第49話 続ける理由

『結果的に彼の名誉を守る形になりましたね』


 サルラードシティを襲った一連の騒動は収束した。今回の騒動の原因は、連合に否定的な立場を持つ反体制派の仕業であると、都市から正式に発表がなされた。詳細な内実までは公表されなかったが、大多数はそれで納得した。境域に住んでれば日常茶飯事とまではいかずとも、こういった事態に見舞われることは珍しくない。各々事故にあったような感覚で、そういうものだと消化していた。

 襲撃犯の一部は顔写真や名前を含めて情報が公開された。そこにはサルラードシティを拠点していた探索者の姿もあり、彼らを知る者たちに少なからずショックを与えた。公開後数日間はその話題でもちきりとなった。

 襲撃犯の中にルーマスの名前はなかった。遺跡探索中による行方不明扱い。そう処理されていた。探索者にとってそれは、実質的な死亡を意味する。迷宮に挑んだ際、襲撃者として交戦して死んだものと見なされた。襲撃当時、迷宮内にいた者はそう処理された者が多かった。迷宮が死体を含め、嘘の全てを飲み込んだ。二重生活を続けた男は、最後まで周囲を騙し切った。


 防衛戦の事後処理がされるタイミングで、ロアのランクは上がった。ついに中級の壁を超え、DDランク探索者となった。同時に権限も上昇し、アクセスできる情報や受けられる支援が増えた。端末からその報告を受けたロアは、協会へと足を運び、そこで中級探索者用の登録証に更新した。希望すれば体内埋め込み用のものに変えられるとのことだったが、それは断った。いずれそうするにしても、今すぐやるには覚悟が決めきらなかった。どちらも再発行には50万ローグがかかると告げられた。高い筈なのに、あまりそう感じなくなった自分に、金銭感覚も中級になったと苦笑した。


 たんまり溜まったエネムの換金もした。実質一層にいた全ての探索者と、三層に出現するモンスターからの獲得エネム。それだけで過去最高の稼ぎとなった。そこに加えて、緊急強制依頼の報酬も支払われていた。意外にもと言うべきか、その報酬額は迷宮で稼いだ分よりもずっと多く、一気に小金持ちとなった。


 それの使い道を考えていたロアは、リシェルから連絡を受け取った。

 その内容は、助けられた礼として、また食事に誘いたいとのことだった。




 連絡を受けてから数日後、ロアは自分の宿泊する宿の前で迎えを待っていた。現地集合ではなく、わざわざ迎えに来てくれると言われたためだ。その際、武器の類は置いてくるなど、諸々の注意事項も付随されていた。

 待ち合わせ時刻になると、見覚えのあるカラフルな色合いの車両が近づいて来た。近くに停車したそれにロアが近寄ると、ドアが勝手に開き、車内の様子が露わになった。


「待たせたようで悪いわね。乗ってちょうだい」


 持ち主の許可が出たので、ロアは高級感ある車内に乗り込んだ。乗員が一人増えた車は静かに走り出した。

 座席に座ったロアは、対面に座る同行人の格好を見て少し驚く。リシェルは袖が短く膝下あたりまでが隠れた、赤色のドレスを纏っていた。ランの方もハッキリとは分からないが、色違いなだけで似たような服装をしている。二人とも、探索者の無骨な装備とは違う、煌びやかな格好に身を包んでいた。

 対面で微笑み、足を組みながら座るリシェルに、ロアは開口一番に問いを発した。


「なあ、どうしてそんな格好してるんだ?」

「……まず言うことがそれ?」

「だって、前会った時と全然違うから気になって」


 小さく嘆息して、彼女はその疑問に答える。


「今日行く店はそれなりの高級店なの。だから服装も相応のものを用立てたのよ」

「えっ、普段の格好でいいって言わなかったか?」

「あなたはそれでいいわ。私たちは誘う側だし、初めてでもないからね。身だしなみには気を使うのよ」


 探索者の中には、私生活で着る被服を満足に持ち合わせていない者も少なくない。そういった者たち向けに、衣服を貸し出すサービスを行っている店も壁の外には存在する。

 ただ今回リシェルが選んだ店は、探索者にも広く来店が勧められている。流石に武器は持ち込めないが、厳格な服装指定や作法は求められないため、ロアのような戦闘服程度の格好なら許容の範囲内であった。


「それと、女性がお洒落してきたらまず褒めるのは基本のキよ。男尊女卑なんて形骸化して久しいけど、レディーファーストの価値観まで廃れたわけじゃないんだから」

「あー、そうなんだ。なんか悪い」

「まったく、相変わらず女心の勉強が足りてないわね。エスコート役なら既に失格レベルよ」


 言いながらリシェルは顎に手を当てて上品に笑う。ロアは気まずそうに頭を掻いた。

 笑うのをやめたリシェルが、今日行く店について軽く説明する。


「これから行く飲食店は完全予約制の店なの。それも一定以上の社会的地位が有ると認められた人のね」

「社会的地位?」

「そっ。簡単に言うと身元が確かで、支払い能力が十分だと認められるってことね。ランクが高いと、ここみたいな格式高い店にも入りやすくなるわ」


 連合の政策により、ランクの高さは社会的地位に直結している。高ランク探索者は稼ぎも多いため、店側からは優良な顧客として見なされている。

 壁の外にも格差はある。比較的裕福な人間は、壁付近の地価が高い場所に住んでいる。壁の外の人間に公的な市民権は存在しないが、都合上の仮身分は存在する。この仮身分を取得しなければ土地の売買はできず、住居を獲得することはできない。仮身分は金銭で買えるが、買わずに土地に住みついている者も多い。そういった者は、主に不法居住者扱いとなっている。

