ネンリンデカII顔粘土男と虫男

東 風天 あずまふーてん

第1話 囮(おとり)

 どちらかと言えば理屈屋の横州警察署の二人の刑事、香原木(かばらぎ)俊介と三色都真子(さんしょくとまこ)は、人の身体を傷つける傷害事件で、犯人が使用する凶器のえり好みについて、したたか、持論をぶつけあっていた。


「だってさ、犯人が被害者の首を手で絞めて殺すような凶器を使わない素手による犯罪以外は、原始人だって自然にある木石骨材を、手当たり次第に使って、相手を叩いたり、突っついたりしたはずだ」


 俊介が、犯罪に凶器を使うのは原始人の頃からだと言い始めると、都真子は、現代に当てはめて口にする。


「よりによって現代は、そうした原始時代に輪をかけて、無数の道具が凶器になる時代よ。だから、人は、何かの原因で怒り狂って、相手を傷つけようとする衝動に駆られたら、もっぱら、調理用の包丁で相手を刺したり、その辺にある紐やコードで首を絞めたり、度を失って、高価な花瓶で相手の頭をかち割ろうとするわね。でも、これは、手段としては原始人と変わらない気がするわ」


 俊介は、相手が誰であろうが、犯罪論を交わすときは、常に、目新しい視点を匂わせるように心掛けている。


「俺に言わせると、何よりも肝心な点は、都真子が言うように、現代人の身の回りには、原始人の時代とは比べものにならないくらい凶器になり得るものが満ち溢れているからな。その犯罪にふさわしい凶器というより、その凶器にふさわしい人間によって選ばれるという視点が大事なんだよ」


「それじゃ、何よりかにより、使われた凶器をよく観察すれば、犯人の尻尾をつかめるってわけ?」


「まさにその通りだ!目の前で、被害者が死ぬを見たければ、即刻、力まかせに実行できる凶器を選ぶだろうし、あべこべに、被害者が傷ついたり死んだりするのを、じかに見たくなければ、毒物や薬物を選ぶのではないかな」


 都真子も、のっけから薄っぺらな議論にならないように、つっこんで考えて答えるようにしている。


「でもね、今一段、深く考えてみると、犯罪を犯すのは人間であって、凶器が悪いわけじゃないわ。だから、使用する器具や用具が時代により変化しても、犯罪発生のメカニズム自体は、昔と比べて変化してないんじゃないの。人間ってのは、一旦、かっかすれば、怒らせた相手に暴言を吐き暴力を振い、ついには殺人にまで至るのは、昔も今も変わってはいないはずよ。とどのつまり、犯罪の本質っていうのは相手にダメージを与えることによって、自分自身を優位に保とうとする究極のエゴイズム以外の何ものでも無いわね」


 俊介と都真子はこうして持論をぶつけ合うと、もっぱら、話が平行線になったり、支離滅裂になったりすることが多い。


「くどいようだが、凶器の歴史論を繰り返すと、他のどの凶器よりも人を傷つけることに優れた格好な凶器は、何と言っても、弓矢や刀の発明だな。やがて、そうこうするうちに、銃や爆弾が発明されて人を傷つけるための強力な道具が揃うわけだが、こうした刀剣や銃器類は、ウエポンつまり武器として、本来は戦争に使われる道具であって、こともあろうに、戦争以外に使っちゃいけない筈だ」


「そうね!だからこそ、きびしく管理されて、容易には手に入らない筈だったのに、どういうわけか、民衆の間に出回って犯罪に使われるようになったわどういう訳かしら?」


「そりゃ、犯罪行為の元凶は戦争だよ。今は、戦争犯罪なんて言葉があるけど、昔は、戦争となれば、敵に勝つためには手段を選ばなかったわけだから、略奪から殺人まで、あらゆる犯罪行為が、洗いざらい揃った最高最悪の犯罪行為が戦争ということになるな」


「肝心なことは、人間が、戦争を正当化している内は、犯罪は無くならないってことよね!」

 

 都真子がうまく結論に導いた。


「そろそろ、張り番に行きましょうよ!」


 ふいに新米刑事の遠山が、休憩室をのぞいて、急かすように言った。


「奇材先生の、例のマンションに行くのか?」


「ええ、それじゃ、話の続きは、また今度ね!」


 都真子は、俊介を置き去りにして休憩室を出て行くと、遠山が、余計なことを言い始めた。


「どうします?さっきまで、晴れていたのに、どす黒い雲が出て来たなと思ったら、とたんに土砂降りの雨になっちゃいましたよ!」


「あのね、事件は天気を選ばないのよ!」


 二人が、向かったのは煙町にある古びたマンションだ。


 到着した二人は、マンションの北側にいくつも建つアパートの合間のわずかな隙間から、マンション二階の各部屋の扉の開け閉めが見える位置に車で陣取った。


「凶悪な事件って、真夏の暑さの中でも起きるんですか?」


 遠山は、藪から棒に、わけのわからぬ理屈をこねた。


「魔の六月って、言うでしょ。六月はまだ真夏じゃないけど、数々の凶悪事件が起きているわね。欧米の研究者の中には、暑さと事件発生の因果関係を主張している一派もいるわね。気温や気候が人間の心理に影響を与えることは間違いないわ」


