3小節目

 ある日の昼休み、俺は忘れ物を取りに文化棟へ向かった。近付くにつれ、楽器の音がかすかに聞こえてきた。


「ホルンの音……?」


 音の出どころである部室のドアノブを回してみると、鍵が開いていた。勢いをつけて開けると、驚きで目を丸くする白崎と目が合った。


「……白崎」

「びっくりしたぁ。どうしたの、あお太?」


 それはこっちの台詞だ。


「忘れ物取りに来た。……昼って練習しちゃ駄目なんじゃなかったっけか?」

「先生に許可貰った。早くみんなに、特にあお太に追いつきたくて」

「……あ、そ」


 そして俺は忘れ物をさっさと取って教室へ戻った。正直、こんな短期間であそこまで吹けるようになっていたことには驚いた。……大丈夫だよな? いや、俺が初心者に負けるはずが無い。余計なことは考えるな。


「うっざ……」



 放課後、ホルンパートで一番乗りだった俺は全員分の楽器や譜面台を部室から二階のパート部屋へ運んでいた。


「やっべ、楽譜下に置いてきた」


 俺は急いで階段を駆け下りた。


「え、なずなちゃんって元アルトなの?!」


 部室を通り過ぎようとした時、白崎の名前が聞こえて俺は思わず足を止めた。


「てっきり中学からかと思ってた! え~短期間であんなに吹けるようになるんだね」

「だよね! なんかさ、あの二人の良い所をうまく吸収してるよね」

「あ、何となくわかるかも。ロングトーンした時の音の伸びとか早いパッセージを吹いた時に音の粒がはっきりしてるとことかね! え、もしかしてあの子天才なのかな?!」

「…………」

「あれ、蒼くんだ。早いね」


 まずい、先輩が部室から出てきた。


「っ、こんにちは。SHRが早く終わったので」


 何も悟られまいと、俺は顔に笑顔を張り付けた。



 水曜日の放課後は自主練の日と決まっていた。勉強するなり、遊びに行くなり、病院へ行くなり、好きなことをやってもいい日だった。だが、実際は大体みんな練習している。今日は特に予定が無かったので、俺は廊下の端で壁に背を向けてまずはロングトーンをしていた。


 すると、前から軽快な足取りで迫りくる人影が見えた。逆光で誰だか分からなかった。俺の名前を呼ぶ声を聞くまでは。


「あーおー太」

「……白崎」


 目の前に来た白崎は穴が開きそうなくらい俺の目をじっ、と見つめた。


「な、なんだよ」

「ロングトーン勝負、しない?」

「……は?」


 こいつ、もしかしなくても俺のこと舐めてる? そりゃあ、多少は上手くなったと思うが、ちょっと上手くなっただけで俺に勝負を持ちかけるだと? は、笑わせる。


「あお太さ、ロングトーン得意でしょ。どっちが長く伸ばせるか勝負したいと思ったんだよね。あ、嫌なら他の人に――」

「受けて立とうじゃねーか」


 クソ、まんまと嵌められた。俺はメトロノームをテンポ六十に設定して床に置いた。


 しかしいざやってみると白崎は意外としぶとくて、かなり長い間吹いていても音は全くブレず、途切れる様子が無かった。最後だけ、息が足りなくなった時に音がよれた。俺はと言うと、その一・五倍は吹き切って見せた。


「あーやっぱり勝てなかったかー」


 残念そうに言う白崎の声を聞きながら、勝負に勝ったにもかかわらず、内心ではもやもやしていた。ホルンは巻かれた管を伸ばせば優に三メートルはある楽器だ。それを一メートルくらいしかない楽器をやっていた人が数か月でここまで長く綺麗に音を伸ばせるなんて。


「ふっ、俺の勝ちだな。まあ、当たり前だけど。おまえより三年も長くやってるわけだし」


 白崎はそれを聞いて頬を膨らませた。


「今に見てなよ! ぜっっったいに追い越してみせる! じゃーね!」


 そして嵐のように去って行った。



 その後、来る日も来る日も抜群のセンスであいつはどんどん上手くなっていった。そんなあいつの音に、高を括っていた俺はこの上なく焦った。

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