 そして基本的にどの管轄指定都市にも、壁外の富裕層向けエリアが設定されている。都市の許可を得て簡易的な検問所を設置し、内と外の出入りを制限している。ここには一定以上の仮身分者しか入ることは叶わない。都市によって範囲は変わるが、サルラードシティでは中級以上の探索者の付き添いがあれば、Fランクでも入ることが可能である。


「ああ、そういえばそんなのもあったな」


 ロアはネイガルシティにいた頃を思い出す。大規模流通の時期に増える立ち入り禁止区域のような場所が、普段から存在していると聞いたことがあった。壁に近づけばそれだけ警備も厳しくなるため、自分とは無縁の場所だと当時は気にしなかったが、いつのまにかそんな所に入れるようになったのかと不思議な気分になった。


「もう少し説明したいけど、もう着くわね」


 動いていた車が止まる。目的地に到着したことでロアは車から降りる。

 そして視界に映る街の姿に息を飲んだ。煌々と輝く明かりと人工的な無機物。見慣れた組み合わせであれど、その調和や風情は、これまで見てきてきたものとはまるで違う。背の高いビルは、それを彩る爛々とした光に照らされる。けれど放たれる光彩は主張しすぎず絶妙なバランスを保ち、両者の間には控えめに自然が映えている。

 人の手による巧みな設計が、機能性と景観を美しく保ち、一つの美景を形作っていた。初めてそれを見るロアは、自分が別世界に飛び込んだかのような感覚を味わった。

 その横で、乗ってきた車両は無人の状態で駐車スペースへ走り去っていく。

 唖然とするロアを微笑ましげに見るリシェルが、「入りましょ」と軽く肩を叩く。彼女に促され、ロアは目の前のビルを見上げながら、控えめに二人の後ろをついて行った。

 建物の中に入ると、広い空間と華美な装飾が目に入る。雰囲気は今まで訪れた建物とは違い、気品や格調高い様子を切に感じる。この場にいる者も、いかにも富んでる身なりの者ばかりである。ロアは周囲の者やリシェルたちと比べ、自分の格好があまりに場違いじゃないかと、急に不安になってきた。


「俺、やっぱこの格好じゃまずくないか?」

「大丈夫よ。言った通りドレスコードはあるけどかなり緩めだから、身綺麗にしてれば問題ないわ」


 聞きなれない単語を耳にしてペロに聞く。


『ドレスコードってなんだ?』

『場所や状況に合わせた身なりのことです。探索者にとっての装備とでも思ってればいいですよ』

『なるほど……?』


 その説明で、ペロが使うコードとは関係ないことを理解した。


「それと、あなたに正装をさせなかったのは、こういった場が不慣れであることを暗に伝える意味もあるのよ」


 成り上がりの探索者には、当然ながら上流の礼儀作法を学ぶ機会はない。付き合いが増えれば自然と身につけていくが、誰しも最初は初めてだ。そのため最低限のマナーさえ守れば、フォーマルな場でもある程度は大目に見てもらえる。探索者を歓迎する文言には、そのような意味合いも込められている。事情を説明されたロアは、それを聞いて気持ちを楽にした。

 昇降機に乗り上階へと登っていく。ガラス張りの機内から見える外の景色は、またも自分が不思議な世界にいることを錯覚させる。

 昇降機が止まりドアが開く。ロアがホールに足をつけると、すぐそこに店の入り口があった。入り口の上には変わった書体で店名が書かれている。その中へ、リシェルは物怖じない様子で入っていった。


 店内では音楽がかけられ、食器の音や話し声が控えめに響いている。人が少ないのかと思えばそういうわけでなく、見える範囲の席は半分以上が埋まっていた。どういうわけかと首を捻るロアのそばで、リシェルが代表して店員と話し、予約の確認をする。確認が済むと、優雅な対応で席まで案内された。

 椅子を引かれて着席したロアは、対面に座るリシェルが机の上の何かをいじってるのに気がついた。


「ああこれ? これは机に設置された静音用の機器よ。設定した範囲内と周波数で、内側からの伝播音を減衰してくれの。外からの音はちゃんと聞こえるわ」


 それでロアは納得する。通りで店内がこんなに静かだったわけだと。食器の音や会話する声がほとんど聞こえてこなかった。


『凄い道具があるんだな』

『聞き取ろうと思えば聞き取れますがね』

『?』


 ペロによれば、存在感知で空気振動を捉えて解析すれば、周囲の会話を盗み取れるということだった。この技術を使えば離れた人間や隣の部屋の会話も筒抜けになり、実際にちょくちょく使用しているとも聞いた。ロアはいつかのことを思い出し、そういうことだったのかと、過去の疑問を一つ解消した。

