第3話 篁、魔魅(まみ)と戦う。


 壱子いちこに言われたから、という訳ではないが、たかむらは少しずつ勉学にいそしむようになった。

 将来の為というよりは、みかど瓜実顔うりざねがお公卿くげたちをギャフンと言わせてやりたくなった、という方が彼の心情に近い。


 一方、夏に拾った白モフ魔犬のシロタは、元気になって一度は冥界へと帰って行ったのだが、相変わらず兄たちにいじめられているのか、ときどきたかむらの部屋に遊びに来ている。

 一応シロタなりに気を遣っているのか、学問の邪魔にならぬように篁の膝の上で丸まって寝ていることが多く、篁も好きにさせている。


 日々を勉学に費やすうちにいつしか夏も終わり、朝晩は秋らしい涼やかな風が吹くようになっていた。


 そんな────ある夜。


 篁はしとねの上に寝そべり、巻き上げた御簾みすと上半分だけ開けた蔀戸しとみどの隙間から夜空を見上げていた。

 今夜は良い月夜だ。

 満月に近いまあるい月は青白く輝いて、部屋を囲む外廊下の床板を仄かに照らしている。


壱子いちこも、この月を見ているだろうか?)


 ぼんやりと月をながめていると、いきなり目の前に、ポンッと白モフ魔犬のシロタが現れた。


「タカムラ! 大変だ!」

「わぁーっ、びっくりしたぁー! 脅かすなよ!」


 文句を言いながら、篁は両手でシロタの体を捕獲する。するとシロタは噛みつかんばかりにクワッと口を開いた。


「そんなことを言ってる場合じゃないぞ! イチコが危ないんだ!」

「何だって?」


 篁はガバッと身を起こし、その勢いのまま立ち上がった。

 シロタは篁につかまれたまま、ジタバタと手足を動かしている。


「オイラ毎晩、魔魅まみが悪さをしてないか見回りをしてるんだ。それで、さっきイチコの家の近くを通ったら、魔魅がイチコの屋敷に飛び込んで行ったんだ! けど……」


 そこまで言って、シロタは黒曜石のような目を潤ませた。

 今にも涙がこぼれ落ちそうなその目を見た篁は、傷を負って鳥野辺とりのべの林の中に倒れていたシロタの姿を思い出した。


「魔魅って、おまえを襲ったやつだよな? まさか……壱子が怪我を?」


「違うよ……魔魅は、戯れに人の魂をもてあそぶ妖魔なんだ。オイラが倒さなきゃいけないんだけど……オイラだけじゃとても太刀打ち出来そうもなくて……だからタカムラ、一緒に来てくれ!」


「わっ、わかった!」


 篁はシロタをポイッと投げ捨てると、小机脇に置いておいた剣をつかんで庭へ出た。

 急ぎ馬屋へ向かおうとしたところ────。


「タカムラ! オイラの背に乗れ!」


 ポンッと宙返りしたシロタは、驚いたことに馬ほどの巨大狼へと変化へんげしていた。


「なっ、何だおまえ、大きくなれんのか?」

「そんなことはいいから、早く!」


 声に似合わぬ獰猛そうな顔でシロタが振り返る


「お、おう!」


 篁は、恐る恐る巨大狼に飛び乗った。

 その途端、シロタは夜の空へと飛びあがる。


「しっかりつかまっててよ!」


 ごぉっと耳元で風が渦巻いた途端グラリと背から落ちそうになって、篁は慌ててシロタの首に抱きついた。

 巨大化したシロタはみるみるうちに高度を上げ、篁がそっと下をのぞき見ると、青白い月光に照らされた都の屋根が遠くなっていた。


 篁は藤原三守ただもりの屋敷を探そうと目を凝らしたが、もはや自分の家がどこかわからない。目をさまよわせているうちにシロタは降下し始めた。

 貴族の屋敷はどれもみな同じような建築様式だが、シロタが目指しているのはその中でもひときわ広い、大きな池のある屋敷だった。


 屋根のすぐ上まで近寄ったとき、明かりを持った使用人たちが、慌ただしく回廊や渡殿を行き来しているのが見えた。

 すでに何事か起っていることは間違いない。


(壱子……)


 淋しそうに笑う幼馴染の顔が脳裏に浮かぶ。

 彼女に何かあったのではと思うと、胸が締め付けられたように苦しくなる。


「シロタ、俺を降ろしてくれ!」

「まって!」


 シロタがそう叫んだ瞬間、黒い影が対屋たいのやの屋根を突き抜けて飛び出すのが見えた。


「魔魅だ! イチコの魂をくわえてる!」

「何だって!」


 すぐに黒い影を追いかけて空へと飛び上がったシロタの背中で、篁は目を凝らした。

 よく見れば、黒い影は尻尾の太いたぬきむじなのような姿をしていて、口には確かに青白い雲のようなものをくわえている。


(あれが、壱子の魂なのか?)


 そう思ったとたん、ムクムクと怒りが湧いてきた。

 篁は流鏑馬やぶさめをする時のように両腿でシロタの背を挟み、腰に帯びた剣をすらりと引き抜いた。


「シロタ、ヤツに近づけるか?」

「もちろんだ!」


 力強い声が返ってくる。シロタはぐんぐん速度を速めた。

 ピューッと一直線に飛ぶ魅魔を追って、シロタは四本の足で地面を走るように空を飛ぶと、あっという間に追いつき、横に並んだ。

 その瞬間を逃さず、篁は魅魔の背に向かって剣を振り下ろした。


 ギェーッ!


 魔魅は喉を締めつけられたような鳴き声を上げたが、妖魔だからか、手ごたえは全く感じない。

 けれど、鳴き声を上げた魔魅の口から、青白い雲のようなものがフワリと離れ、後ろへ流れてゆく。


「あっ、壱子の魂が!」


 篁は振り返ったが、シロタはまだ魔魅を追い続けている。

 魔魅を倒すという使命のために、周りが見えなくなっているのだろうか。


 グルルルルルッ


 威嚇するような狼の唸り声が聞こえ、篁はハッと前を向いた。

 いつの間にか、目の前には朱雀門すざくもんの屋根瓦が見えていた。


 その屋根の上に、黒い人影が立っている。

 黒装束を身に纏った男は、黒い頭巾のせいで顔は見えない。しかし、そのスラリとした体は篁よりも小柄に見えた。

 滑るように飛んでいた魔魅は、まるで逃げ込むようにその男の肩に飛び乗ると、太い尻尾を襟巻のように男の首に回した。


「おまえ、何者だ!」


 篁は誰何すいかしたが、朱雀門の上に立つ黒い人影は答えなかった。ただ、男はフッと笑ったようだった。

 次の瞬間、男は魔魅を肩に乗せたまま音もなく消え失せていた。

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