第18話 製糸工場の幽霊2

 「久保田さん。」

 建介は藤世を伴い社長室に入った。

 「何か分かりましたか?これは大塚さんのお嬢さん。」

 久保田は藤世を見て驚くような訝しむような顔をした。


 「試してみたいことがあります。」

 建介は久保田に告げた。久保田は怪しむ素振りをみせながらも建介に従い社長室を出た。


 「藤世さんは準備を頼む。」

 「分かった。」

 藤世は建介と別れ別方向へ向かっていった。

 建介が久保田を梅の木まで連れて行こうとした時。久保田が唐突に口を開いた。

 

 「あの子不気味だとは思いませんか?」

 久保田の細める目は藤世の後姿を捉えている。

 「不気味?」

 建介が聞き返す。正直な所、建介自身もそう感じたが実際にそうだと断言するのはためらった。


「大塚夫妻もそうなんですけど…。一家揃って何を考えているのか企んでいるのか分からないというのが怖いんですよね。」

久保田はどうですか?という顔を建介に向ける同意を迫る意を嫌でも感じさせた。

あの一家は得たいの知れないというのは本当の事であるが、久保田はその話を楽しんでいるようだった。その意図が建介の癪に触る。


久保田は建介の気分に気づかないまま勝手に話を進めた。

「轟木の御先代様のお気に入りでなかったら、あの家と付き合いたくないのですがねえ。」

久保田は笑い飛ばす。

それを云ったら、轟木の御先代様のお気に入りでなかったら、久保田は謎道樂の會も入っていなかっただろう。建介はそう考えた。


「それに引き換え、うちの娘は藤世さんと同じ學校に通っているのですが、藤世さんとは大違い。陰もなく心根の優しい子でして…。」

「はあ…そうですか。」

適当な返事しか思い浮かばない。

うんざりしている間に梅の木が見える位置まで辿り着いた。


「着きました。それでは幽霊の正体です。」

建介は久保田の話を止めるように勢いよく梅の木を指した。


「それが何か?」

久保田は訝しむがしばらくしてあっと大きな声で叫んだ。


梅の木の上に藤世が直立しているのが見えた。藤世は体重を感じさせず梅の枝の上に浮いているようだ。


「これは一体…。あれ…。」

久保田は気づいたようだ。

「移動してみてください。」

建介がそう云うと久保田は素直に梅の木に近づいていく。


「藤世さんは壁に立っているのか?」

久保田は壁の上に立つ藤世を見上げる。


梅の木の上に立っているように見えた藤世は実際には梅の後ろにある壁に立っていたのだ。そして梅と壁が重なり、梅の木のてっぺんに軽業師のように立って見えたのだった。


「さらに云えば藤世さんは壁ではなく壁の後ろにある踏み台に立っているのです。」

「壁の後ろ…」

久保田はそこまで呟くとはっとした顔をする。気がついたようだ。


「隣は空き家でしたよね。工場の皆さんの話を聞くと全員が梅の木で幽霊を見たと云っています。それも寄宿舎の側から見たと云われています。」

建介は壁を指す。

「しかし梅の木に実際に立っていたのでしょうか?皆さん梅の木に近づいて見たというわけではありません。それにうめき声を聞いたという門番の話。壁から聞こえてきたと。空き家に誰かいたということではないでしょうか。」