 席に着いたロアは店員から紙のメニューを渡される。そこには様々な文字列が並んでいるが、肝心の料理の写真は添えられていない。読めてもどんな料理なのかは想像がつかない。相席者に相談しようかとも思ったが、端っこに『お任せ』と書かれていたので、結局それにした。注文を終えた後に、初めてならそれが無難な選択だとリシェルからは言われた。

 料理を待つ間、リシェルが先ほどしていた話の続きを始めた。


「ここの料理は全て原材料、つまりは変性作物を使わない生の食材で作られてるのよ」

「前にも聞いたことあるな。その原材料ってなんなんだ?」

「ああ、それは──」


 境域で広く食べられている食品の材料は、遺伝子を一から設計して作られた特殊な作物が使われている。そこに人体に必要な栄養素や味を決定する添加物を付加することで、自在に味や香り、食感を再現している。調理機器に食品データを入力するだけで望む料理が作られるため、地域を問わず、自由に好みの料理を食べることが可能となっている。

 反対に原材料を使用した料理とは、合成食品のデータの元になったものである。境域はモンスターの存在や環境により、安定的な食糧生産態勢を整えるのは難しい。その上合成食品の質が高いため、一定以下の品質の食材は生産しても消費者には必要とされず、また流通の問題もあるため全く採算が取れない。そういった理由から、生の食材は付加価値をつけるため、限られた地域で巨額の費用を投じて生産されている。それ故非常に高価となっている。


「へー、そうだったのか。じゃあ俺が今まで食べてたのは、食べ物だけど食べ物じゃなかったってことか」

「ええ。それでね、ここの料理が高いのにはもう一つ理由があるの。それは人が調理して作ってるからなのよ」

「ふーん……? それは凄いことなのか?」

「当然よ。料理人になるには、そのための資格を必要とするんだから」


 生の食材は非常に高価であるため、それを取り扱う料理人にも非常に高い技量や独創性が求められる。少なくとも、調理に特化した自動人形や機械に勝らずとも劣らない腕がなければ必要とされない。誰でもなれる探索者とは異なり、料理人はなること自体がとても困難な職業となっている。

 そんな料理人の腕には探索者のようにランク付けがされており、それが本人の技量を客観的に示している。ランクの高い料理人は壁内の富裕層に専属で雇われるなど、高ランク探索者と変わらない扱いを受けるほどである。


「よく分かんないけど凄いんだな」


 料理人と全く無縁の生活を送ってきたロアは、説明されてもそれがどれだけすごいかうまく伝わってこなかった。高ランク探索者と同じくらい言われなんとなく想像はできたが、うまくイメージに落とし込むのは難しかった。


「実際に食べてみれば、あなたも分かると思うわ」


 意味深に微笑んで言うリシェルを見て、ロアは楽しみな気分で料理を待った。




 鮮やかに盛り付けされた料理を、慣れない手つきでたどたどしく切り分ける。それを手に持った食器を丁寧に操り、作法を意識して口に運ぶ。もう何度目かになる口内に広がる美味の感覚。それを舌と鼻腔で丁寧に味わい、ロアは至福のひとときを堪能していた。

 お任せで頼んで出てきたのは、一皿ずつ順番に出てくる形式のコース料理だった。一皿も食べ終わった後にこれだけかと残念に思っていたら、すぐに食器が下げられ別の料理が出てきた。複数ある食器を教えてもらった順番通りに使い、一品一品を適した食べ方で口にしていった。

 目の前に給仕された料理を、惜しむように存分に味わって咀嚼する。食人の腕で調律された美味は、人工的に作られたものとは全く違う、精緻な芸術の世界だった。美食などまともに知らないロアの稚拙な舌でも、その贅沢で奥深い美味しさを、なんの問題もなく楽しむことができた。


 配給制の食料はわざとまずく作られている。その配分は絶妙で、味覚は壊さず、かつ繊細な舌を保つ工夫がされている。これは壁外民を探索者にするための戦略の一つである。安く売られている合成食品でも、配給されるものより大分マシな味をしている。食という最も原始的な欲求を刺激することで、人々を探索者になるように誘導する。そして稼ぎの増えた探索者が食に奮発し、初めて生の料理を口にしたとき、彼らを美食の虜にする狙いも含まれている。遺跡に挑み、モンスターを倒し、金を稼ぐ。そのサイクルを円滑に、精力的にさせる作用を、魅力的な料理が担っている。


 コース料理も終わりに差し掛かり、ロアはデザートを口にする。不思議な食感と甘みが口の中を満たし、今まで食べた料理の満足感を綺麗に締め上げる。

 そして全てを完食したロアは、背もたれに体重を預け満足げに息を吐いた。


「美味しかった……」


 食事の感想を一言に込めて、感嘆を漏らした。食の楽しさなどつい最近まで全く知らなかったが、 それでもこの贅沢は身の内に深く浸透した。


「満足してもらえたようで何よりだわ」


 食事の手を止めたリシェルが、ホスト役の面目躍如と微笑んだ。


「ああ、今日は誘ってくれてありがとう。本当に美味しかった。量が物足りないのがちょっと残念だけど」


 ロアの返しに彼女は苦笑する。


「お任せは色んな料理が提供されるけど、一品一品は量が少ないからね。特に探索者の中にはよく食べる人も多いから、事前に盛り付けを増やしてもらうか、追加で好きなものを注文することが多いわ。この子みたいにね」


