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 ヴェラは教会の屋根裏部屋で伏射プローンの姿勢を取っていた。耳に差したイヤフォンからギュイの声が聞こえてくる。ギュイは2階の窓際から暗視用の双眼鏡で敵の狙撃ポイントを見張っている。

『N1、今のところ動きなし』

「了解」

 ヴェラは口元のリップマイクに声を吹き込む。イヤフォンとマイクが一体になったヘッドセットがテーブルの上に置いたトランシーバーに繋がっている。スイッチの切り替え無しに常時会話ができる。

 ギュイはこの部屋を要塞に造りかえていた。北に面した三角形の窓を射点として窓の手前にテーブルを置き、その上に砂を詰めた麻袋を土嚢として積み上げている。土嚢の中央に20センチ四方ほどの隙間を造り、そこに帝国軍制式ライフルのイズミィルSV-98が置かれていた。雇い主の《軍師》が用意してくれた銃だが、雇い主の《軍師》が用意してくれた銃だが、自動装填式銃であることが唯一の不満だった。しかし、今回の任務では次弾以降を考慮する必要はない。

 イズミィルの前部銃床は土嚢の1つの上にレストしている。銃身を振れる範囲は上下左右ともに20センチほどしかないが、北からの狙撃ポイントと見られる3か所を見張るには充分だった。

 ヴェラとギュイは何度も教会の周辺を歩きまわり、敵の狙撃ポイントと思われる地点を300か所以上あげた。その内、最終的に3か所に絞り込んだ。

 南からの狙撃は無い。2人は早々にそう判断した。教会の南側は陽当たりのよい庭が広がっている。《軍師》が帝国軍の賓客―マイサナラ駐留軍司令官に庭を自慢するつもりでも無い限り、庭に出ることは無い。

 車回しも玄関も教会の北側にある。玄関前に車を横づけしても現地司令官は車から降り、玄関まで歩かなければならない。そして《軍師》は玄関から出て相手を出迎えるという。わざわざこちらの指示に従って教会までやってくる駐留軍司令官に敬意を示さなくてはならないから。《軍師》はそう説明した。

 東か西からの狙撃は不可能ではない。北から狙撃しようとした場合、玄関を塞ぐように車を停めれば、車自体が遮蔽物として利用できる。相手が乗っている車にはある程度の防弾設備があるだろう。たとえ市販車であったとしても金属の塊を貫通したライフル弾がどこに飛ぶかを予想するのは不可能だ。

『N2、動きなし』

「了解」

 北にある3か所のポイントにN1、N2、N3という符号を割り振っていた。ギュイは3か所を均等に見ているはずだが、ヴェラはイズミィルの銃口をN2―2階建て木造の建物に向けていた。以前は牛舎として利用されていたが、今は誰もいないという。

 暗視照準眼鏡ノクトスコープ特有の緑色に染まった視界に浮かび上がっているのはガラクタの類だろうか。ヴェラはN2を監視し続けた。知らず知らずのうちに人間の姿を追い求めてしまう。はやる心を何度も諌めていた。敵も自分の擬装は完璧。おそらくこの部屋に潜んでいても素人目には何も見えないだろう。敵も人間らしい形状は全てカムフラージュネットの下に隠蔽しているに違いない。

 ヴェラが暗視照準眼鏡ノクトスコープを通してN2を凝視しているのは動きを見極めるためだった。緑色に染まった視界の中で今は動く影など1つも無い。また、たっぷり時間をかけて移動する狙撃手たちを目視するのは難しかった。

 じりじりと匍匐することでヴェラの視線を避けようとする敵。敵の微細な動きを見極めて銃弾を撃ち込もうとしているヴェラ。どちらが忍耐強いか競い合っているようなものだ。

 イズミィルSV-98の機関部から、オイルと硝煙の匂いが微かに立ち昇る。ヴェラは忌まわしい過去に引きずり込まれる。10年前、故郷のサファヴィで自身が生まれ育った街を我が物顔でのさばる連邦軍の兵士どもを射殺していた。あの頃も今と同じように窓際にテーブルを置き、ライフルを載せていた。

 刹那、ギュイが興奮した調子で伝えてきた。

『N2だ。影が動いた』

 ヴェラは暗視照準眼鏡ノクトスコープの接眼部を見つめた。変わった物体は何も見えない。動きも見えない。だが、ギュイは何かを見たのだ。

 やっぱりN2だった。

 自慢の黒髪を金髪に染めたのは、敵に射殺された弟のミーシャを真似た。今は金髪を古びたベレー帽に押し込んでいた。ベレー帽も戦闘服も所属を表すバッジの類は何も付けていない。

 ギュイのやや狼狽した声が耳を打つ。声は上擦ってさえいた。珍しいことだ。

『N2だ、ヴェラ。ありゃあ一体何だ?』

 ヴェラは緑に染まった奇妙な形の像を凝視していた。

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