第19話 轟木先代子爵

 幕藩時代。轟木家は篠原藩十万石の譜代大名であった。

      最後の藩主は轟木景久かげひさである。

 

 幕末期。篠原藩では幕府派か討幕派かで家臣の意見が割れた。

     景久は幕府派の反対を押し切り、討幕派の味方についた。

  

 明治2年。版籍奉還により景久は篠原藩の知藩事となった。

 明治4年。廃藩置県により篠原藩は篠原県となる。

      この時、轟木家は東京に移る。

   

  その後、篠原県は他の県に編入することになる。

  景久は東京に移ってからも篠原の発展に力を注いだ。

  篠原の主産業である養蚕業と製糸業の発展。電気會社の設立。鉄道の設置。これらは景久の支えによるものだった。

 

 明治17年。華族令により轟木景久は子爵位を与えられる。

 

 そして趣味として怪奇な物。珍妙な物を好んだ。

 謎道樂は彼の個人的な趣味から始まった。

 

 子爵位を息子に譲り引退すると旧領地である篠原市に夫人と共に移住した。

 隠居地である篠原でも彼の趣味が続いているのだった。


 …ここまでが建介が知る轟木景久についてである。



 ―轟木子爵家別邸応接室前

 「こちらで景久様がお待ちです。」

 若い女中が応接室の扉を開ける。前回の謎道樂で建介を會場かいじょうまで案内した女中だ。銀杏返しを結い、松葉色の着物を着こなしている。

 

 女中の案内で建介と藤世が応接室の中へと入る。

 室内には華麗な意匠の椅子が三つ用意されている。その内の一つには既に老人が座っていた。鳥の子色の着物に利休鼠の羽織を合わせている。

 老人は建介たちを見るなり椅子から立ち上がり挨拶をした。


 「初めまして私が謎道樂を主宰しています轟木景久と申します。」

 年齢は七十を超えているだろう。白髪が目立ち灰色がかった頭髪と深く刻まれた皺は年齢相応だが、真っすぐな姿勢と緩みの無い動き、活力ある喋りが若々しさを感じさせた。

 

 「…初めまして。月島建介と申します。」

 建介の挨拶は緊張を携えていたが、景久はそれを気にする素振りを見せなかった。

 「さあ。月島さん。藤世さん。どうぞお座りください。」

 建介と藤世が椅子に腰掛けると案内してきた女中が紅茶を二人に出した。

 

 「タケさん。ありがとうございます。」

 「いいえ。」

 藤世が女中の名を呼び礼を云う。それにタケはにっこりと微笑んだ。

 

 「月島さん。あなたの事は私の孫たちとあなたの師である木村さん。それに質屋さんからお話を聞いています。」

 景久は落ち着きある声で喋る。が、どことなく奇怪さを帯びていた。


 「たいそう慧眼の持ち主ですね。」

 「いいえ…そんな…。」

 「謙遜なさらなくてもいいではないですか。」

 この前子爵は何か企みであるのだろうか。建介にそう疑いを持たせた。


 「世の中に隠された物が好きなのです。内緒話に曰くのある話。聞いてはいけない話。そして、人の悪意と善意。」

 景久は自身の好みを聞かれてもいないのに順番に述べ始めた。 


 「そのお話を聞くために謎道樂の會を催されたのですか?」

「さようです。他にも怪談の會、幻燈會。そうそう、もうすぐ花見の會も開催する予定です。」

景久は紅茶をゆっくりと啜る。


「人間の姿には興味がそそられます。」

景久は建介の顔を見つめる。

「製糸工場の久保田さんから依頼を受けたと聞きました。久保田さんをどのように感じましたか?」

依頼の件は鏡造から話を聞いたのだろう。


景久が尋ねる。

「久保田さんは謎道樂の會の一員です。謎解きを心底楽しんでいるように感じましたか?」

建介は答えに悩み尋ね返した。


「答えてもいいですか?」

 「どうぞ。」

  「いいえ。久保田さんは興味を持たれていないと思います。」

「やはり。」

景久は愉快そうに笑う。


 「久保田さんはただ華族である私や篠原の有力者とお近づきになりたいだけです。まあ、その有力者の方々も役に立つ人脈を求めてと同じ事を思っているようですが。それと島田さん。前回の道樂會で窓から突き落とされた振りをした島田さんも同じです。」