 リシェルが視線を横にやる。そこでは二人の会話などそっちのけで、ランが淀みなく食を進めていた。

 ロアがたどたどしく食べている間に、彼女は軽くその数倍以上の量を平らげていた。動作はとても上品に見えるため不思議と不快感は湧いてこないが、細い体のどこに入っていくのかと、楚々とした振る舞いとのギャップに驚かされた。

 話題に出されたランが食事の手を止めずに抗弁する。


「私を大食漢のように言うのはやめてください。食べられるときに食い溜めしているだけです。この手の店にはなかなか来れませんからね」

「食い溜めって……あなたが食べた分は、それだけ料金に加算されるだけなのだけど。次に来る機会が遠のくわね」

「未来の自分の胃袋など気にしても、腹の足しにはなりません」


 そう言い切り皿を空にすると、また新しく追加の注文を行う。リシェルは大げさにため息を吐いた。

 空いたグラスに、店の人間が近寄ってきて中身を注いでいく。


「アルコールよ。あなたも飲む?」


 水しか頼まなかったので、その味が気になったロアは素直に頷いた。自分のグラスに赤い液体が注がれる。

 初めて飲む酒に、ロアは恐る恐る口をつけた。


「うーん……なんか苦い? 酸っぱい? とにかく変な味がする」


 想像以上に美味しくなかったせいで、渋い表情を浮かべたまま感想を述べた。


「飲み慣れていないとそんな感じかもね。まあまあ高いお酒なんだけど」

「いくらくらいなんだ?」


 高い店で出される不味いお酒。料理と比べて微妙な味しかしない飲み物が、一体どれだけの値段なのか。なんとなく気になり質問した。

 リシェルはロアの方のグラスを見て言う。


「そうね。それ一杯で、大体40万ローグくらいかしらね」

「…………まじ?」

「大マジよ」


 目を皿のように丸くしたロアを見て、リシェルは笑いながらそう答えた。

 農作物を育てるには温度や湿度、土壌など、生育環境が重要となる。境域で作られる酒類は、遺跡から発掘されたデータを解析して当時の味を再現している。設備投資を行えばどこの都市でも同様の環境を整えることは可能だが、酒を作る事業者はそのデータを独占してブランド化している。それが一部の酒が高価な理由である。


「だから偽物も出回ってるのよ。ほとんどは粗悪品と変わらないけど、稀に本物に近いのもあるそうよ。銘柄が同じだと違法だから、少しだけ名前を変えたものがね。と言ってもこういうのはブランドが重要だから、偽物に高いお金出して飲もうって人は少数派だけどね」


 似たような味は作れても、全く同じものを再現するのは生産者でも不可能に近い。ただ合成食品のデータのように、味を複製することはできる。費用さえ投じれば、本物と見紛うレベルにまで似せることも可能だ。しかし、消費者は偽物をわざわざ買ったりはしないため、本物に手を伸ばしにくい者や、同じ味を何度も楽しみたい者などにこっそりと出回る程度となっている。


「値段の割に美味しくないって言うのは分かるわ。こういうのは付加価値と希少性が価格を押し上げてるからね」


 理解できない世界の話だとロアは思うが、金持ちの趣味嗜好など気にしても仕方がないと、深く考えるのはやめにした。



 許可も出たので、ロアは美味しかった料理と、美味しそうに食べているのを見て気になった料理を追加で頼むことにした。

 食べてる途中、いち早く食のペースを落とした相席者へと、雑談程度に話を振った。


「気になってたんだけど、強い奴がさっさと遺跡を攻略しないのはなんでなんだ?」

「いくつか理由はあるけど、一番は段階を設けるためよ。それが連合と六大統轄の方針として決められているの。いきなり強力な装備を持って強いモンスターと戦っても、心構えや精神力は鍛えられないでしょ。魔力だってそう。って、これは前に話したわね」

「ああ」


 ロアは迷宮が生まれたきっかけになった話を思い出した。


「だから意図的に未攻略の遺跡を各所に残しているの。セイラク遺跡も連合の許可が降りなきゃ、勝手に最奥部を攻略しちゃいけないわ」


 効率よく段階的に探索者を育て上げるために、低難度に分類される遺跡をあえて残しておく。そうすることで、広い地域で探索者の絶対数を維持する目的がある。遺跡を管理する都市は、探索者を支援するのと同時に、その遺跡を守る役割も与えられている。


「言っとくけど、自分のランクよりも低い難易度の遺跡で儲けようなんて考えない方がいいわよ。そういう行為は遺跡荒らしと呼ばれて、忌み嫌われてるからね」


 そういった方針が取られれば、当然自らの利益のために悪用する者も現れる。実力ある探索者が、自分のランク帯よりも下の遺跡を我が物顔で闊歩し、そこにいる探索者に示威的な振る舞いを行う。これは本来あるべき流れを歪め、探索者の育成を妨げかねない、連合の意向に反する行いだ。そうなれば必然的に、都市側が相応の対処に乗り出すことになる。

