第5話 ミーシャというメイド少女

 ミーシャ=シュトラウスは、貧乏地方貴族の三女であった。

 男児ではなく、しかも末っ子。

 当然実家の跡継ぎにはなれず、ならば政略結婚かと思えば、それも家の力が小さすぎてろくな候補先がない。

 二回り以上歳が離れた変態貴族の愛人、大したことのない商会長の妻、豪族の第三夫人。

 ミーシャの容姿が飛び抜けて優れているせいか、あるいは父親が無能すぎたのか。

 恐らくは両方なのだろう。

 父親が持ってくる縁談は性奴隷同然の条件ばかりであった。

 最初のうちは、ミーシャはそれを受け入れるつもりでいた。

 これまで何一つ不自由がなかったのは、領民から徴収した税金で生活していたからである。

 この身を見ず知らずの男に差し出すだけで領地に金銭的な援助をして貰えるなら、自分一人が我慢するべきだと彼女は本気で考えていた。


 ただしそれは、所詮子供の覚悟にすぎなかった。


 覚悟が崩れ去ったのは、ミーシャが婚約者と茶会をすることになった日のこと。


 先に茶会の会場に着いたミーシャは、婚約相手が自分より二回り上だと聞かされ、ダンディーなイケオジを期待していた。


 しかし、会場に現れたのは、豚の化け物であった。

 歩くだけで全身に蓄えた肉が震え、脂汗が飛び散る醜男。

 豚の化け物はミーシャの姿に気付くと、まず顔を、そこから胸、腹、腰、股、脚と舐めるように視線を這わせ、ニチャニチャと笑ったのだ。


 これからずっと、自分はこいつの相手をし続けるのか。

 しかも、それは十年ちょっとの話ではない。

 異種族の血が混じるミーシャは、最低でも数十年は若さと美しさを保つ。

 目の前の男が飽きるまで、地獄のような日々を送ることになるだろう―――


 そう考えた瞬間、ミーシャは全力で会場から逃げ出していた。




 逃げ出したミーシャは、父親の怒りを無視して雇用先を探した。

 貴族の女は当主の言いなり、そんな常識に従った結果がアレである。

 一人立ちするのだ。もう父親の駒になる気はない。


 ミーシャは、父親も元婚約相手の恐喝紛いの誘いも、全てを振り切って仕事探しに奔走した。


 しかし中々就職には至らない。

 なにせ、そこらの店の下働きでは、父親がその気になるだけで連れ戻されてしまう。

 貴族の影響力に負けず、さらに超絶可愛い女の子でも安全に働ける場所でなくてはならない。

 そんな雇用先は中々見つからなかった。


 それから数ヵ月、本気で仕事を探し続けた結果、一つだけ文句のない雇用先を見つけた。


 エンデンバーグ男爵家が、メイドの募集を行っていたのだ。

 その家はミーシャの実家より強い影響力を持ち、しかも実家からはそこそこ距離があるため連れ戻されるリスクも小さい。

 募集要項には、優れた教養を持つ者とあり、それもまたミーシャには好条件であった。


 ちょうどその頃、そろそろ父親が新たな縁談をまとめそうな雰囲気があり、加えて元婚約者からの誘いも激しくなっていた。


 これで駄目なら文字通り人生が終わる。

 そんな熱量が伝わったのか、ミーシャは数百倍に及ぶ倍率の面接を突破し、晴れてメイドとなったのだった。




 メイドとなったミーシャの初仕事は、なんとエンデンバーグ男爵家男児の専属であった。

 貴族家の跡継ぎになるかもしれない子供の専属。

 それは使用人の中で最も名誉ある地位の一つだが、貴族生まれのミーシャは、新人の自分一人だけがその地位に就くことの不自然さを知っていた。

 普通は、信頼が置ける優秀な家人で周囲を固めるものである。


 そして案の定、その采配は特殊なものであった。


「あんたが僕の使用人さん?まあ、適当にやりなよ」


 なんだこのガキ。


 それが、エンデンバーグ男爵家の三男、ノルウィン=フォン=エンデンバーグと初めて会った感想であった。

 幼い子供のくせして、死んだ目をしていた。

 何をするにしてもやる気がなく、そもそも何にも取り組もうとしない。

 無気力に虚空を眺めては、ため息をつくばかりの男の子。

 それがノルウィンであった。


 何故そうなったのか、詳しい理由は分からないが、当主と正妻がノルウィンを家族として扱っていない様子を見れば、並々ならぬ事情があるのは容易に悟れた。


 ふざけるな、とミーシャは思った。