 「東京での開催も同じような物でした。皆さん、會で出される謎よりも出席する方々に興味がある様子でして。」

 建介が答える。それを景久はそうでしょうねと笑い飛ばした。


 「皆、口ではこの世の不可思議なことが好きですって言っているのにね…。」

 藤世は呆れるようにして云う。

 「最初から謎には興味はありませんが、皆様の地位と肩書に興味がありますと正直に云えばいいのに…。」

 「…そこまで正直には言えないだろうに。」

 藤世の発言に建介は仰天した。


 「まあ藤世さんの云う通りです。人間の正直な思いというのは自分さえ良ければそれでいいというのが大抵。我が身を犠牲にするのは御免。『可哀そう』と言葉を吐くだけで終える。誰かが不幸になる話はそれ程親身になってはいない。」

 景久の台詞に藤世は頷きながら不満げに云う。


 「それなら何故、人は善人で正直者であるように云うのですか?」

 

 景久は笑う。

 「藤世さんは相変わらず道徳というものが嫌いなようですね。」

 景久は藤世を見つめる。


 「人は他人に冷たく、相手を見下し優越感に浸りたいと思っている。その癖、自身を聖人君子として扱われないと嫌で堪らない。そのために自身が善人であると周囲に思ってもらうために道徳を並べて口にするのですよ。」

 

 藤世はまだ不満そうだ。

 「それでも世間に出る度に善良を振る舞うのは苦痛でたまりません。」


建介は藤世の表情を観察した。

今、この少女は本気で物を云っているようだ。


「私はその醜い部分を隠そうとしている姿を眺めるのが好きなんですけどね。」

 景久は暖かい縁側で日向ぼっこをしているかのように云う。


 「私はいがみ合っている人を見ると、これが人間のありのままの姿なのだと感じて安心感を覚えます。」

 藤世が答える。


 建介は空き巣探しで大家の夫婦に聞き込みをした時のことを思い出す。

 あの時、案内として付いて来た藤世は大家夫婦が声を張り上げて言い合う姿を見て喜んでいた。

彼女からしたら優し気に振る舞う姿よりも闘争心と猜疑心丸出しの姿が人間らしく健全な行動に見えるのだろう。

 

「こうした人間がいくつも持つ顔と内心。興味深くて堪りません。そのお話を聞くた度に、実物を見る度に興奮を覚えるのです。さて…。」

 景久の怪しげな眼がが建介を捉える。

 

 「……。」

 建介の持つティーカップの中で紅茶が波打つ。建介は紅茶を一度置いた。一呼吸をして気を落ち着かせる。

 

 景久は建介に聞く準備が完了したのを確認すると口を開いた。

 「久保田さんの工場に行かれたとお聞きしています。幽霊のお話でしょうか?」

 「…それがどうかされましたか?」

 建介は答えていいのか迷った。依頼主の久保田からは口外しないよう念を押されたのだから。

 

 その時、藤世が口を開いた。

 「幽霊は誰かが工場の中を覗き込んでいたみたいでした。」

 「ほう。」

 景久は興味をそそられたようだ。

 

 「藤世さん…。その話は久保田さんより…。」

 「久保田さんに口止めされているのですか?」

 建介が慌てて藤世が喋るのを制そうとすると事情を察した景久が口を挟む。


 「安心してください。今夜の會で話しませんよ。口外しそうな方に話したりはしません。」

 景久は微笑んだ。

 「ありがとうございます。」

 建介は礼を述べるものの内心気になった。


  (『口外しそうな方に話しません。』という事は口の堅い者なら話すつもりでいるのだろうか?)