 ネイガルシティにあまり強い探索者がいなかったのは、それも理由だったのかとロアは思った。


「中にはそんな連合の方針に真っ向から反対して、苛烈な行動を起こす者たちもいるわ。俗に言う境域テロリストね。今回この都市の襲撃に関わったのも、そういう主張を持った勢力の一部よ」


 境域テロリスト。その言葉に一人の男の姿を思い出し、ほんのわずかに目を細めた。


「まあ、今回のは本格的な攻撃というより、目くらましか誘導の面が大きかったようだけどね」

「……確か、この都市も狙われたって話だったな」


 ロアの言葉に「そうね」と首肯し、リシェルはグラスを傾けた。


「今回、彼らの攻撃対象になったのは探索者協会、壁外庁舎、それと病院ね」

「病院……? ああ、負傷中の探索者を狙ったのか」


 どうして病院が狙われるのかピンとこなかったが、協会が攻撃対象に含まれていたことで、利用者の結びつきから自然とそう考えた。

 しかし、その予想をリシェルは否定する。


「うーん、それもなくはないんだろうけど、正確には違うわね」

「違うのか」


 机の上に肘を置き、グラスの口を布巾でなぞりながら、彼女は問いを放つ。


「あなたって、子供がどうやって生まれるか知ってる?」

「どうやって生まれる……? 確か、女の人から生まれるんだっけ」


 路上暮らしをしている時に、腹を膨らました女性の姿を見たことを思い出して、そう答えた。


「そうね。それがちゃんとした正解なのでしょうね」

「違うのか?」

「いいえ、違わないわ。でもそれだけじゃないということよ」


 グラスを拭く手を止めると、リシェルは少しだけ視線を落として言った。


「病院には人工子宮、母体を介さない胎生機器があるの。それがテロリストに狙われたのよ」


 生命の始源。体外出産を生命への冒涜だと主張しているテロ組織の一つ。彼らは事あるごとに、管轄指定都市に存在する病院を攻撃しており、今回のサルラードシティの襲撃にも関わっていた。


「子供って全員そこで生まれるのか?」

「全員じゃないわ。金銭的に余裕のない人や、一部のお金持ちは未だに原始出産を行ってるわ。これってそれなりにお金かかるから」

「金持ちも? どうして?」

「ここと一緒よ。最高の贅沢は、効率や合理性とは無縁の場所にあるってこと」

「ふーん。そんなもんか」

「そんなもんよ」


 あまり理解できなかったが、深く知りたい事でもないためそのまま話を続けた。


「それと病院が狙われるのって、どう繋がるんだ?」

「それはそいつらが、子供は母胎から生まれるべきだって思ってるからよ」


 その答えにロアは小首を傾げる。


「よく分かんないんだけど、どこから生まれるとかそういうの関係あるのか?」

「彼らには大事なことなのでしょうね」


 首を捻ったロアは、自分へ向けられる視線に気づく。そちらを向くと、ランが食事の手を止めてじっと見つめていた。それを見返したら、彼女にはすぐに目を逸らされた。なんなのかと、不思議そうにするロアを見て、リシェルは小さく笑った。


「まあ、実際彼らの言にも一理あるのよ。母体出産の人と比べて、体外出産で生まれた子供の方が、愛情を注がれにくいなんてデータもあるくらいだし。作るだけ作るけど、育児放棄という名の捨て子が多いのも事実だったりするしね。と言っても、彼らにとってそんな主義主張は、建前程度のものでしかないでしょうけどね」

