のフォローとして考えていた展開が無駄になったのは、別に惜しくも何とも無いさ。肩を竦める俺だけに見える様、朝比奈さんが小さくガッツポーズを取った。ああ、そんな仕草も素敵です。


 俺とハルヒだけがこの学校に取り残される。それが俺達の計画。その第一段階である。取り敢えずは序盤の山は越えたと考えて良いだろう。


「それにしても、よく振るわね、雨」

「台風だからな」


 雨が降らない、風が吹かない方がオカしいさ。


「言われなくても分かってるわよ、それくらい」


 そうかい。だが、この部屋に教師が来ないのはなぜか分かるか、ハルヒ?

 俺は横目で長門を見やる。少女はじっと短冊を見ながら、今この瞬間にも情報操作をしている筈だ。まさに、縁の下の宇宙人。頼りになるなる、長門有希。……「一家に一台、長門有希」の方がキャッチフレーズっぽいな。


「皆! 雨が酷くなって帰れなくなる前に、ちゃっちゃと短冊を書き上げちゃうのよ!」


 ハルヒの号令に伴って俺達はまた、短冊に向かってうんうんと唸り始めた。……俺の短冊、「平穏無事」にダメ出しをしたのはどこのどいつだよ。

 つまらないから? ハイハイ、どうせ俺はつまらない男ですよーだ。


 部室へと顔を出した鶴屋さんに誘われてノルマを消化した朝比奈さんが帰宅。ついで長門と古泉も部室を出て行き、今現在この室内には俺とハルヒしかいない。


 計画通り、とか言ってニヤリとしてしまいたいが、実際はそうでもなく。

 只、単純に俺が書いた短冊がまるで無双系ゲームの雑兵の様にハルヒに蹴散らされていただけだった。

 書き損じの短冊で埋まったゴミ箱を見て「もののあはれ」を感じる俺は、案外風流の似合う男なのかも知れん。戯言だ。聞き流せよ?


「キョン、あんたどんだけ待てばちゃんとした短冊を提出出来るのよ!?」


 俺の書き上げた短冊を千切っては(ゴミ箱に)投げ、千切っては(ゴミ箱に)投げした奴の口から出た台詞がコレである。おい、ハルヒ。自業自得、って言葉を知ってるか?


「知らないわよ! 大体、アンタがせせこましい事ばっか短冊に書くから悪いんじゃない! 挙句の果てに『平穏無事』!? 不思議を追い求めるSOS団の心に真っ向から反逆するなんて……アンタもしかしてどっかのスパイ!?」

「阿呆か」


 古泉曰く。この短冊に書いた願い事は有り余るハルヒパゥワーによって十六年後、あるいは二十五年後に実現しない事も無いかも知れず。

 そんな事を言われてしまえば下手な事は書けないし、かと言って何の欲望も抱いていないような解脱しきった坊さんでは俺は無い。所詮、一介の高校生だ。

 庭付き一戸建ては去年書いたし、今年も被ってはいけないだろう。となると俺が迷うのもむべなるかな。

 そんなこんなで俺がノルマの二つの願い事を書き終えた時には既に午後六時半を過ぎていた。


「……つまんない願い事ね」


 ようやく、渋々とオーケーを出したハルヒが次いだ二の句がコレ。ほっといてくれ。叶っちまうかもしれないって前提で書くとなると中々難しいモンなんだよ。

 流行のゲーム機なり音響機器なりは十六年もすれば既にヴィンテージだし、かと言ってここで下手に結婚願望なんぞを書いた所為で、三十過ぎまでどう足掻いても結婚出来ないとかそんなのは勘弁だ。


 未来の選択肢をこんな下らないイベントで奪っちまう趣味は俺には無いんだよ。

 俺はハルヒの手から緑の短冊を二つ受け取ると、それを速やかに笹に吊るした。チラリと桃色の短冊に目が行ってしまうのは……男の性みたいなモンだと思おう。

 ……朝比奈さん、「早く大人になりたい」って教育番組みたいです。


「良いのよ、可愛いから!」


 そういうモンかい。ああ、そうかい。


 さて、部室を出て下駄箱へと歩を進めた俺とハルヒを待っていたのは、これでもかと言う程の土砂降りだった。この中を帰るのは……勇気と蛮勇を取り違えるなよ、小僧!


