3-2 村娘の初陣
落とし穴を滑り落ちた勢いに任せて、床に投げ出され尻もちをつく。
いててて……。と、痛がっている場合じゃない。
「ねえ、あなたは大丈夫? ……って、あれ」
一緒に落ちて来たはずの男の子の姿がない。顔を上げた私は、あるものを見つけて息をのんだ。
水路とは打って変わって明るい、球のような形をした広間のような場所。そして、私のすぐ目の前に、子供たちが倒れていた。みんな気絶して、逃げられないよう身体を縛られている。
どういうことだ。とにかく、縄を解いてあげないと!
駆け寄った私は、抱き上げた子供の顔を見て動きを止めた。手足を拘束されたこの子は、彼と……さっきまで一緒にいた男の子とそっくり。
じゃあ、さっきまで一緒にいたあの子は……?
『残念だったな』
耳元で囁き。振り返る前に、服を貫いて肩に刺されるような痛みを感じた。
「ぎゃっ!」
『もう少し考えてみるべきだったのだ。水路への抜け穴が、ちょうど子供が通ることのできる大きさしかなかったのを貴様も見たろう』
首を片手でおさえながら、大きく飛び退く。私の背後には、さっきの男の子が立っていたが、その姿はみるみるうちに、白い邪眼と毒蛇の髪を持つメデューサのものに変わっていく。
毒蛇の髪。
私が肩に触れる手を震えさせると、メデューサは哄笑を広間に響かせた。
『そう、私の毒を食らった貴様はじきに死ぬ。星座の守護を受けておらず、この邪眼が効かないというならば、こうして犬死にさせるだけのこと。なあ、知っているか? 我らがメデューサ族も貴様らのように《権能》を持つことがある。私は擬態の力を持っている』
そう言ってメデューサは、身長を縮め、頭の毒蛇をしまうと薄茶色の髪を生やした。開いたその目は緑色。つまり、私の姿に変身したのだ。
なんて悪夢だ……。
すっかり私に成り代わったメデューサは、キシキシと奇妙な笑い声をあげた。そしてメデューサは、広間からいくつか伸びた出口の穴から出て行こうとする。彼女は私のふりをして、クラリス様を襲いに行くつもりだ……と、そこまで考えが至る前に、身体が先に動いていた。目の前に飛んできた手斧を避けて、メデューサは私を睨んだ。
『この犬ハエが、うっとうしい!』
次の瞬間、私は蹴られて広間の中央に吹っ飛んでいた。床に散らばる膨らんだたくさんの袋に受け止められて、そんなにダメージはなかったが、その時に香った匂いにハッとした。
袋の破れ目から黒い粒がこぼれているのを見つける。これ……火薬?
こんなにたくさんの火薬を集めて何を? いちいち考えるまでもなく、メデューサの目的が明瞭になってくる。地下道に閉じ込められる前の廃墟の爆発。あれがもし、子供に化けたメデューサによって、王都のいたるところで起きたら。そして、地下に仕掛けられたこの大量の火薬で、地上の王宮が吹き飛ばされたら。
王都の陥落。
これは立派な反乱だ。
だとしたら、私のすることは一つ。私はこぼれ落ちた火薬を拾って、毒蛇に噛まれた肩の傷に乗せた。怪訝な顔で見下ろしてくるメデューサに構わず、袋の山から距離を取ると、傷口の火薬を星くずマッチで爆発させた。
「うぐっ……!」
『なっ?!』
ぎゃあああ……っ! 痛いっ! これ、信じられないくらい痛い!
でも毒蛇に噛まれた時にはこうするのが一番いい! そう村の猟師さんに教わったし! ありがとう、最近頭のてっぺん辺りの毛がちょっと危ないことになってる猟師のおじさん! こんど育毛剤をお土産に持っていくね!
