第50話 再開を約束して

「次に行く都市は決めたの?」

「いや、まだだ。色々あるから迷ってて」


 サルラードシティの外縁部から少し離れた野外で、ロアはリシェルとランの二人に見送りを受けていた。


 溜まった金で晴れて自分の車両を手に入れたロアは、時を置かず、サルラードシティを出立することを決めた。もう少し滞在しようかとも思っていたが、リシェルたちが近いうちにここを離れると聞き、それなら自分もと拠点を移すことにした。あるいは例の事件がなければ、まだ滞在を続けたかもしれない。そんなあり得ない未来を想像して、何かを忘れるように、この地を発つ準備を進めた。

 この都市で知り合ったのは、あとはバネッサたちくらいだが、別に彼女たちと仲がいいわけでもない。交換した連絡先で軽く別れを告げて、サルラードシティでの出会いに決着をつけた。


「なら、ミナストラマ地域を目指すのはどうかしら?」


 出立の当日。せっかくだからと見送りに来たリシェルたちと、別れの挨拶も兼ねて最後に立ち話をしていた。


「ミナストラマ? シティじゃなくて地域なのか?」

「ええ。あそこにはたくさんの遺跡が固まるように集中していて、複数都市がそこを攻略するために存在してるの。だから探索者のレベルもピンからキリまで様々な上に、各ランク帯が挑めるような幅広い難易度の遺跡が揃ってるのよ。そこ一帯をミナストラマと呼んでいるわ」

「へー、そんなのがあるのか」


 一つの遺跡にの一つ都市。これまでの経験から、自然とそういうものだと認識していたロアは、複数遺跡が存在するとはどういうことなのか興味を抱いた。


「ただその分探索者の数も多いから、実力や影響力が乏しいと稼ぎにくい場所ではあるわね。でも強くなるには申し分ない環境なのは確かよ。ステップアップもしやすいしね」

「そうなんだ。面白そうだし、次はそこに行ってみることにするよ」


 他に行きたい場所もないため、ロアはあっさりと目的地を決定した。


「あっ、そうだ。知ってるかもしれないけど、地雷には気をつけてね」

「なんだそれ?」

「地中に埋まってる爆弾のことよ」


 モンスターの討伐方法は単純な地平戦だけでなく、罠を仕掛けてそれに嵌める手法もある。中でも罠として使われる地中設置型爆弾である地雷は、有効であるが、討伐後は起爆されないまま放置されることも多い。境域では場所によって、地雷が相当数埋設されてると言われている。


「禁止されてるけど、たまに遺跡でも放置されてることがあるのよ。これに知らない探索者が引っかかって、犠牲が出るのも珍しくない話だったりするわ」

「そ、そうなのか」


 言うまでもなく、連合によって地雷含め、トラップ類の使用は制限されている。仮に使用したとしても、後始末は必ず行うよう徹底周知もされている。だがたまに処理を忘れられることや、面倒からあえて残されることがある。それに仕掛けたのとは別の者が引っかかり、被害を受ける。モンスターの探知能力を欺く物も多いため、意識してても完全に避けるのは難しい。そのような理由から、都市によっては地雷の供給を規制したり完全に禁止するなど、厳格な対応を行うところも存在する。


『安心してください。その辺りはちゃんとケアしていましたよ』


 高性能な罠であれど、己の能力なら騙されることはない。力強く言い切る相棒の発言を聞いて、ロアは意識に留めつつも、あまり気にしないことにした。


「リシェルたちはネイガルシティに行くんだよな」

「そうよ。本来の予定とは違うけど、あなたの出身地だと聞いて興味が湧いてね」


 食事をした日から少しだけ会話の機会があり、ロアは自分の出身地であるネイガルシティについて色々と彼女に話していた。それがあったからか、彼女もそこに興味を持ち、行き先を変更していた。


「あなたの知り合いに会うのも楽しみだわ」

「あー、うん。ほどほどによろしく」


 微笑んで言われる言葉に、ロアは苦笑いで答えた。

 ネイガルシティについて語る際、当然のごとくと言うべきか、起こした問題についても教えていた。二十人以上の人間を殺したことや、幼馴染とのざっくりとした関係なんかも含めて。もし行くのなら、自分の名前はあまり出さない方が面倒にならないと忠告したが、どうするのも彼女たちの自由である。積極的に止めることはしなかった。


