第4話 なにせ煙町
「何ておぞましい顔なの?」
二人の顔は、まるで悪魔の化身のように恐ろしく醜く変わっていた。
何やらいっそう、目元はぴんとつり上がり、それでいながら、鼻は鋭くとがって口もとまで垂れ下がると、口は大きく裂けて頬に伸び、おまけに皮膚はどす黒く変色していた。
「こりゃ、犯行の手口は、これまでと同じですね!わざと、あんな顔にするなんて……異常ですよ……」
「それどころか、今回は、一段とひどいわ!おそらく、一晩たてば、元の顔にもどるはずだから、明日までは眠らせておいた方が本人たちのためよ。今、自分の顔を見たら、ショックを受けるわ!」
後から到着した遠山も、好きこのんで、被害者に、質問を浴びせる必要はないと思った。
「いずれにせよ、犯人は恐ろしい奴よ!私たちをセンターにおびき出しておいて、遠く離れた愛宕台で事件を起こしたのよ。大鳥はまぎれもなく囮だったのよ!あっさり騙されたわ!これは人騒がせでありふれた事件ではないわ。私たちは犯人を甘く見ていたのよ……」
都真子は、あたかも先週、TS1を使って久留美町の事件を捜査したことを、ふいに思い出していた。
文字どおり、TS1とは、香原木俊介が発明した機器だ。
おどろくことに、樹木は目の前で起きた出来事を、自らの年輪に記憶として蓄える能力があって、それを、俊介が映像として呼び出すことができる装置を作ったのだ。
横州市の西にある久留美町は、久留美川沿いにある古い町で、川岸に胡桃の木がたくさん生えていたことからついた町名で、まっすぐに伸びる川沿いの道路の歩道には、春になると、白やピンクの花を咲かせるハナミズキが植えられていた。
「さあ、TS1は印象的な映像を真っ先に映し出すからな。ことのほか、植物だって刺激的なシーンは、文句なしに、記憶に焼きつけるってことだな」
俊介は、TS1を取り出すと、犯行当日の時刻をセットし、センサーをハナミズキの幹に添わせると、二人は、暑さも忘れて、離れたモニターに映る映像を食い入るように見つめていた。
すると、ふいに炎に覆われた家屋と、野次馬が群がる中、大火傷をして運び出される住人の映像が映ったのだ。
「あそこの真正面の家だろう!今は、建て直されているが、ハナミズキは、火事にあったのをちゃんと記憶していたんだ!さあ、次だぞ!」
モニターには、せわしげに粒子が飛び交う画像が続いたあと、とたんに、若い女の恐怖にひきつる顔が現れると、白いガスが女をふき飛ばし、両腕で顔を覆いながら、ばたんと歩道に倒れ込む姿が映った。
「被害者の女よ!TS1も二回目でヒットするなんて精度が上がったわね!」
とつぜん、映像の奥に映るミニバンから、ガスマスクをつけた奇怪な人間が現れた。
「何よ!男?ガスマスク?」
ガスマスクの人間は、両手に黒い手袋をはめ、黒シャツにジーンズ、髪は短かく、ショルダーバッグを肩に回しており、まさしく体型から男だと想像できた。
男は手を伸ばすと、女の肩にかかるバックを力まかせにむしり取ったあと、ショルダーから黒っぽい器具を出し、女の顔にぴったり装着させた。
「何をする気?異常な奴に違いないわ!」
都真子が叫ぶと、俊介は男の動きをじっと見て、言い返した。
「いや、そうとも言えないぞ。この男の隙の無い動きを見ると、ひときわ理知的で頭のいい奴に見えるな。優秀な人間だって、何らかの重圧で人格がゆがんでしまうことがあるからな。軽率に、弱い人間だとか、異常だとか、狂っている人間だなどと決めつけない方がいいぞ」
「でも、他人を傷つけたことには間違いないわ。異常でなければ、それに輪をかけて凶悪よ!」
「そこが犯罪の根深さだ!」
都真子は、男の行動を見て、煮え切らぬ口調で言った。
「面白がってやっている愉快犯にはとっても見えないわ。俊介が言う通り、並はずれて知的な奴かもしれないわね。だから、何度も事件を起こす割に証拠を残さず、からきし逮捕できなかったのね」
男は、気ぜわしく腕時計を見たあと、女の顔に取り付けた器具をひょいとはずすと、たちまち映像からはみ出て消えてしまった。
事件直後、女の顔は、まったく別人に作り替えられていたのだ。
「こりゃ、ダメだ!ガスはミニバンの後方から噴射されたんだが、遠くて、噴射の様子が見えない!ミニバンの後部が大きく映る位置のハナミズキだ!」
俊介は、もう一本先のハナミズキに移動してTS1を当てると、ミニバンが大きく後方から映った。
「見ろ!後部の扉が改造されている!そこから噴射されているんだ!おまけにナンバーも手に取るようにわかるぞ!」
ガスマスクの男は、ミニバンに戻ると、即刻、走り去った。
映像はそこまでだ。
「TS1で見た映像は、そっくり録画されてるよね。どんなことがあっても、映像から犯人を捜し出してみせるわ!」
