[7]

「撃て、ビショップ」

 耳元で誰かが叫んでいる。サファヴィに派遣されて街を偵察する際、初めて組まされることになった男。特殊部隊で仲間から兵曹チーフと呼ばれていた男。


 あの日、2人は友軍が街に到着するまで廃屋の屋上で待機していた。空は曇っていたが、気温は30度を超えて湿度が高かった。兵曹チーフはこう切り出した。

「お前、人を撃ったことは?」

「まだ」

「おれはある。相手は中年の男だった。距離は90メートルぐらいかな。2階の窓から顔を出したところを撃った。仰角20度だった」

 まるで記録簿ログブックを読んでいるみたいだった。ビショップはそう思った。なぜ兵曹チーフが急にそんな話を始めたのか。悪意はまるで感じない。ゆっくりと出来るだけ簡潔に話そうとしている様子から、聞いてもらいたいのだろう。

 兵曹チーフの話はしばらく続いた。聞けば連邦軍に入る前、兵曹チーフはどこかの警察で人質救出チームにいたという。自分の子どもを人質に取った父親がアパートに立てこもった事件を今でも思い出すと続けた。

 不意に、ビショップは照準器のレティクルにコートを着た女を捉える。女はコートから何か取り出した。手で何かをぐいと引っ張る動作をする。兵曹チーフは怒鳴った。

「撃て、ビショップ。撃つんだ!」


 既視感デジャヴは現れた時と同じように唐突に去っていった。

 いま緑色の視野の中で《チーフ》と同じ顔を持つ男が微笑みながら、歩き出そうとしている。黒いリムジンが停まる。助手席から飛び出した護衛が後部座席のドアを開いた。

《軍師》は車に歩み寄っていた。

 レティクルを《軍師》の頭に載せる。

 銃把の後ろに親指を立ててそっと抑える。息を止める。アドレナリンの作用で心拍が間延びする。同時にビショップの身体は骨だけになる。リンベルクTRG-42を支えた。トリガーに掛けた人差し指に力を入れる。遊びが消える。

 切った。

 脳裏で小さな子どもが《チーフ》に重なった。銃声がひどく間延びして聞こえる。


 窓から顔を出した父親は右手で短銃身の回転式拳銃リボルバーを持ち、左手で8歳ぐらいの娘を抱えていた。始終わめきちらし、アパートの周囲を包囲している警官らに向かって2度発砲。撃鉄を起こした拳銃を娘の頭にごりごり押し付けていた。

「スコープ越しに男が見えた」兵曹チーフは言った。「口から泡を吹いてた。眼がいかれて焦点が定まってなかった。明らかにヤクをキメてた」

 即刻射殺しなければ、人質の命が危ないと判断された。事件発生からすでに3日が経過していた。決断は下された。兵曹チーフが男を射殺すると同時に、機動隊がアパートに一斉突入する手はずを整えた。


 デ・ゼーヴに肩を揺すられた。ビショップは眼を向ける。

「大丈夫か?」

「え?」

「眼の上だ。血が出てるぞ」

 ビショップは右眼の上に手をやる。掌に血がべっとりと広がった。掌でライフルが吠えた瞬間、《チーフ》と眼が合った気がした。音速を超えて飛翔する銃弾は自ら発する衝撃波を曳き、射手と獲物の間に圧縮された大気のトンネルを作る。


「おれは娘にくっついてた父親を撃った」

 兵曹チーフは自分の指を鼻の穴の間に突き立てた。

「ここをね。分かるだろう?」

 人間の動きを瞬時に止めるために狙う場所は、正面なら鼻になる。脳幹を破壊するためである。脳幹を撃ち抜けば、筋肉への命令は瞬断される。たとえトリガーに指をかけ、まさに引こうとしていたとしても指は全く動かない。


《チーフ》は迫りくる銃弾によって生じたトンネルを察知していた。最期の瞬間にこちらを見つけたのかもしれない。あの時、標的は笑っていた。自分の指を顔の真ん中に突き立てていた。リンベルクTRG-42から放たれた7・92ミリ弾はビショップの狙い通り鼻の間を貫いた。

「大丈夫。浅く切れただけだ」

「敵は外したんだな」

 ビショップは黙ってうなづいた。

「行こう」

 ビショップは教会に最後の一瞥を投げた後、床に這いつくばったまま後退する。

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レディ・シューター 伊藤 薫 @tayki

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