「それじゃあな。リシェルたちと会えて本当に良かったし助かった。ランもありがとう」


 いつまでも話すこともないので、これくらいで挨拶を終わろうとする。

 ロアからの感謝の言葉に、リシェルの斜め後ろに控えるランは淡々と返した。


「別に気を使わなくて結構ですよ。私はリシェル様のおまけなので」

「確かにあんまり話さなかったけど、モンスターと戦ったとき助けてもらったのにお礼言うの忘れてたから、言いたくて」


 戦闘の混乱で言いそびれた感謝を、最後の機会に口にした。

 律儀な態度にやや意外そうに目を丸くして、ランは軽く胸を張った。


「その感謝は受け取ってあげましょう」

「何様なのよ」


 すかさずリシェルが突っ込む。もう何度目かになる二人のやりとりにロアは苦笑した。

 そして、自分の物である車両へと乗り込んだ。


「じゃあな。ネイガルシティ行ったら、ガルディ爺さんによろしくな」

「ええ、あなたも元気でね。またどこかで会いましょう」

「ああ」


 最後にもう一度、窓から手を振って別れを告げた。そのまま車を発進させた。




 つい先ほどまで会話していた人物の姿が、地平線の先に消え去るのを見送る。

 残されたリシェルとランの二人は、未だその場に留まり雑談に興じていた。


「不思議な子でしたね。他人の話を聞き入れる素直さと、常識に拘らない柔軟さを兼ね備えている。壁の外に生まれて、ああも真っ直ぐ育つとは」

「そうね。彼と一緒にいると、つい気を許しちゃうのよね」

「あの少年に裏表がないからでは?」

「うーん、そうだけど、それだけじゃないかも。投げやりな気もするし」


 話題はこの都市で出会った少年についてだ。出会ってから大した日数は経っていないが、ロアの飾ることのないまっすぐな性格は、境域を渡り歩き多くの人間と接してきた彼女たちに好意的な印象を与えていた。


「それにしても少々意外でした。てっきりリシェル様は、私たちとの同道を提案するかと思いました」

「どうして?」

「大変気に入った様子でしたので」


 からかい気味に笑って言う。


「惚れましたか?」

「それはないわね」


 その問いを、リシェルは即座に否定する。相手の顔色をチラリと伺ったランは、言葉は真実だが、全く興味がないわけではないことを察した。

 誤魔化すようにリシェルが聞き返す。


「そういうあなたはどうなの」

「私、自分より早死にしそうな人は無理なので」

「あー」


 同意できると、リシェルは間延びした声を出した。

 探索者にとって死は身近だ。一流から三流まで、誰にでも死の可能性はついて回る。そんな探索者を恋人にするのは、相手を深く愛してしまいそうなほど難しい。個人を愛せば愛すほど、失ったときは悲惨だ。簡単に忘れられるなら愛など抱きはしない。先立たれる悲しみを味合わないためには、最初から好きにならないのが一番だ。それをよく知る彼女たちだからこそ、そこに込められた意味は複雑だった。

 少しの時間、沈黙が続いた。その間に柔らかな風が、その場の空気を入れ替えるように吹き抜けた。


「……それで、いい加減教えてくれてもいいのではないですか?」

「『何を』なんて、今更聞くのも野暮な話ね」


 前置きは終わりと、ランは本命に切り込んだ。今までの対応とは違い、今回ばかりはリシェルもはぐらかす素ぶりは見せなかった。

 表情を神妙なものに変え、積み重なった疑問の解消を始めた。


「彼は、私たちの求める存在かもしれない」

「アレが、ですか」


 ランは僅かに目を細める。多少なりとも予想はついていたが、自分の勘はやはり間違いではなかったことを知る。


「権限以上の知識を授けたのもそれが理由ですか?」

「そうね。知るはずのない事を知っていて、知ってよさそうな事を知らない。かなり歪な存在と言えるわ。記憶の一部抹消や封印処置を行なっているかとも思ったけど、それにしては物を知らなすぎだった。常識とされるようなことまで知らないのは、いくらなんでもあり得ないわ。確認作業の意味合いもあったけど、その辺の違和感を埋めるためもあったわね」


「ついでに、本人の習得知識のチグハグさ解消のためもね」と、ロアとの間に発生した会話が、相手の内情を探る意味合いがあったことを説明した。


「嘘を伝えたのも、それが理由というわけですか」

「別に嘘は言ってないわ。曖昧でぼかした表現を使っただけ」

「詐欺師の常套句ですね」


 その中には虚偽とは言えずとも、決して事実ではない内容も含まれていた。

 ただ知りたいことはそれではない。ランはそのまま、今回の話の核心に迫る質問を放った。


「では、具体的にそう感じた点を教えてもらえませんか? 私には有望ではありますが、求める人材には程遠いように感じられました。あの程度の才能、決して珍しくはないと思われますが」