蛇に噛まれたら、毒が全身に回る前に患部ごと吹き飛ばすべし。素晴らしくクレイジーな応急処置だが、それで命が助かるなら、火薬がちょうどよく手元にあったのはむしろラッキーだ。私はあぶら汗を垂らしつつも、頭を上げてメデューサに引き攣った笑顔を見せた。
「に、逃がさないぞお、この化け物め……! 村娘を舐めないでよね!」
『な、何をそこまでして』
這い上がってきた私を、若干引いた目で見ていたメデューサに、斧を振りかざす。慌てて避けたメデューサは、私の姿のままで反撃しようとしてくるが、斧が重くて動きづらい上、武器としての扱いに慣れていないらしい。
本来、メデューサ族は剛腕と蛇の胴体による機動力の高さを誇る。それに加えて邪眼と毒蛇の髪、またさっきの話から、権能のようなものまで持っているらしいので、本来の姿のメデューサには私は敵わなかっただろう。しかし、私に擬態したのが運の尽きだ。弱点はいくらでも知っている。
『おのれ……!』
この姿のままではまずいと気付いて、メデューサが擬態を解こうとする。しかし、私はメデューサがやっと頭を毒蛇の髪に戻した時には、すでに懐に潜りこんで、斧の柄を握りしめていた。
「終わりだ!」
脇腹をめいっぱいの力で突く。私の姿をしたメデューサは、なぎ倒されながら吹っ飛んでいく。
壁にぶつかって、メデューサは床に崩れ落ちた。私は息をあげながら近付き、慎重に彼女の様子を確かめる。目がもともと白く光っているので、白目をむいて気絶しているのかどうか判断がつかない。でも、しばらく経っても反応がないので、倒すことができたみたいだ。戦闘自体はオリバーの時よりあっけなかった。
やった……。そう思った途端に、ぐらりと目眩がして、その場に座り込んだ。肩の傷がさらにひどく痛むようになってきた。血を垂れ流したままなので、貧血も起きそうだ。
メデューサにとどめを刺そうかとも思ったけど、少しここで休憩しないとまずい。止血をして、体力が回復したら、おそらくこの広間からどこかへは通じているだろう出口を探し出して……と、いろいろな思考が巡る頭をおさえて、床に倒れた。
ずるずるずる……。
変な音がする。これって幻聴かな。どうしよう、私の容体、かなりやばいのかも。
ずるずるずる……。
近付いてくる。どこかで聞いた音だ。私は薄目を開けた。
うねうね動く髪の毛。青銅の腕。そして、ずるずると床を這う、蛇の胴体……。
メデューサ。それも、三体はいる。
『おい、《擬態》がやられているぞ』
『こんな紅騎士の若なすびなんかにしてやられたわね』
『こうなったら仕方がありません。変装して爆薬を仕掛けるなどとまどろっこしいことは抜きにして、王宮に乗り込み脅しをかけましょう』
そうか、忍びこんだメデューサは、単体とは限らなかったんだ……。
最悪だ。地下道には迷い込むし、仲間のオリバーは気絶させるし、子供のふりをしたメデューサには簡単に騙されるし、やっと倒したと思ったらこれ。結局私は、何も役に立つことはできないのかな……。
『《擬態》の奴が捕まえたガキどもとこの騎士、上手いこと使う方法はねえか?』
『そうねえ。人質にとって、あの王女をおびきだすくらいの使い道しかなさそうだけど、応じるかしら? チビとこんな下っ端で』
『とにかく、我々はあの方の指示に従わなければ。なんとしてでも例のクラリスとかいう悪魔を引きずり出さないと』
メデューサたちが何やら話し合っているのが聞こえる。私はもう動く体力もなく、そっと目を閉じようとした。
クラリス様……。
「ずいぶんと私にご執心なようで、ちょっと恥ずかしいなあ! メデューサの諸君!」
ふいに、底抜けに明るい声が天から響いた。
私は、どこにそんな余力があったんだという勢いでガバッと起き上がった。
見上げた天井に、その姿はない。しかし、「わははは!」という笑い声は依然として聞こえる。その声が大きくなっていくとともに、天井にヒビが入って割れ目が広がっていく。
『な、何が起きている?!』
「私のホームグラウンドにわざわざやって来てくれてありがたい! 歓迎しよう!」
ボゴッとついに天井に穴が空き、そこから青い空がのぞく。ああ、そうか、ここは王宮の庭の真下だから。
ふわりと広間の中央に降り立ったクラリス様は、驚きで呆然としている周囲のメデューサたちには目もくれず、私のことを見つけると、ウインクを一つ投げてきた。
「よく頑張ったな、ルイーゼ・スミス。後は任せなさい」
「は、はいっ!」
うそ。
うそうそうそ、クラリス様、ルイーゼって……今まで「新人諸君」とか「新人さん」としか呼ばなかったのに……私の名前、覚えていてくれた!
