永遠のレプリカ

なかがわ侑

だって、君が言ったんだよ

 一度でいいから、誰かと愛し愛される関係になりたい。


 そう言って、何もかも諦めたように悲しんでいた女性が夕焼けの赤に染まるビルの屋上で僕の胸元にしなだれがかった。

 職場の先輩だった彼女はずっと独身だった。特に外見や人格に問題があったわけではなく、恋人を作るよりも一人でいる方が気楽だからと遠ざけていたらしい。だが、そうこうしているうちに周囲の友人たちが次々と結婚していき、彼女はだんだん寂しさを募らせていった。学生時代によく遊んでいた友人たちはそれぞれ人妻となり、夫となり、家庭を持つようになった。パートナーとの喧嘩が絶えない友人もいたが、愚痴をこぼしながらもどこか幸せそうな顔を見ると、友人は相手のことを深く愛しているのだなと思ったそうだ。

 初めのうちは友人たちの幸せを願って心から祝福していたが、独身で仕事を続けているのが社内で少数派になり始めていると気づき、次第に自分が女として生まれた意味は何なんだろうと疑問を抱くようになった。


「私の人生って、何なんだろう」


 これまでに何度か素敵だと感じた異性は勿論いたそうだ。けれど、素敵だと思った人達は皆誰かの恋人であったり、そもそも結婚や恋人を作ることに無関心であったりして、仲良くなったとしてもせいぜい友人止まり。それ以上の関係性は望めなかった。


「仕事も頑張ってきた。趣味も楽しんできた。でも、誰も私を人生のパートナーとして選んではくれなかった。だからいっそのこと、他のことに没頭すれば案外楽しいんじゃないかって思ったんだけど、駄目だったのよね。一区切りついて現実に戻ったら、たった一度の結婚すらままならない自分がいるの。誰にも愛されない自分が、社会から不要だと言われているような気持ちになる」

「それは…考えすぎなんじゃないですか? 結婚だけがすべてじゃないってよく言われるようになりましたし、先輩が悪いわけでは」


先輩は僕の言葉を遮るようにゆるく首を振る。それを見た僕はもう何も言えなかった。違うのだと、考えすぎではなくそこにあるシンプルな事実なのだとわらった。今思い返しても、この時に言った言葉はあまりにも無神経だったなと思う。けれどあの人にとっては、何度も色んな人から言われ続けた呪いの言葉のようだった。

憐れまれてもいい。誰かに特別に愛されることもなく、ただ寿命が尽きるまでに漠然と長い時間を過ごすなら、せめて最期に自分自身が選んだ相手と恋人ごっこをしてから人生の終止符を打ちたい。血を吐くような苦しみの中で導き出した彼女の告白こたえを聞き、僕は不謹慎にも抱きたいと思った。死にたいと願っている人間を抱きたいなんて、一般的な人間の感覚からかけ離れている。けれど僕は確かに彼女を愛おしく感じた。人生を諦めた、既に死んでしまったような暗い瞳に映る世界は、どれほどの絶望と孤立感を彼女に与え続けてきたのだろう。


 その日から僕は彼女の望みを叶えるべく、出来ることは何でもやった。仕事で疲れていても二人で決めた時間に必ず電話をし、他愛のない会話をした。休日には彼女の行きたい場所に行き、食べたいものがあったらその店に予約を入れて一緒に食べ、人混みが苦手だったけれど遊園地デートも楽しんだ。日を追うごとに彼女の表情に光が差していく。僕はその横顔を特等席で眺める幸せを噛みしめて、また次の予定をスケジュール帳に書き込む。彼女と過ごす時間は本当に幸せだった。

 絶望のスタートを切ったときと比べて彼女は見違えるように明るくなった。もうあの頃の彼女はいない。そこにいたのは僕との恋人ごっこを純粋に楽しみ、心の寂しさを埋めて生き生きと輝いている一人の女性だった。


「あなたと一緒に過ごすようになって、今本当に幸せよ。あの頃はどうかしてたんだわ。私がこんなふうに、誰かを好きになって恋人同士になれるなんて…」


彼女は僕に感謝を告げた。僕も彼女にありがとうと伝えると、頬を赤らめて恥ずかしそうにはにかんだ。柔らかな太陽の光に照らされた彼女の笑顔を見た僕はなんて幸せなんだろう。こんな素敵な女性の、最期の男に選んでもらえるなんて。それから僕はポケットに手を突っ込んで、とっておきのサプライズを彼女にプレゼントした。