「そうね。概ねの見方としては私も全く同じ意見よ」


 ロアと同程度の年齢で中級探索者に至る者は、腐る程いるとは言わずとも、数としては決して少なくない。この年代で頭角を表す者たちが、更なる死線を乗り越えることで、上級探索者へと成り上がる。それを考えれば、ロア個人という才能に、殊更執着する理由は見当たらない。もっと上位の資質を秘めている者に目をつけ、労力を割くべきだ。ランはそう主張し、リシェルはそれを部分的に肯定した。

 少し前の記憶を懐かしむように、リシェルは口を開いた。


「初めて彼と会った時のこと、覚えてる?」

「はい。また不埒な輩が近付いたのかと、思わず斬り殺しそうになりました」

「物騒ね。気持ちは分かるけど」


 モンスター部屋に入るタイミングで、近づいてきた一つの気配。張られた存在感知の質と、通路に潜んでこちらを窺う動き。それは彼女たちに、己を狙う殺し屋か何かだと判断させた。攻撃に出る様子はなかったため見過ごしたが、そうでなければ相応の対処を行っていた。それはリシェルにしても例外ではなかった。

 当時のことを思い出しつつ、ランは発言の意味を質した。


「その時のことが何か?」

「彼ね、あのとき二重で存在感知を使ってたのよ」

「……」

「加えて片方は真髄解析だった。気づかなかったでしょ?」

「……そんな」


 告げられた内容に、普段冷静な外面を崩さないランが大きく目を見開いた。

 そうなるのも無理ないと、リシェルは彼女の驚きを擁護する。


「気にすることはないわ。私でも反応が自然すぎて見逃しそうになったもの。彼に意識を集中させなければ、まず気づけなかったでしょうね」


 リシェルの魔力に対する理解度は、常人を遥かに超える。例えそれが一流の達人であろうと、僅かでも外に漏れ出れば、変化を察知することが可能である。探索者協会の防犯システムや、その場にいた誰よりも早く、自爆犯の行動に気付けたのもそのためだ。

 その彼女の並外れた知覚能力を持ってしても、高度に隠匿された存在感知には一目で気づくことができなかった。


「今すぐ彼の身柄を確保すべきではないですか」


 ランは驚愕を引っ込め、代わりに真剣な表情を浮かび上がらせた。言葉には一部、過激なニュアンスも含まれる。相手の正体次第では、殺害も辞さない構えを示していた。

 いつになく真面目な顔を見せる従者に、リシェルは軽い調子で指を立てた。


「腑に落ちないのはそこなのよ」


 前後の文脈を上手く理解できなかったランは、どういう意味かと怪訝に眉を寄せる。


「会話中ずっと観察していたけど、彼に嘘や誤魔化しを述べている兆候はなかった。仮に私の正体を看破したのなら、少なからず動揺や困惑が揺らぎとして出る筈よ。それなのに、そんな変化は微塵も見られなかった」

「……相当の嘘つきということですか?」

「いいえ。少なくとも違和感に対しては真実のみを述べていた。本人は本気でそう思ってたってことよ」


 伝えられた事実から、推測できる事実を導き出す。


「彼が、無自覚に力を使っていたと?」

「あるいは力自体に意思があるかね。話が前後するけど、私がロアの真髄解析に気づいたのは彼の手を握った後のことなのよ」

「それは」

「ええ、そうよ。私のリーディングに反応する何かが彼の中にあった。それが気づくきっかけになったの。正体までは見破れなかったけどね」


 初対面の相手に握手を求める。これは彼女が相手の正体を看破する際によく行う手である。二層をソロで探索する子供。広げられた存在感知と身に纏う魔力強度。それらに対して、実力に見合わない装備と覇気。相手に興味が湧いたリシェルは、どういう人物か探るため、ロアに身体的な接触を求めた。ランもそれは知っていたため、止めることはせず見守った。

