第2話

 朝がきた。日の光を浴びて、私は目を覚ます。

 夢の内容のせいか、あまり気分はさえない。横でまだ寝息を立てている父の顔を見る。

 父にとって母は、生涯を共にすることを約束した相手だった。

 二人三脚で一緒に漫画を描いた相手だった。

 大切な人だった。

 でも母は六年前のある日、病気でこの世を去ってしまった。

 それは父にとって、身を引き裂かれる程の悲しみだっただろう。

 事実、父は、以前より元気がなくなり、漫画を作ることの意義を見いだせなくなってしまった。

 そのため、今現在にいたるまで、まともに漫画をかけずにいる有り様だ。

 そんな彼は時おり、儚げで、消え入りそうに見える。

 そういう空気を感じてしまうと、私は不安になる。夜寝る前に心細い気持ちにさせられる。

 このまま寝て目覚めたら、父がこの世界からふっと消えてしまうような錯覚に囚われる。

 だからいつからか、私は、父と一緒に寝ることにした。私が彼に抱きついて寝てる間は、彼の存在を感じられ、安心した気持ちになるから。



 父が目覚めると、私達は一緒に台所に行き、雑談を交えながら、朝食をとった。


「そういえばこれ、話してなかったけ? 家族だし、一応話しとくね。三日前だったかな。メールで出版社からコミカライズの依頼きたんだけどさ……」


 私がネットで公開してる二次創作漫画は、絵がすごくうまいと多くの好評を得ている。

 それが出版社の目に止まり、漫画の仕事の依頼がきたのだろう。

 父は食事の手を止め、口を半開きにして、じっとこちらを見る。

 私が趣味で漫画を描いていたことは彼もすでに、知っていたことだ。


「それはすごいな。いや、お前の実力なら……いつか商業デビューするとは思ってたが……」


 そう驚きの声をあげると、天井を見上げ、しばらく黙りこむ。そして、口元をわずかに緩ませて言う。


「まさか十六才でな……。すると俺と母がデビューしたのは18の時だから、その二つ下ってことか。いろいろと感慨と深いな。俺と母の娘がプロの漫画家になるなんて……なんか泣けてきたわ」


 目頭が熱くなった父は、まぶたをおさえながら、身体を震わせる。

 しかし私は、彼の期待を裏切るように、淡々と自分の気持ちを告げる。


「いや、私仕事は受けないよ。プロにはならない」

「えっ……どうして!? せっかくのチャンスだぞっ」


 机を思わず、強く叩き、前のめりになる父。


「漫画は趣味のつもりで描いてるの。仕事で描くつもりはないよ」

「いやでもっ……」

「はいこの話終わり。じゃあ、食べ終わったから、私自分の部屋戻るね」

「あっ……」


 自分の食器を、片付けると、私はリビングを後にする。

 父はまだなにか言いたげそうに、こちらを見ていたが、残念そうに重くため息をつくと、静かに食事を再開した。


「うーん、何か違うんだよなー」


 朝食から三時間。

 部屋にこもって、昨日と同じくまた漫画を描いてるが、どうも上手くいかない。

 今は漫画のネーム作業をしていて、コマ割りとか構図とかセリフを考えてるのだが、いまいち集中できてない。

 作業の効率が普段と比べて落ちてるのがわかる。

 原因はやっぱり、今朝の1軒だろうか。

 私が漫画の仕事を受けないと聞いて、父はガッカリしてた。

 そのことが頭に引っかかるのだろうか?

 まぁ、なんにせよ。

 このまま作業しても、自分が納得できるものは作れないだろう。


「仕方ない、気分転換に漫画でも読むか……」


 リビングに行く。リビングの大きさは、だいたい教室と同じくらい。

 真ん中にソファと机があり、それを囲うように四方の壁に本棚がズラリと並んでる。

 中に入ってるのは全部漫画だ。ざっと三千冊はあるだろうか。

 親は仕事柄状、大量の漫画を持っている。

 だからたまに、ここから漫画を拝借して、それを読んでいる。

 自分も漫画を持っているが、自分が買って読むものは、必然、自分が好きなジャンルばかりになる。

 そういうのは、視野が狭くなる。

 だから、自分の好みとは全然違うものをあえて、読むのだ。

 

「さて、どれにしようか?」


顎に手をやり、うーんと、思案げなポーズを取る。


「獣王戦記、これにするかな」


 タイトルから予想するにバトルものだろうか。

 バトルものは血が出たり死んだりするので、読むのに結構勇気がいる。

 人が死ぬのは嫌いだ。母が死んだ時のことを思い出す。

 でも、獣王と名前がつくからには動物が戦うのだろう。

 私は動物は基本好きだ。なので、動物要素で苦手意識が緩和されるかもしれない。

 獣王戦記を手に取り、何気なくページをめくる。

 話の冒頭ではリアル調の二匹のトラが互いの身体に噛みつき、血なまぐさいバトルを繰り広げている。

 文字通り血なまぐさいバトルだ。トラたちの身体からは内蔵とか腸とか骨が飛び出ていて、それがどこまでも写実的に描かれている。

 ……グ、グロすぎる。

 私は顔を真っ青にし、手が震えてしまう。

 そのせいで、うっかり本を落としてしまった。


「うわ、いけないけない」


 人の漫画だ。大事に扱わないといけないのに。

 グロシーンのショックはすっかりどこかへ消えてしまった。 

 今は本が傷ついてないか、心配でならない。

 見ると、本は本棚同士の間にあるわずかな隙間に落ちてしまったようだ。

 隙間は小さく手が通れる大きさじゃない。

 仕方なく、本棚の側面を持ち、少し前にずらすことにした。

 本を拾い、状態を確認する。

 よし、大丈夫そうだ。

 本を元の場所に戻す。それから本棚の位置も戻そうとする。

 

 「うん?」


 その途中、あるものを発見する。

 本棚が背にしてた壁の部分。そこに本が落ちている。

 随分とほこりをかぶっている。私のように落とした人がいたのだろう。

 何気なくそれを拾うと、目に写った表紙に、私は固まってしまった。

 また本を落としてしまう。


「な、なに、これ……」


 声が震える。今度はさっき以上に顔が青くなる。

 私は恐ろしげに、視線を床に降ろす。本の表紙のタイトルを凝視する。

 そこにはこう書かれていた。


『120の確実に自殺する方法』


 ごくんとつばを鳴らす。

 おそるおそる本を拾い、中を見る。

 内容はタイトルの通りだった。

 あらゆる自殺の方法がイメージ図と共に、紹介されている。

 なんでこんなものがうちに……。

 本をめくる途中でレシートが見つかる。ページとページの間に挟まっていた。

 本のしおり代わりに使ってたんだろう。

 確認すると、この本を購入した時のものだと分かる。会計時の値段がこの本とちょうど同じ値段だ。

 私はそこでいいようのない不安にかられて、レシートのある部分を見る。

 購入日。 2016年 4月 10日。

 ゾクリとした。この日付は母が死んだちょうど一週間後のものだ。

 誰がこんなものを買ったかなど、予想を立てるまでもない。

 この家に住んでる家族は、私以外に一人しかいない。それは父だ。

 つまり母が死んだ後、父がこの自殺の本を買ったことになる。

 その意味する所は……。


「お母さんの後を追って、お父さんも死のうとしたってこと……!?」


 脳裏に亡くなった時の、母の横顔がよぎると、そこに父の姿が重なる。

 私はそのイメージを振り払うように、駆け出した。父のいる仕事部屋に向かった。

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