建介が得意気に推理をしていると藤世が面倒くさそうに云う。


「私もう降りていい?」

「ああ、どうぞ。」

藤世の姿が足元から見えなくなっていく。壁の向こうで沈んでいくようだった。


「あの空き家を調べてみたのですが、箱がいくつか散乱していました。そして壁の向こうに位置する庭に箱を置いたような跡がありました。」

大きい箱を壁の前に置く。それより小さめの箱を階段のように並べていく。そうしたら工場の中を覗けるくらいの高さになるだろう。


「女工の誰かの仕業なのですか?」

久保田は興奮する。彼の中では女工の仕業だと筋書きが整っているのだろうが建介は否定した。

「いいえ。彼女たちは門番の目があります。バレずに工場を抜け出す事は出来ないでしょう。」

「しかし…」

久保田はまだ納得いかないようだ。


「足跡が残っていたけど、男の人の靴の跡。」

藤世がそう云って壁の向こうから顔を覗かせる。久保田はそんな馬鹿なと建介の顔を見る。建介は久保田の期待を裏切り答えた。


「僕も見ました。あの足跡の大きさはどう見ても男ですね。」

久保田は悔しそうに歯ぎしりをしている。


「それよりもここから工場の中がよく見える。」

藤世はわざとらしい呟きを建介と久保田の耳に届く大きさでこぼす。

「幽霊は工場を覗いていたみたい。」

「藤世さんの云う通り。同業者からの間諜か?はたまた女工目当ての不審者なのか?そこは断言出来ません。」

建介は久保田の顔を見る。


「幽霊は女工たちの狂言ではありません。」

「…みたいのようですね。」

 久保田は認めるしかなかった。


「それよりいいのですか?」

「何がですか?」

「正体の分からない誰かが工場を覗いていたという話ですよ。女工たちが知ったら気味悪いと出ていくかもしれません。」


藤世も嘲るように口を開いた。

「新しく女工を募集するのにも響くかも。」

 その台詞に久保田は明らかに動揺している。


 久保田は建介を見据える。

 「君。幽霊の正体は女工たちの悪戯ということにしてくれないか?もちろん金ははずむ…。」

 「どういうことですか!」

 久保田の台詞が威勢のいい声に遮られた。

 

 久保田が慌てて声の主に視線を移す。その先には水口スヱ等女工たちが並んでいた。その様子を建介と藤世は冷ややかに眺めた。

 「どういうことかって…何について云っているんだ!」

 久保田は往生際が悪く心当たりが全くないという顔をする。


 「私たち最初から聞きました。工場を覗き込む不審者の話を。」

 年長の女工が一歩前に出た。姿勢はよく言葉も顔つきも毅然としている。

 「社長さん。私たちの仕業でとはどういうことですか?」

 他の女工たちもそうだそうだと厳しい視線を投げかける。久保田はたじろいでいる。


 「篠原って製糸業が盛んだから他にも工場があるんだよねえ。」

 藤世の発言に久保田の顔に汗が浮かぶ。

 「そうえばそうねえ。」

 女工の一人が不敵に考えているという態度を取った。


 「他の求人探してみようかと…。」

 スヱが久保田を観察するように云う。

 久保田は唇を噛みしめる。

 「君たち…。少し話し合わないか…。賃上げや休憩時間について話したいんだが…。」


 

 その後、久保田と女工たちの話し合いにより製糸工場を覗き込む不審者の話は口外しないことになった。代わりに女工たちの賃上げが一部認められた。休日に工場外へ出かける際の決まり事が緩やかになった。


 「久保田さん。今夜の會でこの話をするつもりのようだが無理だろうな。」

 工場を出た所で建介が呟いた。

 

 若い娘たちが女工として集まる製糸工場。そこに不審者が覗いている。紳士淑女が集まる會では、口がさけても云えないだろう。


 「おまけに景久様が来られる日だからね。」

 隣の藤世が呟いた。

 「景久様…?前の子爵様か…。」

 「そう。篠原藩最後の藩主。轟木子爵家の初代子爵。」

 藤世が建介を見つめる。建介は彼女に見つめられれば見つめられるほど緊張を感じた。


 「景久様がね。會が始まる前にお話ししたいって云われたの。今は時間空いてる?空いてるなら付いてきてくれない?」

 建介は静かに答える。

 「ああ…。」

 心臓の鼓動が妙に騒がしく感じる。

 不気味な會の主催者。警察の堀口を脅迫し怯えさせている張本人。謎めいた大塚家と通じている人物。

どれが理由なのかは分からなかった。

 理由が分からないまま建介は藤世に誘われるまま轟木家へ足を進めていた。




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