 その結果が、今話された内容である。ここにきてランは、なぜ自分の主人が一人の少年に拘ったのかを理解した。


「計り知れない何かですか……。やはり、今からでも回収すべきではないですか?」

「そう考えるのも分かるけど、現状そうする必要性は薄いわね。力の正体も所在も不明である以上、手に入れても持て余す可能性が高いわ。それにそういうやり方、私は嫌いよ」


 リシェルの言葉に、ランは「失礼しました」と頭を下げる。


「それなら懐柔策はどうでしょう? 飴をぶら下げて釣り上げませんか?」

「それはそれで時期が早いわね。今の彼は所詮、ありふれた一介の探索者に過ぎない。どんな力を有していようと、今すぐ食いつくには色々と足らなすぎる。双方にとってね。今は縁を持てただけで良しとしましょう。その方が私たちの目的に適う筈よ」


 再度の提案を否定され、ランは更なる言葉を重ねようとするも、結局それは引っ込めた。


「……いえ、あなたが決めたのなら私はそれに従います。このことを本家には?」

「姉様には折を見て伝えましょう。その方が後々スムーズに進むと思うから。ただし、他の連中には伝わらないように配慮してね。どこから情報が漏れるが分からないし、勇み足で台無しにして欲しくはないわ」


 彼女たちの仲間には、早急な成果を焦る者たちも多い。彼らの耳に今回の情報が入れば、ラン以上に過激な手段に出る者が現れるかれもしれない。そうなれば築けた関係は破綻する。悪手を打たないためにも、今回の件は秘中の秘とした。


「しかし、本当に良かったのですか? ミナストラマに誘導などして。人が集まるということは、彼の力を見抜く者も自然と多くなります。他所に先を越されるのではないですか?」

「そうなったらそうなったでね。彼の意思を尊重する以上、それも仕方ないことだわ。無理に引き込んで、悪感情を募らせても意味がないしね」


 ともすれば、見つけた獲物を横から掻っ攫われかねない、楽観的で消極的な対応。それなりに長い付き合いがある主人の内心を洞察して、ランは込められた意図を推し量った。直前の言葉にはもう一つ別の意味が込められていたが、それを口にすることはしなかった。


「結局、成果はお預けですか。叶うなら適当に籠絡して、あとは自由に観光でもしたかったのですが。リスティ様にもう少し色気があれば、また違った結果になったかもしれないのに」

「……それを言うのはやめなさい。私も予想外だったんだから。あと口調」


 色仕掛けを行ったつもりだったが、脈なしと言わんばかりに手応えは薄かった。異性として自身に魅力のある自覚があり、意図して惹きつける振る舞いをしたのに、期待した反応はほとんど得られなかった。リシェルは少しだけ、女のプライドが傷ついていた。


「どうでもいい男たちは、その気がなくても勝手に引っかかるんだけどね」

「高級な疑似餌ですね。絶妙な安物感が漂ってるのかもしれません」

「ぶっ飛ばすわよ」


 振る舞いを正して述べられた冗談に、リシェルは怒気を込めて言い返す。ランは悪びれない様子で、「失礼しました」と口だけ謝罪した。

 従者のおどけた態度に、リシェルはわざとらしく息を吐くと、切り替えるように結論を出した。


「とにかく、彼がどんな道を歩むのか。今しばらくは静観といきましょう」


 それが最終決定として下される。ランはそれに異も無く頭を下げた。

 話は終わり、リシェルは最後にもう一度、ロアが立ち去った方向へ顔を向ける。

 そして目を細め、整った顔に冷厳な色を宿した。


「──シンギュラーコード」


 ポツリとそう呟いた。その言葉にランがピクリと反応する。


「まさかね」


 それで話を終わりと、リシェルは常の軽妙な態度に戻し、笑顔を作った。





『ふぅー、ようやく彼女の感知圏内から抜けました。これでやっと息が抜けます』


 サルラードシティを出立してしばらく経った頃。その姿が影も形も見えなくなったところで、ペロが気抜けした声音で呟きを漏らした。

 座席にもたれかかってそれを聞いていたロアは、そんな相棒に向かって疑問をぶつける。


『なあ、リシェルって一体何者なんだ? お前ずっとアイツのこと警戒してただろ。それくらい俺にも伝わったぞ』


 初めて彼女に会った時にペロから感じた違和感。それはなんなとなくのものでしかなかったが、彼女と会うたびに伝わってくる感覚に、ロアはその原因がリシェルたちにあると確信した。珍しく自分の問いを誤魔化した相棒の判断を尊重して、問い詰めるような真似はしなかったが、ずっとそのことは気にかかっていた。