「建前?」


「そうよ」と首肯したリシェルは、やや厳しい表情を浮かべ、


「連中は体外出産を冒涜と唱えるくせに、無法都市に存在する同様の施設は標的としていないもの。自分たちにメリットがないという理由でね。大いなる欺瞞よ。馬鹿馬鹿しい」


 吐き捨てるように言った。これまでの彼女を見て、少し珍しい態度だとロアは感じた。


「話を戻すわね。今回の都市襲撃犯。複数グループによる同時攻撃となってるけど、彼らが求めているのは最終的には同じものなの」

「同じもの?」


 またも首を傾げるロアに、見せるようにして彼女は自分の端末を机の上に置いた。

 そして端末を操作すると、画面からは立体的な映像が浮かび上がった。


「これは境域の内と外を別つ壁。隔ての壁よ」


 映像には大地の上に巨大な壁が聳え立っている光景が映っていた。壁の側には闇のように深い堀が並列して掘られている。

 映像内の遠近感から、都市にある壁よりもずっと大きい感じたロアは、それに見入ったまま言葉を発した。


「……これ、一体どれだけの大きさがあるんだ?」

「高さでおよそ八百メートルだそうよ。厚さは……二百メートルはなかった気がする。それがこの境域をぐるりと囲んでいるの。この地が境域と呼ばれる所以ね」


 この映像の中だけでなく、見えない範囲まで延々と続いている。

 想像のつかない規模に、驚きを通り越して現実感を抱けなかった。


「誰が作ったんだこんなの……?」

「さあね。これの建造者は不明。ただ壁ができたのは境界戦争以降だとされているわ。それまでは自由に境域の内外を出入りできたそうよ」

「境界戦争?」


 またもや聞いたことのない言葉が出てきて、ロアは首を捻った。


「壁外生まれのあなたが知らないのも無理ないかもね。壁内で生まれたら教わることなんだけど」

「ふーん? じゃあリシェルって壁内の生まれなのか?」

「大体そんな感じよ。それで境界戦争というのは、約八百年前に外国家との間に起きた戦争のことよ」


 境域の外、すなわち隔ての壁を越えた先には、都市とは違う国という共同体が存在している。八百年前に起きた境界戦争により、当時境域で成立したばかりの新興勢力は、国からの影響や支配を排除することに成功した。以来、境域では建国行為は禁止され、代わりに都市という括りが存在し続けている。


『なるほど、通りで不自然な支配体制だったわけです。モンスターの所為かと思いましたが、そのような理由があったのですね』

 

 以前ペロの話にも出た国という概念。都市との違いが分からないロアは、相棒の納得をいまいち理解できなかった。

 浮かび上がらせた映像を消したリシェルが、端末を引っ込めて話を続ける。


「今の六大統轄が主導する境域指定都市連合という形に収まったのは、境域の歴史の中では比較的最近と言えることなのよ。ここ百五十年くらいのことかしらね。それまでは各勢力がしのぎを削っていた、群雄割拠の状態だったらしいわ」

「へー」


 六大統轄について詳しくは知らないが、名前だけは知ってるロアは知ったかぶって頷いた。それについて聞こうとも思ったが、これ以上情報を追加されても覚えられる気がしないのでやめにした。あとで六大統轄についてはちゃんと調べようと思った。

 机に両手を置き直したリシェルは、表情を神妙なものに変えて語り始める。


「今の境域にはね。そこに暮らす全ての人々に、壁内と同じような生活をさせる余裕とキャパがあるのよ」


 始まった話に、ロアは食事の手を緩めて耳を傾けた。


「つまりね。探索者にならなくても……ううん、命を賭けるような仕事に従事しなくても、みんなが平和で安全に、快適な暮らしを享受できるってことなの」

「……」

「でもね。絶対にそうはならない。どうしてか分かる?」


 ペロや情報端末から色々と知識を得ているが、まだ難しい話は苦手だった。

 下手な答えを返す雰囲気でもないため、ロアはゆるゆると首を横に振った。


「価値とは総和が決まっている相対的な産物であり、他者の取り分が増えれば自分の取り分は減る。今私たちが食べている料理や受けているサービスなんかもそう。これを全員に行き届かせれば、当然一人一人の量は減ることになる。既に持ってる人達が、持たざる人達のために、身を削ってまで何かを差し出すことなんてないのよ」


 ロアは自分の食べている料理に視線を落とした。


「それだけじゃないわ。六大統轄は未だに優秀な探索者を求めている。前に話した通り、強さは一朝一夕よりも積み重ねが重要よ。命の価値が異なるなら、当然低い者たちがそのリスクを一手に背負うことになる。仮に富を広く人々に開放したら、探索者になる人の数は間違いなく減少するわ」


 食い扶持に困る者、生活苦に喘いでいる者、他の生き方を見つけられない者。誰でも簡単になれる探索者は、一部では社会のセーフティネットのような役割も果たしている。だがそんな生き方も、死に方も、適切な富の再分配がされれば本来は無かったことだ。社会構造の歪さを、彼女は指摘していた。


「探索者にはなりません、遺跡にも行きません、モンスターも倒しません。そんなことになったら困る人たちがいるのよ。下や真ん中ではなく上にね。だから予め選択肢を消しておくの。お前たちには他に選べる道はないと。そして一つの可能性に誘導する。『探索者として成功すれば、望む全てが手に入る』ってね」


 耳元で、迷宮の暗い通路で木霊した言葉が、蘇った気がした。


「これが六大統轄が支配する、この境域の実態よ。そして、テロリストたちの最終目標こそが、境域に存在する全ての壁の撤廃。格差と階級を破壊し、現在の支配体制を終わらせることなのよ」


 とんでもなくスケールの大きな話に、頭では理解できても気持ちが付いていかなかった。

 何も言えないロアを前に、語り終えたリシェルが瞳に真剣味を湛えて言葉を紡いだ。


「どう思う?」

「え?」

「今の話を聞いてどう思ったか、あなたの率直な感想を聞かせてくれないかしら」


 黒い瞳に正面から見据えられ、ロアは食器から手を離して机の上に置いた。


「……正直、途方もない話すぎてよく分からない。今の俺にはまだ、自分がどうしたいかもはっきり決まってるわけじゃないから」


 漠然とした気持ちを言葉にしながら、机の上に置いた手を小さく握り締める。


「でも俺は……たとえそれが、誰かに誘導された道だとしても、選べる選択肢が他になかったとしても、自分のやり方で歩いて行こうって思う。選ぶことを決めたのは自分だから。最後まで自分の意思で、この道を歩き切ろうって、そう思うよ」


