9小節目

 瞬く間にコンクール当日になり、俺たちの出番は光の速さで終わったように感じた。ステージで自分がどんな演奏をしたのか、会場がどんな反応だったのか、全く記憶に無い。ただ、フェスバリのホルンソロで心が洗われるような、白崎の繊細で美しい音だけが耳に残って忘れられなかった。


 俺たちはよっぽど運がよかったのか、地区予選、県本選を順調に抜け、十数年ぶりに東関東大会への出場を果たし、銀賞まで貰ってしまった。東関東大会の閉会式が終わると、俺たちは反省会をするために会場の外へ出た。先生が講評を読み上げ、先生の提案により三役とセクリが一言ずつ話すことになった。


 白崎は神妙な面持ちでみんなの前へ出たかと思うと、大きく息を吸い、


「後輩諸君よ、来年は絶対全国だ! 以上!」


 あいつ、ふざけてるな。俺はみんなの野次に混ざって言った。


「もっと言う事あんだろー!!」

「えー、じゃあもうちょっと喋りまーす。……みんな、本当によく頑張りました。色々あったと思うけど……ついてきてくれてありがとう。この感謝の気持ちは言葉には表しきれません。先生方も、今まで熱心に指導して下さり本当にありがとうございました。後輩の事、これからもよろしくお願いします」


 深くお辞儀をして顔を上げた白崎の目には一粒の涙が浮かんでいた。




「それでは、解散。ありがとうございました!」

「ありがとうございました!」


 部長の掛け声とともに部員はそれぞれの帰路に就いた。


「あお太」

「ん?」


 振り返ると目が赤くなった白崎が立っていた。


「今まで、ありがとうね」


 俺は感謝の言葉なんて言われるとは夢にも思ってなくて、一瞬ぎょっとした。


「隣で吹いてくれて、嫌そうにしながらも色々教えてくれて、本当にありがとう」

「……俺、そんな顔に出てた?」

「顔に出てたって言うか雰囲気がね、『こっち来んな』って感じだった」

「それは……ごめん」

「ううん、大丈夫。あお太がいてくれたおかげで東関東まで来れたから」


 違う。俺は何もしていない。全部白崎の努力が報われたおかげなんだ。


「……別に。当たり前だろ、同じパートなんだから」


 白崎は俺から視線を逸らしながら少し頭を傾け、遠くを見つめるように言った。


「……世の中にはさ、その当たり前ができない人もいるんだよ」

「…………」

「とにかく! 間違いなくあお太がいてくれたおかげで、すごーく良い最後だった。もう何も思い残すことが無いくらい!」


 なんだそれ。別に今日が終わりって事でもないだろ。何終わらせようとしてるんだよ。なんで勝手に終わらせてんだよ。本当にいいのか、それで。だっておまえ――。


「おまえさ、実はこの三年間ずっとアルト吹きたかっただろ」

「え」

「ずっと黒岩のこと見てたじゃん、練習中」

「……っ、それは」

「おまえがどんだけアルトが上手かったかは知らねーけど、おまえなら今から練習すれば前みたいに吹けるんじゃねーか?」


 白崎はしばらく黙ったまま俺を見つめた。


「……本当に、そう思う?」


 白崎の珍しく弱々しい声に俺は思わず力強く返した。


「ったりめーだろ! 伊達に三年間おまえの隣に座ってたわけじゃねーからな。それくらい難なくこなすことくらい、分かるわ!」


 俺が吐き捨てるようにそう言うと、あいつは今までで一番の笑顔を見せた。俺はその笑顔から目が離せなかった。白崎が、ただただ眩しかった。


「ありがとう、蒼!」



 ステージには魔物が住んでいる? いや、違う。魔物はずっと俺の隣に座っていた。魔物、と言っても恐ろしいものではなく、そいつは俺にとっての神であり、天使でもあった。


 隣にいたのがおまえでよかった、そう思いながら俺は微笑み返した。

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Monster or God, or perhaps an angel? KeeA @KeeA

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