【短編】例えば君が、かつて世界を救った事があるとして

てるま@五分で読書発売中

例えば君が、かつて世界を救った事があるとして。上

「例えば君が、かつて世界を救った事があるとして────」


 彼女がそんなふうに声を掛けてきたのは、俺が学校帰りの電車に揺られていた時の事だった。


 夕暮れ時、田舎の海沿いを走る二両電車。

 殆ど乗客のいない車内でロングシートに座っている俺は、イヤホンから流れる音楽を聴きながら窓に切り取られた穏やかに流れてゆく風景を眺めていた。


 たたんたたんという規則的な振動がシート越しに体へと伝わってくる。

 オレンジ色の夕陽に照らされた車内はどこか寂しげで、幻想的で、俺はまるで古い映画の中に入り込んでしまったかのように感じており、もしかしたらこの電車は俺の家がある駅には向かっておらず、どこか遠くの別世界にでも向かっているのではないだろうか。なんていう空想が頭を過ぎったその時だった。


 ふわり──


 すぐ隣からライムのような甘く爽やかな香りが漂ってきて、シートが僅かに沈む。ぼんやりと風景に浸っていた俺はチラリと視線を横に向けた。


 ドキリ──と、胸が鳴る。


 なぜなら俺のすぐ隣には、いつのまにか見覚えのない制服を着た一人の女の子が座っていたからだ。


 やや茶色がかった短めの髪、透き通るような白い肌、それから……。

 これがテレビ画面や雑誌の紙面越しであれば、もっと彼女をまじまじと見つめて頭の中に特徴を箇条書きにする事ができたのだろうけど、突然隣に現れた彼女の存在に驚いた俺は、それ以上的確に彼女の特徴を認識する事ができなかった。


 ただ一つ、もしも誰かにこの上なくわかりやすく彼女の事を伝えるならば俺はこう言うだろう。

 彼女はとても可愛いかった──と。

 そこに『間違いなくこれまで見た事がない程に』と付け加えるかもしれない。


 彼女はいつの間に同じ車両内に現れたのだろう。そして空席だらけにも関わらず、なぜ俺の隣に座ったのだろう。もしかしたら以前どこかで会った事がある知り合いだろうか。いや、こんな可愛い子と知り合いだったとしたら忘れるはずがない。となると、俺に何か用でもあるのだろうか。


 そう思った俺は胸の高鳴りを鎮めながらイヤホンを耳から外した。すると──


「例えば……」


 彼女はやや緊張した面持ちで真っ直ぐに窓の外を見つめたまま、おもむろに口を開いた。その声は電車の走行音をすり抜けて耳に直接響いてくるような、よく通る綺麗な声だった。


「例えば君が、かつて世界を救った事があるとして、今はその記憶を無くして普通の生活を送っているんだと言われたら、信じる?」


 彼女の桜色の唇から紡がれる言葉の意味を俺はすぐに理解する事はできなかった。


 俺が戸惑っていると、彼女は答えを求めるようにこちらを見た。

 整っていながらも愛嬌が感じられ、親しみやすそうなその顔には、何かを期待するような表情が浮かんでいる。


 彼女はいったい誰なのだろう。

 そしてなぜ俺にそんな質問をするのだろう。

 質問に対して素直に答えるのであれば、俺の返事は『NO』である。

 だって、平凡な高校生である俺が世界を救うだなんて想像する事もできない。俺じゃなくたって大抵の人がそう思うのではないだろうか。


 彼女に見つめられた恥ずかしさから目を逸らした俺はモゴモゴと口ごもり、「いや……」と曖昧に首を傾げた。

 すると、彼女は不満げに眉を顰める。


「ロマンがないなぁ。例えばの話だよ、例えばの」


 期待に沿った返答ができなかったのは申し訳ないが、例えばと言われても信じられないものは信じられないのだから仕方がない。むしろ信じると答える方がどうかしているのではないだろうか。


 そりゃあ、俺が世界一の格闘家だったり、IQ200の天才科学者だったりすれば少しは信じられるかもしれないけれど、残念ながら俺は世界を救うどころか縁日で金魚を掬うのにも苦労するような、どこにでもいる普通の高校生だ。