「……帰れないわね」

「帰れない訳じゃないが、強行軍だな」


 傘を差せばそれが簡易のパラボラアンテナになる事請け合いの暴風雨。朝比奈さんとか、冗談抜きに飛ばされそうだ。それはそれで愛らしいだろうか。ちょっと見てみたい。


「キョン、突貫!」


 おうよ! 突き抜けろ、青春! ……って、違うだろ。


「ざけんな」

「意気地が無いわね」

「なら、お前が突貫してみろ」

「嫌よ!」


 ……人にされて嫌な事は人にしてはいけません、って幼稚園辺りで習わなかったか、ハルヒさんや?


「しょうがないわね。雨が弱くなるまで部室で待ちましょう」


 全面的に賛成だ。幸いにもと言うべきだろう、校舎に人は残っていないみたいだしな。


「……宿直の教師も帰っちゃったのかしら。珍しいわね」

「ま、所詮公立の教師なんざサラリーマンだしな。給料以上の働きを求めるだけ酷だろ」


 実際は某宇宙人の暗示による事などおくびにも出さずに俺は言った。お、今ならハリウッドから誘いが来てもおかしくないんじゃないか?


「台風ね」

「台風だな」

「暇ね」

「暇だな」

「ねぇ……キョン?」

「なんだよ?」

「宇宙人って本当に居るのかな?」

「何言ってんだ、お前」


 蒸し暑くて頭沸いたか? らしくないぞ?


「らしくない……か。そうね……そうかも」


 短冊が疎らに吊るされた笹を横目で見て、涼宮ハルヒは唐突に語り出した。


「織姫と彦星ってさ」


 少しだけ言いよどむハルヒ。その姿に既視感を覚える。頭の片隅で踏切がカンカンと甲高い音を立てる幻聴。

 ……俺はこのシチュエーションを知っている。去年の五月だったか。

 自分がどれだけちっぽけなのかを、俺に淡々と喋って聞かせたあの時の……そう、あのハルヒが目の前の少女と綺麗に重なった。


「実在するとしたら宇宙人よね?」

「神様じゃなくて、か?」

「神様よりも宇宙人の方がまだ居そうでしょ?」


 どちらも居る訳は無いとか俺の持論はさて置くとして。そうだな……。


「どちらかと言うとまだ宇宙人の方が有りかも知れん」

「アンタでもそう思う!? ……でも」


 でも? なんだ、続きが有るのか?


「でも、宇宙人なんて結局の所、居やしないのよね……」

「はァ?」

「……馬鹿面」


 すまん。俺の聞き間違いだと思うんだが……ハルヒお前、今なんっつった?


「宇宙人なんて実在しない」


 ……聞き間違いじゃ、なかったみたいだな。


「なんでそんなに驚いた顔すんのよ」


 お前がそんな事を言い出すのが不思議だったんだよ。俺の身になって考えてもみろ。日本酒職人が「下戸です」って言ったら普通に驚くだろ。そんな感じだ。察しろ。


「……あんた、あたしを馬鹿にしてない?」

「まぁな」

「否定しないって事は覚悟完了って意味なのかしら?」


 ハルヒが握り拳を作ってこちらに見える様に振り翳す。その姿を見て俺は溜息を吐いた。


「……俺は……俺は、ずっとお前が羨ましかったんだよ」

「え?」

「ハルヒ、窓見てみ。今なら馬鹿面が映る筈だ」


 やり返した満足感に笑ったら、額にスリッパが飛んできた。どこから出したんだよ、コレ。


「で? 何が羨ましいのよ?」


 椅子に座って腕を組み、詰問口調はコイツのデフォなのだろうか。態度がデカいのは生まれつき? 実るほど、頭を垂れる稲穂かな、って良い日本語だろ。


「うーん、なんて言えば良いのか」


 ……ちょいと俺の中でも整理が付いていないんで聞きづらいとは思うんだが。


「宇宙人、未来人、超能力者……俺は残念ながら子供の頃からそんなモン信じちゃいなかった擦れたガキだったけどさ」

「うん」

「でも、居たら面白いだろうな、ぐらいは夢想しなくもなかったんだよ」

「……つまり、あたしがガキ以下だって言いたいワケ?」


 スリッパ二射目が即座に装填される。待て待て。どうして、そうヒネタ受け取り方しかしないんだよ、お前は。


「言っただろ、羨ましかったって」

「だから、何が?」

「俺も、信じてみたかったんだよ。その、お前が言う所の不思議とやらをさ」

「……よく分かんない」


 少女が首を捻る。だろうな。お前と俺じゃ多分物を見るレンズの規格自体が違う。勿論、俺とお前に限った話じゃない。誰だって、たまに似通っちゃいるが同一の視点を持っている人間なんざ居やしないだろう。

