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 ビショップは暗視照準眼鏡ノクトスコープで教会の玄関扉を見つめていた。息をゆっくり吸い、静かに吐き出す。呼吸を繰り返す度に心拍が落ち着いてくる。標的はすでに教会内で待っている。ビショップの左隣では、デ・ゼーヴも同じように伏射プローンの姿勢を取っている。デ・ゼーヴが狙うのは敵の対抗狙撃手カウンタースナイパーだった。

 デ・ゼーヴとコンビを組んで何年も経っていた。2人が初めて出会ったのは、連邦軍の狙撃手養成学校にいた頃だった。特に何か謂われがあったわけではない。たまたま2人の認識番号が1つ違うだけだった。現在と違う点を挙げれば、2人とも新米隊員らしく頭を短く刈り上げていた。教官からは「壷頭ジャーヘッドども」と馬鹿にされた。丸い頭から突き出た耳が壺の持ち手のように見え、頭の中身も壺のように空っぽという悪意が込められていた。

「4時の方向から車が1台来る。《軍師》の客だ」デ・ゼーヴは言った。

 丸い視野に黒いリムジンが入って来る。テールランプが赤く光り、教会の玄関前に停まった。助手席から護衛が降りてくる。帝国軍の軍服。護衛が後部座席のドアを開ける。《軍師》の接触相手だろう。デ・ゼーヴは続けて言った。

「マイサナラの駐留軍司令官だ」

 教会の玄関扉が少しずつ開かれる。目映いばかりの光が外に溢れ出す。扉の奥は薄暗い礼拝堂だが、蝋燭だけが灯っている。わずかな光も光像増幅器イメージインテンシファイアで増幅されるために、まるで標的が後光を背負って登場するように見えた。

 腕が見えた。次いで肩が見える。光の中から標的がゆっくりと姿を現した。光が増幅されているために、標的の双眸が夜行性動物のように緑色に輝いていた。左側で床に伏せているデ・ゼーヴが囁いた。

「《軍師》だ。間違いない」

 スコープ越しに《軍師》を捉える。標的の顔を見るのはこの時が初めてだ。そのはずだった。なぜか既視感デジャヴがビショップを包もうとする。

 10年前。土埃と紙屑が空に舞っていた。何か腐ったような異臭が鼻を刺激する。

 ビショップはトリガーに指をかける。照準器のレティクルをいったん女の胸元中央からやや左に置き、頭上に合わせた。イヤフォンに聞こえる無線が怒鳴っている。

「撃つんだ!」誰かが耳元で叫んだ。

 ビショップは息を吐いた。トリガーを切る。銃の反動を肩で受け流す。

 7・92ミリ弾は銃口を飛び出した直後から重力に引きずられる。弾道はわずかに下向きになる。銃弾はビショップが狙った点よりも低い場所で女に命中した。フルメタルジャケットの銃弾は女の鳩尾に入り、下腹へ突き抜けたに違いない。ライフル専用の銃弾を身体に受ければ、衝撃波で全身の毛細血管が破裂する。

 女はその場に崩れ落ちた。右手が機械的に動き、ライフルの槓桿を引いて空薬莢を弾き飛ばした。

 ビショップは地面に落ちた黄色い物体―帝国製の手榴弾に狙いを定める。トリガーを引こうとした瞬間、手榴弾が虚空に浮かぶ。隣で誰かが舌打ちする。子どもだ。女の背後に建つ小屋から子どもが飛び出してきた。陽光になびいた金髪が眩しい。子どもは手榴弾を拾った。味方に投げつけようとしている。

 ビショップは子どもの小さな頭部に照準を定める。超音速の飛翔体はその周囲に衝撃波を発生させる。生身の人間であれば、銃弾が顔面のすぐ近くを通過するだけで昏倒させられるかもしれない。だが、それでも指を動かせる可能性は残る。指を動かせれば、手榴弾は投げられる。より確実に脳幹を破壊しなければならない。

 記憶の再生が停まる。今までずっと心の深奥にしまっていた、忌まわしい記憶が不意に甦ったのだ。ビショップは再び古びた牛小屋の2階に引き戻された。左側でデ・ゼーヴが低い声で言った。

「撃て、ビショップ」

 息を止める。トリガーにかけた人差し指をじわりと絞る。

 ビショップは思わず息を吸い込む。標的とは初対面ではない。むしろ懐かしいと思い始めている。今は《軍師》と呼ばれる男にかつて、ビショップは別の名前で呼びかけた。ビショップはその名前を胸の裡で呼んでいた。

《チーフ》。

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