第30話 魔神種

 ゴホゴホとむせるように咳をして、ロアは水の中から自分の体を持ち上げた。水分を吸収して重くなった衣服を着たまま、なけなしの力を振り絞り、川の岸辺に自らの体を投げ出した。

 そのまま横たわりたいほど気だるい気分だったが、先に済ませなければならないことがあると我慢した。


『荷物は……』

『私がブレードの存在強度を高めたのでそちらは無事です。他は材質の問題で無理でしたので、その保証はありませんが』

『いや……それだけでも本当に助かった。ありがとうペロ』


『どういたしまして』と返す相棒から意識を外し、ロアは実際に背中の荷物を確認する。岩壁には背中から叩きつけられたため、中身はかなり駄目になっていることが予想された。


「ていうかリュック溶けてる……」


 水浸しになったリュックからは既に熱が抜けていたが、形状はドロドロがそのまま固まったような歪な形をしていた。リュックの歪な形と、この熱を自分が浴びた事実に顔をしかめ、ペロへの感謝の念を強くしつつ持ち物の点検を行った。

 予想通りと言うべきか、中にある大半は駄目になっていた。そこには、昨夜に一度だけ使用した魔道具も含まれた。


「これはまあいいけど、こっちは……」


 ロアはひびの入った情報端末を手にする。比較的最近買ったばかりのそれは、明らかに画面がひび割れ亀裂が走っている。

 本当に壊れたのかと思い、現実逃避するような気持ちで端末の電源を入れると、それは起動した。


「……動いた。なんで?」


 起動して嬉しい筈なのに、予想と違ったことでロアは困惑する。壊れているのに起動する。それが理解不能だった。


『割れているのは画面部分だけで、内部の構造は無事なのでしょう。機械型のモンスターのようなものです』


 ペロからの分かりすい例えに、それで納得することができた。


「丈夫って話だったけど、本当にそうなんだな。高いの買って良かった」


 取り敢えず120万ローグの価値を失わずに済んだと、ロアは素直に喜んだ。

 リュックに入っていた物で、残りはダメになったりならなかったりと半々くらいだった。その中でも特に重要と言えた食料は、無事と言えるかは微妙な状態になっていた。


「濡れてるし粉々になってる。食べられるのかなこれ」


 カケラを一つつまんで食べてみると、記憶にある通りの全く美味しくない味に、水分を吸収した粘つきが追加されていた。食べる際の不快感は増していたが、それでも十分可食の範囲内である。貴重な食料であるので、比較的食べれそうな部分だけを集めて無事な布に包んだ。

 そうして選り分けたそれらを、形は変わったがギリギリ荷物を運ぶための機能を残しているリュックの中へとしまった。これでやるべき事は一通り終わった。

 そしてようやくになって、未だ黒い煙を吹き上げる遠くの景色へと視線を送った。


「なあ……あれって、一体なんだったんだ?」


 自分が受けた謎の攻撃。正確にはそれが攻撃かどうかも不明であるが、とにかく自分は死にかけた。それについて、その解答を持っているだろう相手に、ロアは疑問の言葉を投げかけた。

 予想された質問に、ペロは用意していた答えを述べた。


『あれは魔神種による攻撃です』

「まじんしゅ……? それって確か、前に言ってた……」


 聞いた記憶のある言葉に、ロアは記憶の奥底からその情報を引っ張り出そうとする。

 それよりも早く、ペロが続けて情報を明かした。


『魔神種とは、魔物の中でも一際強力な力を持つ個体の呼称です。その力はまさしく神の如しとされ、故に古代の人々は畏怖からそう名付けました。魔神種は人類における旧支配者の一角でもありました。この時代に依然として存在している事実には、私も少々驚かされましたが』

