しふくの日。

ヲトブソラ

しふくの日。

しふくの日。


 半年前に引っ越してきたこの町の風景にも慣れ、今ではスマートフォンを持たずしてコンビニに行けるくらい近所を近所と呼べるようになった。ジーパンにシャツ、割とぼろぼろのスニーカーなんて格好でも出歩けるし、なんなら「レジ袋いらないっす」と缶ビール二本を手に直で持って帰れる。生活をする町というものが、だんだんと染み込んできている。


 いつも曲がる道を二本手前で折れてみた。そこに住宅街の一角をくり抜いた公園があって、子どもたちが、ぎゃーぎゃーわーわー、と元気にサッカーをしていて、陽射しも気持ち良かったから端に置かれたベンチに吸い寄せられたのだ。缶ビールのタブを引くと、かきゅ、と、心地の良い音がし、口を近付けるだけで麦芽の香ばしい香りがする。子どもの頃には理解出来なかった“喉で飲む”が、今では的確に理解が出来るようにまでなっていて、なんなら大好きだ。ごきゅ、ごきゅ、ごきゅっ、と、鳴るたびに喉が動いて、金色の液体が身体に染み込む。このまま、このまま、窒息してしまうくらいまで喉を鳴らして、


「プハーっ!!」


 はあ……至福の時、である。しかし、この飲み方をし始める頃には、だいたい“おっさん”とか言われ、嫌われる対象にカテゴライズをされるという、謎。


 別にいいとは思わないか?毎日、毎日、ネクタイで首を絞めてさ、ビールの為に働いているんだ。首を絞めるものから解き放たれて、喉を鳴らす自由くらいは、ぼくにもおくれよ。それを勝手に不名誉な名詞の代表格にまでしてしまった“おっさん”という言葉で表現してくれるなよ。本当の“おっさん”に失礼だろう?

 脚を組んでビールを飲みながら、ぎゃーぎゃーわーわーと叫びながらサッカーをする子どもを見ていた。最近の子どもは上手いよなあ。どうして、みんながみんな、あのレベルに達しているのかなあ。その元気な姿を見ながら、また缶を口に当てて傾ける。金色の液体で喉を鳴らしながら、横目で大人たちがぼくを見ながらヒソヒソと話をしているのが見えた。なんだ?流石にこんなにゆるい私服はまずかったか?ああ、なるほど。最近じゃ、こういう風に子どもの元気な姿を見て、癒されているだけで危ない人扱い受けるって聞くのが今の状態か。


「世知辛い世の中になったなあ」

「お兄さん、ちょっといいかな?」


 まじか。振り返ると警察官が二人。財布を出して免許証で身分を証明して、今日は休日でビールを切らしていたからコンビニに行った帰りに、ふらりと寄ったここで飲んでます、と一語一句違わず、嘘偽り、特に誇張する事なく経緯を説明して「どうして、スマホ持ってないの?その辺に落とした?もう一回ポケット見てくれる?」と、そんなにまで個人情報を“心配”してくれるんですね!


「いや、近所過ぎて。要らないかなと持ってきてません」

「あー……そう?気を付けてね」


 何、その反応。何を、気を付けるんですか?もしかして、ぼくがスマホで子どもを盗さ…とか思って声を掛けた、とかじゃないですよね?


世知辛え。


 じゃあ、早めに帰るように、と警察官が白いスクーターに乗り去っていくのを見送りながら「大人になったら公園にいちゃ駄目なんすか?公園の意味って何すか?公の園って書くのに、おっさんは入っちゃ駄目なんすか?」と怖くて言い出せなかった文句を呟いた。踵に、ぽんっと柔らかく跳ねる感触がしたから脚元を見ると、そこにサッカーボールがあって、子どもたちを見るとこちらを見ながら固まっている。………なるほど、ぼくら“おじさん”は君らにとっても、そういうカテゴライズか。脚でボールを踏みつけるようにして跳ねさせ、頭まで上がったボールを胸でトラップしてから、脚で少し遊んで「ほら、パスっ」と山なりのやわらかいパスをした。子どもの固まった目が輝き、その五分後には子どもに混ざって公園を走り回っていたのだ。


 シャツとジーパン、ぼろぼろでもスニーカーで出てきて良かった。スマホなんて持ってきていたら気になって、こんなに動き回れなかっただろうね。夕方のチャイムが公園の時計から小さく鳴って子どもたちが目を合わせる。ああ、こういうのは今も残っているんだな。


「さー、帰ろうぜ。解散、解散!夕飯が待ってんだろ?」

「おじさん、次はいつ公園に来る!?」


小さく口を開けて空を見上げ、考える。


「“おじさん”は……二週間後なら遊びに来れるかもなー」


 ベンチに忘れていた温くなった缶ビールに気付き苦笑い。まあ、飲めないよりは、ごきゅ、ごきゅ、ごきゅっ、


「プハっ」


 運動をした後のビールって、どうしてこんなに美味しいのかな?


「普通なら、こんな緩いビールは不味くて飲めんでしょ?」


 近所になった道、夕げの香りと誰かの家の団欒の音。その真ん中に敷かれたアスファルトを家に向けて、まだ明るいのに仕事を始めた街灯の下で青く薄い月を見ながら歩く。


至福の日だ。


おわり。


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