第10話

 「ホント、きれいな髪してるね」

 「そりゃ、美人な母親の血を継いでるからね」

 「おっ、嬉しいこと言ってくれるね」 


 そう言うと、朝凪は元気がなさそうに微笑み、自分の膝上に寝転んでる私の髪を撫でつける。

 それにやすらぎを感じ、悶えてしまう。ベッドの上で身体が小刻みに震える。

 あの後私は母に膝枕をされることになった。

 彼女がベッドに上がりこんで、勝手にそうしてきたのだ。私はそれを拒否しなかった。というか、まんざらでもなかった。彼女に抱きしめられた時の心地よさをもう一度、味わいたかったから。

 実際、膝枕された私は、骨抜きになり、先程まで抱えてたもやもやが全部ふきとんんだ……とはいかないけど、ある程度は落ち着きを取り戻すことができた。

 これが、母の狙いかと思ったけど、どうやらそうではないようだ。

 彼女自身も娘とのふれあいで癒やされている。

 今の彼女の微笑みは、ささやかで力のないものだが、そこに違和感はない。先程台所で見せた無理やり作った笑顔より、だいぶましになってる。

 そのことに少しホッとした。

 牧歌的な時間を堪能すると、私は起き上がる。

 口元を触ると、よだれがたれていた。

 きっと、表情が緩みきってるだろう。

 まさか、母に膝枕されると、ここまで絶大な効果を発揮するとは。

 恐るべし、母の包容力。いや、ただ単純に、私が母親の愛に飢えてるかもしれないが……。

 私は、腕を軽くつねる。痛みでふわふわとした、気分を鎮めると、深く、深呼吸。

 表情を引き締めると、母の方を見る。

 母は、それを察して、本題に入る。


「よくよく考えれば、見える人もいれば見えない人もいるんだよね。幽霊なんだから。朝凪が見えるから、海も当然見えるって、私思い込んじゃった」


 そう言うと母は自嘲気味に笑う。

 私もそう思ってた。

 幽霊になる。それがどういうことなのか、深く考えていなかった。理解してなかった。

 親子の再開の喜びで、お互い、物事を楽観視してたのだろう。

 反省しないといけない。


「でもどうして、私は見えたんだろう? いわゆる、霊感があるってことなのかな?」


 現状を理解しようと、とりあえず、思いついた疑問をそのまま口にする。

 

「かもね。子供は霊感があるから、幽霊が見えやすいって言うし……」


 母が真剣な口ぶりで答える。

 確かに、聞いたことのある話だ。


「でもそれを言うなら、朝凪が私の娘ってことも、無視できない事実だよね。子孫の前に先祖の霊が出てくるとか、その手の話では定番だし」

「……そっか。私にとって、見える理由は一応揃ってるんだね」

「まぁあくまで、心霊現象を、事実として仮定しての話だけどね。でも個人的には間違ってないと思う」

「なんで?」

「テレビや本とかで見聞きした心霊現象、そういうのを一通り思い出してみたんだけどさ。幽霊になったからかな。本当にあった話か、そうじゃない話かってなんとなく分かるんだ。たぶん、お話から、同族の幽霊の匂いを嗅ぎ取れるんだと思う」


 信じがたい事実をさらっと言う。

 

 「そうだったんだ」


 でも私はあっさり信じてしまう。

 母親の幽霊をこうして、事実として受け入れてるんだ。

 それぐらいのことも、ありうるだろうと、思ってしまう。

 しかしこれで、私が見えて、父が見えない理由が、決定的に浮き彫りになった。


「……なんか、複雑。私はこうして、お母さんと触れ合えるのに、お父さんにはそれができないなんて。なんか、自分だけ得して、ズルした気分っていうか……」


 父だって会いたいはずなのに。

 胸の奥がちくりと痛む。

 すると、母が心配そうに私を見つめてくる。

 