「やる気満々だな!ざっと、映像から、たちどころに分かったのは、ずばり、犯行に使った車のナンバーと車種、犯人が装着していたガスマスク、そして服装や体型だな。録画した映像を、くまなく分析すれば、ことによると、もっと証拠を見つけられるかもしれない」
「すごいわ!わずかな手掛かりしかなくて、ことさら行き詰まっていた事件よ!そこへもってきて、犯行の全貌や犯人を目にすることができたわ!」
都真子は、露骨におどろきを隠せなかったが、俊介はがっちりと念を押した。
「だが、犯行は分かっても、TS1が認められた機器ではない以上は、TS1の映像を証拠として、勝手知らぬ判断で、ひと思いに犯人を逮捕することはできないからな。もどかしいが、正直なところ、誰もが納得する証拠へと再立証しなければ意味がないんだ」
都真子は、手はじめにミニバンのナンバーから、本格的に捜査を開始した。
ナンバーの所有者は、当然のことながら、すぐに判明した。
葡萄市に住む、赤井半吉、八十一歳だ。
赤井がれっきとした犯人ならば、理由をつけて、力まかせに家宅捜索を行えば、犯行に使った機材や薬品くらい、発見することができるかもしれないとふと考えた。
《ダメよ!違法な捜査をするわけにはいかないわ!焦りは禁物ね》
都真子は、赤井の自宅を訪問すると、置いてあった車のナンバーを見て、まさに一致したが、車種が異なり、赤井自身も高齢で、映像の男とは違和感があった。
《なによ!ナンバープレートは偽造ね!お笑いぐさだわ。悪賢い犯人だから、ナンバーの偽装くらいは朝飯前ね。これしきのことで、幕切れにするわけにはいかないわ。TS1の録画映像を分析してみるしかないわ》
都真子は、持ち前の執念で映像を細部までしこたま分析すると、意外なことに、証拠はミニバン内から発見された。
「大発見よ!ミニバンの運転席に小包があって、映像から住所と名前が分かったのよ!」
「おっ!よく読み取ったな!犯人のものだったら大手柄だ!いったい、どこの誰なんだ?」
「煙町に住む洲上文明という奴よ!」
「えっ!煙町か!」
煙町は、俊介の恩師、奇材教授が生まれ育った町で、名前の通り、煤にまみれた中小工場が建ち並んでいたが、最悪なことに、ある工場が撒き散らした有害物質のお陰で、汚染された街になってしまったのだ。
それでいながら、訳ありの人間たちが、ぞくぞくと集まって住み始めると、犯罪の巣窟になってしまっていた。
「毎年、強盗や殺人事件の容疑者を捕まえに、何度、この町に来たことか」
都真子が探し当てた住所は、マンションになっていた。
「こっちが佐久根マンション1号棟で、向こうが2号棟ね。黒ずんだ2号棟のマンションの並びにあるのは、今は廃墟になったショッピングセンターのビルよ。かつては、このマンションは、言うなれば、煙町のシンボルで、この町で働く者たちの目標だったらしいわね。金を手に入れたら、このマンションを買って一家団欒の家庭を築くことが理想だったって聞いたことがあるわ」
いっしょに同行した遠山は、マンション一階の郵便ポストをのぞきこむように見た。
「まともな名前が少しも書かれていませんよ。イニシャルならまだいい方ですね。あとは落書きもいいところですよ」
「まあ、それでも郵便はちゃんとわかって配達するからさすがね。これじゃ、郵便配達員に確認した方が早そうね」
住所の部屋番号は、二階になっていたため、二人は、薄暗い階段をおっかなびっくり上がって行くと、二階からは、そこかしこが赤錆びた鉄骨の建物や、黒ずんで灰色の壁がむき出しになって見える工場群のほかに、やけに大きなガスタンクが目に入った。
おまけに、屋根の合間に林立する電柱や交差する電線の上方には、カラスの大群が止まって、こっちを見ている。
所々、荒れて茶色く茂っている木々が見える場所には、汚れた空気を浄化しようと、市が作った公園になっていたが、手入れが悪いため、人工的な環境造成の失敗作として、宿を求める野鳥すら寄り付かない。
「横州市にも、こんな環境の町があるんですね……」
「そうね、こんな雰囲気の悪い場所に住んでいれば、なおさら、荒れた気持ちになるわね。追っている犯人が、どのみち、世の中へのうっぷんを晴らそうと、あんなバカげた事件を起こしたのなら、いくぶん理解出来そうだわ」
都真子は、犯人の心理を想像してみた。
「都真子先輩!見てください!下の駐車場で、男が黒いミニバンに乗ろうとしてますよ!」
《黒のミニバン?それに映像で見た男と体つきがそっくりだわ!》
都真子は急に走り出した。
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