第7話 小鬼

 「今日はここで」「先に行ってて」

 キャンパスを一緒に歩いていると、厚が急にそう言い出していなくなる。そんなことが二、三度続いた。なんだろうと思って訊いても、お茶を濁して答えない。


 その朝は、美波が一人で校舎裏の並木道を歩いていると、厚が植え込みに頭を突っ込んでいるところに出くわした。傍らには彼のかばんが放り出されている。

 「…何してるの?」


 ぎくりとして植え込みから頭を出した厚は、振り向いて美波を見ると、膝の汚れを払って立ち上がった。


 「茂みの中で何か動いて。何かいるのかと思って」

 「何がいたの?」

 「いや、逃げちゃってわからなかった」


 鞄を拾い上げて肩に掛ける。美波と視線を合わせない。


 嘘くさいなぁ…と美波は思った。こんなところに動物がいるとも思えないし。

 嘘が下手へたそうな厚の様子は、悪事を働いているようには見えないが。何をやっていたんだろう?




 翌朝、厚は木の上に奴らの姿を見つけ、間髪入れずに張り出している太い枝に跳びつき、ようやく一匹をふんづかまえた。


 小鬼だった。いつも四、五匹でつるんで行動し、時に悪質な悪戯いたずらをするモノノケだ。ここ数日、彼らの気配を身のまわりに感じていたのだが、ようやく捕まえた。


 片手で小鬼の首根っこをつかんだまま、片足を幹に掛けて体を持ち上げ、太い枝に腰を落ち着けてから、厚はつかまえた一匹を顔の前にぶら下げてにらんだ。

 「お前達…。全く、俺の行く先には必ず現れるな」


 中学の時も高校の時も、こいつらの悪戯のせいで、同級生に変な目で見られるようになったのだ。同じことを繰り返すつもりはなかった。


 ぶら下げられた小鬼がキーキー騒ぐ。

 「泣き真似したって駄目! 俺に悪戯するのやめるか?」


 仲間の小鬼達が怒って詰め寄ってくるが、厚はにらみ返す。彼らの背丈は小さいので、てんでにこぶしを振りかざしても迫力はない。見た目よりは彼らの力は強いので、子供の頃は数で囲まれると喧嘩しても勝てなかったが、さすがに今は違う。


 「やめないと祓うぞ」

 しばらくにらみ合った。小鬼達がしぶしぶ引き下がる。

 「約束だぞ? 破ったら本当に祓うからな」

 しぶしぶうなずく。

 「よし」と言って、厚は手を離した。

 小鬼達はひとかたまりになって逃げて行った。




 「破ったら本当に祓うからな」

 朝、美波が工学部の校舎に向かって並木道を歩いていると、頭上から人の声がしてぎくりとした。


 足を止めて見上げると、厚が傍らの犬樟いぬぐすの木に登っている。太い枝にまたがり、こちらに背を向けて「よし」と何やら呟いている。


 「何をやっているのよ?」

 振り向いた厚は大いにうろたえた。

 「なんでもない」

 「そうは見えないけど」

 厚は答えに詰まる。


 「本当に、なんでもない」

 「なんでもないのに木に登るわけ?」

 「ちょっと……童心に返ってみたというか…」

 私に言う気はないわけね、と美波は皮肉っぽく思った。


 「それで?」

 「え?」

 「いつまでそこにいるの。そろそろ行かないと一限に遅れるよ」

 「あ、うん」と答えて厚は枝から跳び下りた。


 会話はないまま校舎に着き、建物に入るとすぐ「それじゃ」と言って別れた。

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