「朝凪は本当に優しいね。優しすぎて自分を傷つけてしまうくらい。でもお願い、そんな風に考えないで」

「考えちゃうよ。だって……だって知ってるもん! 父がどれだけ母のこと好きだったか! どれだけ会いたいと思ってるか、全部知ってるもん!」


 思わず、叫んでしまうと、母は困った表情をする。


「ねぇ、母が幽霊として、ここにいるって父に言おうよ。そうすれば……」

「それは……ダメだよ。できない」

「どうして? 私が変な子だと思われるから? 大丈夫だよ、実の娘が必死で訴えるかければ、私の言葉を……」

「信じてくれるよ。でもね、少しの疑いもなく、信じるとはいかないんだよ。どうしてかって言われると、娘のために、考え方がどうしても現実的になるんだよ。海からすれば、私は見えない。娘のあなたにだけ見える。だから、信じようと思っても、どうしても不安はよぎってしまう。母親を失った悲しみから、娘が幻覚を見てるんじゃないかって……。そんな風になったら、私はすごく後悔する」

「……」


 そこまで考えが至らなかった。

 父が傷つく可能性を考えてなかった。

 母を失った悲しみから、父はようやく立ち直りかけてる。

 そんな大事な時に、娘がおかしくなったと知ったら、精神的に不安定になるだろう。

 漫画だって、また描けなくなるかもしれない。

 それは嫌だ。嫌なはずなのに……母の言葉を受けいれたくなくなった。 


「でも……だけどさ……お互い好きなのに……こんなに近くにいるのに……何もすることができないなんて、あんまりだよ。悲しすぎるよ」

「そうだね。でも、見たくないんだよ。大切な人が傷つく姿を。だから、このままでいい。私がここにいるって、海が知らないままでいい」

「……」


 でも彼女の意思の強さを知ると、私のわがままな心は急速にしぼんでしまう。 

 私は消え入りそうな言葉で問いかける。


「本当に……本当に……それでいいの?」

「うん、彼を一目見ることができた。娘とも再開できた。これ以上のものを望んだら、バチが当たるよ」

 

 そう言って、見せた笑顔は、満ちたりていたけど、無理やり思いを断ち切ってるようにも、見えた。

 

「そう、それがお母さんの選択なら……」


 でも結局、私は彼女の意思を尊重した。そうすることしかできなかった。


 母との話し合いが終わると、ちょっと水飲んでくると彼女に言って、一人で台所に向かう。

 しゃべりすぎて、喉が乾いてしまったのだ。足取りはどこか重い。原因は分かってる。母が出した結論。それが私の心をもやもやさせるのだ。

 どうにしかして、この感情と折り合いをつけないといけない。でないと、漫画を描く時にも支障が出る。

 だけど、リビングに入ると、もやもやは一瞬で吹き飛んでしまった。

 背筋が凍る光景がそこに広がっていたからだ。

 料理の準備をしていたはずの父。その父が、床にうずくまって倒れていた。

 身体をくの字に曲げ、額におびただしい汗をにじませ、苦しそうにうめき声をあげていた。


「お父さん!」


 私は慌てふためきながら、彼の元に駆け寄っていく。 

 近くで見ると、目の焦点があってないことが分かる。

 私は、かかがみ込んで、彼の肩を揺さぶり、必死に声をかける。

 だけど、反応は返ってこない。

 ……意識がはっきりしていない。これはまずい。かなり深刻だ。

 私はリビングにある電話で救急車を呼んだ。

 電話が終わると、ちょうどそのタイミングで、母が部屋に入ってくる。


「ど、どうしたの? 大きな声出して」


 不安げな顔をしている。心配で、様子を見にきたのだろう。

 

「お父さんが……部屋で倒れてたの。意識がなくて、今救急車を呼んでる」

 

 震えた手で父を指差すと、母は驚いた様子で、そっちを見る。


「えっ……そんな……」


 すると、見る見る間に、彼女の表情が青ざめていく。


「ど、どうして? な、何が原因で?」


 悲痛に満ちた声で母が言う。

 それは私も知りたい。

 父は母のことで、漫画が書けなくなる不調に陥っていたが、倒れたことは一度もなかった。もしかして、病気を抱えていたのだろうか?

 いや、変な憶測を立てるのはよそう。ひょっとしたら、事態は私が想像するほど、深刻ではないかもしれない。

 今はただ祈ろう。父が無事回復することを……。

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