第34話 魔界の門

 魔物の住む世界につながる魔界の門。

 それは人間が暮らすこの地上の遥か彼方、月に向かった方向に別次元に行ける歪みのようなものが存在し、そこから魔界の門がある場所に行けるのだという。


 まぶしいくらいに輝く満月に向かって飛びながら、ミューは深呼吸した。上に向かって行くにつれ、大気が人間なら耐えることができないくらいに冷たくなってきている。

 けれど今の自分にとっては気温の変化も問題ない。それは自分のすぐそばを飛ぶ二人の魔物もそうだ。


「ミューの翼、すっげぇなぁ、天使みたい」


 不意に聞こえたベリーの感想にミューは、はにかんだ。天使なんてそんな大それた存在にはなれないけど、でも素敵すぎる褒め言葉だ。


「僕、ずっと気になってたんだけど。ベリーって翼がないのに、なんで飛べるの?」


「あぁ? そんなもん気合いだ気合い。翼なんて邪魔なもんがなくても気合いで飛べんだよ」


「おバカに何を聞いたって無駄ですよ、常識なんてないですから。まぁ地魔にも数は少ないですが翼がなくても飛べるものもいます。珍しいというものでもないですよ。本当にごく一部の常識外れなものだけですが」


「……このヤロウ」


 空を飛びながらも二人の言い合いは続く。けれどそれが楽しくて、こんなのがずっと続けばいいな、なんて思ってしまう。

 またしばらく飛んでいると、ベリーとの言い合いに飽きが生じたのか、セラが「ミュー」と声をかけてきた。


「なぜタナトスが今、魔界の門のそばにいると思うんですか? タナトスの気配など私達は感じられないというのに」


 ベリーも「それオレも気になったぞ!」と元気よく口を挟む。

 ミューは二人の疑問に、冷たい空気を吸い込んでから答えた。


「タナトスと僕はちょっとしたつながりがあるみたい。あいつが復活したら、あいつの気が感じられるようになったんだ。タナトスが言っていた。今のタナトスの身体は僕の身体の一部を使っているから僕と君は兄弟みたいなもんだって。そのせいだと思うんだけど、どこにいるのか、なんとなくわかるんだよね」


「ふーん、お前とタナトスじゃ性格がエライ違いだけどな……不本意だけど、そのつながりとやらが役に立ったというべきか、それともさらなる厄介事につながるのか」


 セラは感心したように「へぇ」と声を発した。


「おバカでも堅実に物事を考えるんですね」


「てめぇ、いい加減にしろよー」


 また再開した言い合いに、ふふっと笑いをもらしつつ、ミューは頭の中では別のことを考えている。


(それとね――)


 二人へ言葉には出さなかったが、自分には他にも見てしまったものがあるのだ。少し前にタナトスの気を探った時、自分の脳裏に今まで知る由もなかったものが浮かんできたのだ。


 それはタナトスの悲しげな様子だ。あんなに狂気じみて、ケタケタと人の苦しみを見て笑う死神が泣きそうなぐらいに眉を歪め、唇を引き結び、膝を抱えてうずくまっていたのだ。

 その時の彼の胸の内には、悲しい、つらい、怖い……感情としては除外したいものしか宿っていなかったが、タナトスは耐えるように小さくなっていたのだ。それは長い……途方もなく長い間、続いている彼の重苦。孤独ゆえに解放ができない、冷たく錆びた鎖。

 それはタナトスとつながったことで知り得た、彼の本当の姿だとわかった。


(僕はあいつの考えが、これまでの生き方がわかってしまった。タナトスは僕と一緒だったんだ……)


 満月がかなり近づいてきたところで、ミューは暗闇の空の一部に亀裂のようなものを見つけた。そこだけ空間が線を描いたように途切れ、黒い稲妻のようなものが発している。


「ベリー、セラ、これって」


「そうですね。そこが魔界の門へ通じる道です。そこは完全に魔物しか通ったことがない道。人間が通ったらどうなるのか、私にもわかりかねます。本当に行きますか」


「ミュー、わざわざこっちから行かなくてもいいんじゃねぇか。あいつがこっちに来るのを待った方が安全じゃねぇのか。お前に何かあったら……オレはイヤだぞ」


 ベリーとセラの心配に、ミューは笑顔をもって返した。


「大丈夫だよ、二人とも。僕は今の自分なら大丈夫だって思ってる。だから行こう。あいつがこっちに来てしまったら、また悲劇が生まれるかもしれない。だから先に僕達が向こうへ行こう」


 その決意を聞き、二人は「あぁ」 と言葉短くうなずいた。


 意を決し、ミューは黒い歪みに手を伸ばす。手の平に静電気みたいな小さな痛みが走る。それはだんだんと大きくなり、バチンと大きくはじけた音がした瞬間、歪みがパックリと口を開けるように広くなった。


 そこからは歪みの中へと瞬時に身体が吸い込まれ、大型の冷凍庫に入れられたような凍てつく空間に吐息が白くなった。視界は真っ暗だったが徐々に目が慣れ、辺りの様子が伺えるようになってくる。


 そこは淀んだような紫色の空間だった。音もなくて匂いもなくて。ただただ紫色の空間と冷たい空気、感じられるのはそれだけだ。


 虚無を感じる空間に「元の世界に戻れるかな」という不安に襲われたが、すぐにそれは振り払った。先生とリムと約束したんだ、終わったら帰らなきゃ。


 ミューは翼を広げ、奥へと進んだ。ひたすら同じような空間が続いていたが、やがて遠くに何かが見えてきた。


 白い大理石のような塊。それは近づいていくと徐々に3メートルはありそうな大きな門だとわかった。

 白と黒が混じり合う途中のような模様の、大理石の門。見た目からして強固に感じられる、それこそが魔界の門だ。

 門は中心に銀色の鍵をつけられ、しっかりと閉じられている。


 そして瓦礫を積んだような門の袂には黒い衣服の青年が黒い翼を生やし、目を閉じて誰かを待っているかのように座っていた。


「タナトス」


 ミューがそこにいる存在の名を口にすると。

タナトスの黒い瞳がミューを捉えた。今まで笑みを浮かべていた表情が嘘のように、タナトスは無表情だった。


「ボクがここにいるってよくわかったね……そっか、君はボクに近い存在だからボクの気を感じることができたんだね。この空間にいても大丈夫だし、君もしっかり魔物になっちゃったじゃないか、かわいそうに」


「かわいそう? なんでそんなこと言うの?」


 ミューも瓦礫の足場に降り立ち、タナトスに問い返した。


「だって魔物と人間の混血だよ。この世に受け入れられない命だ。どちらにも――人間にも魔物にも受け入れられない存在。どちらからも忌み嫌われ、呪われ、蔑まれ。孤独と化す存在なんだよ」


 タナトスは何かを恐れるかのように、膝の上にあった手に力を込めていた。

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