「そうか……あれが魔物の……」


 ロアは思わず身震いする。ペロが前に言っていた魔物。強さはモンスターと同程度と思っていたのに、それは全くの思い違いだった。

 それなりに強くはなったつもりはあった。自分の強さに自信を持てるようになった。だが、目の当たりにした本物の暴威は、自分という人間をひどく矮小なものに感じさせた。


「……あんなのが外の世界には普通にいて、ペロの時代では当たり前に倒していたのか」

『いえ、流石にアレが大量に存在していたという事実はありません。そうならば、人類が私の時代まで辿り着くことは不可能だったでしょう。魔神種は一部の例外と言えます』


 それを聞いて、ロアは少しだけホッとした。あれが例外ならば、自分の実力に関して悲観せずに済みそうである。そう楽観視しかけ、その安堵を次の発言に遮られる。


『まあ、あれは成体ではありませんけどね』

『……え?』


 ペロが何を言ったのか。聞き逃した方がいいと思いつつも、それを聞き返さずにはいられなかった。


『それって、どういう意味なんだ……?』

『成長過程にある、未熟な個体ということです。私たちに攻撃したのが成体であったならば、今頃あなたも私も生きてはいないでしょう』

『あ、あれで……?』


 直撃したわけでもない、ただの余波で自分を殺しかけた攻撃。それを放った存在が、まだ成長の過程にある未熟な個体と聞き、ロアは愕然とした。そしてそれの成体がどれほどのものなのか、想像もつかなかった。


『とは言っても、未熟な個体だからこそ攻撃を受けたと言えます。仮に相手が成体だったならば、あそこまで接近して気づかないことなどあり得ませんから。生き残るべくして生き残ったと言うべきでしょうね』


 その前向きな情報を聞いても、ロアの気分は全く高揚はしなかった。取り敢えず、あんなのとはもう二度と遭遇したくない。そう切に願った。




 川に流され運良くモンスターの生息地帯から抜け出したロアは、衣服を乾かすため今日はそこで宿泊することにした。魔神種による攻撃で負った熱傷は、残り少ない再生剤を塗布して治した。その後はそこらの枯れ木や雑草を拾い集めて、ペロに助けられながら火を起こして暖をとった。

 焚き木の前に衣服を置いたロアは、今も横を流れる水の流れを、漠然とした心境で眺めていた。


「……そういえば、俺って川を見るの初めてだ」


 存在自体はなんとなく知っていた。だが都市から出たことのないロアは、実物を見るのも、どういうものか知るのも、初めての経験であった。


『私もそういう意味では初めてですね。これを川と表現していいかは微妙ですが』

「これって川じゃないのか?」


 特徴から川だと思っていたロアは、ペロの言い方に、自分の考えは間違っていたのかと疑問に感じる。


『いえ、そう呼んで支障ありませんが、正確には現象効果の一種であり純粋な自然物とは言えませんので、そういう言い方をしただけです』

「?」


 意味のわからないことを口にするペロに、ロアは先ほどより大きく首を傾げる。ロアの抱いた無理解を察して、ペロはより詳細に語った。


『魔神種とは、その場に存在するだけで周囲の環境に多大な影響を及ぼします。それは本来の状態を強めたり歪めたりと、個体によって様々ですが、そこに大きく違いはありません。私たちを攻撃した未熟個体にもそれは当てはまります。あそこはもともと魔力濃度が高かったのでしょうが、魔神種が居着いたことでそれがより強まり、また自然としての形も色濃くなったのだと思います。ですからロアが川だと判断したこれは、本来の川でもあるのでしょうが、魔神種によって齎された自然現象の一つという面が強いわけです。解りやすく表現するならば、魔術で水の流れを生み出しているようなものです。そのため実際の川と呼べるかは微妙だったのです』


 聞いたこともない知識を披露され理解に苦しむロアだったが、最後の例えでなんとか言ってる意味を消化した。話の内容を頭に溶け込ますロアに、今度はペロが不可解そうな声音を発する。


『それにしても不思議です』

『何がだ?』

『あの魔神種のことです。私の時代であれば、ここまで人類の居住地に接近している個体であれば、早々に討伐隊が組まれ排除されているのが普通です。幼体であるなら尚更です。しかしながら、アレは未だ放置されています。もし成体に至れば、ここの周辺一帯が壊滅しかねない危機だというのにです。まだ猶予があるとはいえ、この時代の人間の悠長さ振りには疑問を禁じ得ません』


 釈然としない様子の相棒に、ロアは常識的な範囲で自分の予想を述べた。


「普通に倒せないだけじゃないか?」

『そうであるなら、こうして魔神種の近くで居を構えている理由が不明です。成体となれば、数百キロ程度の距離など安全地帯とは程遠くなります。住まいなど捨てさっさと逃げるべきです』

「なら、あそこにいるのを知らないとか?」

『それは……あり得ますね。私も未だこの時代の技術水準を知りませんが、これまで得た見識ではかなり後退しているように感じます。魔神種とはいえ影響力の小さい未熟個体の反応を、正確に観測するのは困難なのかもしれません』


 思いつきで言ってみただけだが、思いのほかペロからの反応は良かった。追加の疑問は出てこなかった。

 それにしてもとロアは思う。未だに煙を上げる遠方の景色。たった一度の攻撃であれだけの破壊を齎す存在。それに他の人間が気づかないことなどあり得るのだろうか。気づいていて放置されているような気がしてならなかった。

 それほどまでに、魔神種という存在はロアの常識を遥かに超越していた。あれに敵う人間など全く想像できなかった。ペロの時代はともかく、現代にはそんなことを為せる強者はいないのではないか。

 その現実を想像して、ロアは軽い身震いに襲われた。ペロの言った通り、あれがまだ未熟な個体であるなら、成体とは一体どれほどのものなのか。仮にそうなる未来が訪れれば、今の人類に対抗する術などあるのだろうか。

 そんな最悪の未来を想像して……ロアは考えるのをやめた。無意味と悟った。訪れるか不明の脅威に怯え、恐怖や不安に駆られるのは。探索者を続けるなら、あんな怪物と戦うときも来るかもしれない。そうでなくても、モンスターとは人を容易に殺せる怪物なのだ。違いは本人にとって強いか弱いかでしかない。

 探索者をやめるという選択肢は元よりない。ならばそれは、この先もモンスターと戦い続けることを意味する。それが探索者にとっての摂理だ。

 逃げるもやめるもしないなら、残るは抗うのみだ。抗って、戦って、死ぬことになっても、生き方を貫けたならそれでいい。それこそが、探索者としての己の覚悟である。命惜しさに曲げることはしない。


「まっ、そうは言っても、倒せるようになれればそれが一番だけどな……」


 ほとんど無理とは思いつつも、そんな希望的な未来に想いを馳せて、目の前で燃え盛る焚き火の炎を見つめ続けた。




「星が綺麗だな」


 太陽が地上から姿を消し、闇が辺りを包むようになった時間帯。ロアはひんやりとした雑草のベッドに、リュックを枕にして横たわっていた。遮るもののない全天の星空は、地上に降り注ぐ遍く光をロアの視界に映していた。


「都市にいた時は、こんなに綺麗じゃなかったのにな……」


 以前に都市の路地裏から見上げた景色と比較する。その頃と比べて、今見える輝きは星明かりは、天上の宝石と呼べるほどに美しく見えた。


『それは人口密集地特有の光害ですね。人々の生活圏で発生する人工光が、星の光をかき消しているんです。ここはその影響が無いので、実際綺麗に見えると感じるのでしょう』

「へー、そうなのか」


 ペロの雑学に軽く感心して、ロアは星々に意識を向ける。自分の視界で煌びやかに発光する光の粒に、なんとなく理由はそれだけではないと思った。

 暇がなかった。昔は仲間と過ごす毎日が色濃く、天上にまで意識を割く暇がなかった。

 余裕がなかった。探索者になってからは日々を生きるのに精一杯で、呑気に空を見上げてる余裕がなかった。

 今はその頃とは違う。広い世界に一人身を投じた。生まれついた格差も、共同体に属する柵も、対人関係で生じる争いも、今ここにだけはない。あるのは自分と相棒と世界と、ただそれだけだ。その開放感と晴れ晴れしさが、夜空に瞬く光を綺麗だと感じさせる要因であると、ロアはそう認識していた。

 星々の輝きを頭上に置きながら、ロアは自然と意識を闇の中に投げ出し、眠りについた。





 気づけば自分は荒れた道の上を歩いていた。

 そこがどこかは分からない。色あせた景色の中、道と思われる地面の上を、誰かと共に歩いている気がした。自分が何かを喋っているような気もしたが、それが何かも判らない。込められている意味も、話されている言葉も、自分の知らないものであり、理解することはかなわなかった。

 しばらく経って、急に視点が動いた。漠然とした意識の中、ずっと正面を向いていた自分の視点が、急に後ろへと反転した。

 そこにいたのは、おそらく一人の人間だった。朦朧とした意識のせいで、特徴は判然としないが、確かに自分の意識はそれが人であると認識していた。そしてその人間は、なんとなく自分と同じくらいの年頃であると理解した。それ以外にも、何か奇妙な共通点を感じた気がした。

 それを気にした瞬間、その光景が彼方へと消えるように崩れ始めていく。

 消えていく光景を、どうしようと止めることはできない。そうする意思も、何もかも、そこには決して介在し得ない。なぜなら自分はそこにいて、そこにはいなかったのだから。

 消えゆく光景の最後に、その者を彩る鮮烈な赤が思考に焼き付いた気がして、ロアの意識は浮上した。





「……なんか、変な夢を見た気がした」


 朝露で湿った地面の上で目覚めを迎え、ロアは起き抜けにそう口にした。ロアにとって夢とは、仲間との楽しかった頃の思い出か、自身を苛む悪夢という印象しかないが、今回のものはそのどちらとも違った。

 起きたせいで、既に朧げになり始めている夢の内容を思い出そうとして、相棒に対して確認を入れる。


「お前って、夢を見るのか?」


 自分の記憶にはない光景だった。覚えも思い当たることもなかった。だからと言うべきか、直感的にペロに関する何かでないかとロアは感じた。根拠はない。ただどういうわけか、そんな気がした。


『私ですか? いえ、そのような機能はない筈です。ちなみにどのような夢だったのですか?』

「なんか、俺が誰かと一緒に歩いてる? ような感じだった気がする」


 大分頼りなくなった記憶を思い起こして、ロアはそう答える。


『それだけでは何も分かりませんね。他にはありませんか?』

「うーん……あ、なんか赤かった気がする」

『何ですかそれは』


 必死に思い出してみた内容も、ペロには一蹴されてしまう。他にと言われても、これ以上何もなかった。そもそも夢自体がそれほど長いものではなく、記憶にも残りにくいものだった。


「んー、じゃあ俺が見た夢は何だったんだ?」

『夢というのは必ずしも記臆のものと一致するとは限りませんからね。様々な体験が合わさった複合的なものということもあります。それが原因ではないでしょうか』


 ペロの言っている意味をしっかりと理解したわけではないが、大体については分かった。そもそもとして、ただの夢をそれほど気にする理由はない。幸せな夢も恐ろしい夢も、それらは所詮夢でしかない。現実になって現れることなどないのだから。

 ロアはこれ以上、気にすることをやめた。


「まあ、この話はもういいや。それよりもさっさと飯食って出発しよう。今日中に都市に到着したいから。新鮮ではあったけど、正直外での生活はあんまり続けたくないしな。宿暮らしに戻りたい」

『数ヶ月前まで野ざらしな路地裏住まいだったのに、すっかり文明人に成り上がりましたね。贅沢とは言えませんが、贅沢になったものです』


 相棒の発言に「確かにな」と、ロアは苦笑した。

 それから素早く不味い携帯食を吞み下すと、乾いた被服を着用しリュックを背負った。そして最後にもう一度だけ自分が来た方向を見収めて、目的の都市がある方向へと体を向けた。

 そのままロアは一晩の寝床を後にした。

 夢のことはもう頭になかった。

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