第3話 魔術を使ってみる

 目標を明確に定めた頃、再び扉がノックされた。


「お坊っちゃま、朝御飯のお時間でございます」


 さっきの女性の声がして、それと同時に扉が開かれる。

 ドアノブを握る白い手、細い腕、肩、視線を追ってその人物の顔までたどり着き、俺はハッと息を飲んだ。


「お坊っちゃま?」


 可愛い。


 え、何これ。


 クレセンシアたんが絶対の一番手なのは確定として、世界で二番目の容姿だ。


 烏の濡れ羽色というのだろう。艶めく黒髪をサイドテールにまとめ、長い前髪の間から覗く黒い瞳が妖しく輝く。

 身長は150程だろうか。多少低めで、体型も若干主張が乏しい。端的にいうと、胸や尻は小さめだ。


 とはいえ、幼い容姿であればそれらはむしろアドバンテージ。

 犯罪的な可愛さを加速させる要素となる。


 俺は日本で数多くのアイドルやモデル、女優を見てきたが、そのどれと比較しても勝る圧倒的な可愛さだ。


 ―――これは後から知った話だが、貴族男児専属の使用人は、将来お手付きになることを考慮して美しい者しか雇用しないという。


 目の前にいる少女もその一人。貴族が全力で探した美少女というわけだ。


 当然、そんなことをまだ知らない俺は、ただただこの出会いに戸惑うばかりであった。


「お坊っちゃま?」


「あ、いや、大丈夫です。何でもありません」


「······」


 黒髪メイドは怪しむような視線を向けてくる。


 今の短い会話のなかで、何かおかしい点があったのか?

 こちとらノルウィンのこれまでの記憶が無いんだ。

 どんな風に振る舞えば良いかなんて分からないぞ。


「お坊っちゃま、まだ寝惚けておられるのですか?」


 えー。敬語使っただけでこの反応、もしかしてノルウィンって典型的な悪ガキだったの?


 駄目だ、全く分からんわ。


 くそ、ノルウィンテメェ。

 なんで背景モブだったんだ。

 せめて過去を描写されるくらいには活躍しとけやボケ。

 クレスたんを殺すしか脳の無い単細胞戦闘バカ共にすら劣るってどういうつもりだよタコが。


 まあ、俺は今そんなノルウィンになってるわけだが。


「はぁ」


 ほんと、どうしよ。

 目標は高いのに、その達成を目指す俺が一歩目で躓いてるよ。


 あー、もう。ほんとにどうしよう!?


 と、取り敢えずは朝御飯って言ってたよね。


 えーと、ご飯はどこで食べるんだ?

 この部屋?それともそれ専用の部屋があるのか?


「えーと、朝ご飯ですね」


 取り敢えずそう呟き、ソワソワと意味もなく動いて様子をうかがう。はたして黒髪メイドは、僕を案内するように部屋を出る素振りを見せた。


 よし。


 部屋を出て、軽快な足取りで黒髪メイドの後に続く。


 やはりというか、この家は大きな屋敷であるらしい。

 扉を開けたら左右に長い廊下に出た。

 もう長らく運動なんてしていないから頼り無い目測になるが、50メートル走で走った直線距離くらいあるんじゃないか?

 それから、等間隔で並ぶ調度品や絵画、シャンデリアなどを見ていると、本当にこの世界に来たのだという実感が沸いてくる。


「こちらでございます」


 やがてたどり着いたのは、食卓が用意された小さな部屋であった。貴族の屋敷にしてはこじんまりとして、ここに来るまで散々目にした豪華な雰囲気は微塵もない。


 そこに両親二人が待っている―――ということは無く。


 料理が盛られた皿だけが、寂しくテーブルに並べられていた。


 うーむ。家族仲は良好じゃない?

 今日1日じゃなにも判断できないな。とりあえず食べるか。


「いただきます」





 この世界にきて初の食事は、いたって普通な味であった。

 多分さっきの朝御飯は貴族用で、この世界基準では豪華な食事なのだろう。何となく分かる。

 壁際に立って待機していた黒髪メイドが、羨ましそうな視線を向けてきたし。

 とはいえ、こちとら日本食で散々鍛えられた美食家である。

 数世紀遅れた文明の料理では、全く満足いかなかった。

 失って初めて気づくものってあるんだな。肉ばっかで、白米が恋しいよ。


 さて、ご飯も食べ終えたことだし、そろそろ本格始動したいものだ。

 時間は有限。この十年間を無駄に過ごすつもりはない。


「すみません。この後の予定は何でしたっけ?」


「はい?」


 珍しい。ここまで、無愛想ながらも的確に僕に仕えていた黒髪メイドが、おかしなことを聞いたとばかりに首をかしげた。


「いえ、ですから予定の確認をしておきたいのです」


 ほら、剣術、礼儀作法、魔術、勉強、なんだってあるだろう?


 そう思っての問いだったが、黒髪メイドは困ったように眉を潜めるだけで口を開かない。


 えー、と。これはまさか。


「お坊っちゃま。その、非常に申し上げにくいのですが、特にご予定はございません」


 なるほど。そういうことか。


 アルクエの世界では、貴族は上に立つ責務を果たすために、ある程度の研鑽を積むのが常識である。


 それすらさせて貰えない事情があるのだろう。

 一人で迎えた朝食もその一つ、多分ノルウィンはこの家で冷遇されている。


「ふふ······くふふっ」


「お坊っちゃま?」


 俺は込み上げる笑いを抑えることが出来なかった。だって、それはつまり自由ってことだ。


 どれだけ行動に制限が掛かっているかは知らないが、制限下であれば俺は解放されている訳だ。


 貴族の責務もなく、クレセンシア救済の準備のためにこの環境をしゃぶり尽くすことが出来る。


 俺は、両親の冷たい視線に耐えつつも、容赦なく脛を齧っていたエリートニート。

 お残しはしない偉い子なのだ。

 そんな俺からすれば、この屋敷は宝の山にも等しい。


 よっしゃあ!


 まずは魔術の練習だ!


 しばらくは自己研鑽の時間にしようじゃないか!


 そう決めた俺は意気揚々と自室に戻り、黒髪メイドも追い出して一人部屋に籠る。


 誰にも見られていない。よし。これなら思う存分魔術の練習が出来るな。


 普通なら教本や講師が必要だろう。

 しかし俺にはアルクエを千回以上周回して得た、ありとあらゆる魔術の知識がある。


 謂わば俺は歩く攻略本。不可能はないのだ!


 シュバっと右手を前に突き出し、思い浮かべた詠唱をゆっくりと口走る。


「炎の精霊よ。我が―――」


 身体の内側がじんわりと熱を帯びる。

 日本にいた頃は感じたことのない未知の感覚。

 直感で、これが魔術によるものだと理解できた。

 身体の奥底に宿るそれを大きくするのだ。

 全身を循環させ、それを突き出した手に集めて―――


「うぇっ」


 いきなり吐き気と倦怠感に襲われ、一切の集中が途切れた。

 なんだこれは、と思うこともない。困惑すら浮かばない異様な苦しみ。


 恐らくは、ゲーム知識でのみ知る魔力切れの症状だ。インフルエンザに掛かって寝込んだ苦しみを数十倍にしたそれを受け、俺は呆気なく意識を手放した。

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