 そんくらいは十六年ほど生きてきて理解したつもりだ。だからこそ、シンパシーを大切に感じる事も。


「お前みたくクソ真面目に、この世の不思議を探せる性格に産まれついていたら……少なくとも諦念なんかは抱かなくても済んだんじゃないか、ってな。そう思う訳だ」

「……要するにツマンナイの?」

「最近はそうでもないけどさ」


 だが、お前のそれは砂の下に必死にロマンを追い求める考古学者みたいで、正直嫉妬の対象だ。


「アンタがあたしに嫉妬……」


 そうだよ。だから、その涼宮ハルヒが宇宙人の存在を疑問視し始めれば、俺の調子も狂う。


「なんで、あたしの変調がアンタに関係有るのよ?」


 太陽の女神様が岩戸に隠れちまった時、他の神様は皆大慌てだったそうだ。


「これ以上は聞くな」

「……っっ!?」


 その顔を分かり易く赤く染めて……俺も臭い事を言っちまったと思ってるから引き分けって事にしておかないかと言い出す前にまたスリッパが飛んできた。鼻頭が痛い。


「んで? 何がどうしたらこの期に及んでお前が宇宙人を否定する様な事態になるんだ?」


 スリッパを顔にくっ付けたまま、そんな疑問を投げかける俺はさぞかし滑稽だっただろうよ。ほっとけ。


「……今日は何月何日?」

「七月七日」

「七夕よ」

「さっきまで短冊に強制されて願い事書いてたんだ。言われんでも分かる」

「アンタ、また下らない願い事してたわね」


 うるせー。アレでも俺的には石橋を叩いて叩いて叩き壊す慎重さと大胆さを併せ持って書いた渾身の内容なんだよ。


「でもね。あたしはキョンとは違うわ」

「はいはい、そうですか」

「あたしは真面目に考えて願い事を書いたのよ!」

「……あれ、マジな願い事なのか?」


 思い返す。日本沈没とか、日本以外全部沈没とか、両方が同時に叶ってしまったら人類は水棲生物になる以外生き残る道が無いんだけどな……。

 海底都市、ってのも浪漫か。だが、半世紀は気が早い。


「あったり前じゃないっ!」

「……いや、今更何も言わねぇけど」

「だから、叶って貰わないと困るのよ」


 一つだって叶って貰っちゃ困りまくる様な短冊吊るしてるヤツの言う台詞では無い、絶対に。こんなんが神様だってんだから、俺がそれを頑なに信じない気持ちも察してくれ、誰かさん。


「なんか言った?」


 いーえ、なんでも。下手な事を言ってスリッパのおかわりを貰うのは丁重にお断りさせて貰うとするさ。ソイツは一足で十分だ。

 俺には足は二本しかないんでな。


「十六年後でも二十五年後でも、この際往復掛かって三十二年後でもまぁ、大目に見ようじゃない。でも、叶って貰わなきゃ困る事ばかり書いたの」


 ばかり、って……笹に吊るしてあるの四つじゃねぇか。


「この笹だけじゃ勿論、無いわよ。商店街、大型デパートその他諸々。二十は吊るし上げたわね」


 なるほど、最近テスト終了と同時にクラスを飛び出して行ったのにはそんな裏事情が有った訳だ。納得。それにしたって随分と強欲じゃないかい? ……聞いてねー。


「だってのに、その肝心の織姫と彦星が居なかったら、あたしの願いはいつまで経っても叶わない!」


 ダン、と机が叩かれる。おい、お前の拳は鉛か何かで出来てるのか? かなり良い音がしたぞ、今。そうツッコミを入れようとして……息を呑む。

 ハルヒが今にも泣きそうな……涙を必死に堪える子供のような横顔を見せる。モンだから、俺は得心した。


「それで神様よりは宇宙人の方が実在するかも知れんって話に繋がってくる訳か。だが、そもそも宇宙人が存在していなかったら……」


 そっか。そういう事、ね。

 ようやく理解したよ。コイツが何を思い、何を望み、なぜに諦めたのか。

 今回の事件の真相は、こんな単純な子供染みた理由だったって、ああ、俺達らしいオチだぜ、全く。

 ……やれやれ。


 愛すべき馬鹿、ってのはコイツみたいなヤツを言うんだ、きっと。

 夢を忘れそうになって、短冊に吊って必死に空へ送り出したSOS。星に届いたかどうかは知らないさ。でも、星に届かなくても。

 俺達には、ちゃんと届いたぞ。


 だから……後は、任せとけ。

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