「じゃあねぇ、例えば……そうだなぁ」

 彼女は人差し指を頬に当て、可愛らしく何かを考えるような仕草をする。また何か例え話をするつもりのようだ。


「あのさ、俺達どこかで──」

『どこかで会ったっけ?』と俺が質問を投げかける前に、彼女は言葉を被せてきた。


「例えば、今私達がいる世界とは別の世界が存在するとして、その世界でのお話という事にしようか」


 別の世界……というと、漫画やゲームに出てくるような剣と魔法の世界とか、そういう世界の事だろうか。

 相変わらず彼女の目的がわからない。

 降りる駅まで退屈だから話し相手が欲しいというのであれば別にそれは構わないのだけど……。


「ある朝君が目覚めたら、そこは見覚えのない森の中でした。なぜそんな所にいるのかわからない君は、人の姿を探して辺りを歩き回ります。すると、どこからか女の子の悲鳴が聞こえてきました。君が悲鳴の聞こえた方に行くと、そこには恐ろしい怪物に襲われている女の子がいました。さて、君ならどうする?」


 なんだその物語仕立ての質問は。

 これは心理テストか何かなのだろうか。

 そうだな……もしもそんな状況で女の子が怪物に襲われていたら、俺はどうするだろう。


 普通ならば迷わず『もちろん助けるよ』と答えるのが正解なのかもしれないけど、実際にその状況に置かれたらどう行動するかは正直わからない。なんせ俺はただの高校生だし、無謀に怪物に立ち向かっても痛い目を見るだけなのは目に見えている。

 でも、もし襲われている女の子が今隣にいる彼女のような可愛い女の子だったら、かっこつけて怪物の前に立ちはだかったりもするかもしれない。あるいは手を引いて一緒に逃げるとか、そういう手段を取るだろう。


 などという事を考えているうちに、彼女は俺の答えを待たずに話を続ける。


「怪物を見た君は、最初は恐れをなしてその場から逃げ出そうとしました。だけど一度は背を向けたにも関わらず、女の子の助けを求める声を聞いて立ち止まると、無謀にも怪物に立ち向かいます。そして自分でも驚く程の怪力で怪物をやっつけてしまいました」


 だからこれは何の話なのだろう。

 これが何かの物語であるならば俺が怪物を倒さなければ話は進まないのは確かだけれど、自分でも驚く程の怪力とはどういう事だろうか。まぁ、別に物語の内容はどうでもいいのだけれど……。

 問題は、なぜ彼女が俺にそんな話を聞かせるのかという事だ。もしかしたら何かの勧誘とかそういうのか? だとすれば丁重にお断りしたい。

 とはいえ、こんなに可愛い女の子と話機会などそうそうないし、もう少し彼女の話を聞いてみるとする。


「見事女の子を助けた君は、事情を話して女の子の暮らす村へと向かう事になりました。その道中で、女の子は君にその世界の事を語って聞かせました」


 女の子が語ったのは、その世界が怪物や魔物の存在する剣と魔法のファンタジーな世界であるという事。そして世界は魔王と呼ばれる存在によって滅亡の危機に瀕しているという事だった。まるでそこら辺のアニメやゲームからそのまま引っ張り出してきたようなベタな設定である。


「村に着くと、女の子は君を村長の家に連れて行きました。そこで君は村長から、『異なる世界からの来訪者が魔王の手から世界を救うだろう』という言い伝えを聞かされます。君ならどうする?」


 どうするも何も、その展開なら答えは一つだろう。

 元の世界に戻る方法がわからないのであれば、とりあえず魔王とやらを倒すために旅にでも出るしかない。

 怪物を倒した際に発揮した怪力とやらも、きっと来訪者に与えられた力とか、そういうやつだろう。

 俺の目を見る彼女はまるで心を読んだかのように微笑み、頷く。


「そう、君は魔王を倒すために、そして元の世界に戻る手段を探すために旅に出るの。さっき助けた見習い魔法使いの女の子と一緒にね」


 その旅は決して楽な旅ではなかったけど、楽しい旅だった──と、彼女は続ける。そして旅の道中に起こった出来事を、例え話にしてはやけに具体的に語り始めた。

 街道で盗賊に襲われたりとか、魔王の配下が支配する町を解放したりとか、病気の少年を救うために危険なダンジョンに薬草を取りに行ったりとか、とにかく色々な事があったのだそうな。


「そんな旅の中で、君は魔法使いの女の子の他に沢山の仲間達と出会います。そう、例えば……豪快で明るい格闘家とか、クールだけど仲間想いの盗賊とか、引っ込み思案な天才召喚士とか、寡黙だけど優しい聖騎士とか──」