 実家の政略結婚から逃げるための就活だったのに、必死こいて得た職場でもゴタゴタに巻き込まれるのかと。


 しかし、ここを追い出されたら待っている人生は化け物の性奴隷。

 ミーシャにはノルウィンの専属を続けるという道しかなかった。


⚪️


「お坊っちゃま、朝食のお時間です」


「―――分かった」


⚪️


「お坊っちゃま、本日はご予定がありませんが、いかがされますか?」


「ああ、それね。いつもないよ」


「―――それはっ」


⚪️


「お坊っちゃま、お暇でしたら勉強をしましょう」


「いらない」


⚪️


 働いてみると、ノルウィンは全く手間の掛からない子供であった。

 いかなる理由があってのことか、ノルウィンが技術を身に付けることを禁ずるエンデンバーグ家の要望に、本人は文句一つ言わないのだ。

 全てを諦めた目で機械的に頷き、ただ置物と化す。

 たまに退屈そうな顔を覗かせることはあるが、それ以外は無表情しかしない可哀想な子供であった。


 そう、可哀想なのだ。

 ノルウィンほどで無くとも、実家の都合で不自由を強いられた過去を持つミーシャは、ノルウィンに同情していた。

 これくらいの子供なら、親に無条件の愛情を惜しみ無く注がれ、笑顔で溢れているべきであろう。


 それが何故、誰からも見放され、しまいには悲しみすら浮かべないほど心を腐らせてしまうことになるのか。


 しかし、他家、それも実家より強い貴族家の問題に首を突っ込めば、自分が追い詰められるのみである。

 そうなればお先真っ暗、自分を出迎えるのは温かな実家でもなければこの無表情の子供でもなく、脂ぎった豚の化け物になるだろう。


 結局ミーシャはなにも出来ないまま、半年を淡々と過ごした。


⚪️


 変化が訪れたのは、ミーシャが専属となってから半年後のこと。


 ある日の朝、ノルウィンを起こそうと別館の寝室に向かっていると、目的の部屋から奇声が上がったのだ。


「ああああああああああああああ!!!」


 子供の発狂するような声。

 とうとう哀れなノルウィンが壊れてしまったかと、ミーシャは慌てて部屋に向かい―――しかしすぐに声は収まった。


 恐る恐る扉をノックすると、中からは予想外に落ち着いた声が返ってきた。


「あ、大丈夫なので気にしないで下さい」


 落ち着いた、落ち着きすぎた声。

 さっき聞いた声は幻聴ではなかった。

 であればノルウィンは確かに一度、そうなるほどの感情を抱いたはずなのだ。

 なのに、聞こえた声は恐ろしいほど澄んでいて、しかも普段とは口調が異なっていた。


 ミーシャは過去に、人は耐えられない苦痛を受けると心を守るために、自分の中に別人格を産み出すことがあると聞いたことがあった。


 それを盾とし、本当の自分を守るという防衛本能。


 もしかしたら、今のノルウィンはその状態にあるのかもしれない。

 何とかして助けてあげたい。

 だけど、自分の状況を思えばエンデンバーグ家を敵に回すまではできない。

 ならせめて、誰も見ていない時だけはこの子に寄り添ってあげるべきではないか。


 先日十六歳になったミーシャは、少しずつノルウィンに情を持ち始めていた。


⚪️


 問題が起こったのは、それから数時間後のことであった。


 様子を確認しに部屋に向かうと、ノルウィンが床に倒れていたのだ。


 幸いすぐに目覚めたが、体調を崩した直後もノルウィンは全く揺らがなかった。


 誰にも弱さを見せず、医者もいらないと一蹴する。唯一、家族も心配をしていないと言い切った時だけは、苦しそうな顔をしていた。


 ミーシャの知らないエンデンバーグ家の闇。幼いノルウィンは苦しそうで、だけどその弱みも一瞬で無表情の奥にしまいこんでしまう。


 ―――自分が守らなければ。


 ノルウィンを取り巻く事情を知らず、しかもノルウィンの身に別の存在が乗り移ったことにも気付かないまま、ミーシャは一人覚悟を決めていた。


 ―――だから、ノルウィンの方から話し掛けてきた時、ミーシャは嬉しくてたまらなくて。


「僕を助けてくれませんか」


 その頼みを、断れるはずがなかった。

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