 それがロアの出した答えだった。探索者になったのは他に選択肢が無かったからで、今ここにいるのは顔も知らない者たちに誘導された結果なのかもしれない。だとしても、そうすることを決めたのは自分なのだ。どう生きて、どう死ぬか。その選択は自分だけのものだ。だからこそ、この決断を大事にしていこうと思った。

 答えを聞いて、リシェルは優しげに微笑んだ。


「いい答えだと思うわ」

『良い答えだと思います』


 全く別々の両者からの言葉が重なって、ロアは小恥ずかしそうに笑った。

 そしてまた食事を再開しようとして、ふと、ある事が頭を過ぎった。


「……殺すべき敵と、殺したくない相手が一致したとき、どうしたらいいと思う?」


 迷宮での殺し合い。自分は恩人とも言うべき人間を手にかけた。

 あれは本当に正しかったのか。自分にとって望んだ選択なのか。

 他にいいやり方があったかなんて分からない。もう終わった事で、過ぎた事だ。

 しかし、この先また同じようなことが起きたとき、自分は一体どうすればいいのか。どうするのがいいのか。望まぬ生き方をしないためにも、参考までに彼女の考え方を聞いてみたかった。


「人を殺すのは悪だと思うか?」


 以前ペロにも聞いたことを、今一度、目の前の少女にも問うた。

 リシェルは考えをまとめるように、唇に指を当てた。


「ふむ……あなたがどういう思惑でそれを聞いたかは置いとくとして、私個人の価値観で言うなら、殺人に良いも悪いもないわね」

「……良いも悪いもない? でも人殺しは悪いことだって言うだろ」

「私が言ってるのは行為そのものよ。動機や経緯、利害なんかは含まれないわ」


 リシェルは唇に触れさせていた指を、順番に立てていった。


「社会通念、一般常識、道徳的規範。善悪に関わる言葉はいくつかあるけど、そのどれもが本質的とは言えないと私は思う。価値観は時代と形成される社会によって変わるものだから。普遍的な絶対は無いものよ」


 言われた内容にロアは眉間にしわを作る。

 相手の無理解を察したシェルは、立てた指を下ろして肘をつく。そして深く椅子に座りなおした。


「よく分かってなさそうね。例え話をしましょう。あるとても偉い人がいます。法律ではその人の言うことは全て聞かなければいけません。ではその人の言うことは全て正しく、為すことは全面的に肯定されるべきなのか。ルール上は正しいとされる行いでも、あなたはこれに納得できる? その人に死ねと言われたら、ルールのために迷わず死ねる?」


 そう問われて、ロアは首を横に振って否定する。

 相手の反応を見て、リシェルは小さく微笑む。


「でしょうね。私も全く同じ意見よ。社会というのは畢竟個人に集約される。個々人の価値観や意識が世の中を形作る。いわば個人こそが世界そのものなのよ。だからこそ、個人の権利を少なからず侵害する時点で、私はそこに完全なる正義が宿るとは思わないわ」


 些か行き過ぎた論理だと思わなくもないが、ロアは黙って続きを聞いた。


「少しズレたわね。善人を殺すのは悪で悪人を殺すのは正しい、なんてことは関係ない。復讐だろうと刑罰だろうと殺人は殺人。安定した社会秩序の維持を目的とするとかならともかく、そこに善悪を持ち込んで是非を語ること自体がナンセンスなのよ」


 それはロアの抱いていた殺人観念を、根底から否定する言葉だった。


「武器を握る私たちにとって、殺しと無縁で生きていくのは極めて難しいわ。どれだけ己を律しようと、相手次第でそうせざるを得ない状況は訪れてしまうものだから。自分のために必要でそうするしかないのなら、善悪なんて関係なく殺すしかないのよ」


 死への抵抗は、生物に与えられた最も基本的で絶対的な権利である。これを侵すことは何人にもできず、またされるべきでもない。彼女はそう主張していた。

 そしてもう一度指を立てて、話を締めにかかった。


「だから殺す側が覚えておくことは一つだけ。自分の為した殺人に、誰からか報復や罰が与えられるかどうか、それだけよ。罪とは罰があってこそ成り立つものよ。罰なき罪は罪たり得ないわ。それは裁く者が存在しない、決定された結論だから。罪悪感や良心の呵責もそこに含まれると思うから、必ずしも裁き手が他者である必要はないでしょうけどね」


 殺人により背負う業。自分が死体を積み重ねた分、自分に向けられる見えない切っ先や銃口は、際限なく増えていく。自分の最期は、モンスターではなく人によるものかもしれない。話を聞き、ロアは漠然とそうなる未来を想像した。


「と言っても、これはただの一例。私個人の意見よ。あなたは自分の考えを見つけるのがいいと思うわ。その上で最初に質問に答えるなら、──私は殺すわ」


 ひどく冷たい目をして、彼女はその言葉を発した。直前との変化の落差に、ロアは思わず息を飲んだ。

 しかし、その目元はすぐに緩められた。


「なーんて、そう言えたら楽なんだけどね。そんな簡単な話でもないのよね」

「……殺さないってことか?」

「そうは言ってないわ。ただ優先順位の問題よ。殺したくないがどのレベルで殺したくないのか、それが重要だってこと。私は真面目に生きてる善人は殺したくないけど、その人がどんな理由であれ、私や私の大切な人を害そうとするなら殺すわ」