 ロアの問いに、ペロは端的に答えた。


『彼女は魔法使いです』

『魔法使い……? なんだそれ?』


 その答えを聞いて、ロアは頓狂な声を上げる。別に言葉の意味が理解できなかったわけではない。単純に、何故このタイミングでその言葉が出るのか不明だった。


『魔法ってあれだろ。なんか凄いやつ。でもそれって子供の遊び? 妄想? みたいなのじゃないのか?』

『あなたの想像している魔法とは……いえ、違わないですね。要するに、彼女は本物の魔法使いということです』

『本物って……』


 ロアが持つ魔法使いのイメージは、子供が夢想する超常的な力を行使可能な不思議存在である。ロアもまだ幼いと言える頃、孤児の仲間と一緒になって魔法使いになりきるという、そんな遊びをした記憶があった。


『だけどそれって空想の話だろ。実在するわけ……』

『いいえ、魔法使いは実在します』


 否定しようとするロアの言葉を、ペロは食い気味に否定し返した。


『魔法とはつまりは魔の法。上位者の理なのです。元々人々は肉体に魔力を宿してはいませんでした。もっと正確に言えば、存在を知らなかったのです。魔力は精神幽層体から創出する力です。実体世界に生きる人々では、その力を知覚することすらできませんでした』


 そして始まる話。相棒が持つ旧時代の知識に、ロアは黙って耳を傾けた。


『ですがある日、それを可能とする人間が現れた。そして上位者の理に人の身で触れるに至った。それこそが魔法使い。人類最初の超越者にして、人類の支配者として君臨した者達です』


 なんだかすごい話を聞いてる気がして、ロアは緊張しながら問いを重ねた。


『リシェルが、その魔法使いだって言うのか……?』

『はい、間違いありません。あなたが初めて彼女に接触した時、私には彼女の持つ力を認識できました。アレは間違いなく魔法を有する者です』

『そうか……』


 それがどれほどのことかは分からない。ただ、自分の理解を超えた話であることは理解した。


『でもリシェルが魔法使いだとして、お前がアイツを警戒する理由は何なんだ? 普通にいい奴だと俺は思ったけど』

『魔法使いというのは、旧時代において完璧に管理されていました。生まれつき常人離れした力を持ち、暴走すれば災害と呼ぶに相応しい殺戮を齎す彼らは、時に魔神種と同列に扱われるほどの危険視を受けていたのです。完全な制御を身につけるか、その力に封印措置を行うか。そうでもしなければ外を出歩くのも不可能だったくらいです』


 魔法を有した者は、文明が進み技術が発展を迎えても、なお埒外の存在であった。上位存在との争いが勃発する前。既に強力な兵器はいくつか存在していたが、それらに比肩する力を秘めていた。正しく最強の人類。それが魔法使いという存在だった。


『問題は、彼女が自らの正体を偽っていたことにあります。ロアが彼女に好印象を持っていようと、その事実がある以上全くあてになりません。彼女がなぜ一介の探索者のフリをしているのか。どんな理由であなたと友好を結んだのか。そもそもなぜ公然と魔法使いが出歩けているのか。私たちは何も知りません。この時代ではその辺りが全く不明なのです。情報の秘匿が高いレベルで為されているだけかもしれません。彼女が狡猾に隠しているだけかもしれません。なんにしろ、危うきには近寄らずが一番良いのです』


 それで説明を終わる。ペロは必要以上にリシェルに興味を抱かせないため、ロアに渡す情報を制限していた。あるいは知ったことで表層に浮き出る情報から、彼女に正体を見破られたものと判断されるかもしれないことを警戒していた。相手からの興味を引かないためにも、ペロはこの段階になってようやく情報を開示した。


『それじゃあアイツって強かったけど、実はもっと強いのか』

『そうですね。少なくとも彼女単独で、あのモンスターの群れ程度は殲滅可能だったでしょうね』

『マジか』


 サルラードシティ防衛戦。ロアが参戦した段階で、戦闘はすでに佳境に入っていたが、それでも強力なモンスターは何体も残っていた。あれだけでも脅威的な戦力になるが、最終的に倒された数は二千を超えるという話だった。ペロがどちらの意味で言ったのかは不明であるが、どちらでも大した違いは無いように思われた。