言葉にできない感動に打ち震えていると、「大丈夫か!」という声が聞こえた。現れたオリバーは身体を震わせている私を見て、真っ青になりながら駆け寄ってきた。
「どうした、ルイーゼ、毒にでもやられたか? あっ、肩も怪我してる! おい、しっかりしろ!」
「メェ!」
ハネルも無事だったらしい。ああ、よかった。
いつの間にか続々と広間に騎士たちが集まっている。マチルダさんはクラリス様を見るなり「テメこらあ! 庭に穴を空けてんじゃねえ! 後で姫さんが自分で片付けろよ!」と怒っている。いやー、と苦笑いするクラリス様の周りで、メデューサたちは大慌てだ。
クラリス様はそんな彼女たちに「さてメデューサの諸君」と語りかけた。
「ここで君たちが降伏するなら、命は保障しよう。いつからこの暴動を計画していたのかとか、製造は王宮の専売特許である火薬をどこからこんなに手に入れたのかとか、聞きたいことは山ほどあるのでな」
『ふ、ふざけるなこの野郎!』
メデューサの一体が、近くに倒れていた子供を抱え上げて叫んだ。
『こいつの命が惜しければ、今すぐお前は……うぎゃっ?!』
メデューサが全て言い終わる前に、クラリス様が動いた。
目に見えないほどのスピード、という訳ではなかった。むしろ、クラリス様の動きは一挙手一投足までよく見えた。腰を落として剣を抜く。自然で美しい身のこなし。舞を踊るように身体が回転して、光が飛び散る一瞬……。
ハッと気が付いたら、三体のメデューサは床に倒れており、クラリス様は剣を腰に戻していた。
……すごい。余計な動きも音もなく、ただただ綺麗だったという思いだけが頭に残る幻術のような剣。
涙が伝う私の顔を見て、オリバーがぎょっとした。
「ルイーゼ、本当に大丈夫か。やっぱり傷が痛いんだな?」
「そっちも痛いけど……うう、今は胸が苦しい……」
「なんだって! まさか心臓に作用する毒が……?!」
「メェ……」
感動と興奮で暴れ回る心臓を静めようと胸をおさえる私と、そんな私をおろおろと心配しているオリバーを、なぜかハネルが呆れた顔で見ていた。おかしいな、羊ってあんまり表情が分からない動物のはずなんだけど。
メデューサを沈めたクラリス様は、集まってきた騎士たちにあれこれ指示を出して、火薬の袋の山を撤去させたり、子供たちの拘束を解かせたりしている。マチルダさんがメデューサの巨体を『狩人の腕』で器用に三体まとめて持ち上げ、新人騎士たちが歓声をあげた時に、クラリス様はふと、壁際でうずくまっている男の子に気付いたようだった。
「おや? どうした、少年。怪我でもして動けないのか?」
三角座りをしている男の子の視線に合わせようと、クラリス様がしゃがみこむ。その様子をぼんやり見ていた私は、ハッと気付いて叫んだ。
「クラリス様、離れてください! その子は……」
私が倒したメデューサのいた場所にいる。
私の叫びを聞いて振り返ったクラリス様の前で、男の子が顔を上げる。しかし、その目は白く発光し、髪が瞬く間に蛇へと変わる。
『はははは! 死ね、徒花の悪姫がっ!』
いっせいに何百もの蛇が噛みつこうと牙を剥いた。が、すでに遅かった。
『はははは……あ?』
ごろんと床に落ちる鈍い音。
メデューサの生首が、クラリス様の手で拾い上げられた。
……殺した?
「おお、さすが団長! あの至近距離でとっさに剣が抜けるなんて」
「往生際の悪いメデューサめ、せいせいするぜ」
沸き上がる騎士たち。マチルダさんは肩をすくめる。そして、クラリス様に近付くと、ハンカチを取り出してぐっと押しつけた。
「姫さん。ほっぺ、引っかかれてる」
「……あ、本当だ」
蛇の牙がかすったのだろうか。クラリス様が、頬からわずかに流れた血を指で拭い、ハンカチをマチルダさんに返す。真っ白なまま帰ってきたハンカチを微妙な顔で見つめたマチルダさんは、注意して聞かなければ喧騒にまぎれてしまいそうな小さな声で言った。
「甘いんだよ。そうやって情けをかけていると、いつか死ぬぞ、お前」
その言葉に、クラリス様は笑ったまま、何も返事をしなかった。
私はその光景を眺めていたが、オリバーに「どうかしたか?」と声をかけられて、彼の方を向いた。
「……今、クラリス様がさ」
悲しい顔をしているように見えたの。
そう言おうとしたけれど、マチルダさんの「怪我人は即時王宮の医務室へ運び込むこと! とは言っても、ひとりしかいないんだがな」という号令と、続いて起きた笑い声にかき消されてしまった。
「ルイーゼ?」
「……」
「うわっ!」
そこで、今更のように私は体力が限界に達していたことを思い出し、床に崩れた。
気絶した私が医務室で目を覚ますのは、それから十二時間後……。
*****
メデューサ討伐編、これにて終了!
次回からは王宮の内情編、あるいは村娘の愉快な仲間たち編です。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます