第34話 函館五稜郭

 俊介たちが、どかどかと、なだれ込むと、番広は一瞬で血の気が引き、自制を失ったスタッフからは甲高い声が上がった。


「合院杉男はどこだ!成り済まし詐欺容疑で逮捕する!」


 番行は、おどろきの余り、目をまん丸くして、あごを震わせ、指で奥を差し示した。


「だ……代表の部屋にいます!」


 都真子と紫蘭が、さっと飛び込んだが、そこには誰一人いない。


 それもそのはず、合院は、ことさら、用心深い男だったから、手下の足出的也を使って、わざわざ、外を見張らせていたのだ。


 足出は、勘の鋭い男で、倉庫から離れた位置に停車している遠山の車を、のっけから目を光らせて、気にしていた。


「男が乗って、ずっと停まってる車があるんですが……」


 足出は、ケイタイで、さも疑うような口調で、飯成に知らせた。


「まずい!警察かもしれん!」


 飯成は、ぎくりとして、合院の耳に入れた。


「なに!だから、有田たちは、どいつもこいつも、おのぼりさんなんだよ!ここにいたら、羊会の幹部として捕まっちまう!すぐ逃げるぞ!」


 合院は、足出に命じて裏口に車を回させて、からくも逃げ出していたのだ。


「どこを捜しても、合院と飯成、もう一人、足出ってやつがいないわ!」


 番広たちは、合院たちが、さっさと行方をくらましたことに、さっぱり気がつかず、それどころか、とうとう、自分たちが逮捕されるはめになってしまって、あたふたしていた。


 鼻田は、スタッフたちが、黙秘を決めこむほど、悪質でない様子を見ると、力ずくで逮捕するのを止めて、すすんで協力させようと考えた。


「心配するな!有田と三原は警察署にいる!このままだと、残ったスタッフが、合院に反抗したら何をされるかわからないって心配していたよ。もちろん、きみらを弁護するためではなく、罪を償った上で、堅気に生きていくように、すべてを語る判断をしたんだよ。だからあなたがたも、有田が言うように、まじめな人生をやり直すんだ」


 合院と飯成の乗った車は、これっぱかりも、検問に引っかかることなく、おまけに手掛かりを残すこともなく、すっかり姿を消してしまった。


「いやはや、いまいましいことに、影も形もないってのはどういうことだ。とっぱじめに、空港は封じたから、海外には逃げられまい。まあ、港に手づるがあれば、密航っていう手もあるけどな。国内で逃げまわるのが関の山だな」


 都真子は、雲をつかむような話かもしれないと前置きしながら、鼻田に言った。


「副代表の番広が言ってましたが、合院と飯成は、羊会の現金と成り済まし先のデータを持って出たそうです。名簿からターゲットを見つけて、成り済まし先に潜伏するって可能性もないことではありません。羊会のパソコンに同様の名簿が入っているので、そこから洗い出してみるっていうのはどうでしょう?」


「ほう、羊会ならではの逃走方法だな……やってみてくれ!」


 一方、車の消え方に、何らかのトリックがあるのではとにらんだ俊介は、羊会の本部からの車の行方を、てこでも発見しようと、TS1を使うことに決めた。


「この方法があったか!これなら分かるはずはない!」


 TS1の映像では、本部裏では映っていた車が、早い段階で、いつの間にか消えていることを発見した。


 そこで、ふたたび、TS1を使って、幹線道路に出る手前の場所をむさぼるように映し出して見ると、なんと、倉庫街の端に停まっているトレーラーに、合院の乗った車がすっぽり入り込む映像が映ったのだ。


「ここからは防犯カメラで追えるな」


 俊介は、署に戻ってトレーラーの映像を追跡すると、警察の検問を鼻であしらい、すり抜けて向かったのは、よりによって、八草沢興業の本社ビルだった。


 トレーラーは、いわくありげに、しばらく停車したあとに、再び埠頭の倉庫街の駐車場に舞い戻ると、トレーラーからは飯成、足出の二人が降りる姿をとらえられ、何かを話しながら、埠頭の事務所がある方向に向かって歩く様子が映った。


「この会話は、さっぱり判らないな」


 俊介は、この会話がことのほか気になって、現場に急行すると、トレーラーの停まっている駐車場に、何本も並んで立っている、しだれ柳にTS1を使用した。


 すると、見事に会話の内容が判った。


「船の手配はうまくいったのか?」


 飯成は足出の顔を横目で見て、高飛車な口調で言った。


「はい、この先に貨物船の船長が待っています。出航は二時間後です」


「ああ、遅かったか!」


 俊介は、すぐに腕時計を見ると、この会話の時刻から、すでに三時間は経過していたから、船は出航してしまっていたのである。


「白岩埠頭から貨物船を使って逃亡したことがわかりましたが、もう港を出てしまいました!」


 俊介は、悔しそうな口調で、鼻田に連絡した。


「そりゃ、大手柄だ!AISが搭載されていれば船を特定して、行き先がわかるぞ!」


「AIS?」


「ああ、船舶自動識別装置だ!GPSだよ!」


 飯成と足出を乗せた船の終着先は、北海道の函館港だった。


 二人は、都真子が予想した通り、成り済まし名簿にある歩貝家を目指していた。


 この歩貝家は、函館の観光地、五稜郭の北側に位置し、長男で一人っ子の邦男が二十年以上も前に行方不明になっていて、両親は死去、祖父の甚吉は、今や九十歳を超える高齢で、糖尿病による失明と軽い認知症を患って寝たきりであった上、祖母の鶴子は三年前に他界していたから、財産もあまり多くないこともあって、返って目立ちにくい存在だったともいえる。


