第3話「あれはちょうど1年前のこと」

<椎名紗月視点>


「ねぇ、和樹君」

「——ん、なんですか?」

ここ、心地良いわね」

公園ここですか? まぁ、緑も多いですし、そうかもしれないですね」

「緑? 何のことかしら?」

「え、いやぁ……公園の」

「あぁ、そう。そうね、それは心地良いかもだけれども……私が言っているのはここの事よ?」


 とんとんと膝を叩くと、彼は少しギョッとした目をした。


「っ——な、なんですか……いきなりっ」

「あら、別に普通に言ったのだけれど。嬉しかったかしら?」

「……は、恥ずかしかっただけですっ!」

「そんなに否定しなくても……私としては良かったのに」


 慌てて否定する彼を見て少し落ち込む様子を見せると、今度は何かやってしまったという顔をして咳払いをする。


「ま、まぁ……ありがとうございます」


 照れて頬を掻く前島和樹君。

 今の私の唯一の心の拠り所にして、同じ時を分かち合う同級生。


 そんな彼との出会いは1年前のことだった。


 なんでもない日常の切れ端、ザーザーと振り続ける雨に打たれながら私は公園のブランコに座っていた。


 ギーコ、ギーコとブランコが横揺れする音が響き、雨音と相まって悲壮感を漂わせる。


 いや、悲壮感はもうそこに漂っていた。

 いっそ死んでやろうと思っていたほどだ。

 

 私には長年好きだった人がいた。


 歳は4つほど上の清楚な大学生。


 大学は旧帝国大学の工学部で中でもとびっきりの成績で教授にも気に入られているエリートだと言う。


 それでいて容姿もとても整っていて、普段から清楚でお洒落な格好をしていてイケている部類に入るだろう。


 もちろん、私から見ても彼はカッコよかった。


 彼とは幼馴染で昔から一緒に遊んできた。それに婚約だってしていて、高校に入学してからも時間を見つけては何度かデートをしたことがあるくらいには仲が良かったと私は思っている。


 彼のために私は死ぬ気で努力を続けた。


 勉学にはより一層励み、運動もしてきた。容姿だって柄にもなく整えて、今では月に数回は告白されるほどになった。


 これで私も少しは彼に近づいただろうか、と。

 これで彼と結婚できるようになるのだろうか、と。


 そう思っていた私が見たのは——他の女性と歩く彼の姿だった。


 二人の姿を見て私は驚いた。隣に歩く女性は色気があり、とても女性らしさがあった。不意打ちでショックで、脳の思考が追い付かない。


 私との約束は嘘だったのかと、そう思った。急いで電話をすると冷たい声でこう言われた。


『俺、彼女出来たから紗月もそろそろいい人探しなよ』


 と。もう、怖くて手が震えた。辛かった。


 結局その会話を最後に私は無気力で逃げ出して、夜の公園のブランコで一人雨に打たれていたのだ。


 そんなこと――なんて思うかもしれない。


 だけど、私にとってはで済む話ではなかった。だって、私の人生の半分以上、いやもはやほぼすべては彼と歩んできたからだ。


 ずっと一緒だったし、ずっと一緒だって思っていた。

 それがいつの間にかコロリと手のひらから零れ堕ちていて、これまでの16年の人生は無駄だとそう言われた気分だった。


 心の底から涙と声が漏れる。

 もうすでに泣き枯れて、頬に滴るのは雨なのかそれとも涙なのかも分からない。

 

 悔しいとか、悲しいとか、憎いだとか。

 感情はすでに無く、事切れていた。


 そんな枯れ葉同然の私に声掛けてくれたのが————私に膝枕をしてくれている彼だった。



 降りしきる雨の先。


 真っ暗な雲だらけの空を見上げていると、ふわっと知らない天井が視界を覆った。無気力だった私はゆっくりと顔を元に戻すと前には誰もいない。


「——風邪ひくよ」


 すると、声は後ろから聞こえてきて振り向いた。

 首を傾げていると彼は続けて


「ほら、傘さして」


 強制的だった。

 指を広げられてわざと傘の取っ手を掴まされる。


「そう、しっかり持ってて」


 何の曇りもなく、堂堂としている彼にさすがの私も呆気に取られてしまってボーっと見つめていた。


 そんな私に目を合わせて、彼は少し黙り込んだ。


「ふぅ」


 しかし、すぐに立ち上がってハンカチを私の手に置き、こういった。


「疲れてるなら家に帰ってください。ここじゃ風邪ひきますし、俺も貸しちゃったので使ってくれないと迷惑です」


 優しい声を掛けてくれるのでは――なんて期待していたのに、掛けられたのはそんな痛い言葉だった。


 余計に脳が覚める。

 何を――と言いだしたいほどだったが、すぐに彼は背を向ける。


「じゃあ、俺は行くんで」




 と言うのが私と和樹君のファーストコンタクトだった。

 返すために学校を練り歩き、話しかけて、仲良くなって今ではこうして密会するほどになっている。


 どうでもいいはずの赤の他人に逃げられない優しさを掛けてくれた彼に引かれていったのはそう難しくはなかった。





「——変わったわね」

「っ何がですか……」


 温かく柔らかい彼の膝に頭を預けながら、私は真上に見える顔を見つめる。

 同じシチュエーションだと言うのに見えるのは違う。


 真逆の天気に、真逆の顔色。

 でも、心の模様だけは違う。


 あの時救ってくれたから。


「んん。そういうところがね」

「?」

「知らなくていいのよ、こっちの話」

「……まぁ、いいですけど。ていうか、あれですよ椎名さん」

「どうしたの?」

「そろそろ試験期間なんですから、こんな風にうつつ抜かすんじゃなくて勉強しましょうよ」


 変に真面目に話題を変える。

 まぁ、私には丸わかりだけどね。

 ちょっと鋭いからこその照れっていうやつが。


「そうね。今度は一緒に家で勉強しましょうか」

「……家で?」

「だめかしら?」

「……い、いいですけど」

「じゃあ、約束ね」


 


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