『……なら、俺がわざわざ助ける必要なかったのか。覚悟決めたのにちょっと残念だ』

『実力という意味では、確かに彼女たちに助けは必要なかったでしょうね。ですが彼女、リシェルからの感謝の念は本物だったと思いますよ』


 それを聞いたロアは、ペロの態度を意外に思う。


『あいつのこと警戒してたんじゃないのか?』

『してますよ。その上での判断です。何も私も、彼女の一から百までを否定するつもりはありません』


 内実と外面に差があろうと、それは人であれば珍しいことではない。普通のことだ。その上でペロは、リシェルの言動にはしっかりと本心が込められていたことを見抜いていた。

 そのことを伝えられ、ロアは少しだけ嬉しくなる。だが同時に、思うところもあった。


「……あいつも、何か目的があって俺に近づいたのかな」


 ルーマスのことを思い出す。彼の親切は確かに本物だったのかもしれないが、腹の中では別の目論見を抱えていた。どちらがどれだけの割合だったか、正直なところ分からない。ただ彼にしてもリシェルにしても、自分以外を見据えて自分と関係を築こうとしたのか。それがなんとなく心に引っかかった。


『人なんてそんなものですよ。打算なしの関係構築などあり得ません。第一、あなたにとっての私だってそういうものだったでしょう』


 ロアの呟きに、ペロは一部同調する。しかし言葉はそれだけで終わらない。


『重要なのはその先です。関係を築いた後にどうするか、どうなるかです。嫌なら切れば良いですし、留めたいなら維持しましょう。それを決めるのは自分自身です。もちろん相手から切られることも考慮が必要ですがね』

『……うん、そうだよな。ありがとう』


 人間には善い者と悪い者がいる。しかし悪い者だからといって、誰に対しても悪辣なわけではない。家族や友人、仲間や恋人、親しい人間には赤の他人とは別の顔を見せる。ルーマスは自分を殺しにきた敵であるが、性根や心根まで悪人というわけではなかった。誰かを想える一人の人間であった。それはオルディンにしてもそうだ。彼は彼なりに、仲間を想える人間だった。自分にとっては違ったが、彼らとの関係を拒んだのは自分である。だから殺し合いに至った。だがそれは、彼らの全てが否定されるべきことではない。自分と対立しただけの話に過ぎない。

 であるなら結局は、他人との関係がどうなるかは自分次第なのだ。


『モンスターも現代だと敵だけど、お前の時代だと人を守ってたって話だもんな。だったら見方や立場、思い方の違いでしかないんだろうな』


 そう自分の中で結論を出し、気持ちと折り合いをつけた。


『あなたのそういうところも、私は良いと思いますよ』

『そうか』

『はい』


 ペロに褒められて、ロアは照れ臭そうに頬を掻いた。

 ロアという人間にとって、存在は等しく公平なのである。自身に友好的な相手ならば、付き合いの長さに関わらず身を危険に晒してでも手を差し伸べて、敵対的ならば、相手を尊重しつつも排除に容赦を挟まない。相手の選択を、他という個を、どうしようもなく認めている。

 ペロは自身の支援対象が、どこか歪んでいることを再認識した。


『これから行く所でも、いい出会いがあるといいな』


 車窓から見える景色を横目に、ロアは次なる目的地に思いを馳せた。



 話が終わった所で、ペロは全く別のことに思考を及ばせる。


(……予想はしていましたが、この時代にも魔法使いは生まれていた。しかし彼女を見るに、絶対者としての立場は喪失している。当時に近い力関係が、体制側との間で保たれている)


 それはサルラードシティまでに得た情報の総括と、そこから得た現代情勢の推測だった。


(そして魔神種の件。見聞きした情報が事実であるなら、一都市の戦力でも昇華前の個体程度は苦にしていない可能性が高い。この時代は想定よりもずっと、当時の水準に近づいているのかもしれない)


 少し前には後退していると考えていた予想も、今では大きく修正していた。


(あの存在のこともあります。この時代が如何様にして保たれているのか、正しく理解しなければ)


 かつての人類は一つの勢力が権力と武力を掌握し、支配と先導を確立していた。最終的に内部分裂に近い状態には陥ったが、それなりの秩序は保たれていた。

 だが現代は違う。支配勢力は存在するが、バランスは混沌としている。平和や安定には程遠い。武力は各地に散乱し、完全なる統制は図れていない。


(これは非常に危険な状態と言えます。ともすれば、大戦の末期よりも酷いもしれない)


 見極めを怠れば、思わぬところで破滅を引く危険性が出てくる。それだけは回避しなければならない。


(ロアが強さを求めてくれるのは良い傾向です。その方が私の存在意義にも適います。強くしなければ。私はそのために生まれたのですから)


 その擬似人格は、自らの実在理由を強く意識した。

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