 そう思ったが、目の前の元子爵の微笑みに不気味さが隠れているのを感じたため質問は避けることにした。

  

 藤世は平気で製糸工場の幽霊を詳しく話した。女工たちと久保田の確執までも詳しかった。そして…。

 「幽霊が覗きに使った台を腐らせたり、穴を開けていたらどうでしょうか?」

 藤世らしい台詞も付け加えられていた。

 景久は「面白い事を。」と笑っていた。


 その後の謎道樂の會に久保田が出席しているのを確認した。

 會では、最近あった事件の談義だ巷の怪談だ噂話が取り沙汰された。最後に四月に催される花見の會の説明がされて、お開きとなった。

 久保田は建介と藤世が幽霊について触れない様子を見て安堵して帰って行った。

(前子爵様には知られているっていうのに…) 

建介は久保田の様子を見て呆れてしまった。

 

 

 「月島さん。」

 後ろから鏡造に声を掛けられた。

 「…大塚先生。會の進行お疲れ様です。」

 建介は慌てて振り返る。


 「いえいえ。」

 今日の鏡造も相変わらず堂々とした振る舞いで怪しげな笑みを浮かべている。隣では鮮やかな銘仙を着こなした初音がフフッと妖艶な笑みを浮かべる。

 一方、夫妻の後ろに立つ藤世は今は無表情で両親と建介のやり取りを観察しようとしている。


 「実は依頼があるんですよ。」

 「依頼…?」

 嫌な予感がよぎる。


 「前に息子の啓一が東京の學校に通っているとお話しましたよね。」

 「はい…。」

 大塚家の長男、啓一。藤世の兄に当たる人物。東京のカフェーで質屋に聞いた話では大塚一家は啓一に会いに上京するらしい。

 啓一も一家と同じような人物なのだろうか。


 「私たちは東京へ息子へ会いに行くのです。」

 大塚の喋りが転がる車輪のように流れていく。何気ない喋りのはずなのに、この男。いや、一家揃って得体の知れない企みがあると感じてしまう。

 とはいうものの久保田のように不気味と嘲る気にはなれない。


 「突然で申し訳ないのですが…。」

 今度は初音が口を開く。口調は重りをつけたように謝意を感じさせるが口角が妙に上がっており楽しんでいるように見えた。

 

 「私たちと一緒に東京へ行ってもらえないでしょうか?」

 「えっ…?」

 本当に突然な話である。

 

 近場ならともかく、篠原市から東京まで鉄道で半日か一日は潰すだろう。そもそも建介は最近、東京へ行き帰りしたばかりである。大塚夫妻も知っているはずだというのに。


 「汽車賃と宿賃はもちろんこちらから出します。」

 初音はそう云うが急である。

 「しかし…。」

 建介が困惑していると黙って見ていた藤世が尋ねる。

 

 「依頼の日程がかぶっているの?」

 「いや、そういうわけじゃ…。」

藤世の質問に正直に答えるべきでなかった。大塚夫妻の口元は笑っている。

(しまった…。)

この夫妻は何がなんでも建介を東京行きに同行させるつもりだろう。


建介が断る術を思案する。すると藤世が口を開いた。

「私の前のお父さんとお母さんの事件知りたい?」

「えっ?」

突然のことに建介は無言になった。


「東京の質屋さんから手紙が届きました。藤世の生みの親の事件に興味があるようで。」

代わりに答えたのは初音だった。

「あっ、それは…。」

汗が浮かぶ。大事にしている養女を嗅ぎ回っていることを知ったら良い気持ちはしないだろう。


それにしても迂闊だった。

建介を謎道樂の會に紹介したのも探偵の師匠となる木村に会わせたのも質屋だった。質屋からしたら古参の大塚家の方が優先されるだろう。

建介が不安と反省に包まれていると鏡造が建介を安心させるように云い聞かせた。


「安心してください。私たちは責めているわけではありません。ただ、あなたの推理とその覚悟に興味あるだけなのです。」


「覚悟ですか?」

「ええ。」

 

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