 聖騎士だの盗賊だの、まるでゲームの話だ。

 相変わらず何の話なのか、俺には全く掴めない。

 もしかしたら彼女は本か何かを書いていて、その話を俺に聞いて欲しいのだろうか。

 可愛い女の子と話せて嬉しいという気持ちが少し冷めて、なんだか不気味にすら思えてきた。

 窓の外を見ると、まだ俺が降りる駅に着くまでは時間がありそうだ。


「ねぇ、君は他にどんな人が仲間になったと思う?」


 彼女がそんな事を聞いてきたので、俺は少し考えて、頭の中にぼんやりと浮かんだイメージを口にした。


「じゃあ、槍使い……とか?」

 別に深い意味はない。

 ただ本当にぼんやりと浮かんだファンタジーゲームの仲間キャラクターを口にしただけなのだ。


 しかし、それを聞いた彼女はハッと目を見開いた。

 そして軽く唇を噛み締めると、これまで以上に強く俺の目を見つめ、ズイと顔を寄せてきた。

 鼻をくすぐるライムの香りがより強くなる。


「……それって女の子だよね?」

 何か気に障るような答えを言ってしまったのだろうか。それとも彼女が興味を引く回答だったのだろうか。


「まぁ、多分女の子……かな」

 口にしてみると、長い槍を持つ凛とした女の子の姿が脳内に浮かんできた。

 性別までは考えていなかったのだけれど、男か女かと問われれば、健全な男子高校生としてはムキムキマッチョな男よりも当然女の子の方がいい。それが美少女であれば尚更良い。

 

 そこで彼女は俺に顔を近付け過ぎていた事に気付いたのか、頬を赤らめて慌てて顔を離した。もう何がなにやらだ。


「そ、そっかぁー、槍使いの女の子か。なるほどねぇ」

 平静を装ってはいるが、彼女の声は僅かに上ずっている。

 涼しげな表情で淡々と話す彼女も可愛かったけれど、こういう一面もまた可愛らしいと思ってしまった。

 胸に手を当てて一息ついた彼女は、更に話を続ける。


「君は仲間達と旅をして、色んな場所に行きました。砂漠にも行ったし、海にも行った。他にも雪山とか、マグマ沸き立つ火山にも行ったなぁ……。そうそう、魔法都市のお祭りにも参加したんだ」


 まるで大切な思い出を噛み締めるかのように語る彼女を不思議そうに眺めていると、俺の視線に気付いた彼女は「た、例えばの話ね」と、慌てて取り繕う。


 その後も彼女は俺と仲間達がどこに行き、どんな冒険をしたとか、どんな話をしたとか事細かに、そして熱量を持って語り続けた。


「それでね、その時塔の上から飛び降りた君がドラゴンの背中に乗って──」


 馬鹿馬鹿しいと思われるかもしれないが、俺はそんな彼女の話を聞いているうちに、それが実際にあった話なのではないかと僅かに錯覚してしまっている事に気付いた。

 しかし、そんな思考はすぐにかき消される。

 だって常識的に考えて、ただの男子高校生の俺がそんな冒険をした事があるはずがないからだ。

 剣と魔法の世界も、個性豊かな仲間達との冒険も、それはフィクションの中だけのものだと、これまでの人生でちゃんと理解している。


 例え彼女の最初の質問のように、俺が世界を救った後に記憶を消されてこの世界に帰って来たのだとしても、記憶を消されているのであれば信じられないのは当然だろう。大体それが現実にあった話だとしても、今その話を俺に語って聞かせている彼女は何者だという話だ。


「それから海に潜った君と仲間達は海底神殿を見つけて──」

 これはきっとただの例え話……。

 そう、例え話に違いないのだ。


 ふと窓の外を見ると、俺が降りる駅はもう近くなってきていた。

 いい加減彼女の正体を知りたくなってきた俺は、時折俺に問いかけながら語り続ける彼女の話を遮った。


「なぁ、さっきから君は何の話をしてるの? 別に嫌な思いをしてるわけじゃないけど、そろそろネタバラシをしてくれても──」

 言いかけた俺の手に彼女の手が触れた。

 ほんのりと温かく滑らかな指の感触に、思わず俺の言葉は止まる。


 手を触れてきた彼女の顔を見るとそこには、切なげで、苦しげで、切羽詰まったような表情が浮かんでいた。


「ねぇ、お願い。もう少し、もう少しだけ、私の話に付き合って……」

 懇願されるようにそう言われては、俺もただ頷かざるを得ない。


「例えば──本当に例えばの話だけど、君があの世界で最高の仲間達と旅をして、冒険をして、遊んで、時々喧嘩もしたりもしながら沢山の思い出を作ったとして……」


 彼女の切なげな声を聞いていると、胸がトクトクと高鳴り始める。なぜ彼女はこんなにも切実に例え話を語るのだろう。

 いくら考えてもわからない。

 彼女の目的も、正体も──。

 ただ理解できるのは、彼女がどうしてもその話を俺に聞かせたいのだろうという事だけだ。


「そんな旅の中で、仲間の一人が君に恋をしたとします──」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る