カルぺ・ディエム 外伝 〜楽しくお仕事in異世界〜

少尉

第1話 国王のお仕事

都市国家エルム。


ハーフエルフの国と呼ばれる都市の最奥、王宮内の一室には、二人の人物がいた。


「……私に王の職務は向いていない気がしてきたぞ」

 

そう愚痴をこぼすように、この国の女王は呟いた。


彼女の目の前には大量の書類が積まれており、その量から察するにここ数日、あまり睡眠を取っていない事が窺える。


「そんな事はないさ、クリスティーナ。君はよく頑張っているよ」


そう言って彼女を励ますのは、クリスティーナの兄――ヨハン・エルム・フォン・アインザームだった。

 

もっとも王位継承権を放棄して、国民になった彼は、ただのヨハンと名乗っている。

正確に言えば、宮中伯として召し抱えられたが、彼はただのヨハンと名乗っていた。


彼は机に突っ伏した妹の頭を優しく撫でる。

 

「お兄様は、ずるいな……」

 

そう不満を漏らす女王の顔は、どこか嬉しそうだ。

 

「言っただろ?僕は王の器じゃなかったんだよ」

 

そう返すヨハンの表情は柔らかい。

兄の言葉に妹は何も返さず、ただ撫でられるままにしている


「人には向き不向きがあるか……」

 

はぁ、とため息をつくクリスティーナ。

 

その様子を見て、ヨハンは苦笑する。

聡い彼は、次の言葉が予見できたのだ。


「この書類の山は、お兄様向きの仕事だぞ」


「宮中伯達の陳情を僕が整理して、あとは君が決めるだけにしたんだけどね」

 

予想的中し、大袈裟なため息を吐くヨハン。

そんな兄の様子を見て、クリスティーナはクスクスと笑う。

 

「お兄様には、馬車馬のように働いてもらうのだからな」

「まったく……人使いが荒いなぁ」

「私は王なのだ。当然であろう?」

 

得意げな表情を浮かべる彼女に、ヨハンは降参だと肩を竦めた。


クリスティーナは、兄をからかい鬱憤を晴らすと、一番上の書類をぺらりとめくった。

 

そこには国の運営についての意見書や嘆願書などが多く書かれていた。

どれもこれも、王が決めなければならないものばかりである。

 

(全く……もう少し優秀な人材が欲しいものだ)

 

そんな事を思いながらも、彼女なりにしっかりと目を通し、可否を下していく。

ふと一枚の報告書が目に入った。


「これは……?」

 

それは錬金術ギルドからのものだった。

内容は、作物の収穫効率を上げる為の研究費の申請である。


——国が発展するには、どうすればよい?


——1人の人が、1人分の食料しか作れないのでは、物を作る余力はありませんよね?


——なるほど。食料生産の効率化が、基礎であると言いたいのだな


昔、私の道化師が当たり前の事のように言っていた事だ。

確かにその通りだと思った。

それを実現できるのなら、彼の見ている世界に近づける気がした。


そして彼女は、その研究資金を出す事にした。


次に手に取ったのは、市民街の教会への寄付金に関する嘆願書だった。


「屋根の修理費用に、孤児院への援助……ふむ」

 

この国にも教会は存在する。

しかし、市民街の教会はお世辞にも立派とは言えない木造の建物が多かった。


「そういえば以前見た教会は、ボロボロだったな」

 

そう言って思い出すのは、10年以上前に遡る。

当時まだ幼かったクリスティーナは、興味本位で教会へと足を運んだのだ。

 

そこで見た光景は衝撃的なものだった。

礼拝堂の天井は雨漏りでもしたのか、至る所がシミだらけでボロボロだったのだ。

床板も所々腐っており、今にも抜けそうな箇所もある。

 

だが、そんな建物の中で祈りを捧げている者達がいたのだ。

彼らは皆、とても澄んだ瞳で祭壇を見つめていた。

 

そこには一体の古びた像が人々の祈りを受け止めて立っている。

その姿はまるで聖母のようで、幼いクリスティーナはその神々しさに目を奪われたのだった。

 

今でも鮮明に覚えているその光景を思い出しながら、彼女は嘆願書を机に置いた。

 

——神の加護があらん事を……

 

そう呟いて、クリスティーナは窓から空を見上げた。

 

「今日もいい天気だ」

 

雲一つない青空に目を細める。

そんな彼女の耳にノックの音が届いた。

 

「入るがよい」

 

この部屋の扉を叩けるという事は、それなりの身分の者なのだ。


だが、そこに貴族の姿はなく一人の獣人の少女が立っていた。

少女はクリスティーナの専属料理人であるルルだ。

 

彼女は部屋に入るなり、無作法でズカズカと王女の前へやってきた。

そして持っていた紙を手渡すと一言だけ告げる。

 

「料理人達からの嘆願書なのです」

 

その言葉にヨハンは面白そうに笑った。

 

嘆願書は宮廷の文官が目を通し、宮中伯の決裁を得た後に、更にヨハンが確認をしてから処理される決まりになっている。

 

つまり、今回の請願書はその全てのルールを無視して、提出された事になる。

しかも、提出した者は王宮で働くただの料理人という地位にある人物であり、国王に直接要望を伝える事など不可能なのだ。


だが、クリスティーナはそれを当たり前のように受け取った。

なぜなら、彼女達は共に旅をした友人だったからだ。

だから、それを知るヨハンは楽しそうに笑っているのだ。


クリスティーナは書類に目を通した後、署名をして印を押した。

 

「これで、よいのであろう?」

「はいです!」

 

満足そうに頷くルル。

そんな二人を見てヨハンは苦笑した。

 

「このやり取りは他の者には見せれないねぇ」

「そうであるな」

「ルルは問題ないと思うのです」

 

そんな兄妹のやりとりを他所に、ルルは別の目的を思い出す。

 

彼女の手にはバスケットが握られており、その中にはクッキーが入っていた。

 

賄賂である。

 

その効果は抜群で、それを見たクリスティーナの顔がぱぁっと明るくなった。

早速と言わんばかりに手を伸ばしかけた所で、ふとその手を止める。

 

「……お兄様も食べるか?」

「僕も共犯というわけだね」

 

そう言いながら、ヨハンもバスケットへと手を伸ばす。


それを見て笑みを浮かべた女王は、一口サイズのクッキーを口に運ぶ。

サクッという音が心地良い。

 

口の中でほろっと崩れる食感を楽しんでいると、甘みが口一杯に広がる。

同時に紅茶の香りが鼻を抜けていった。

流石、ルルお手製のクッキーだと感心する。

 

(相変わらず美味しいな……)


「……それよりもそろそろ時間だよ?」

「わかっているとも」

 

時計を見ると針はお昼を指していた。

 

今日は市民街の職人ギルドの組合長と会食なのだ。

意見書や嘆願書の文字からは読み取れない情報や要望を聞ける貴重な機会なのだ。

 

そうやって得た情報を元に国王は、この書類の山に判断を下していく。

 

全ては自分を信じる民の為だ。

だが、クリスティーナの政務能力は秀でているとは言えなかった。

 

民にとって幸福なのは、それをこの女王は誰よりも自覚しているという事だろう。


「さて……行くか」

 

椅子から立ち上がったクリスティーナは、大きく伸びをする。

そんな様子を眺めながら、ヨハンは微笑んだ。

 

「ルル、今日の献立を先に教えてくれぬか?」


彼女の質問に対してルルは即答する。

それはいつも通りのやり取りだった。


ハーフエルフの国は今日も平和な一日が過ぎようとしていた。


 

 

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