「だって、暑いとイライラしますもんね」


「まあ、そういう単純なものじゃないけどね。日本でも、毎年、暑い夏を記録しているけど、そこへもってきて、凶悪事件が増えてる気がするわ。予期せぬ異常な暑さから起きている、人的、物的被害を目にして、世の中では、いたって有効な手が打たれていないことに、しびれを切らしてる人もいるんじゃない。そればかりか、今さらもう、手遅れに近いのではと諦めムードになっている人もいるかもね」


「でも、異常気象なんて、意図的なでっちあげなんて言う人もいますよね」


「まあ、世界中で、実際に異常な記録を毎年更新しても、それを異常気象と認めない人々は、必ず何かの意図を隠しているのよ。人類は総体となると、意外に愚かで、取り返しのつかないところまで行かないと目が覚めないわね。異常気象の原因がたとえ人間にあったとしても、それを否定する人々の抵抗によって解決が長引くか、もしくは解決にたどり着けない可能性も大きい気がするわ。それはそうと、事件は決して夏の暑さだけが原因じゃないし、事件は季節を選ばないからね。それは肝に命じておいてよ」


「はい!肝に命じます!」


 遠山は、うやうやしい口調でオウム返しに答えた。


 煙町のマンションの二階、一号室の住人は、大粒の雨が、音をたてて降ってきたことに気づき、玄関側の小窓をわずかに開けて外を見た。


《ふん、今日も張り込んでいるのか、ご苦労なこったな。ここには何にも無いけどな》


 男は、そっと窓から離れると、大きな鏡の前に置いたサングラスをかけ、灰色のスウェットから、真っ黒なシャツとジーンズに着替えた。


《雨が小降りになったら出るか……》


 折よく、ウソのように雨音が静まると、二〇一号室にへばりついていた扉が開き、こうして見ると、その場の空気が変わるような、文句なしにうさん臭い男が姿を現した。


「出て来たわ!やけに勘のいい奴だから、くれぐれも注意して追いましょう!」


 都真子は、固唾をのんで、食い入るように男を見ていた遠山に、ぴしりと忠告した。


 男は、マンション裏手の、手入れが行き届かず、デコボコして、ところどころ雑草が顔を出してる駐車場に現れると、停めてあった真っ黒な車に乗り、まるでついてこいと言わんばかりに、悠然と走り始めた。


「やっぱり、蝙蝠団地に向かっているわね。この前、追いかけた時は、あの団地で見失ったのよ。今日は、気づかれずに追いましょう」


 遠山にしてみれば、わざとらしく停止したり、あべこべの方向に行くと見せかけたりしながら、ひっきりなしに、手を変え品を変えて、都真子の期待に応えようと、ぐっしょり手に汗をかきながら、男の車を追いかけた。


 男の車は、横州市のとなり、葡萄市にある俗称、蝙蝠団地に入って行った。


 こうした団地は、高度成長期に造成されたが、今では、世代が交代して、一挙に人が住まなくなってしまい、むざんに蔦の絡み付いた廃屋があちこちに目立ち、ついでに荒れ放題となった庭には、恐ろしく背丈が伸びた樹木が屋根に覆い被さっている。


「こりゃ、荒れ方が凄いですね」


「まあ、この荒れ方じゃ、蝙蝠団地って呼ばれても、とくだん否定はできないけど、正式には、コスモ団地っていうのよ。何しろ団地ができた当時は、低価格でマイホームが持てるって評判で、ずいぶん人気があったらしいわね」


 男の車は、キッキッと甲高く鳴く蝙蝠が群れ飛び、野放図に動物の死骸の転がる不気味な住宅地の中を、ぐるぐる巡った挙句、黒い切妻屋根の屋敷が、ひっそり建つ敷地に、吸い込まれるように入って行った。


「ええと、誰の家か調べますから待ってください。ああ、分かりました。大曽根貞吉宅とありますね。どうやら貞吉は、株式会社大曾根薬品の創業者ですね。もう既に故人ですが、いったい男とどのような関係があるんでしょうね」


 都真子は、こうなったら屋敷を訪ねてみようと、車を降りかけたとたんに、ふいに敷地の隅から、わがもの顔で黒のミニバンが現れ、反対方向に出て行くのが見えた。


「待って!気づかれるわ!違う方向から行って、同じ住宅地の出口へ回りましょう!」


 あたりは日が落ち、いくぶん薄暗くなっていた。


 ミニバンは、都真子が予想した通り、住宅地から県道への出口に現れた。


「前の車をよく見て!犯行に使った車は、後扉に噴射口が見えるはずよ!あれよ!あの丸い孔が噴射口よ!わざわざ改造したんだわ」


 ミニバンは、ふたたび横州市に入り、新しくできた大型商業施設まで走ると、見通しの悪い道路脇を選んで停車した。


 ひんぱんに人が通る気配はないが、とき折り、その先にある住宅地の住人や勤め帰りのサラリーマン、ジョギング中のランナーが身に付けた反射板を光らせながら、車の脇を通り過ぎて行く。


「きっと、ターゲットはすでに決めてあるわね。なぜって、車に乗りながら、ターゲットを探す風は全くなかったもの。それにしても、犯人にとっては、犯行を始めるまでのこの時間が、いちばん感覚が鋭くなっている時間だわ。へたに近づくと逃げてしまうわね」


 運転席の男は、相変わらず、車から降りずにじっとしている。


「まるで、闇に身を潜めた動物が、息を殺して、獲物となる動物を待つみたいですね」


 遠山が、そう言ったとたん、ふいに一人の女性が、歩いて来るのが見えた。


 都真子が叫んだ。


「まずいわ!あの娘がターゲットよ!」

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