これが、“仕上げ”だ。





「………その後、貴方は●●さんを殺害した。間違いありませんね」

「はい。本当に綺麗でしたよ、あの人は。今まで何人かお付き合いしたことはありましたけど、あの人は僕にとって今までで最高の“女性”でした」


 男は薄暗い部屋で簡素な椅子に座り、過去の出来事を目の前にいる刑事に話していた。男は当初の彼女の『望み』──“一度で良いから誰かと愛し愛される関係になりたい”という願い──を叶え、何のためらいもなく彼女の命を刈り取ったのである。男は終始穏やかな様子でおぞましい告白を続けた。


「そっと抱き締めて背中からナイフで突き立てることも考えたんですけど、それだと彼女の顔が見えないし上手く急所を狙えるか自信がなかったからどうしようかなと悩みました。それで、もうシンプルに正面から心臓を一突きにした方が最高の瞬間を拝めるんじゃないかとひらめいてしまって! ああ。今でも思い出せますよ、あの時の彼女の顔! 僕とした“約束”のプレゼント、忘れてなかったんだってびっくりした顔がすごく可愛くて。やっぱりリアクションはその瞬間に見えてこそですよね。そこからは刑事さんたちが捜査された通りです。流石に一突きで終わらせるのは難しかったんで、それ以上苦しんだり体が傷だらけにならないようにするのが大変でした。彼女が静かになった後は、綺麗に体を拭いて服も用意したものに着替えてもらいました。あの人、とびっきりオシャレさんって訳でもなかったんですが、色んな服の組み合わせを考えるのが好きだったみたいでしてね。今まで一緒に出掛けて写真を撮った中で、景色と一番合うコーディネートを僕なりに考えてみました。結構いい写真が撮れたと思うんです。きっと彼女も喜んでくれてます。刑事さんも現場を見たんですよね?」


 熱に浮かされたように、男は己のやり遂げた行為をスラスラと滑舌よく説明する。刑事は強烈な不快感を顔に出さないよう冷静に耳を傾け続けたが、得体の知れない冷たさが首筋と背中を這い回る感覚はぬぐえない。この男は間違いなく狂っていた。

 美しく着飾る女性ばかりが遺体となって発見された怪事件を担当することになった刑事は、これまで数々の事件にあたってはいたものの今回はワースト上位に食い込む内容だと感じた。一見すると柔和で一途な男が持つ、歪んだ愛の価値観を見抜けずに頼ってしまった被害女性はこれだけではない。刑事の手元には未解決のままだった事件の捜査資料が複数用意されていた。


「ねえ、刑事さん。永遠っていう概念を形にするにはどうすれば良いと思います?」

「……さあ、考えたこともないな。あんたはどう考えたんだ」

「あのですね。写真って、シャッターを押した瞬間の景色や人や空気を切り取るんですよ。この世に生きている限り、どんなものもいつかは壊れる。いつかは朽ちる。……いつかは、死ぬ。僕はね、ずっと変わらないものが欲しかったんです。僕が美しいと思うものを、それが一番に輝く瞬間を閉じ込めてしまいたかった。たとえそれが偽りの永遠でも、美しいものは美しいまま、何一つ変わらずに存在するべきだ」


声のトーンが徐々に落ち着き、男の表情から色が抜け落ちていくのを刑事は黙って見つめた。先程までとは打って変わったように静かで、無機質な瞳が刑事の険しい表情を映す。幾重にも重なった仮面の下からのぞいたのは純粋すぎる刃だった。


「彼女は最初から欠けていたから、まずはその部分を埋めてあげたかった。彼女の望むもので僕が与えられるものなら何だって用意した。彼女もそれを望んでいたから。そしてあの日、満たされた彼女の柔らかな笑顔を見て………“ずっと見ていたい”って、思ったんです」

「それが犯行の理由か」

「……そう、なるんでしょうかね。でも刑事さん、確かに人を殺すことは罪になる。でも美しいものは誰だって好きだと思うし、美しいものが変わらずそこにあり続けるのは良いことじゃないですか。そもそもあの人が言ったんですよ。恋人ごっこをしたら、死にたいって」


───僕は最期まで彼女の望みを叶えた。それだけなんですよ。

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永遠のレプリカ なかがわ侑 @march57ym

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