「邦男が帰って来たと、親父に知らせてくれ!」


「邦男さんって、まさか?」


「そう!二十年前に家を出た孫の邦男だと伝えてくれ!」


 介護ヘルパーの浪子は、しこたまおどろいて、甚吉に取り次ぐと、横になって寝たまま、わずかにきょとんとして、見えない目から涙を流して喜んだ。


「俺だ!邦男だ!わかるか!長い間家を空けてすまなかったな!もうどこへも行かないで、爺さんの面倒をみるからよ!」


 甚吉がうなずくのをじっと見ると、飯成はあつかましく浪子に言った。


「悪いが、腹が減ってるんだ……飯を作ってくれるないか?友人も連れてるから、その分もよろしく頼むよ」


「いいですとも」


 飯成は、浪子が食事を作り始めると、わがもの顔で、広い居間にあるソファーに腰掛けると、にんまりとした顔で足出に言った。


「おい、思いのほか上手くいったぞ。ところで、親戚や知り合いにばれないか心配だが、どれくらいいるんだ?」


「はい、爺さんの親戚は近くにはいませんよ。死んだ婆さんの弟がとなりの市にいますが高齢のようだし、心配はいらねえようです」


「それじゃ、当分、ここに居すわれば、警察も捜し出すのは無理だろう。爺さんも、あれじゃ長いことはないな。それも気になるが……まあ、ここなら悪くない」


 二人は歩貝家に身を置くことに、抜け目なく成功したのだった。


「行き先がわかったわ!北海道の函館よ!それに、成り済まし先は、着いた港から近い歩貝家が怪しいわね……」


 都真子は、俊介から聞いた出発時刻に出航した貨物船を、あれよあれよという間に割り出して、帰港先を調べることに成功しただけでなく、番広の協力も得て、わんさとある羊会のリストから北海道の成り済まし先を片っ端からチェックして歩貝家に目をつけたのだ。


 そこへもってきて、現地の警察に依頼して、歩貝家について調べてもらうと、文字どおり、行方不明の長男が、連れの男といっしょに戻って来ているという情報を得た。


「そこだ!間違いない!今度こそ、取り逃がすわけにはいかないぞ!」


 鼻田は、北海道の警察に協力を依頼すると、鉄のような決意で、ありったけの知恵をしぼって計画を練った。


「よっぽど、気をつけないと、何をするか分からない危険な奴だからな。飯成は銃を所持しているという情報もある。警察側に、ただの一人でもケガ人を出すわけにはいかん!なおのこと、防刃から防弾チョッキの用意だ!」


 あとでわかったことではあるが、銃のマニアだったのは合院で、そのため、飯成たちもマカレフとコルトの二丁の銃を、合院から渡されていたことがわかった。


 そんなわけで、飛行機で函館空港に着いた鼻田は、ただちに五稜郭の真ん前にある警察署に入ると、用意した計画をぶちまけた。


 それと言うのも、まずはヘルパーの浪子に言いつけて、検診の名目で、甚吉を近くの五稜郭病院に移し、そのあとは、二人がばらけるようにわざと足出を誘い出し、飯成を一人にしておいて、ぴしりと捕まえようというものだった。


「よし!悪い奴らを、ふんづかまえましょう!」


 計画は、翌日の実行と決まった。


「歩貝さん!いませんか!合院という方から宅急便です!」


 配達員にばけた警官が、大声を出して、中にいる二人に聞こえるようにわめくと、合院の名前を聞いておどろいたのだろう、足出がのこのこ出て来て、玄関の灯かりをつけた。


 ふいに足出が玄関扉を開けた瞬間、道内柔道大会準優勝の粟原一直が、手を差し入れると、足出の襟首を捕まえて、力まかせに勢いよく投げ飛ばすと、脳しんとうを起こして気絶してしまった。


 どっこい、飯成にはそう簡単にはいかなかった。


 物音を聞いて、ただ事ではないと悟った飯成は、銃を持って、二階へ上がり、物干し竿を握ると、まるで棒高跳びのように使って、となりの民家の裏庭に飛び落ち、そこから、次の民家へと庭伝いに逃げたのだ。


 やがて、民家が途切れ、五稜郭の裏門橋の前に出ると、そのまま五稜郭の中へ、逃げ込んで行った。


「しまった!五稜郭の中へ逃げ込んだぞ!」


「いや!これで奴は、袋のネズミだ!」


 夜の五稜郭は、パトカーで取り囲まれ、厳戒態勢となった。


 野次馬が、黒山の人だかりとなった場所もあったが、犯人が銃を持っていると告げると、びっくりして、急いで引き返して行った。


 俊介と都真子、紫蘭、遠山と、次々と裏門橋を渡って五稜郭の中に駆け込んで行った。


「どこから撃ってくるかわからないぞ!気をつけろ!」


 五稜郭は公園になっていて、こんもりと木々が茂り、土塁、石垣、中央には復元された函館奉行所の建物が建っている。


 とっぱじめから、飯成の後を、くっつくように追いかける一人の警官、梶田富彦が通信を流した。


「今、やつは奉行所の建物へ入って行きました!」


 梶田がそう言った直後、乾いた音が公園内にとどろいた。


「パンッ!」


「やつは、建物の中から、一発撃ちました。近づくと危険です!」


 飯成は、駆けて来た俊介と都真子に、銃口を向けた。


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