 さっきの話を聞かなければ意外に思ったかもしれないほど、あっさりと殺すことを是認した。


「だけど、本当に大事に思ってる人。その人がやむを得ず私を殺すって言うなら、大人しく殺されるかもしれないわね。私が死んでもその人は生き残れる。その人を殺めてまで、生きてなんかいたくない。そう思ったときなんかはね」


 それを聞き、ロアは自分にもそんな人物がいるのかを考えた。考えた結果、確かにペロのためなら死んでも良いかもしれないと思った。


「だからまあ、さっきの話も含めて、唯一絶対の答えなんてないものよ。手探りで悩みながら、時にはひどく後悔してでも、自分にとってベストな生き方を見つけていくしかないわね。少なくとも、私はそうしてるし、これからもそうしていくつもりよ」


 そうして今度こそ、話は終わりを迎えた。





「今日は奢ってくれてありがとう。あと色々聞かせてくれて参考になった。そっちも助かった」

「どういたしまして。私も楽しい時間を過ごせたわ」


 宿の前でロアを降ろし、リシェルは別れの挨拶を済ませた。

 乗員が一人減った車内で、ランがふいに呟いた。


「饒舌な語りでしたね」


 先の話を自然とそばで聞くことになった彼女が、柄にもない態度だったとからかうように言った。


「お酒が入ってたから、舌が緩んだのかもね」


 パートナーからの言葉を、リシェルは適当にあしらった。追加で言葉が重ねられることはなかった。

 静かになった車内で、外の景色を映した壁に肩を預け、リシェルは別のことに思考を飛ばした。


(……今回の襲撃、結果だけを見るなら都市の名声を高める形で終わった。迷宮を無傷で取り戻し、モンスターの群れを難なく撃退する。内外に防衛力の高さを示すことになった)


 先日起きた一連の騒動。ロアと会話してる最中に、ある事が頭に引っかかっていた。


(同時並行して行われていた特定災害の討伐もそう。調べたらあれは成功に終わっていた。これで都市の懸念する近辺の脅威は除かれた。あまりに都合が良すぎる気がする)


 引っかかるのは迷宮への襲撃と都市への攻撃。そのどちらも都市側が大した被害を出していないことだった。


(都市が共同作戦を嫌がったのはそれが理由? 秘密裏に精鋭部隊を動かして特定災害を討伐。防衛戦力の空白を探索者や他所に悟られないため分断工作を行った? モンスターの群れを誘導したのは危機感を煽るのと、これを討伐して名声を高めるため? 特定災害の討伐を大々的に発表しないのは、討伐で想定外の被害を出す失態を犯したか、結果的に悪手となったモンスターの誘導を隠蔽するため?)


 特に疑問視されるのは迷宮の方だ。襲われたのに迷宮自体は無傷。損害は地上部分の施設とそこにいた探索者たちのみ。騒動後、かなりの数の中級探索者が行方不明になっていた。彼らは当時迷宮にいたと考えられている。襲撃者はそれだけの戦力を投入したということだ。つまりは本気で迷宮を取りに来ていた。なのに迷宮は無事だった。これだけ示し合わせたかのような出来事が続いて、結局テロリストたちが得たのは自爆攻撃による威喝主張くらい。規模の割にあまりに成果が乏しい。

 境域テロリストは主義や主張のために手段を選ばないが、末端はともかく上は馬鹿でも愚かでもない。諸勢力との力の差は理解しているし、弁えてもいる。だからこそ今なお生き残っている。常人には理解不能な特攻も、そこには彼らなりの意味とロジックが存在する。決して力を誇示することだけを目的としていない。

 自作自演を疑う。連合の中には反体制派と繋がりを持つ者も一定数いる。己や組織の利益のために、部分的に目的を共有して利用し合う関係。遺跡からモンスターが溢れたのも、探索者が多数殺されたのも、壁内の権力闘争の結果だと考えれば説明がつく。今回の騒動は、己の利益のため一部の壁内有力者が仕組んだとすれば、強引であれど頷ける顛末だ。


(……けれど、仮にそうでなかった場合、そして相手の襲撃目標が達成されていた場合、今回の襲撃で彼らが得たのは一体なに……?)


 思索の末、リシェルはもう一つの端末を使い、権限の範囲で裏事情を調べようか考える。

 だが冷静になって、そうするのはやめた。


「……気にはなるけど、確認するほどではないか」


 損得を算出し、思考を打ち切る。

 所詮今回の襲撃は、たかだか境域の一地方都市の問題でしかない。わざわざ自分が調べ上げ動く理由は見当たらない。他都市や境域中に影響が波及することになれば、最終的に連合や六大統轄が動く。そうなれば全ての問題は解決される。逆に言えば、そこまでいかなければ過剰に不安視する意味はないということ。

 モヤモヤとした気持ちは残るが、それ以上この件について考えるのはやめた。

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