第35話
氷岬はお菓子を持って戻ってくる。
「ちょっとは甘いものでも食べないと、頭働かないわよ」
「そうだな。ちょと摘まむか」
俺はそう言うと、クッキーを摘まんで口へ放り込む。チョコの甘い味が口いっぱいに広がり、疲れた脳内を癒していく。
「美味いな、これ」
「そう? それ、私が作ったの」
氷岬がそう言って自慢げに胸を張る。
「へえ氷岬さんってお菓子も作れるんだ」
渚が感心したように言う。
「まあ、ちょっとした趣味程度よ。最近誰かの帰りが遅いから時間があったの」
氷岬が俺を見て、含み笑う。放置して拗ねているのか。
「俺も食べていいか」
駿が興奮気味に言う。
「勿論。ぜひ食べて」
「いただきます。……うん、美味いわこれ。氷岬さんって何でもできるんだな。羨ましい」
「そんなことないわ。私だって苦手なことぐらいあるわよ。でもありがとう」
またしても駿の誉め言葉に満更でもなさそうな反応をする氷岬。意外に駿とうまくいくんじゃないか。そんな疑問が湧いてくる。
「それじゃ、ちょっと休憩したらもう少し頑張りましょう」
氷岬の掛け声に頷く面々。勉強会は思ったよりも成果がありそうだ。
それから勉強会は滞りなく進み、すっかり日も落ちた。
「そろそろ帰るわ」
駿が立ち上がる。
「じゃあ俺も渚のこと送ってくる」
「ありがと、拓海くん」
俺はツッカケをを履いて渚と共に家を出る。
「じゃあな、拓海。また学校で」
「おう。駿も気つけて帰れよ」
駿と渚は家が逆方向だ。だから家を出てすぐに駿とは分かれることになる。
「それじゃ、行くか」
「うん」
駿と分かれた俺たちは互いに手を繋ぎ歩き出す。誰も邪魔しない恋人同士の時間だ。
「今日ってなんだか氷岬さんと金子くんをくっつけようと画策してたりした」
不意に渚が聞いてくる。
「気付いていたのか」
「結構露骨だったから。氷岬さんも気付いたかもしれないよ」
「そうか。気付かれないようにやったつもりだったんだが」
「ふふ、それは無理。拓海くんはわかりやすいもの」
渚が口許に手を当てて笑う。そんなにわかりやすいか、俺。
「もしかして、金子くんって氷岬さんのこと好きなの」
「…………言えない」
「それ、もう言ったようなものだけどね。本当に隠し事が下手だな、拓海くんって。じゃあ、ここからは私の勝手な推理でお届けします」
そう言うと渚は少し芝居がかった口調で、推理を披露する。
「金子くんは昨日の昼休み、拓海くんを呼び出して、相談した。氷岬さんのことが好きだから協力してくれないかって。当然、一緒に住んでる拓海くんは悩む。氷岬さんの意志を無視して親友に協力していいものか。かといって親友の頼みを無下に断るのもどうなのかって」
渚の推理は微妙に外れているが、結果としては当たっているようなものなので質が悪い。
「それで昨日悩んでたの? 拓海くんは」
やはり悩んでいたこともお見通しだったようだ。昨日のカラオケも息抜きに誘ってくれたのだろう。
実際に悩んでいたのは別の理由だが、悩んでいたことに違いはない。渚にも隠し事はできないらしい。
「悩んでいたのは違いないよ。でも、手伝ってやることに決めたんだ、俺は」
「そっか。金子くんの応援をすることを決めたんだ。まあ今日の様子を見てればそうなんだろうなって察しはついたけど」
「渚、悪いがこのことは」
「うん、わかってる。内緒だね。今まで秘密を漏らしたことなんてないから安心してくれていいよ」
そうだ。渚はいつも秘密を守ってきてくれた。俺と氷岬のことも誰にも言っていない。付き合ってると噂になったのはあくまで俺の失態だ。
「でもそっか。金子くんが氷岬さんをね。結構お似合いかもね」
渚の言葉に俺は少し胸が痛んだ。なぜだろう。なぜ、俺は今胸が痛んだ。
「そうかな。駿の奴お調子者だから、氷岬とはテンションが合わねえんじゃねえかって心配してるんだが」
「でも、今日の氷岬さんの反応、満更でもなさそうだったよ。気付かなった」
「…………」
気付いた。気付いたからこそ動揺している。やっぱり俺に向けていたあの好意のようなものは偽物だったのか。振りだけだったのか。
そんなことを気にしてどうする。俺には渚がいる。それでいいじゃないか。
「まあとにかく、私たちは温かく見守ってあげようよ」
「……そうだな」
どこか腑に落ちない思いを抱きながら、俺は頷いた。
そうこうしているうちに渚の家に着いた。
「送ってくれてありがと」
「これぐらい彼氏として当然だ」
「これはお礼だよ」
渚は家に入る前、不意に頬にキスをしてきた。そしてそのまま慌てて家の中へ飛び込んでいく。
「まったく」
俺は頬を擦りながら、柔らかな唇の感触を思い返していた。
渚が可愛い。こうして積極的なところも可愛いし、それなのに照れて逃げてしまうところがたまらなく可愛い。でも、心にわだかまったもやもやが消えない。
「どうしちまったんだ、俺。渚が好きなはずなのに」
氷岬が駿のことを気にかけていた。そんな仕草が今日だけで結構目についた。そのことを俺は気に食わないと思っている。我ながら最低な思考だ。親友に協力すると決めておきながら、氷岬を差し出すと決めておきながら、こんなことを考えてしまう自分に辟易する。
これは嫉妬だ。わかっていたはずじゃないか。氷岬の好意は偽物だと。俺にだけ向けられるものじゃないと。それなのに、どこかで俺は本気にしていたのか。
「最低の気分だ」
俺は陰鬱な気分に陥りながら、家路を急いだ。
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